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見渡す限りの荒野を低くよぎる、ひとつの影があった。
赤茶の大地と黄色から紺に移ろう空を背景に、悠然と飛ぶ影。その正体は、全ての獣の覇者――すなわち、竜であった。
華麗に翼をはためかせて風を切り、舞う様に宙を泳ぐ竜は、荒さの中に華美を潜めていた。
その風格を何よりも確固たるものにしているのは、頭部を囲むように生えた八本の角であろう。凛とした佇まいで、短くも鋭い刃を主張する様は、覇者にふさわしいと思わしめる見事な王冠だった。
そう、角が王冠だと言うのなら、皮膚を覆う深緑の、水彩を滲ませたような鱗は王者の鎧と表現してよいであろう。ガラスのような繊細さがあるようで、澄んだ空気よりもそれは美しく、堅い。
全ての生きとし生ける物の頭上を通り過ぎながら、覇者は行く。
自らの背に乗る、小さな存在と生きるため――。
*
ユニ王国西部、ラヌス市の外れに、竜――石龍が静かに舞い降りると、その拍子に風が巻き起こり、ふわりと砂塵が巻き上げられた。そしてそのまま居住まいを正すように石龍が翼を閉じると、その背で何かがもぞもぞと動きはじめる。石龍よりもずっと小さいその影は、やがて石龍の背から滑るようにして降りると、すとんと華麗に着地。危なげな様子を少しも見せることなく、ゆるりと立ち上がった。
薄闇と砂埃の中に浮かぶのは、フード付きのクロークに身を包んだシルエット。体型や容姿といった情報はその下に隠されており、どのような人物かは全く伺い知れないが、無駄の無い動きがどこか人間味の無さを出していた。
ばさばさとクロークの裾がはためき、漂っていた砂塵が流され視界が晴れていく。徐々に降りていく夜の帳に星が瞬き始めたのを、影は顔を上げて見つめた。その拍子に、自然と被っていたフードが外れ――。
――現れたのは、非常に整った、完成されたと言っても過言ではない顔立ちだった。柔らかい輪郭に、静かな眼差し――無表情であるのが、より一層その美しさを際立たせている。完全を突き詰めたらこのような顔になるのではないか、という造形……とはいえ、誰もが見惚れそうな容姿であろうとそこに性別が無いわけがない。唯一、すっきりした髪型だけが男であることを示していた。
じっと空を見つめる青年。その背後で、不意に「キュイ」と鳴き声がした。青年が反応し振り返れば、そこには低く頭を垂れ、上目遣いでちらりと見る石龍の姿。
意表を突かれ、しばし静止する青年。逡巡したのか少しの間を置いて、彼は手を伸ばした。そっと乗せられたその手に、石龍は嬉しそうに甘えて鼻づらを擦り付ける。
「キュウ、キュウ」
「……そろそろ親離れしたらどうです」
呆れるように発せられた声は、いくらか低い。
対して石龍は嬉しそうに、高く鳴いた。
「キュ、キュウ」
「確かに、まだ成体ではないですが……」
「キュ!」
青年が苦々しげに言いながら撫でれば、石龍は元気に一鳴き、再度頭を擦り寄せた。まだまだ甘えたがりの子どもなのだろう。
しばらく青年は石龍の好きなようにさせていた。が、じきに太陽が沈みきるのにふと気付いて、ぱっと手を離した。
突然のことに、不満げに鳴く石龍。
「……キュウ」
「そろそろ約束の時間ですから、行きます」
「キュ、キュウ」
「また戻ってきたら撫でてあげますから。そんな不貞腐れないでください」
「キュウゥ」
「無茶を言わないでください。今回は何やら、新人の方を連れてくるようですし、むしろいつもより時間がかかりますよ。先程の良い返事はなんだったんですか」
「……キュ」
「……きちんと待っていれば早く帰ってきてくれるかなと思った? そうですね……では代わりに、良質の石を買ってきましょう」
「キュ!」
「きちんと待っていれば、ですからね」
「……キュ」
心なしかうな垂れた様子を見せた石龍から、数歩後ろに下がることで離れる青年。薄暗い闇の中、じゃれるのを諦めた石龍は緩慢な動作で翼を広げた。星明かりに晒され、輝くソレをばさりとはためかせ、一気に上昇。どこか名残惜しげに中空で大きな円を描くと、太陽が沈んだ方へ飛び去った。
「全く、いつまでも一緒に居られるわけではないというのに……」
みるみる小さくなる影を見届けると、青年は懐からネックウォーマーを取り出し、身に付けた。更に手袋をしてから、フードを目深にかぶりなおす。
慣れた手付きだった。
そして人目を偲ぶように、青年は静かに街へと歩き出した。
「時間は大丈夫のはずですが……また怒られないように、少し早足で行った方が良いでしょうね」
・石龍
石を食べる龍、という生態がそのまま名前になっている龍。好むのは色が付いた石……すなわち宝石で、食べる宝石の色で鱗の色が変わるのではないかと言われている。頭に生えている八本の角を王冠に見たてて、王龍と呼ばれることもしばしば。この角は成長すればするほど立派になる。人の気配に敏感で、懐くことは無いと言われている(研究しようにも近寄ると過剰に反応するため実験のしようが無い)。