シグナルレッド④
目を開けると腹の上に違和感を感じた。真はふと見てみるとそこには灰色の毛並みの猫が丸なって寝ていた。
「あれ? 俺戻ってこれたのか。ってか夢だったんじゃあ……」
「夢じゃないわよ」
突然後ろから声をかけられて驚いた真はアワフタしながら振り向くとそこには髪、目、服装に至るまで赤の彼女がいた。
夢の中で出会ったままの姿のシグレだ。
「なんで猫とシグレが……」
ソファと服には大量の毛が広がっており手で払って起き上がる。
「真、ボッサっとしてないで行くわよ」
「行くって、やっとあの世界から解放されたっていうのに一体どこへ行くんだ?」
真はあまり戦ってはいないがドッと疲れがこみ上げてきた。だがあの色怪に蹴られてつけられた怪我は何事もなかったように消えていた。
「隣の家」
まるで自分の家のようにヅカヅカと歩いて外へと出て行った。
外に出ると家へと帰ってきた時の様子と変わっていない。確か家の掛け時計の時間もそれほど変わっていないように見えた。どうやらヴァイスワールドでの時間の流れとここの世界での時間の流れは違うようだ。
それに気づいて少しだけ安堵した。
もし時間が違っていたら柑奈にシグレのことを聞かれたら困ってしまう。
そういうことではここに来たのは
「で、俺の幼馴染の家に何の用なんだ。あまり迷惑はかけないでくれないか」
銀九とは長い付き合いだがあんな危険な目に遭わせたくない。彼女もそんなことは望んでいないだろう。
「もぅ、うるさいわね。私が用があるのは幼馴染の方じゃないわよ」
何ならイライラしながらドアを開けて中へと入って行く。
「おい待てよ」
真もそれについて行き中へと入った。
中はとても新しい感じの家だ。綺麗で花瓶なんかも置いてある。これは確か銀九が置くように勧めていた。彼女の母はそういうことには無頓着で夫もいない。夫がどうしていないのかは未だにわからないが、シグレは銀九の母に用があるらしい。
シグレは何の迷いもなく階段を上って行く。下から上る真にはスカートの中、赤色のストライプが見えた。
サッと目を伏せて何も見なかったことにする。シグレの恐ろしさは目で見て知っている。怒らせたらどんなことになるか考えただけでゾッとする。
運良く気づいたおらず、そのまま二階の銀九の部屋のすぐ隣を扉を開けた。
そこはパソコンとケーブルでいっぱいの部屋だった。ここは何回か覗き込んだことがある。間違いなく銀九の母、四宮 櫂音の部屋だ。
部屋の中には一つの背中があった。
「櫂音さん……?」
真はその小さな背中の名前を呼んだ。
振り向いて顔を見せた櫂音は真とシグレを交互に見て嬉しそうに微笑む。そこで全身が露わとなる。
長い銀色の髪、目、その周りにあるのは銀縁の眼鏡。まるで銀尽くしだが、肌、着ている衣は遥かな白だ。
とても一児の母親とは思えないほどの若々しさと美しさを持っている。
「まこちゃん、王になったのね」
「な、なんでそんなこと知ってるんですか。まだ何も言ってないのに」
「ふっ、ふ〜。だって私がその娘をまこちゃんに送ったんだから知ってるに決まってるでしょ」
「え、いや。話が見えてこないですけど……」
「仕方ないな〜、そんなまこちゃんに特別に教えてあげる。他の人だったら“それぐらい流れで察しろや”なんだかね」
「ちょ、怖い。櫂音さんもの凄く怖いんですけど」
「もぅ、またさん付けで呼んだ〜〜。呼び捨てでいいんだからね。私もまこちゃんって呼ぶから」
駄々をこねる子供のように床を叩き始めた。
まこちゃんとは銀九と知り合って櫂音と出会った時から、つまりは小学校低学年程度の頃の真の呼び名だ。
中学生になっても高校生になっても、癖が治らないと言ってわざとそう呼んでくる。
櫂音は楽しいかもしれないがこちらはただ、ただ恥ずかしい思いでいっぱいだ。
「いつもそう呼んでるじゃないですか。でも幼馴染の母親を呼び捨てで呼ぶ勇気はないんでやめておきます」
「む〜。まこちゃんがそれでいいなら……。でも、私は幼馴染の母親としてじゃなくて一人の女性として見ていいんだよ」
「きつい冗談は終わりにしてそろそろ教えてくださいよ」
櫂音の話に付き合っていると日がくれてしまう。
「そうねぇ。まこちゃんは銀ちゃんから父親のことは聞いてないよね」
「はい、銀九にはいつもはぐらされて何一つ知りません」
「なら教えてあげるわ。私の夫は色怪なの」
男の色怪。つまり王の素質を持つものだろう。
「色々あってシグちゃんは夫の部下だったらしくて今でも情報を提供してくれるの。夫を捜索するのと同時にね。それでまこちゃんに王の素質があるのを聞いて夫を探すことは諦めたわ。だって、それはもう無意味なことだもの」
櫂音は悲しい目して眼鏡の位置を直した。
「なんで僕が王の素質を手に入れただけで諦めるんですか」
それではあまりにも銀九が可哀想だ。彼女は父親も知らずに育ってきたのに諦めてしまうなど。
「あのね、まこちゃんの王として素質の力は微弱なものだったの。それが今まで気づかなかった大きな理由。だけどある日を境に王として覚醒し始めた。これは普通はあり得ないことよ。素質は一日で急激に変わることはないわ。本来は毎日の特訓があって、やっと変わるものだもの。だけも夫があなたの素質に目をつけてある仕掛けをしていたのよ」
「仕掛け……ですか?」
何か嫌な感じの響きだ。
「そう……自分が死んだらまこちゃんの素質が覚醒するようにしていたのよ。つまり夫は何者かに殺されてまこちゃんに全てを託したのよ。ほんと無責任な人よね」
無責任、そうだろうか。真には仕方なくしたことにしか思えない。これから先何か大事なもののために。だからその期待に応えなくては櫂音さんの夫に顔向けできない。
「そ、そんなじゃあ俺はどうたらいいんですか。あの妙な世界で戦い続ければいいんですか」
思い出しただけで最後に食らった蹴りの痛みが蘇ってくるようだ。
「確かに敵が多いから戦うしかないわ。王として認めさせるのにはそれがいちばん手っ取り早いもの。まずは仲間を増やしていくことに専念しましょ」
夫の話などなかったように嬉しそうに微笑んだ。
情報と仲間が欲しい真はこの申し込みを拒否できない。静かに黙って頷いた。
「まこちゃんならそう言ってくれると信じてたわ。なら銀ちゃんには私から伝えておくから今日はもう家で休んでて」
櫂音に言われた通りに今日は休むことにする。なんか色々と疲れてしまった。
部屋を出ると猫を抱えてシグレがついてきた。
「随分、大人しいじゃないか、そんなに櫂音さんが怖かったのか。あの人はたまに変なところあるけど優しい人だよ」
「そんなのあんたが特別に決まってるでしょ。櫂音のお気に入りなんだから」
地面へ吐き捨てるように呟くが真には届かなかった。
「え? なんだって」
「いいわよ。それよりも櫂音の伝言。ヴァイスワールドに入るには意識を集中させて猫に触れればいいから」
四宮家の猫、灰色の毛並みが特徴でのんびり屋の直助を真の目の前にズイッと突き出してアピールする。
「猫? 猫ならなんでもいいのか」
「そうよ。ペルシャでもマンチカンでもスコティッシュフォールドでもなんでいいわ」
猫好きなのかペラペラと種類を言ってみせた。
「わかった。肝に命じておくよ」
柑奈がもうすぐ帰ってくる時間だ。足早にしてすぐ隣の家へ向かおうとした。
「まこちゃん待って〜〜〜〜〜」
後ろからドタドタと足音を立てて櫂音が走ってきた。
「なっ⁉︎」
彼女の姿に驚いた。数分前までは白衣に眼鏡の硬い感じだったのだが、今、櫂音の肌を隠すものはタオル一枚だけだ。大きな胸が強調されていて艶のある肌が生々しくて目のやり場に困ってしまう。
「ちょ、ちょ、ちょっと櫂音さんなんて格好してるんですか!」
「いいじゃない。昔はよく三人でお風呂に入っていたのに今は銀ちゃんも一緒に入ろうとすると怒ってくるの。だからまこちゃんと一緒に入って慰めてもらうの」
櫂音は勢い余って真に飛びかかった。その際にタオルが剥がれてしまったのは言うまでもない。