12月25日
「君達の話から想像するに…」
私達の顔をじっと見て、睦月はそんな風に話し始めた。
「あいつはまず、俺一人を悪者にして、君達に排除させるつもりだったんだろう。そして………君達に『精霊達は君達を都合良く利用している』と吹き込んで…精霊達と君達の関係を悪化させようとしたんだろうね」
…なるほどね。
何の気なしに、隣に立っている水月を見ると。
彼は話し続ける睦月の顔を、神妙な面持ちで見つめていた。
ウンディーネのことが…心配なのかな?
私だって、サラマンドラのことは心配だけど…
サラマンドラのいない…ゲームのフィールド。
どんな風に行動したらいいのか全然見当がつかなくて、とにかく………怖かった。
「でも…君達と精霊達との絆は想像以上に強くて…君達は彼の言葉に、耳を貸そうとはしなかった。しかも…完全悪に仕立て上げようとした俺に、君達は興味を抱き始めた。俺と君達がこんな形で接触しては…計画はパーになってしまう。だから………別の作戦を考えたんだろう」
「別の作戦って………何?」
思わず聞き返す私に…睦月は厳しい目を向ける。
「…精霊達と君達を、強制的に引き離すことさ………ゲームマスターの力を使ってね」
ゲームマスター?
思わず…眉間に皺を寄せてしまう。
「精霊と賢者の石さえ手元に集まれば、ゲームマスターの力を更に用いて、高位の精霊を召還することも可能だからね。だから………」
「ちょっと待ってよ」
ここで…睦月のこと、全面的に信用しちゃっていいんだろうか。
「ゲームマスターゲームマスターっていうけどさ…あいつはゲームマスターじゃないって、あんたついさっき言ったばっかでしょ!?それに…百歩譲って、土橋が変な力使って精霊と石を自分のところに集めたんだとして…そのこととうちのお姉ちゃんがいなくなったことに、一体何の関係があるの!?」
こいつがどこまで本当のことを言ってるのか、私には全然分からない。それに………
こいつがお姉ちゃんを誘拐したんじゃないっていう、確たる証拠もないんだから。
つまり結論は、『まだまだこいつは信用出来無い』
「まだ…わからない?」
人を小馬鹿にしたようなため息をつく睦月にむっとして、わかんないわよ!と言い返すが。
思わず身を乗り出す私を、ずっと黙って聞いていた水月が制して。
信じられないことを…睦月に尋ねた。
「先輩が………ゲームマスターなのか?」
睦月は黙って水月の方に向き直り…
小さく頷いて…言った。
「………その通り」
………ゲームマスター?
お姉ちゃんが?
気がついたら、私は…
冷たい地面にぺたりと、座り込んでいた。
そんな………
「…そんな筈…ないじゃない!?だってお姉ちゃんはゲームのこと、何にも知らなかったのよ!?それなのに」
「精霊の召還…そのトリガーになったのは何か…君達はあいつから聞いた?」
混乱する私にお構いなしで…睦月が問いかけ。
水月も難しい顔をして、それに答える。
「………キリシタンの娘の………魂が呼び寄せたって」
その時。
ふと脳裏をよぎったのは…
あの時白い光の中で見た、お姉ちゃんそっくりの少女だった。
私の顔をじっと見て、にっこり微笑んだ…あの子。
「お姉ちゃんがその…キリシタンの女の子だって言うの?」
つまり………
私がピンチの時に助けてくれたのも…あの子で。
あの子の正体は………
『人柱となって死んだ、キリシタンの少女』
そして、あの子の生まれ変わりが………お姉ちゃんだってこと?
「おそらく土橋は、彼女をうまく言いくるめて…自分の計画に加担させたんだろうね。『精霊達は皆、土橋の管理下に入るように』とでも言わせたんじゃないかな」
「言いくるめてって…お姉ちゃんはそんなこと」
『するわけないじゃない』と言いかけた、その時。
睦月の瞳の奥に浮かんだ哀しい色に…私は言葉を失った。
ゆっくり一つ瞬きをして、睦月は重い口を開く。
「………俺達をゲームから引き離す…これ以上傷つけあわないために」
『私の大事な人達が傷つけあうの…見てられないんです』
お姉ちゃんの言葉が…頭をよぎった。
「大事な人達に戦って欲しくないって…言ってたもんな、先輩」
つぶやく水月。
悲しげに目を伏せた睦月に、私は………
段々腹が立ってきて。
「………だとすれば」
ぐっと、彼を睨んで…拳を握る。
「お姉ちゃんが騙されて、あいつに利用されてんのはあんたのせいでしょ!?あんたが私達にゲームなんか仕掛けてくるから…」
「………確かに」
彼はため息をついて、噛み付く私にくるりと背を向けた。
「そのことに…反論の余地はないな」
…おいおい。
何だ?その…『自分も被害者です』みたいな態度。
今まで散々、私達のことやっつけようとしてみたり、お姉ちゃん泣かせたりしたくせに。
あんまり腹が立ったので、ちょっと待ちなさいよ!と大声で怒鳴ってしまった。
「責任感じてるんだったら…」
「彼女は俺が助ける。だから君達は…ここで待ってて」
………はぁ?
何が『俺が助ける』よ…カッコつけちゃって。
「あんたも…シルフィードいなくなって困ってるんでしょ!?だったら…」
「俺の中にはまだ、風の魔力が残ってる。プレイヤー歴が一週間たらずの…君達とは違うんでね」
はたと気づいて…口を噤む。
………そっか。
だから…あの発言てわけ。
「でも…俺達にも何か出来ること」
気遣うように声を掛けた水月に、足手まといになるだけだよ…と素っ気なく答える睦月。
「そうなれば…余計に彼女が悲しむ」
そりゃあ………そうだけどさ。
こんな風に、私達を冷たくあしらうのは…こいつなりの優しさなのかもしれない。
けど。
去っていく睦月の背中は、どこか不穏な雰囲気を漂わせていて。
ふと思った。
こいつ………死ぬつもりなのかもしれない。
「待ちなさい!」
そんなことされたら…たまったもんじゃないわ。
お姉ちゃんがどんだけ悲しむか、こいつにはわかんないのかしら。
「………何?」
これ以上話すことはない、という顔の睦月。
体半分だけをこちらに向けて、すぐにでも立ち去ってしまいそうな様子。
なんとか止めなきゃと思った…その時。
ぱっと脳裏に閃いた…あるアイディア。
「私達にだって出来ることはあるわよ。だって………」
何で忘れてたんだろう。
これさえあれば…私達だって。
思わず笑顔になってしまいながら、私はポケットから…二つの物体を取り出した。
「これ!」
二人は目を丸くして…一瞬、言葉を失う。
「これ………まさか」
「そう!」
こわごわ尋ねる水月に大きく頷いてみせ、睦月にあっかんべぇをして。
私は高らかに宣言した。
「賢者の石の欠片…の欠片!ウンディーネの分とサラマンドラの分、どっちもあるわ」
「お前………こんなもん…どうやって」
「あのさ、水月…鉱石の性質には『硬い』と『脆い』があるって…中学受験でやったの、覚えてない?」
驚き呆れる…と全身で表したような水月は、私の問いかけに黙って眉をしかめた。
もう…わっかんないかなぁ?
学校の成績はトントンだけど、記憶力は私の方が水月よりも上みたい。
「この『賢者の石』は…硬いけど脆い、ダイヤみたいなものみたい」
それは、以前の作戦会議の時のことだ。
精霊達も交え、校舎の裏で睦月の攻略法を話し合った。
…そうそう。
『馬鹿なの!?死ぬの!?』が…誰にも通じなくて、気まずい思いをしたあの日。
「あの時、境界線でくっつけるなって…サラマンドラに怒鳴られたでしょ?だから、そこは気をつけて、適当な所をコツコツぶつけてみてたのね。そしたら………」
二つの石は、音も無く………割れてしまったのである。
幸い、割れたといっても角が欠けるくらい。黙ってれば多分、精霊達にもわからない。
私の手のひらには、新しく出来た小さな二つの『賢者の石の欠片』が載っていた。
「割れちゃった…って言ったらきっと、あんたもサラマンドラも猛烈に怒るでしょ?だから、ほとぼりが冷めるまで…と思って」
私は咄嗟に…赤と青の小さな欠片達を、ディバッグのポケットに突っ込んだのである。
「お前なぁ…」
がっくり肩を落として、水月が低い声を出す。
「何でそんな大事なこと………」
「まあまあ。結果オーライだって!」
反省の色のない私を見て、彼は呆れた様子でため息をついた。
若干不本意だけど、まあよし。
私は、依然呆然と欠片を見つめている睦月の方に向き直り、ぐっと胸をそらしてみせる。
「どう!?睦月…私達も一緒に行っていいでしょ!?」
「………すずちゃん」
「石の欠片を一つにするためには、この欠片も必要でしょ。だから、私達がこうやって持ってたら、土橋の奴石を奪いにここに来るわよ?そ・し・た・らっ?」
彼はふう…と小さくため息をつき。
腰に手を当てて、地面に視線を落とした。
「…わかった、いいよ。一緒においで」
………やった!
ぱっと晴れやかな気持ちになる私と対照的に。
水月は相変わらずげんなりした顔をしていて…また一つ、大きなため息をついた。
「何よ?」
訝しがる私を頭を掻きながら見つめ。
「俺…尊敬するよ、お前のその…底抜けにノー天気な所」
呆れたように笑って。
水月はそんなことをつぶやいた。
「で…あんた一体何者なの?」
私の質問に、睦月は無表情な瞳を向け。
次に何か問いかけるように、水月の方を見た。
水月も首を傾げて彼を見つめ返し…
「何なのよ?その、二人の間の秘密みたいな雰囲気は…」
そういうの…私の趣味じゃないんだけど。
睦月は呆れたようにくすりと笑い…また、私の気持ちを苛立たせる。
またこいつ…人を小馬鹿にしおって。
遠くを見るような目で…彼は静かに語り始めた。
「初めてシルフィードに出会ったのは、あの…惨劇の後だった」
「………惨劇?」
「彼女のいない世界を…どんな風に生きたらいいか、わからなかったんだ」
彼女のいない世界………
はっとした。
「あんたまさか………キリシタンの女の子の…幼馴染さんなの???」
睦月は何も答えなかったけど。
私に向けられた静かな微笑みは…私の問いかけを肯定しているみたいだった。
「彼女は何も知らずに犠牲になった…些細な事から事件の裏を知って、逆上して復讐してはみたけれど………虚しいだけだった。そんなことしたって、彼女は帰ってきやしない。こんな世界…一人で生きていたって、虚しいだけだ」
自害しようとしていた彼の目の前に現れた…風の精霊。
『力を貸して差し上げましょう。いつか再び彼女が、この世に生を受けたとき…あなたが隣にいられるように』
そう言ってシルフィードは…穏やかに微笑んだのだという。
「ゲームがどうとかも、その時確かに聞いたけど………俺としてはそんなこと、どうでも良くてさ。ただ彼女にもう一度会えるならって…それだけだった」
転生した彼が、芸能人なんて道を選んだのも…出来るだけ彼女に、自分のことを見つけて欲しかったから。
淡々とした睦月の告白に、ぐっと胸を掴まれるような気持ちになる。
「じゃあ…テレビで言ってた『運命の人』って………お姉ちゃんのことだったのね?」
思わず真面目な心持ちになった私が、そんな風に尋ねると…
彼はきょとんとした目で私を見つめた。
「………詳しいんだね、すずちゃん」
「………えっ?」
「いや………よく知ってるな…と思って」
なんだ、と水月も不思議そうにつぶやく。
「こないだ、お姉ちゃんがファンで…とか言ってたけど、お前もファンだったんじゃないか、KEIの」
………むかっ。
「ちっがーーーう!!!断じてそんなんじゃない!!!」
ふふふ、と笑う睦月のスカした顔が…更に私の神経を逆撫でする。
………やっぱり嫌いだ、こいつ。
図書館でシルフィードがお姉ちゃんを見つけてきたのと、ちょうど同じ日の夜のこと。
『手を組まないか?』
土橋はそう言って…精霊使いの残した書物を、睦月に見せたのだという。
「あいつが危険な男だっていうのは…会ってすぐにわかったよ。けど………ここで突き放して、彼女の身が危険に晒されるようなことがあっては困るからね。文ちゃんはどういう訳か、『彼女』と同じ誕生日だって言うし…」
ふう…とため息をついて、彼は真剣な眼差しで天を仰いだ。
「『彼女』はあんなことがあって…18になる前に命を落としてしまったから………彼女のこと、今度こそ俺の手で守りたいって…そう思った」
「あの…『誰にも勝ちは譲れない』っていうのは?」
睦月は『ゲームに勝ちたい』とは言わなかった。
『他の人を勝者に出来無い』と言っただけ。
お姉ちゃんに指摘されるまで気づかなかったけど…それってかなり、違和感のある言葉だ。
『キリシタンの少女』を蘇らせたい…とかいうことでもないわけだし。
だって彼女は現に、『不知火文』として生まれ変わっているのだから。
その時。
今まで私の質問攻めにすらすら答えてくれていた睦月が…急に黙り込んでしまう。
「………ねえ、ちょっと」
俯きがちに、低い声で…
「………『石を一つにすると願いが叶う』って話…精霊達から聞いた?」
睦月はそんな事を、私達に尋ねた。
土橋はなんか違うこと言ってたけど…あれはミスリードだったわけでしょ?
ということは………それなら、サラマンドラから聞いたのと同じだ。
ウンディーネも同じようなことを言っていたらしいし。
水月と顔を見合わせると、躊躇いがちにまた…睦月が口を開く。
「石を一つにして、高位の精霊を召還し………願い事を叶えてもらうためにはね」
そこまで言って、不意にまた口を閉ざし。
じっと私達の目を見つめ…
彼が放ったのは…思いがけない言葉だった。
「ゲームマスターの…彼女の魂を捧げる必要があるんだ」
………え?
カノジョノタマシイって………
それって………
『すず』
私を呼ぶ、おっとりした声。
お姉ちゃんの優しい笑顔が…脳裏に浮かんだ。
「土橋持っている、精霊使いの残した書物には…全てが書かれている。書物の記述に即してあいつが呼び出した法衣を彼女に着せて、召還の儀式を行う…」
「そうすれば…高位の精霊が召還されて」
睦月の言葉を受けて続きを言おうとする水月の腕を…ぐっと掴む。
その先は…少なくとも………他の人の口からは聞きたくなかった。
「お姉ちゃんは…人柱の女の子みたいに………消えちゃうって言うの?」
「………不知火」
………なるほど、等価交換って訳だ。
サラマンドラ達…そこまではきっと、知らなかったのね。
それなら………睦月の今までの言動も納得できる。
誰かが勝者になって、願い事を叶えてもらうような事態を避けたかったと。
だからちょっと痛い目見せてでも、私達をゲームから遠ざけたかったんだと。
なるほどね。
でも………
「そんな大事なこと、何でもっと早く言わなかったのよ!?言ってくれたら私達だって」
「言ったら…信じた?」
………鋭い。
「…そ…そりゃあ……………信じなかったと…思う」
小さくため息をついた彼の瞳は…何だかとても優しかった。
「…着いたよ」
そこは…この大都会の真ん中に立つ、高い高いビルだった。
星一つない…暗い空には不穏な風が吹き荒れて。
RPGで良く出てくる『ラスボスの塔』に…お誂え向きの風景だった。
目を細めて遠くを見ると…
そこには………精霊達の姿が見えた。
「で………どうする?」
やめてもいいんだよ?と言いたげな睦月に…思わずかっとなって怒鳴る。
「決まってるでしょ!?土橋からサラマンドラを取りかえすわ」
そいでもって…
あのおっさんをこてんぱんにのしてやる。
私より冷静な様子の水月が、宥めるように私の前に立つ。
「…ゲームマスターの命に反して…あいつがお前んとこに戻るっていうのか?」
「あったりまえよ!付き合いは短いけど、あいつとの絆は相当固いんだから!!!」
一人で戦うなんて…怖くて怖くて仕方ないけど。
昨日のサラマンドラの笑顔…
絶対絶対、取り戻してみせるんだから。
あんただってそうでしょ?
ウンディーネのこと…あんなに気にしてたじゃない。
彼女だって…いくらゲームマスターに操られたって、あんたのこと忘れる訳ないでしょ?
口には出していないものの、私の気持ちは十分に伝わったらしく。
こくりと頷く水月に…私も思わず笑顔で頷き返した。
睦月は目を細めて、笑いあう私達に声をかける。
「じゃあ、お互い自分の目的を果たして………もう一度、この場所で」
今までに見たことがないくらい、穏やかな微笑みを浮かべて。
睦月は私達の頭に…ぽん、と手を載せた。
………つい、ムカっとしたけど。
「彼女がよく言ってたけど…『全ては神のお導き』だからね。また…ここで会えるさ」
今日のところはまぁ…勘弁してあげる。
でも、全部片付いたら…きっちり埋め合わせしてもらうんだからね。
私は心の中でつぶやいて、睦月の背中にあっかんべーをした。
燃え上がる火柱の焼き付くような熱が…肌を刺す。
不穏な佇まいで動きを止め、こちらを伺っている様子の土人形達。
『石の欠片をこちらへ渡せ』
無表情な…今までに聞いたことが無い…冷たい、サラマンドラの声。
頭に直接響いてくるその声に…ぞくっと背筋が寒くなり。
ぶるぶるっと頭を振って、ぎゅっと拳を握った。
相変わらず不敵な笑みを浮かべるシルフィードの分身達も見えるが。
本体はどこへ行ったんだろう?
遠くの水の壁に守られた空間に見えるのは、ノームとウンディーネとサラマンドラ。
三体の精霊の姿だけだ。
「シルフィードの…本体が見当たらないな」
水月の言葉に頷いて、不意に後ろを振り返ると。
そこにはもう…睦月の姿は無かった。
「あいつ…本当にちゃんとお姉ちゃんのこと、助け出せるのかしら」
あの笑顔…あの言葉…
あれ………常識的に考えると、いわゆる死亡フラグだと思うんだけど。
私の不安を打ち消すように、笑顔で頷いてくれる水月。
…そうだよね。
あいつ…殺しても死ぬような奴じゃないし。
『もう一度だけ言う…』
無表情な…冷たいサラマンドラの声。
『石を渡せ。さもなくば』
こいつのこんな声………これ以上、聞きたくない。
すうっと大きく息を吸い込んで。
私は…ありったけの声で怒鳴った。
「…全力でお断りよ!!!」
口を閉じたサラマンドラ。
ごおっという音と共に、その手のひらに現れたのは…大きな炎の塊。
ぎょっとして…思わず仰け反ってしまうが。
………大丈夫。
絶対絶対、サラマンドラは…私の所に帰ってきてくれる。
大きく一つ深呼吸をして、目を閉じ…両手を胸の前に掲げると。
一挺の銃が現れ、すっぽりと手の中に収まった。
「行くよ…水月」
小さく頷いて、目を閉じた水月の手の平に…
青白く光る水の塊が…姿を現す。
『やる気か…小僧ども』
ノームが私達を嘲笑うように言い。
『ならば…仕方あるまい』
目を閉じて、冷たい声でサラマンドラが言う。
何が『仕方あるまい』…よ。
いっつも軽いノリの癖に、今日に限って偉そうに…
トランス状態みたいな瞳で、ウンディーネは黙ってこちらを見ている。
「ウンディーネ!今行くぞ!!!」
水月の呼びかけに………彼女は静かに瞼を閉じた。
それは…彼の言葉に反応しているようで。
やっぱり…思った通り。
私達の絆は………あいつが思ってるよりずっと固いんだから。
取り戻すんだ、サラマンドラを。
そして………
二人で、お姉ちゃんを助け出すんだ。
「不知火、気ぃつけろよ」
「あったりまえでしょ。あんたもね、水月!」
せーの、で私達は…
精霊達のいるほうへ、同時に駆け出した。
戦い方は、こないだと同じ。
とにかく死に物狂いで逃げ回り、周囲の木々や建物の陰に隠れて敵を撃つ。
ウンディーネの作り出す水の防御壁が、こないだより遥かに効いており、土人形やシルフィードの分身達を守って出現するので、中々相手の数を減らすことが出来無い。
じりじりしてくるが…はやる気持ちをぐっと抑える。
サラマンドラとノームは、私達を探しているらしく、周囲をゆっくり動き回っているが。
ウンディーネは離れたところにずっといて、守りに徹しているらしい。
………ウンディーネを落とせば、多分勝機が見えてくる。
だとすれば、ウンディーネに近づくのは…私よりも水月の方が適任だから。
しっかり作戦を立ててた訳じゃないけど、私はあいつの援護に回ろうと思う。
けど………
ぬっと土人形の集団が目の前に現れ、手にした岩石のような物を振り下ろす。
「げっ………!!!」
咄嗟に引き金を引くと。
お腹に風穴が開いて、土人形はさらさらと地面に崩れ落ちた。
ごくりと生唾を飲み込んで、歯を食いしばり。
他の土人形達も順番に倒していき、全部で8体…倒した。
「………はぁ」
怖かった。
このままここにいても、同じように狙われるだけだ。
震える足で立ち上がり………
「サラマンドラぁ!!!」
お腹の底から声を出して…その名を呼んだ。
「隠れてないで出てきなさいよ!!!あんたの欲しがってる石の欠片はここよ!!!」
『ようやく、降参する気になったようだな』
ぬっと目の前に現れたサラマンドラの姿に…
ぞくっと背筋が冷たくなって…ぺたりと地面にしゃがみこんだ。
彼は無表情のまま黙って右手を広げ、私に突き出す。
『さあ………渡せ』
がくがく震える体は…自由に動かすことが出来無い。
うまくしゃべれない、でも………必死で声を出す。
「ど…う………しちゃった…のよ………あんた」
いつの間にか…涙が頬を伝っていた。
「あんた………言ったじゃない?………パートナーだっ…て………」
黙ったままのサラマンドラ。
なのに………
私のこと…こんな風に巻き込んどいて。
それなのに………
「私のこと………覚えてないなんて」
『渡せというのが聞こえないのか?』
差し出された右手に…炎の塊が浮かび上がり。
びくっと…体が固まってしまった。
こわい………
どうしよう………
このままじゃ…やられちゃう。
そうだ。
全身の力を振り絞って…私は銃口をサラマンドラに向けた。
そのまま…どのくらいの時間、向きあっていただろう。
相変わらず私は…情けなく涙を流し続けており。
銃はガタガタ震え、やっとのことでサラマンドラを捉えていた。
『撃たないのか…すず』
無表情な声。
『撃たなければ…お前がやられるんだぞ?』
「わ…分かってるわよそんなこと!!!」
すず…と彼に名前を呼ばれて。
少しだけ体に…熱が戻ってきたように感じた。
『撃てないのか?』
「撃てるわよ!!!馬鹿にしないで!!!」
銃を握る手に、ぐっと力を込める。
お仕置きよ…これは。
そう………パートナーを裏切ったんだから、きつーくお灸を据えてやんなきゃ。
心臓辺りに…狙いを定める。
でも………
これが当たったら…サラマンドラは死んじゃうだろうか。
そんなの………
『悪いことは言わない…石を渡すんだ、すず』
「………嫌!!!」
嫌だ。
どっちも…嫌。
『少し痛い目を見なければ…わからんようだな』
炎の塊が私に向かって放たれ…
慌てて身を縮めると、炎は背後の水柱に溶けていき。
必死で銃口を…彼に向ける。
ぐっと目を閉じるサラマンドラが、至近距離で見えて………
「………サラマンドラぁ」
カチャリ、と銃が地面に落ちる音がした。
ぎゅっ…と抱きつくと、頭上で響く…サラマンドラの声。
『撃たない…のか?』
「………撃つわけないでしょ」
「………すず」
「…馬鹿じゃないの?私はあんたの…パートナーなんだから」
大きな手が…私の髪を優しく撫でる。
ふっ、と体の力が抜けて…
しゃがみこんだ私の顔を、優しい目をしたサラマンドラが、大丈夫か?と覗き込んだ。
やっと…体の震えが止まってくれて。
へへへ、と笑って、私は彼に向き直った。
「大丈夫」
ポケットに手を突っ込んで、石の欠片を取り出す。
「ごめんね。このこと…黙ってて」
呆れたみたいに笑って…いいよ、と彼はぶっきらぼうに言った。
よかった。
いつもの…サラマンドラだ。
「お前のドジのお陰で…俺も助かったしな」
「…もう!ドジって何よ!?」
また涙が溢れてきて…
慌てて、ジャンパーの袖でごしごし拭う。
「そうだ!これ、あんたが持っててくれたほうがいいな。私…」
『自分で持ってるの、不安だから』
そう言いかけて………
やっぱり…そうだった。
自分で持ってるのは…やっぱり………
「すず!?」
サラマンドラの呼ぶ声が…
どんどん遠ざかっていく。
すず!!!
この声………
パパだ。
あの日の夜…初めてパパに殴られた。
平手打ちってやつ?
ドラマでしか見たことなかった…あれ。
見たことないくらい怖い顔で怒鳴って。
信じらんない。
パパなんか死んじゃえ。
私は部屋に駆け込んで、熱い頬を押さえながら、そう心の中で叫び続けた。
………分かってる。
悪かったのは私なの。
100点取って誉められてたお姉ちゃんのテストをひったくって、ビリビリに破いて。
言ったのだ。
『お姉ちゃんの馬鹿!お姉ちゃんなんか大っ嫌い!お姉ちゃんなんか死んじゃえ!!!』
パパは私をぶったパパ自身に、少し動揺しているみたいだった。
けど………
気持ちを落ち着かせるように一つため息をつくと、厳しい声で言った。
『死ぬ…なんて、軽々しく口に出すもんじゃないよ』
でも…何でよ。
そのくらい、学校でみーーーんな言ってるのに。
なんでパパはそんなことくらいで、そんなに怒るの?
すずがお姉ちゃんみたいな…良い子じゃないから?
パパはすずが可愛くないんだ。
パパなんか大っきらい。
死んじゃえ。
そんな風にしていたら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
カーテンの隙間からは、まだ弱々しい朝の光が差しこみ始めていた。
小さなノックの音。
すず、と呼ぶ………
パパの声。
私は咄嗟に…いつもみたいに、寝たフリをした。
まだ朝早くて、眠くて仕方が無くて。
だからいつも寝たフリをして、パパが行ってしまうのを待つのだ。
別に…今日だけじゃないもん。
昨日怒られたからじゃない。
どきどきしながら、私はそう自分に言い聞かせた。
ごめんね、とパパは優しい声で言った。
そして私のおでこに、優しくキスをしてくれた。
ほっとして泣きそうになったので…
ぎゅっと顔をしかめて、迷惑そうな顔をしてやった。
困ったように笑って、パパは言った。
行って来るね…すず。
今日は早く帰るから。
その日。
お父様が倒れたそうよ。
幼稚園の先生が深刻な表情で私に耳打ちしたのは、給食のすぐ後のことだった。
…ほら見なさい。
私は心の中で、小さく舌を出した。
すずをいじめるから、パパ…きっと罰が当たったんだ。
みんなが大丈夫?って気遣ってくれるのも、なんだか悲劇のヒロインになったみたいで…
ちょっとだけ………誇らしかった。
幼稚園の入り口に、学校を早引きしたお姉ちゃんが…泣きそうな顔で立っていて。
ぎゅっと握ったその手は…小さく震えていた。
そんな心配しなくても大丈夫だよ。
私はそう言って、お姉ちゃんを励ました。
だってさ、パパ最近いっつも頭痛い頭痛いって言ってたじゃない?だから…今度もそういうのだよ。パパ心配性なんだもん。すぐ良くなってさぁ…きっと今頃、ごめんごめんてママに言って笑ってるよ、きっと。
ちょっとハイになって早口で言う私に、弱々しく微笑んで。
そうね………と、お姉ちゃんはつぶやいた。
そうなの。
まさか………
あんなことになるなんて………
私は全然思わなかった。
私のせい?
私が死んじゃえ、なんて…思ったから?
私がちゃんと…ごめんなさいしなかったから?
私が………
良い子じゃなかったから?
今日は早く帰ってくるって…言ってたのに。
パパ………
「すず!!!」
サラマンドラの声に、はっと我に返る。
と………
私は…黒づくめの男に、がっちり拘束されていた。
さっき………
ノームの土人形達に、後頭部を思い切り殴られたらしい。
しかも多分、固い岩かなんかで。
ズキンズキンという痛みが…頭に響く。
頬を伝ってきた液体が口に入ると…どこか鉄臭かった。
………血………か。
やばい…私………
余計…馬鹿になっちゃう。
「気がついたようだね、お嬢さん」
頭上に聞こえる…その声は。
「…土橋?」
ここは、さっき目の前に見ていた、ビルの屋上らしかった。
冷たい風が吹き荒れて。
そして………
二人の姿が…目に留まった。
お姉ちゃんは、座り込んで…青い顔をしてうつむいていた。
膝に睦月の頭を乗せて、そっと手を添えていて。
睦月の白い顔には、血の気がなくて…
その代わり、コンクリートの地面は、彼の身体から流れた血で真っ赤だった。
そうか、あいつやっぱり死んじゃったんだ、と………わかった。
死んじゃうのかな、私も。
もしかしたら………お姉ちゃんも?
………そんなこと。
「顔を上げろ!!!娘!!!」
土橋の声に、はっとした様子で顔を上げ。
お姉ちゃんは、私の顔を見た。
「………すず?」
「お姉ちゃん…」
呆然とした様子で、お姉ちゃんは土橋の右手に視線を移す。
私も自由の効かない身体で、何とかそちらに目を向けると。
「あんたこんなもん、どこで手に入れたのよ!?」
奴が手にしていたもの。
それは、多分…本物の銃だった。
ゲーセンで見るような、おもちゃじゃない。
この平和な国では、あの街のマニアが集うお店にせいぜい、レプリカが並んでいるくらいのもの。いくら大学教授でも、そう簡単に手に入れられるものではない。
「ネットというものは…君も相当な通らしいが」
私達の動揺ぶりに、おっさんは相当気をよくしたらしい。
悠々とした口ぶりで、楽しそうに言う。
「何とも便利な代物でね…誰でもどこからでも…何でも手に入る」
「し…信じらんない!!!あんたなんか………あんたなんか…死んじゃえばいいのよ!!!」
土橋は少しの間、黙りこんだ後。
カチャリ…と銃を鳴らしながら、いかにも悪人らしい声でつぶやいた。
「君の姉上の答え次第では………死ぬのは君だよ…不知火すずくん」
すうっ…と全身から血の気が引く。
本気だ………こいつ。
「………こんなひどいこと………なぜ?」
呆然とつぶやくお姉ちゃんに、土橋が逆上したような様子で怒鳴る。
「そんなこと、決まっているだろう!?」
びくっと身体を強ばらせるお姉ちゃんに。
土橋は淡々と…言った。
「もう一度言おう。ゲームマスター、私の願いを叶えたまえ。さもなくば…君の可愛い妹さんは、可哀想な結果になってしまうだろうね」
冷たい沈黙がしばらく続き。
「どうやら…あちらも決着がついたようだね」
背中越しに、愉快そうな土橋の笑い声が聞こえてきた。
はっとして、周囲を見渡す。
と………
血まみれのウンディーネを抱き、怒りに震える…水月の姿。
「土橋!!!」
立ち上がって土橋に迫ろうとする、彼の腕を…
ウンディーネの白い手が、ぎゅっと掴んだ。
彼女の体は…微かな青白い光を放っていて。
それは………
線香花火が燃え尽きる、最後の一時みたいな光だった。
水月とウンディーネは、何か話してるみたいだったけど…
その声は小さくて小さくて…何を話しているのか、私には全く分からなかった。
ふと…サラマンドラとシルフィードに目をやると。
二人は辛そうな表情で、彼女の姿から目を背けていた。
全てを総合して考えると…
「…そんなぁ」
思わずそんな言葉が、口から漏れる。
そんなのって………ないよ。
「ウンディーネ!?」
叫んでみるけど、二人には聞こえていないらしい。
やだ。
私…あんたのこと…あんまり好きじゃなかったけど。
けど………
彼女は、最後………ちょっと笑ったみたいに見えた。
そして………
夜の闇の中に…溶けるように消えていった。
ウンディーネ………
信じられない。
こんな…こんなことって………
でも…ショックを受けている余裕はなかった。
水月に岩の化物が、ゆっくりと近づく。
「水月!」
一生懸命呼びかけてみるが………
放心状態の彼には…どうやら私の声が届かないらしい。
岩の化物は、『賢者の石』を渡せと言うように、大きな手を水月に向かって伸ばす。
何とかそれを阻止しなきゃ、とじたばたもがいてみるものの…
私の体は、がっちり土橋に拘束されていて…身動きがとれなかった。
対照的に、石を握る水月の手は、いとも簡単に解けてしまい…
「駄目!駄目だってば!!!水月!!!」
私の叫び声が、暗闇の中で虚しく響く。
これで………
全ての石は…土橋の元に集まった。
その声、その佇まいはまるで…
「聞き分けが良くて結構なことだね、仁くん」
テレビゲームに出てくる、悪の大王そのものだ。
「さあ、ゲームマスター!君はどうする?」
余裕たっぷりの声で、土橋はお姉ちゃんに問いかける。
「石はこれで全て揃った!そして、君のかわいい妹さんの命は…私の手の中にある」
………冗談じゃない。
肩を動かし体を捻じり、何とかこいつの手から逃れようとしてみるが。
こめかみに…冷たい金属の感触。
ぞくっ…と全身に鳥肌が立った。
恐怖心が全身を支配し…動けなくなる。
………くそぉ………
水月は…ショックから立ち直れていないらしく、抜け殻みたいな表情で私達を眺めている。
サラマンドラとシルフィードも、私のせいで動けないみたいだし。
万事休す………か。
「さあ!!!儀式を行い私の願いを叶えたまえ!!!」
しばらく呆然と私達を眺めていたお姉ちゃん。
落ち着いた低い声で、土橋に尋ねる。
「あなたの願い事って…何?」
「…何?」
「まだその事…聞いてなかったじゃない」
お姉ちゃん………
ぎゅっと拳を握って気持ちを奮い立たせると、高らかに笑う土橋の声を遮って、私はお姉ちゃんに向かって怒鳴った。
「駄目!!!お姉ちゃん!!!」
「おいおい、君は黙っていたまえ」
「うっさいわねぇ!お姉ちゃん!!!こいつの願いなんて…そんなことしたらどうなるか、わかってるの!?お姉ちゃん」
「すず」
『お姉ちゃんが死んじゃうなんてやだ』
そう言いかけた私を遮る、お姉ちゃんの冷静な声に…はっとして口を噤む。
眼鏡の奥の、真剣な眼差し。
「大丈夫。だから…大人しくしてて」
口の端をちょっと上げて見せるお姉ちゃんには、何か………考えでもあるんだろうか。
「私の願い…か。そうだな………」
くつくつと笑いながら、土橋は低い声で言う。
「私を………民俗学研究の権威に」
「………はあ!?」
「世界中の研究者がひれ伏すほどの最高の権威を、私の手に………それが、私の願いだ」
さぁっ…と全身の血の気が引いて…
すぐに………
お腹の底から…怒りがこみ上げてきた。
「信じらんないわあんた!!!そんなことの為に、私のお姉ちゃん死なせようっていうの!?それに…あんたのせいで、ウンディーネも…睦月も死んだのよ!?」
世界征服…とか、そういうのならまだ…納得もできた。
そんな小市民的な願いのために、幾つもの命が犠牲になって…
『またここで』
そう言って笑った睦月の顔が脳裏を過ぎる。
ウンディーネの、上品な鈴が鳴るような声。
それに………お姉ちゃん。
そんなこと…絶対させるもんか。
「あんた目覚ましたらどう!?そんなちっぽけな願い事なんか…」
「黙れ!!!」
ピストルがこめかみに、痛いくらい押し付けられる。
「お前のようなガキに何が分かる!?」
「だ…からっ………それはあんたの努力不足でしょうが…」
違う!と怒り、土橋はイラついたように地面をバン!と蹴る。
「この業界はな…努力だけではどうにもならんのだ!何が真実であるかなど二の次、金や権力を持ったものの言い分が通る…勝ち組はずっと勝ち続け、そこから漏れた人間は…」
私を拘束する腕が…わなわなと震える。
「分かるか!?私は精霊の研究に何十年もの時間を費やしてきた。その間…どれだけの人間に絵空事と揶揄され、嘲笑われ続けてきたか………お前には想像出来るか!?」
土橋は…今度は、水月やお姉ちゃんに向かって怒鳴る。
「お前達も見ただろう!?確かに精霊は存在しているんだ!!!長い眠りから覚めた『精霊の書』は本物だった!!!だが世間の一体誰が、それを信用すると思う!?」
見たことのない人間には………確かに、ただの胡散臭い話でしかないかもしれない。
「だから私には石の力がどうしても必要なのだ!!!この世紀の大発見を証明し、世界に発信し…今まで馬鹿にしてきた連中を嘲笑うのは…今度は私の番だ!!!」
私は…言葉を失ってしまう。
こいつの言い分はもっともだ。
けど………
「やっぱり…そんなことの為にお姉ちゃん死なせるなんて出来ないわよ!」
おっさんのチンケな野望より、お姉ちゃんの命の方がずっとずっと…重い。
ふう、と気持ちを落ち着かせるように深呼吸をした土橋は。
「それは…君ではなく、お姉さんが決めることだよ」
また…冷静な口調に戻り、お姉ちゃんに呼びかける。
「ゲームマスター!さあ、この石を…」
お姉ちゃんは…
何か決心した様子で、静かに土橋に近づいて。
四つのかけらを…その手のひらに載せた。
「………お姉ちゃん!?」
表情は…どこまでも穏やかで。
金色に光る魔法円の上で、私に向かって微笑みかける、お姉ちゃんは不気味でさえあった。
………ジコギセイ…か。
汝…隣人を愛せよ………なんて。
「お姉ちゃんの馬鹿!!!大っきらい!!!こんなに早くパパの所に行っちゃったりなんかしたら私…お姉ちゃんのこと一生許さないから!!!」
嗚咽に混じった私の声…お姉ちゃんには届いてないかもしれない。
「私…お姉ちゃんとしたいこといっぱいあったのに!!!勉強ばっかりして私のことなんか放置で、でも私だってゲームばっかりしてたけど、でもっ…私お姉ちゃんと買い物行ったり遊園地行ったり、またカレーだって一緒に作りたかったし、それなのに…」
ただでさえ風の強いビルの屋上。
吹き飛ばされそうな突風が吹き荒れる。
「私これからはもっといい子になるから!ゲームばっかりしてないで、ママのお手伝いも宿題もやるから!だから!」
涙は止めどなく溢れる。
神様………
パパみたいに…お姉ちゃんを連れて行かないで。
「こんなの絶対嫌!!!死んじゃ嫌だ!お姉ちゃん!!!」
枯れてしまった声を振り絞って、私は…お姉ちゃんの名を呼び続けた。
お姉ちゃんは、覚悟を決めたみたいな表情になって。
強い眼差しで…天を仰ぎ。
そして大きく深呼吸をして………
はっきりとした声で………
唱えた。
「ゲームを………リセットします」
何が起こったのか…
最初…分からなかった。
とにかく、目の前が真っ白になって………
風が真正面から吹きつけてきて………
自分は…死んじゃったんじゃないかと思った。
「すず!?」
サラマンドラの声で我に返ると。
信じられない光景が…目の前に広がっていた。
消えてしまったはずのウンディーネが、青白い光を放ちながらそこに立っていて。
血に染まったシャツに身を包む睦月も………
信じられない、って顔をして自分の手のひらを見つめていた。
そして………
全ての奇跡を引き起こした張本人と…目が合う。
『どう?』
誇らしげな黒い瞳は、私にそんな風に語りかけていた。
…お姉ちゃんてば。
こんなチートなこと、やらかすなんて………
見直しちゃった。
しかし。
それで万事解決…とはいかなかった。
「………うおぉぉぉぉ!!!!!」
狂ったように叫んで、土橋が銃口をお姉ちゃんに向ける。
「貴様!!!一体どういうつもりだ!?」
「どういうって………見ての通りよ」
「………私を…騙しおったな!?」
今にも引き金をひこうという彼を、射抜くように見つめ。
お姉ちゃんは、今までに聞いたことがないくらい…恐い顔で怒鳴った。
「騙す!?先にそれをやったのはあなたじゃないですか!?私はゲームマスターなんです!!!ゲームマスターとして………こんなゲーム、到底認められません!!!」
「………何だと!?」
「人の気持ちを利用して、操って…自分は最後においしいところだけ持っていこうなんて、しかも…勝利の為には人の、精霊の命なんてどうでもいいなんて、そんなの………だからリセットしたんです!どうしても願いを叶えたければ、もう一度ノームと契約を結んで、そして他の精霊達から石を集めたらいいじゃないですか!?」
怒りで顔を真っ赤にした土橋が、血走った目でノームを見る。
と………
「わしは…下りるぞ」
「………何だと!?」
ノームは白くて長いヒゲにゆっくりと手をやり、そして…
黒く光る、賢者の石のかけらを空高く、放り投げた。
放物線を描いて………
石は、お姉ちゃんの手中に収まる。
「…どういうことだ、貴様私を裏切るのか!?」
「裏切る?わしはまだ、貴様とは契約を結んでいない…裏切るも裏切られるも無いわい」
はっとした顔で…土橋は私達の方を見る。
ぽん、と肩に誰かの手が置かれて。
振り向くと、サラマンドラがにやりと笑って私を見ていた。
「どうする?すず…」
「どうって………」
こみ上げてくる笑いをぐっと堪え、私は大きく頷いて見せる。
「当たり前でしょ!?あんたと組むのは私だけよっ」
「よし、上等!」
水月は、照れくさそうにウンディーネの手を握っており。
彼女は少し赤い顔で…微笑んで彼の目を見た。
「シルフィード?」
いつもの…歌うような調子で、睦月がシルフィードの名を呼ぶと。
「はい…睦月」
シルフィードも慣れた様子でそう答え、彼の隣にふわりと立つ。
しばし…沈黙の時が流れ。
お姉ちゃんは………
絶望した様子で地面に膝を着く土橋に…静かに近づいた。
「土橋…先生?」
しゃがみこんで、彼にそっと…手を差し伸べる。
「あなたがさっき…おっしゃっていた通りです。精霊は確かにいて…『精霊の書』は本物でした。たとえ誰もが信じなくても………私達には…先生の研究が真実だって、ちゃあんと分かってますから」
呆然とした表情で、土橋はお姉ちゃんの顔を見る。
「正しいことを言ってる研究者が、信じてもらえないことって…よくあることじゃないですか。長いときを経て、それが真実だってようやく分かってもらえて、そうして名前が残ってる研究者って…世界にたくさんいるじゃないですか」
静かに彼を説得する…お姉ちゃん。
何だか、お姉ちゃんの方が先生みたいだ。
「私達…応援してますから。どうかこれからも…」
がくっと肩を落とした土橋だったが………
「………黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!」
突然…立ち上がって怒鳴った。
銃口をこちらに向けたまま、絡まる足でビルの端に向かい、駆け出す。
「待ちなさい!!!」
「うるさい!!!貴様らのようなガキにはわかるまい!!!私の…私は………」
後を追う、私達の目の前で、高いフェンスを乗り越えた土橋は…
「………うわぁぁぁ!!!!!」
一瞬。
黒尽くめの体は、宙に浮いたように見えた。
しかし次の瞬間。
土橋の姿はそこにはなく…
冷たい夜の暗闇に消えていた。
「………どう…して?」
お姉ちゃんは、フェンスの金網をぎゅっと握り。
俯いて…か細い声でつぶやく。
震える肩に手を置き、睦月が土橋の消えた場所に視線を向けたまま…口を開く。
「ゲームの勝者になるということ…数十年という長い長い年月、あいつはそれだけを思って、ここまで生きてきたんだろう………生活の全てを犠牲にして、ただひたすらそれだけのために…ね。このゲームに勝ちさえすれば、自分は名誉を手に入れ、生まれ変わることが出来る………そんな風に思ってたんじゃないかな」
「でも………」
お姉ちゃんの…言うとおりだったのに。
言いかけた私を、寂しげな瞳で見る…睦月。
「あいつはきっと、ゲームに囚われてしまっていたんだろう………研究を世に知らしめるとか、そんな純粋なものだったろう最初の目的が………いつの間にかゲームの勝者になる、という欲望にすり替わってしまっていたのに…あいつは気づかなかったのかもしれない」
「………囚われる…か」
水月のつぶやきに睦月は頷いて、ほのかに明るくなってきた空を仰ぐ。
「ゲームの勝者になれないとわかった瞬間に…あいつは、生きる意味を失ってしまったように感じたのかもしれないな。絶望に全身を支配されて…だから」
そこまで言って、ふう…とため息をつき………静かに目を閉じた。
「土橋もまた…ゲームという虚しい夢に囚われた、哀れな男だったんだな」
まるでそのつぶやきは………
自分に土橋を重ねあわせているみたいで。
ちょっと…不安になったけど。
隣に立っていたお姉ちゃんは…すかさず睦月の腕をぎゅっと掴み、微笑みかける。
「帰りましょう…一緒に」
「………文ちゃん」
にっこり頷くお姉ちゃんは…何だかとても、大人っぽく見えた。
「睦月さんは、長い長い時間をかけて、私のこと見つけてくれたんですから…」
睦月は…ためらうように、ゆっくりお姉ちゃんに向かって手を伸ばし。
ぎゅっ…と、お姉ちゃんの体を抱きしめる。
震える彼の背中にそっと手を回し。
お姉ちゃんは…優しい声で囁いた。
「私はもう…どこにも行ったりしませんから。だから………ずっと…一緒にいて下さいね」
突如、背後の魔法円が眩い光を放ち。
驚いてその中心を見つめると…
そこには………長い白い髭を蓄えた、細い老人が立っていた。
私達とは違う人種みたいな…彫りの深い顔には沢山の皺が刻まれており。
瞬時に…悟った。
あれは………
『また…大胆なことを考えたものだのう、ゲームマスターよ』
お姉ちゃんは睦月に笑顔で頷いてみせ、くるりと彼の方を向く。
「ええ。リセットしちゃいけないなんて…ルールにはなかったでしょう?」
『ふぉふぉふぉ…利口なお嬢さんじゃ』
「ただ………プレイヤーを一人失ったことは…誤算でしたけど」
『それは仕方がなかろう………』
「仕方…なかろうじゃないわよ、じーさん!あんたの仕掛けたこのゲームのせいで、私達どんだけ大変な思いしたと思ってんのよ!?」
ふぉふぉふぉ…とまた暢気に笑い、じーさんは私の方を見た。
『しかし…お嬢さんらも命を賭けてゲームを戦っておったのじゃろう?』
「………だから!!!」
『このような過程が…石を昇華させるには必要だったんじゃ』
「………昇華!?」
左様…と頷いて、じーさんは静かに言う。
『偶然とはいえ、このような事態を招いた、禍々しい石を…再び無に帰すためには、どうしてもゲームという過程が必要でのう。しかし、お嬢さんらの言う通り、沢山の犠牲も出るであろうゲームが…実際に行われてしまうことを、わしも望んではおらなんだ。そんな訳じゃから、極力先延ばしにするため、石を各地に隠したんじゃよ。長いこと眠りに付かざるを得なかった精霊達には、気の毒じゃったが………』
………何か。
わかるようなわからんような…理屈。
じーさんは、お姉ちゃんの方を見て…静かに尋ねる。
『して…ゲームの勝敗は如何に?』
ふう…と小さくため息をついて。
お姉ちゃんはにっこり宣言した。
「勿論…引き分けです。ゲームが始まり、どんな形であれ終了する…それが精霊使いさんのおっしゃる『過程』でしょ?」
『…これはこれは、本当に利発なお嬢さんじゃわい』
「願いを叶えるとか…そういうのしなければ、ゲームマスターは消えなくて済むの?」
恐る恐る聞いた私に、じーさんは暢気な声で頷いた。
『勿論じゃ。賢者の石が昇華する際に発する大きな魔力を用い、ゲームマスターの命を捧げることで願いを叶える…実際のところは、そういった仕組みでのう』
………じゃあ。
思わず…私は。
「…やったぁぁぁ!!!」
全身でガッツポーズして…叫んだ。
「ウンディーネ達は…どうなるんだ?」
水月が…真剣な声で尋ねる。
うむ、とつぶやいて、じーさんは精霊達の方を見る。
『それは…彼ら次第よ』
「………彼ら次第?」
『では…順番に聞いてゆこうかの』
精霊使いの前に立つ、四体の精霊。
一番手は、意外なことに…ノームだった。
「四体の中で最長老として、あの本を守っておったが…」
長い髭を撫でながら、彼は静かに言う。
「これまでの長い時の中で…ゲームにまでは至らずとも、石の魔力に魅了され、己の欲望の為に狂う人間の姿を幾度も幾度も見て参った。ちと…疲れましてな」
穏やかに微笑んで。
彼は…永久の眠りにつくことを望んだ。
「長い月日の中、色々な人間を見てきたが………お前さんらのような、気持ちのいい人間と出会ったのは初めてじゃったよ」
清々しい表情で私達を見る…土の精霊。
土橋と同じ、悪い奴だとばかり思ってたのに。
なんだか、こいつ………
本当は…いい奴だったのかもしれない。
悪いこと色々やってたのは、やっぱり…『ゲームの呪縛』ってやつだったのかな。
「いいのか!?本当に………」
説得口調の水月に、首を振って答える彼の姿には…
迷いは一切ないように見えた。
「お前さんような、若い者にはわからんじゃろうが…ゲームと同じじゃよ。物事には全て、潮時というものがある」
「…ノーム」
『潮時』………か。
「その…最後の最後に出会った人間が、お前さんらのような人間で…本当によかった」
思わず…目頭が熱くなる。
ありがとう…と笑い、光の中に溶けていく、老いた精霊を…
私は小さく手を振って…見送った。
二番手は…ウンディーネ。
表情を固くして、一歩前に進み出て。
肩ごしに振り返って…水月の顔を見た。
水月は、にこにこ笑って、『行けよ』と言わんばかりの表情で彼女を見つめている。
でも………
そんな彼の表情は、何だかとても痛々しい。
水月の奴…やせ我慢しちゃって。
『ウンディーネ、そなたはどうする?』
精霊使いの言葉に…迷うように、しばし黙り込んだ後。
ウンディーネは一筋の涙を流し…きっぱりと言った。
「元の世界へ…帰ります」
じーさんは、厳かな顔で頷いて。
すっ…と右手を高く掲げる。
そこに現れたのは………
金色に光る…大きな扉。
それはまるで…天国へ繋がる扉のように見えた。
では行くがよい、と…精霊使いは静かな口調で、ウンディーネに声をかける。
『この先に見える道をまっすぐに進めば、やがて…そなたの故郷へと辿り着くであろう』
「………はい」
あんなに帰りたがっていたのに。
頷く彼女の表情は…この上なく、暗かった。
対照的に…
三番手のシルフィードは、すました声で言う。
「私も、元の世界へ戻ります」
『では…お主もウンディーネと同じく、この扉をくぐるが良い』
「はい」
それは、あまりに平然とした素振りで…ちょっと拍子抜けしてしまう。
何か…不思議。
だって、他のどのペアよりも、シルフィードと睦月は長い間一緒にいたはずなのに…
けど………
だからこそ、別れを惜しみ始めたらキリがないから。
あいつは…あんな風に振舞うのかもしれない。
別れ………か。
………え?
不意に、神妙な顔をした、サラマンドラが目に留まる。
…ちょっと。
「待ってよ!サラマンドラ!?」
何だ?と、何でもなさそうな声で振り返る…サラマンドラ。
「あんた…帰っちゃうの!?そんなの…」
こんなに仲良くなれたのに…
だけど。
にっ…と、おどけて私に笑いかけ。
サラマンドラは頭を掻きながら、じーさんに向かって言い放つ。
「俺…このまま、この世界に残るよ」
「………え!?」
思わず…拳を握って、さっきみたくガッツポーズをとりたくなるが。
彼の次の言葉は………
ちょっと…意外なもので。
「俺、もっと…こいつらの世界を見てみたいんだ」
『…世界、とな』
「そ!あの街だけじゃなくてさ、色んな国の色んな人間を見てみたい。世界中を旅して…俺、どうせあっちに身寄りもねーし、帰りたくなったらなったで、きっと何か方法はあるだろうしさ」
『…左様か。ならば』
精霊使いは、私達の方をちらりと見て。
再び精霊達に、よく通る声で…命じた。
『皆、パートナーに別れを告げるがよい。過酷なゲームを共に戦い…お主達に命を預けた…この、勇敢な若者達に』
へへへ…と、照れたように笑うサラマンドラの腕を、ぐいっと引っ張る。
「ちょっと待ってよ、サラマンドラ!」
色んな国…世界中って。
それって………
この世界には残るけど…やっぱり………さよならってこと?
「やだよぉそんなの!私、全っ然聞いてないわよ!?別に旅なんかしなくても、ずっとここにいればいいじゃない!?」
私は…水月みたいに潔く、笑ってバイバイなんて言えない。
サラマンドラと別れるなんて…絶対絶対やだもん。
でも。
一生懸命引き止める私をたしなめるように…サラマンドラは優しい声で言う。
「それはさ…お前が昨日…見せてくれたろ?」
………はっとする。
『お前ら…人間はすげえな』
ため息混じりにつぶやいた…彼の姿を思い出す。
「それで、人間の考えるものってすげえなって…思ったんだ。だから、もっともっと、色んなもん見てみたいなって」
………うそ。
私のせいなの…か?
気づいたら、私は………
ぼろぼろ涙を流していた。
おいおい、と困ったように笑って、サラマンドラは私の頭に手を置く。
「そんなに泣くなよ」
私を慰めるように笑う、彼の目は………
何だか、私に負けないくらい…寂しそうだった。
駄目だ…これ以上こいつを困らせちゃ。
私も、笑ってお別れしないと…きっと、絶対、一生後悔する。
「………また…会える?」
「………すず」
「すぐにじゃなくてもいい、いつか、私がおばあちゃんになったときでもいいけど………」
ジャンパーの袖で涙を拭い、サラマンドラの大きな手を、両手でぎゅっと握り締める。
「またいつか…会えるよね?サラマンドラ」
お姉ちゃんと睦月みたいに…
いや、そんなロマンチックなもんじゃなくたって。
私とサラマンドラが出会ったのも…奇跡みたいな偶然なのだ。
だからきっと…また会える。
祈るような私の気持ちは…彼にもちゃんと、伝わったらしい。
ふう、と小さくため息をついて。
サラマンドラは少し寂しそうに…微笑んだ。
「ああ…いつかまた…な」
ふわりと宙に舞い上がり。
私の精霊は………
朝焼けの空に…姿を消した。
一体どのくらい、明るくなっていく空を見つめていただろう。
すず…と呼ぶ声に、ふと…我に返る。
「お姉ちゃん…」
慰めるみたいに優しく微笑むお姉ちゃんは、聖女そのものに思えた。
そしたら………
さっきのことを…思い出した。
「私ね…ずーっと、お姉ちゃんに謝りたかったことがあるの」
ここはものすごく高い、ビルの屋上だ。
これだけ天に近ければ、きっと…パパにも聞こえているだろう。
「ちっちゃい頃…私が幼稚園の頃ね」
『お姉ちゃんなんか死んじゃえ!』って………
「さっきね…私、本当にお姉ちゃんが死んじゃったらどうしようって…思ったの」
パパみたいに…急に遠くに行っちゃったら。
考えただけで、背筋がぞくっと寒くなる。
「ごめんね…死んじゃえなんて…言って」
「…すず」
あの日………
「私ね…幼稚園で、お絵かきの時間があって」
私はクレヨンで、家族4人の絵を描いた。
画用紙いっぱいに広がった、パパとママとお姉ちゃんとすずの笑顔。
それを見た先生は、大絶賛してくれて。
「『帰ってお父さん達に見せてあげなさい』って。だからね…パパが帰ってきたら見せようって、私………ずーっと楽しみにしてたの」
なのに…遅くに帰ってきたパパを、お姉ちゃんに取られちゃったから。
「悔しかったんだと思う。それで………」
ごめん、ともう一度つぶやいた私の髪を…
お姉ちゃんは、優しく撫でてくれた。
「そんなこと…気にしてたの?すず」
聞き慣れた声に、安心して…
大粒の涙が、ぽろぽろ零れ落ちた。
「そんなの…私、全然気にしてないわよ?」
「………でも…パパは………」
「パパもちゃあんと、分かってたわよ」
「………え?」
顔を上げた私に、お姉ちゃんはれんらくちょう、と一文字ずつゆっくり発音してみせる。
「『すずちゃんがとても素敵な絵を描いたので、見てあげてくださいね』って、連絡帳に書いてあったの。それに…すず、泣きながら部屋に駆け込む時、画用紙放り投げて行ったじゃない?」
「………ほんと?」
そんなこと…私全然覚えてない。
パパは私の絵を見て。
良く描けてる、すずには絵の才能があるって言って…
目に涙を浮かべて…笑ったのだそうだ。
「『明日はすずの好きなもの、おみやげに買って帰ってきてあげよう。これはすずの百点満点だから』って…パパ、言ってた」
目を潤ませて、お姉ちゃんが微笑む。
「私もね…すずはいっぱいパパに誉められて、わがまま言っても許してもらえて、いいなぁって…思ってたんだよ?」
「………嘘だぁそんなの!だって、いい子のお姉ちゃんがそんなこと…」
「…思うわよ。だって…すずと私は姉妹でしょ?」
「………お姉ちゃん」
「だから…もう気にしないで。そんなしおらしいすず、何か…らしくないもの」
…もう。
くすくす笑う、お姉ちゃんの背後に…
優しい顔をして、私達を見つめる…睦月の姿が見えた。
………そうだ。
「お姉ちゃん!」
びっくりした顔で、お姉ちゃんは何?と聞き返す。
「私、水月と帰るからさ、お姉ちゃんは睦月にうちまで送ってもらいなよ」
え?と…顔を赤らめる。
「でも…二人だけじゃ、危ないでしょ!?4人で一緒に帰った方が…」
「いーからいーから!今日はせっかくのクリスマスでしょ!?」
「…すず!?だって」
「もお、二人きりにしてあげようっていう、健気な妹心を無駄にしないでよ」
さっきはあんなに恥ずかしいこと、あんなにいっぱい言ってた癖に。
ほーんと、耐性が無いというか、何と言うか…
先が思いやられるわ。
少し離れた場所に立つ、水月の方に一歩踏み出して。
「そうだ!」
大事なことを思い出して、くるっと回れ右をする。
そして。
まだ、恨めしそうに私を見ているお姉ちゃんに…
私は笑って、手を振った。
「18歳のお誕生日おめでとう!お姉ちゃんっ」