12月22日
「こないだゲーセンでやったのを思い出せ!一体ずつ落ち着いて!正確に狙うんだ!」
………うそ。
そこには…
肩で息をする、水月の姿。
「…み…づき………?」
「俺はいいから早く銃を構えろ!来るぞ!!!」
水月が指差す先には、また右手を空にかざし、風を起こそうとしているシルフィードの姿。
恐怖で一杯だった胸の中に…
ぱっと一箇所だけ、小さな火がともった。
「いっ…たい………ずつ!」
銃を構え…撃つ。
放たれた炎の塊は…一体のシルフィードに命中した。
ごおっと燃え上がり…その体は暗闇に消える。
「いいぞ、不知火!」
…水月の声。
ごくりと唾を飲み込む。
よし。
私は再び銃を構え…撃った。
今度は外してしまうけど…落ち着いて、もう一度。
「その調子だ、不知火!!!」
さっきまで遠かった水月の声が、すぐ傍に聞こえる。
彼の声に導かれるように、私の銃は次々に分身達をとらえていく。
いち、に、さん…と最初は数えてたけど…
数が多過ぎて、何だか…よく分からなくなってきた。
「すず!!!」
サラマンドラが駆け寄ってきて、私の前に立つ。
「良く頑張った!後は…」
何かを抱えるように…両腕を大きく広げ。
早口で何か唱えて…叫んだ。
「怒れる炎よ…全てを焼き尽くせ!!!」
アスファルトを突き破り、巨大な火柱が幾つも上がる。
炎に巻かれて…分身達は小さな悲鳴を上げ、ちりぢりに燃えて消えていく。
熱風に吹き飛ばされそうになりながら…その恐ろしい光景に目を凝らした。
「サラマンドラの力って…すごいんだな」
呆然とつぶやく水月に、小さく頷いて答える。
その時だ。
「不知火!」
水月が叫んで、私の体を突き飛ばした。
ドン!とアスファルトに体をぶつけて、慌てて立ち上がると。
ふいに起こった強い風に、吹き飛ばされる水月の姿があった。
「水月!?」
咄嗟に私のことを…庇ってくれたらしい。
もつれる足で駆け寄ると、彼は私をぐい、と背後に押しやった。
「あら…騎士道精神ですか?それとも、美しき友情と言ったところかしら」
にっこり笑うシルフィードは、私達の周りを竜巻のような風で取り囲む。
「くっ………」
顔を歪める水月。
息が苦しくて…声が出せない。
そして…
「背中がガラ空きですよ?サラマンドラ」
穏やかな声でそう言って…彼女は鋭い風の刃で、サラマンドラの背中を切りつける。
と………思った瞬間。
はっとした表情で振り返った、サラマンドラの前に…
滝の流れるような音と共に、厚い水の壁が築かれた。
水の壁に弾かれ、風の刃は激しい水しぶきと共に宵闇の中に消えてしまう。
驚いた様子で目を見開くシルフィードと…嬉しそうに顔を輝かせる水月。
「ウンディーネ!!!」
その少女は両手を前方にかざし、厳しい表情で何か呪文を唱えていた。
濃い青色の瞳は青い光を放ち。
肩まである銀色の髪は、吹きすさぶ風の中で荒々しく逆立っている。
鈴の鳴るような凛とした声で、彼女はシルフィードに向かって叫んだ。
「そこまでです!シルフィード!!!」
シルフィードは、ふっ…とため息をついて、瞼を閉じる。
同時に私達を取り囲んでいた荒れ狂う風が…ぴたりと止んだ。
すっ…と水の壁も姿を消し。
燃え尽きるように…炎も闇に溶けていった。
電化製品店の賑やかなネオンは、いつの間にか消えており。
夜の闇と静寂が…辺りを包む。
厳しい眼差しで見つめる私達と対照的に。
シルフィードは相変わらず、穏やかな微笑みを浮かべている。
そして………
暗闇の中から聞こえてくる…拍手の音。
「いやぁ傑作…面白いものを見せてもらったよ」
黒いフードの…あの男だ。
「でもずるいなぁ。組んでるなら組んでるって、先に教えてくれればよかったのに」
フードの下で、にやりと笑う。
「………ずるいのはあんたの方でしょ!?あんなチートな技使って…」
怒鳴る私に、そうかなぁ…と愉快そうに首をかしげて見せる。
「でも、今日の所は…サラマンドラ・ウンディーネペアが優勢ってところかな」
「負けを認めるのか?」
水月が低い声で男に言う。
「負けを認めるなら………『賢者の石』を渡してもらおう」
………『賢者の石』?
何よ…それ。
右手をぐいっと前に突き出す水月に、男はまた楽しそうな笑い声を上げる。
「おいおい、これで勝ったつもり?まだお互い、全力で戦っちゃいないと思うんだけど」
「なら…見せてみろよ、お前の全力ってやつを」
全力って訳じゃないけど…と、にやりと笑って男が言う。
「俺の方にはまだ…もう一枚、カードが残ってる」
次の瞬間。
物凄い地鳴りと揺れが襲う。
そして、アスファルトを突き破って現れたのは…
無数の土人形達だった。
「…これは」
険しい顔をする水月の腕を引っ張る。
「こないだも出たの…あいつら」
考え込むように黙って俯き、水月は男に向かってもう一度、低い声で問いかける。
「………どういうことだ!?これは…」
「ノーム?」
男は、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、背後の何かを顎で呼ぶ。
暗がりからゆっくり現れたのは………
小人のような生き物だった。
背丈は私の膝くらいまでしかなく、それでいてその顔は毛むくじゃらで。
長い前髪の間からは大きな鼻と、にたにた笑う大きな口だけが覗いている。
真っ白な顎鬚は、地面に付くかというくらい長い。
大きな帽子とだぼだぼの服、それにブーツは、全て泥で染めたみたいなこげ茶色だった。
そんな異様な風貌のモンスターは…
両手を後ろで組んだまま、ゆっくりこちらにやって来た。
顔をこわばらせたサラマンドラが、男に向かって叫ぶ。
「てめえ………二つの精霊と組んでるのか!?」
「…うっそぉ!そんなことって出来んの!?」
思わず素っ頓狂な声を上げた私を…
水月とサラマンドラは…冷たい目でじろりと見た。
「……………ごめん」
さあね、と男はまた、楽しそうに笑う。
「どうなんだろう?ジャッジはゲームマスターに委ねられるところなんだろうけど…俺が今、二つの精霊を味方につけてるってことは、紛うことなき事実だろうね」
「睦月…無駄口はもう、よかろう」
地の底から聞こえてくるようなしわがれ声を出したのは…さっきノームと呼ばれた精霊。
仕方ないなぁという風に笑い、わかったよ…とつぶやいて、男は私達に背を向ける。
「次は二対二の真剣勝負か…楽しみにしてるよ。剣道もちょっと練習してきてくれると、余計楽しくなるんだけど…ね、仁くん?」
待て!!!と怒鳴る水月の声には答えることなく、男はそのまま去っていく。
後を追おうとした私達の前に…
さっきの土人形達が、わらわらと立ちはだかる。
「しもべ達よ…お相手してやるがよい」
ノームが言うと同時に…土人形達は一斉に飛び掛ってきた。
「きゃあ!!!」
のけぞる私の前に…水の柱が立ち上る。
ウンディーネの…力。
「応戦するぞ!不知火!サラマンドラ!」
かぁっと顔を赤くして、サラマンドラは水月に怒鳴る。
「てっめえこのガキ!勝手に命令すんじゃねえ!」
「つべこべ言わずに行きますよ!サラマンドラ!!!」
生徒会長みたいな水の精霊にびしっと言われ…
はいはい、とふて腐れるサラマンドラ。
「早くあいつらを倒して、睦月を追わなきゃ」
厳しい声で水月は言うが…
土人形を全て倒したとき。
男と2体の精霊の姿は…どこにもなかった。
その日の放課後。
昨日水月に呼び出されたのと同じ校舎の裏に、私達は集合していた。
『同盟を結ばないか?』
明け方に水月が言っていた…その計画を、更に詰めるためだ。
「何なの?その『賢者の石』ってのは…」
サラマンドラが、何か思い出すように空を見上げる。
「俺達が召喚主に託された石だよ…ゲームが始まったら、これを守れってな」
どうやら、彼らは精霊のいっぱいいる、どこか別の世界から召喚されてきたらしい。
それは私達が生まれる、ずーーーっと前のこと。
まだこの大都会の片鱗は一切なく、田んぼや畑でいっぱいだった頃のことらしい。
そして、召喚主はこう言いましたとさ。
『4人の精霊全てが目を覚ましたとき、ゲームは幕を開ける。自らの賢者の石を守るため、相性のいい人間をパートナーにして、ゲームを共に戦いなさい』と。
前にサラマンドラが言っていた『願いが叶う』というのも、その賢者の石を4つ合わせると、彼らよりもっと力の強い精霊が現れて、願いを叶えてくれますよ、ということらしい。
なんか私…そんな大事なこと、全然聞いてなかった。
「あんた………陣取りゲームだって言ってたじゃない」
不機嫌な顔でつぶやく私を面倒臭そうに見て…サラマンドラはしぶしぶ答える。
「石のある場所には結界が張ってあんだよ…結界の中に他の精霊が侵入したら分かるようになってんの。だからある意味『陣取りゲーム』で合ってるだろ?」
「そうかなぁ…何か全然違う気がするんだけど」
「…いいじゃねえか、ちゃんと分かったんだから」
…そうかなぁ。
「で…その石はどこにあんの?あんたが持ってるわけ?」
サラマンドラが懐から赤い石を取り出して、私の手のひらに載せてくれた。
ウンディーネの青い石と並べ…見比べてみる。
「綺麗ねーこれ…石って言っても、どっちかっていうとガラスの破片みたい」
石はどちらも透明で、太陽の光を受けてきらきら光っている。
コンクリートの地面に叩きつけたら、粉々に砕けてしまいそう。
二つとも、一つの丸い大きな石が割れたような形。
赤い石と青い石の断面の一辺は、くっつけるとぴたりとくっつきそうな形をしていて…
「こらぁすず!!!くっつけんじゃねえ!くっつけんじゃ!!!」
サラマンドラが急に怒鳴ったので、慌てて石を落としそうになった。
割れやしないんだろうけど…やっぱり落とすのはちょっとこわい。
「…くっつけたら…どうなんの?」
「だぁから!どうなるかわかんねーから、くっつけんなっつってんだよ馬鹿!!!」
「サラマンドラ…声が大きいですよ」
優等生風のウンディーネがピシャリと言う。
むっとした顔で、サラマンドラが口を噤み。
なんかちょっとカチンときて…私も黙りこむ。
………しーらない。
夜の、あのバトルで…
私はかなり、心が折れてしまっていた。
炎が舞い、風が吹き荒れ、水が轟いたあの現場…
朝の新聞には、『ガス爆発事故』として掲載されていた。
あの戦場は水月曰く『ゲームのフィールド』…あの街であってあの街じゃない。
私達が普段生活しているのとは、別次元の世界なのだろう。
そう…それはまさに、精霊達が別の世界から来た、というのと同じように。
でも。
ゲームのフィールドで起こったことは全て…現実世界に跳ね返ってくるのだ。
現実に起こりうる、何らかの形に変換されて。
昨日の戦闘で負った、沢山の切り傷。
ウンディーネが長いこと住んでいたという神社の泉の水で洗ったら、不思議なことに、大方治ってしまったのだが…
腕と頬の深い切り傷は、まだ残っていて…風が吹くとヒリヒリ痛む。
やっぱり…ゲームの中で死ぬようなことになったら、現実にも死んじゃうんだろうな。
私…何て厄介なものに、首を突っ込んでしまったんだろう。
ふう…とため息をつく。
それと…憂鬱なことは、もう一つある。
『これ…どうしたの?』
今朝…目ざといお姉ちゃんに、頬の切り傷を発見されてしまったのだ。
ちょっと爪でひっかいちゃったみたい…と、私は慌てて誤魔化した。
頬の傷に触れたその指は、まだ熱いような気がしたんだけど…
お姉ちゃん曰く『熱は下がった』らしいので、それ以上追及はしなかった。
睦月からも連絡はないらしい。
でも………それも疑わしいと思う。
あいつ…一体どういうつもりなんだろう?
お姉ちゃんを味方につけて…私を精神的に追い詰めようとでも思っているのだろうか。
けど…そうはいかないんだから。
妹の心姉知らず。
こんなに心配してあげてるのに、私の話なんか全然聞いてくれないんだもん。
私の前でもママの前でも…他の人達の前でも、決して良い子の顔を崩すことはない。
ちっちゃい頃からそうだった。みーんなして、『お姉ちゃんはいつもおりこうさんね。すずちゃんもお姉ちゃんを見習いなさい』って。
だから…お姉ちゃんなんか大嫌い。
3人はふて腐れる私なんかそっちのけで、何だか難しい話をしている。
…ゲームマスターがなんとか。
ゲームマスターって…あの、オンラインゲームとかのゲームマスターでいいのかな。
そんなことも…私は全然聞いてない。
昨日の睦月の言葉から察するに…ゲームマスターっていうのは、ゲームを仕切ったり、審判をしたりする人なんだろう。
ウンディーネは、ゲームの勝ち負けはともかくとして、元の世界に帰りたいのだという。
一方のサラマンドラは…別にどっちでもいいみたいな感じ。
『全部の敵を倒して陣地を手に入れれば、それでクリア。けど、最低限自分の陣地を守り切れれば、俺はそれで十分だと思うぜ』
そういや最初の夜…サラマンドラはそんなこと言ってたっけ。
しかし…ゲームやるっつってんのに、クリアを目指さないなんて一体どういうことだ。
お前は無気力な若者か、と突っ込んでやりたくなる。
そんな私の思いなど知る由もなく、サラマンドラは何気ない様子で言う。
「とにかく俺は消えさえしなきゃいいんだ。ウンディーネが帰りたいっつーんだったら、勝ちはお前らに譲ってやってもいいぞ」
…何だと?
その言葉に…カチンときた。
「ちょっと!あんた何馬鹿言ってんのよ!?」
襟をむんずと掴んで、怒鳴る。
「ゲームってのは勝ってなんぼなの!私のことこんな風に巻き込んどいて、譲ってもいいなんていい加減なこと許さないからね!!!」
こちとら命かかってんのよ?
しかし。
鬼の形相の私を横目でちらりと見て、サラマンドラはぽつりと言う。
「だけどお前…願い事なんてあるのかよ?」
………う。
「こないだもこういう話したけど…別にねえんだろ?叶えて欲しい願い事なんて」
…確かに。
願い事、いっぱいあるっちゃあるけど…
絶対叶うんだとすると…しかも、一個だけだなんて言われちゃうと余計に。
…決めらんない。
変なことお願いしたら、一生後悔しそうだし。
「………だ…だけどっ…ゲームは、やるからには勝たなきゃ駄目!」
私達の喧嘩に、ウンディーネが穏やかな笑顔で口を挟む。
「では…勝者は二組と、ゲームマスターに判断してもらえばよいのではないですか?」
………何だと?
だいたい…私はこの女も気に食わない。
優等生然としてる所が、どことなくお姉ちゃんに似ている…というか。
そのくせ『元の世界に帰りたい』とか言って甘えてみせるもんだから、草食系の男どもはほいほい彼女の言うとおりに動いてしまうのだ。
むっとして、つい…早口でまくし立ててしまう。
「あのねぇ…四組しかいないのに、なんで半分が勝者なんてことになるのよ!?だいたい、水月だってどうせ、願い事なんてないんでしょ?」
「まあ…なぁ」
「いい!?これはゲームなのよ!?それなのに、ゲームそっちのけで元の世界に帰りたい帰りたいってさぁ…あんた、意味わかんないわよ」
食ってかかる私に、ウンディーネはすまし顔で反論する。
「では…自分の意見を述べることの、どこが間違っているというのですか?」
何とまぁ…
このお嬢の、どこまでも優等生なことよ。
「別に、帰りたいのはあんたの勝手だからいいわよ。けど…虫が良いにも程があるって言ってんの!帰りたいから負けてくださいなんて…あんた馬鹿なの!?死ぬの!?」
煽る私に、彼女はピシッ…と凍りついた。
サラマンドラも…ぽかんと口を開けている。
小さくため息をついて…
苦々しい顔をした水月が、つぶやく。
「お前のほうこそ………口が悪いにも程があるぞ?」
「えっ?」
…そっか。
『ネットではよくある煽り文句です』なんつって…水月達にわかるわけないか。
「と……………ごめんなさい」
ちょっと反省。
「けど………とりあえずさぁ、睦月が言ってたじゃん?『真っ向勝負』って」
「『真剣勝負』…じゃなかったか?」
「そうそうそれっ!」
気を取り直して、ぴっと小さく手を挙げる。
「意見あります!」
「…何だよ?」
「今までって私達、攻め込まれるばっかだったじゃない?だからさぁ…4人であいつの拠点攻めてみようよ。不意打ちだったらあいつも、あんなに余裕ぶっこいてもらんないと思うし………とりあえず今夜、様子見だけでも行ってみない?」
サラマンドラが目を輝かせて賛同する。
「そうだな!風の石の在り処はだいたいわかりそうだし」
「しかし…私達がむやみに近づいては、気づかれてしまいますよ?」
ウンディーネが難しい顔をして反論。
「気づかれない方法…か」
顎に手をやる水月。
このペア…何だか、頭でっかちな感じ。
スポーツ馬鹿かと思ってたけど、水月って案外慎重派なのね。
「いいじゃない、気づかれたって。あいつだってこの2回とも様子見って言ってたんだし、あんたのとこも見に来てあげたわよって言えば?」
『楽しみにしてるよ』
にやりと笑ったあの睦月って兄ちゃん。
私は…余裕たっぷりの、あいつの鼻を明かしてやりたい気持ちでいっぱいだった。
「だいたい、あいつ自体が遊んでるみたいな感覚なんだし、こっちも乗っかってやればいいのよ!『今日は遊びに来たの、ちょっとお話しましょ。あんたの知ってる情報ちゃんと全部教えなさい、じゃないと正々堂々真剣勝負なんて出来ないじゃない?』って」
うんざりした顔で聞いていた水月が、興味深げに私の言葉に頷いている。
じゃあ…今日は偵察作戦で決まり。
と…それと。
これも一応…水月に言っておかなくては。
「『言わないと、大好きなお姉ちゃんに、あんたが精霊使いの変態兄ちゃんだってバラすわよ』って…」
「………お姉ちゃん?」
不思議そうに聞き返す水月に…思わず眉間に皺を寄せながら答える。
「あいつ、うちのお姉ちゃんにちょっかい出しててさ…携帯の電話とかメールとかそんな感じなんだけど…どう考えたってストーカーでしょ、常識的に考えて」
「………そうだな」
「そんな怪しい奴の相手なんてすることないのに…お姉ちゃんお人よしだからさぁ」
ふむ…と考えこむ水月。
深刻な表情に…ちょっとだけムカついてみたりして。
やっぱり水月にとって…うちのお姉ちゃんはそれなりに、特別な存在なんだろうな。
ウンディーネとおんなじだ。
強がり女子の弱さのチラリズムって…こんなに男子に有効なのね。
私には…とても真似出来ないし、したくもないけどさ。
うちに帰って机に向かう。
勿論宿題などする気は更々なく…パソコンのスイッチを入れた。
「お前、何ゲームしようとしてんだよ!今夜の作戦の司令官はお前なんだぞ!?さっさと作戦を練れ!」
サラマンドラが背後で言う。
「…精神統一よ」
「なぁにが精神統一だ!だったらシューティングゲームにしろ!特訓だ特訓!」
…うるさいなぁ、ママみたい。
いや…ママよりひどいか。
お姉ちゃんは『勉強しなさい』とか『お手伝いしなさい』とか…口が裂けても言わないし。
お姉ちゃんと言えば………
お姉ちゃん、睦月のこと、どのくらい知ってるんだろう?
シルフィードのことも…知ってるんだろうか。
睦月………か。
「ねえ、サラマンドラ?」
「…何だよ?」
「風群睦月って…変な名前よね」
きょとんとした目で、サラマンドラが聞き返す。
「そうかぁ?そんなこと言ったら…不知火すず、とか水月仁、とかも結構変わった名前だと思うけどなぁ………人間の名前事情なんて、俺にはよくわかんねえけどさ」
「………そっか」
『風群睦月』
これ…本名なのかなぁ。
アナグラムだったりして。
『かぜむれむつき』
ひらがなで打って、パソコンに表示してみる。
「何だ?今度は…」
「アナグラムって知ってる?」
首を振るサラマンドラに…ちょっと優越感に浸ってみる。
「文字を入れ替えるの。そしたら別の言葉が作れたりとかね、そういうのがあんのよ」
「へぇーーー、すっげえな。そんなのも分かるのか、お前」
「いや………分かるかどうか…試してみるだけ」
しばらく眺めてみるけど…断念。
次にローマ字にしてみる。
『KAZEMUREMUTSUKI』
またしばらく眺めていたけど…
分かるわけもなく。
と………
「………あれ?」
なんか…これ。
あれ???
「どうした?すず…」
不思議そうにサラマンドラが尋ねたとき…
ドアをノックする音と同時に、彼はすっと姿を消した。
はぁい、と答えると…入ってきたのはお姉ちゃん。
まーた逃げたな、サラマンドラの奴。
「ママ、今日は遅くなるから、夕飯先に食べてねって」
ごはんどうする?と訊くお姉ちゃんは、やっぱり顔色が悪いような気がする。
「いいよ、適当にコンビニで買ってくるから」
「………でも」
「いいから!」
思わずイライラして…怒鳴ってしまう。
「具合悪いんでしょ!?私が食料調達してくるから、お姉ちゃんは寝てなさい!」
難しい顔で頷いて…お姉ちゃんはまた、おずおずと口を開く。
「あの…すず?」
「もう…何!?」
「仁くんに…睦月さんのこと、話したの?」
カチンときて…思わずじろりと睨んでしまう。
睦月『さん』…かよ。
お姉ちゃんは困ったような顔で、私に笑いかけた。
「ねえ、すず…この前は心配かけて、本当に申し訳なかったと思ってるんだけど…ただのいたずらだったんだし、あんまり大げさに話さないでほしいなって…思うんだけど」
…ただのいたずら?
なわけないじゃない。
「お姉ちゃん!?」
「…はい」
「あのねぇ、ただのいたずらで、あんな高価なプレゼント持ってきたりするはずないでしょ!?今は何も接触してこなかったとしても…」
あの…背筋がぞっと寒くなる、楽しそうな笑みが…脳裏に蘇ってきて。
慌てて記憶の奥底に引っ込めて、お姉ちゃんの顔をじっと見た。
「後々になって、何されるかわかったもんじゃないんだから…気をつけなきゃ駄目!!!」
お姉ちゃんは…何故か悲しそうな目をして。
ゆっくり、大きく頷いた。
それに…余計腹が立つ。
そうなの、『すず』よりも『睦月さん』てわけ。
お姉ちゃんの分からずや。
…だいっきらい。
その夜。
私は一人、桟橋の近くの広場に立っていた。
吹き付ける風が冷たくて、小さく手足を動かしながら…
そこはシルフィードの『陣地』…もとい、『賢者の石』の結界の中。
水月はすぐ近くに隠れていて、精霊達は結界の外でスタンバっている。
『囮になる』と言い出したのは、私だ。
サラマンドラに『司令塔』とプレッシャーを掛けられ…一生懸命考えた末の作戦が、これ。
『コンビニ行くからコート貸して』
寝ているお姉ちゃんにそう言って、部屋にかかっていたダッフルコートを借りてきた。
百均で眼鏡を買ってきて、髪型もお姉ちゃんと同じにして…
お姉ちゃんが聞いたとすれば、睦月もそこそこ素直に答えるかもしれない。
ゲームのこととか…ゲームマスターのこととか。
まぁ、私はお姉ちゃんより大分チビだし、これで騙しきれるとは到底思えないけど…
ちょっとした、時間稼ぎくらいにはなるんじゃないだろうか。
「にしても…寒いなぁ」
はぁ、と両手に息を吹きかける。
待ち始めて、早30分あまり。
今日はあいつ…来ないんだろうか。
と………
突然、ポケットの携帯電話が鳴る。
まさか…家抜け出したの、お姉ちゃんに勘づかれたかしら。
慌てて見てみると…それは見知らぬ番号。
…誰だろう?
………まさか。
不意に背後から、明るい声が聞こえてくる。
「…やっぱりすずちゃんだ」
睦月は紺のウィンドブレーカーを羽織っており。
昨日と同じで、フードがすっぽり顔を覆っていた。
「あんた…何で私の携帯番号知ってんのよ?」
ダイヤル中の携帯電話を私に見せながら、彼は楽しそうに答える。
「だってすずちゃん、前に俺に電話くれたろ?」
「……………」
「この寒い中外出て公衆電話で…とまでは言わないけど、せめて非通知設定で掛けてくるべきだったね…お姉ちゃんにガード甘いとか何とか言う割には、案外ツメが甘いんだな」
「………うるさいっ!!!」
「でも…ちょっとびっくりしたよ。やっぱ文ちゃんとすずちゃんは姉妹だね…良く似てる」
ガードが甘いとかって………やっぱりあの後連絡取ってたんじゃない、お姉ちゃん。
もう…本当はらわたが煮えくり返りそう。
「中学生が考えるにしては、中々のアイディアだったと思うよ。で…精霊達は?仁くんも近くにいるんだろ?」
「…そ…それより!」
作戦1失敗。
感情的になってる場合じゃない………捨て身の作戦2を決行せねば。
「もう一個あんのよ、あんたのこと黙らせる方法!」
「ふうん…なあに?」
「私ね………わかっちゃったの!あんたの正体!!!」
さっきふと思いついた…そのアイディア。
けど………本当の本当に根拠のない、『釣り』でしかないんだけど。
少し間があって…
睦月は愉快そうに、小さく口笛を吹く。
「へえ…俺の正体?」
「そ…そうよ!大人しくこっちの要求飲まないと、あんたの正体お姉ちゃんに言うから!」
片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手を頭に持っていき、睦月は楽しそうに笑う。
「参ったなぁ………すずちゃん…俺のこと、知ってるんだ?」
「あ…当たり前でしょ!?知ってるわよ、そのくらい…」
で、誰?と聞かれると困るので…もう一度怒鳴る。
「で、私の話聞くの聞かないの!?どっちなのよ!?」
「…すずちゃんの話って…何?」
うそ…食いついた!?
動揺を抑えて…静かに問いかける。
「…あんたの知ってること、全部教えなさい。ゲームマスターはどこにいるのか、とか…あんたの目的とか…」
「…それは、難しいなぁ」
にやりと笑う睦月。
やっぱ…駄目か。
でも………
「言えないわけ?…てことはあんた、ゲームマスターの居場所知ってるのね!?」
にやりと笑って…睦月は黙って私を見ている。
「言いなさい!」
「言えない」
「だったら、やっぱりお姉ちゃんに…」
「それは…困るな」
不意に…風が吹いたような気がした。
そして…聞こえて来たのは、水月の焦ったような叫び声。
「不知火!!!」
気付くと…睦月の放ったかまいたちが、私に向かって襲い掛かろうとしていた。
まずいっ………
思わず目をつぶり、両腕で体を庇うようにうずくまるが…
その瞬間、真っ白な光が…私を包んだ。
眩い光は…とても温かくて。
教会の賛美歌のようなものが、遠くに聞こえた。
何?これ………
そして。
かまいたちは…音も無く、どこかへ消えてしまった。
いつの間にか、白い光は消えてしまっており。
周囲は元の真っ暗に戻っていた。
「おい!大丈夫か、すず!?」
呆然とする私の肩を、サラマンドラが大きく揺さぶる。
「………う…うん」
振り返ると、ウンディーネと水月もすぐ傍に立っていた。
集合した私達を見て…困ったように笑う睦月。
「参ったな。ちょっとした脅しのつもりだったんだけど…皆さんお揃いとはね」
「う………」
何だったんだろう…あれ。
誰かが私を…守ってくれたの?
…一体誰が?
よくわかんないけど………
こいつがひどい奴だってことは…よおくわかった。
「うっさいわねぇ!何が脅しよ!?やっつける気まんまんだったじゃない!?」
怒鳴る私に動じることなく、睦月はにっこり問いかける。
「…すずちゃん?」
「な…によ…っていうか、気安く『ちゃん付け』で呼ばないでくんない!?」
「さっきの…ハッタリだろ」
「ち………」
…バレたか。
いや…そりゃ、バレるよな。
でも…認めちゃったら負けだ、多分。
思いっきり虚勢を張って、私は彼に向かってもう一度怒鳴る。
「違うわよ!本当に…私は本当に、あんたの正体わかったんだから!睦月はこんな風に可愛い妹をいじめるひどい奴だって、お姉ちゃんに言いつけてやるからね!!!」
「…言いつけるのは構わないけど」
首を傾げ…睦月はふいにつぶやいた。
「その前に…可愛い妹の秘密も、ちゃあんとお姉ちゃんに教えてあげておかないとね」
…小さなシャッター音。
睦月はポケットから取り出した携帯を、私達に向けていた。
全身から…血の気が引くのがわかる。
「それ………まさか」
「だって…俺のことだけばらすんじゃ、フェアじゃないだろ?」
楽しそうにそう言うが…睦月の携帯を操作する手が止まることはない。
「文ちゃんには公正に判断してもらわなくちゃ」
はっとして…睦月に駆け寄る。
「ち…ちょっと、駄目!絶対駄目だったら!!!お願い!!!」
お姉ちゃんに知られたら…
そんなの………本当に困る。
がしっと睦月の腕を掴むが…既にメールは送信済みらしい。
愕然として見上げた睦月は…街灯の明かりを丁度、真正面に受ける場所に立っていた。
ウィンドブレーカーのフードを透かして見えた…その素顔。
それは余りに…衝撃的で。
………私は、ぺたんと地面に座りこんだ。
「今日は遊びに来てくれて嬉しかったよ…また明日の夜」
私に見られたこと…彼は気づいてないのだろうか。
余裕の笑みでそう言って…睦月はふわりと舞い上がる。
「ま…待て!!!」
追おうとする水月の前を、突風がふさぐ。
「またこの場所で…明日は約束通り、石をかけて戦おうじゃない」
「待ちやがれ!この野郎」
サラマンドラが放った炎の塊は…強い風に弾かれてしまう。
「無粋ですよ?今日は人間同士の話し合いの場だったというのに」
シルフィードが現れて、にっこり笑い。
二人は…夜の闇の中に消えた。
どうしよう………最悪。
お姉ちゃん…何て言うだろう。
お姉ちゃんは…
家の前に、パジャマ姿のまま…哀しそうな顔で立っていた。
「お…ねえ………ちゃん」
「どういうことなの?」
今まで聞いたことがないくらい…厳しくて、冷たい声。
「…一体どういうことなの?あなた達と一緒にいたの…あれ、精霊でしょ?ねえ………精霊って…ゲームって…一体何なの?あなた達は一体、何をしようとしているの!?」
黙り込んでしまった私を、お姉ちゃんはまくし立てるように問い詰める。
「先輩…」
水月が伸ばした手も、お姉ちゃんは冷たく振り払った。
「このことがあったから…あなた達は私に、『睦月さんに近づくな』って言ったの?」
お姉ちゃんは…物凄く動揺しているらしい。
こんな怖い顔したお姉ちゃん………初めて見た。
「…わからない」
絶望したような低い声で、お姉ちゃんはつぶやいた。
「………お姉ちゃん」
聞いて、と言いかけた私の顔を…
お姉ちゃんは、涙をいっぱい溜めた瞳でじっと睨む。
思わず…口を噤んでしまう。
「わからないわよ!すずの考えてること…全然わかんないわ!」
お姉ちゃんは泣きながら、地面にうずくまって叫んだ。
まるで私達のことを………全身で拒絶するように。
「もう私のことは放っといて!すずも仁くんも…大っ嫌い!!!」