第四話 覚醒
黒の国 城下町への街道
「シン、ほらよ。食いもんだ。」
イルナが俺におにぎりを投げてきた。
「へぇ~。この世界にも米はあるんだな」
「まぁな。他にも芋や麦だってあるぜ。まぁ本格的につくれるようになったのはここ最近だけどな」
笹で包まれているおにぎりを開け、口いっぱいに頬張る。腹が減っていたから、とてもありがたい。
俺達は今、平原を抜けたすぐそこで休憩をとっている。
イルナや迎えの悪魔の人たちの体力を考えて、今夜はここで夜を明かすそうだ。かく言う俺も、色々なことがありすぎて、体力はほとんどない。
焚き火のそばは温かく、心に安らぎを与えてくれた。
「とりあえず、ここで日が昇るまで寝るぞ。朝になったら出発だ。多分、昼までには着くはずだ」
「あぁ、分かった」
「……」
「ん?」
見ると、イルナが心配そうな顔をして、こちらを見ている。
「どうしたんだ?」
「あ、いや…お前、大丈夫なのか?」
「なにがだ?」
「お前にだって生活はあるだろうし、家族だっているだろう?いきなりこんなところへきたんだ。その…不安じゃないのか?」
「ああ…」
イルナは罪悪感を感じているのか、申し訳なさそうな顔をしている。
なんていうか…
「おまえさぁ、心配しすぎじゃね?」
「え?」
「いや、だって俺がこっちに来たのって、女王の命令だろう?お前のせいじゃないじゃん。それを、そんなに深刻に考えなくたって大丈夫だよ」
「い、いや、しかしだな、」
「俺は一人暮らしだし、学校も夏休みだ。特に問題ない」
「そ、そうなのか…」
「それに、俺は特に不安もなければ不満もない。いや、確かに女王に会うのはちょっと怖いけど…けど、お前は気にする必要はねぇよ」
「…」
イルナは納得がいかないような顔をしている。こっちはもういいと言っているのに。
「……お前、ほんとに優しいんだな」
「ふぇ!?」
ふと思い至って言ってみると、素っ頓狂な声をイルナが出した。
…あんな声出るんだな。
「な、何をいきなり言ってやがる!?」
「いや、こんなに真剣に心配してくれるなんて、相当優しいぞ?」
「い、いや、これは別にだな!」
いつもあんな喋り方だから正直柄は悪いが、とてもいいやつなんだろう。なんだかんだでさっきからずっと俺のことを思いやってくれている。あいつからすれば任務をしているだけなんだから、そんなことは気にする必要なんてないのに。
「なんていうか、ありがとな」
「~~~~!!もういい!私は寝る!!」
あ、拗ねた。イルナは後ろを向いて、街道の脇に立っていた木の陰に寝転びに行った。
「おやすみな~」
「--ふん!!」
イルナが去ってから、俺は一人、おにぎりを食べていた。
「…家族…か」
俺は呟いた。
…さっきイルナには大丈夫だと言ったが、どうなのだろうか。
確かに、夏休みで学校はないし、実家に頻繁に連絡を取っているわけでもない。
だけど、いつ帰れるのだろうか?…いや、果たして帰れるのだろうか?
こっちの世界には役目があるから呼び出されたのだろう。しかし、その役目を終えても、帰れるという保証はない。しかも、俺は狙われている。もしかしたら、殺されるかもしれない。
もしかしたら、元の世界へ帰れずに、この世界で死ぬのかもしれない。
「一体…どうなるんだろうな…」
思わず、不安が口をつく。イルナにはあんなことを言っておきながら。
「シン様」
と、そのとき、迎えの一人が声をかけてきた。
「見張りは我々3人が行います。シン様は、どうぞお休みになってください」
「ああ、そうか…」
「この辺りには、そう強い魔物はいません。どうか、安心してください」
「ああ、じゃあそうさせてもらうよ」
俺は食べ置いたおにぎりの笹をそばに置き、その場に寝転んだ。
体力のなくなっていた身体はすぐに重くなり、意識も徐々に落ちていった。
言いようもない不安はあったが、その晩は、すぐに眠ることが出来た。
「おい、シン、起きろ」
「zzz」
「朝だぞ、起きろー」
「zzzzzz」
「おい!起きろっていってんだろ!!」
ガスッ!!
「ふぐう!?」
朝一番に鳩尾をけられた俺は、そんな声を上げて目を覚ました。
「ったく、さっさと起きろってんだ」
呆れた顔でイルナが俺を見下ろしていた。
「いたたたた…なんだよ、まだ暗いじゃねぇかよ…」
腹を押さえて立ち上がりながら、俺は不平をもらす。
まだ、太陽も昇ってないってのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないんだ。
「なに言ってやがる。もうとっくに日は昇ってるよ」
「え?」
「霧だよ」
まだ寝ぼけていた頭を覚醒させ、周りを見渡す。
……何も見えない。あたり一面を濃い霧が覆っているのだ。近くにいるイルナの姿以外は何も見えない。
「うわ、なんにもみえねぇ…」
「まぁ、私でも全然見えないしな。お前じゃ5mも見えないだろうな」
「おいおい、こんな深い霧で飛べるのか?…て、迎えの人たちは?」
ふと気づくと、迎えに来てくれた三人がいない。近くにいるような気配もない。
「あぁ、そのことなんだがな」
「なにかあったのか?」
「なんでも、魔物が夜、この辺に出たらしい」
「魔物?危ないのか?」
「どうだろうな。この辺りにいるやつらは全然害がないはずなんだが…。見張りが言うには、相当な魔力を持っていたらしい」
「魔力って…要するに魔法を使う力だよな?」
「んん…まぁそんなところだけど、腕力とか、体力とかにも関係してくるんだ。っていうか、この世界でいうところの生命力みたいなもんだよ」
「そうなのか。で、その魔物がどうしたんだ?」
迎えの人たちがいないということは、その魔物を探しに行ったのだろうか?
「いやな、いないんだよ普通は」
「何がだ?」
「私たちに感じ取れるような魔力を放つ魔物なんて、この辺りにはいないんだよ。スライム辺りが限界だ。だが、夜のやつは並の竜ぐらいの魔力はもっていたらしい。まぁ『魔力の塔』の影響でまだはっきりとはわからなったらしいがな」
「いや竜って…相当なんじゃないか?」
「ん?まぁ火竜ならそこそこだけど、普通の竜なら、王国の戦士なら負けはしないよ」
「んんんん…この世界はいまいち分からん…」
「ま、おいおい分かっていくさ。それに、私がいる限り心配はいらないよ」
イルナが口元をにやりと歪める。
なんとも頼りがいのある顔だ。
「そうか、なら安心-」
安心だな。そう言いかけたときだった。
「ぐあああ!!!!!!」
突如、叫び声が聞こえた。
「!!」
「な、なんだ!?」
イルナが声のしたほうを睨む。だが、深い霧のせいであたりは何も見えない。…思い違いかもしれないが、先ほどよりも霧が深くなっている気がした。
「シン、後ろにいろ……」
イルナの声は静かで、だが鋭かった。
「い、イルナ様!!」
「!!おい、どうしたんだ!!」
霧の中から声が聞こえた。イルナが気づいたようが、俺には全然見えない。
「おい、なんなんだ!!何がいやがった!?」
「お逃げください!霧竜です!確実に百年越えです!!」
「なッ!」
必死の様子で一人の悪魔が叫んでいる。それを聞いたイルナが思わず舌打ちをついていた。
「なんだってそんな厄介なやつがここにいやがんだ!!ありえねえだろ!!!!」
「おそらく、塔の魔力を感じて山から下りてきたのでしょう!!ともかく、二人が足止めをしています、どうかお逃げください!!」
ぐおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!
「な、…なんだ…?」
それは、俺が生きてきた中で、一度も聞いたことない声。獰猛な獣のような、大気を震わす音。
それはきっと、竜が咆哮した声なのだろう。
「足止め!?バカいうな!!私が仕留めてやるよ!」
「おやめくださいイルナ様!!シン様にもしものことがあればどうするのです!!」
「ッ!!」
イルナを必死で説得している悪魔の姿が見えた。その翼は傷だらけで、体中にやけどのようなものがあった。俺の名前を聞いたイルナは、動きを止めた。
「あなたはシン様をお守りください、私も二人の援護に向かいます」
「--ッ!!!……分かった。任せたぞ!!」
「はっ!!」
悪魔が身を翻し、走っていった。また、竜の咆哮が聞こえた。
「ボーっとすんな!行くぞ!!」
「え?-うわ!」
突然の事態に呆然としていた俺の腕をつかみ、イルナが駆け出した。
「お、おい!なんなんだ!?やばいのか!?」
「霧竜が出たんだよ!!霧を操る竜だ!!…っくそ、どうりでこんなにひどい霧な訳だよ!!」
「む、むりゅう?強いのか、そいつは!?」
先ほど、イルナは並の竜なら大丈夫だといった。だが、この取り乱しようは…
「ああ、強い!なんせ百年越えだ!」
「百年?」
「要するに長く生きれば生きるほど強いのさ!!」
走りながら、怒鳴り散らすように説明してくれる。
「百年って、やばいのか!?」
「…あいつらは精鋭だ。普通なら負けない…普通ならな…。」
イルナが食いしばるように言う。
「だが、…完全にはまった。完全にやつの罠の中だ」
「罠…?」
「術中ってやつだ。…この霧でも、霧竜の視界は妨げられない。私達からは相手が見えず、相手からはこっちが丸見えってこった」
「な…!」
それでは圧倒的に不利だ。一方的ななぶり殺しになるかもしれない。
「だ、大丈夫なのか、あの人たちは!?戻ったほうが…」
「うるせぇ!!!!黙って走れ!!!」
「!!」
イルナが怒鳴る。そこで俺は気づいた。
俺を握っている手が、小刻みに震えていることに。
イルナの歯がこれ以上ないほどに噛み締められていることに。
悔しさで、イルナが震えていることに。
彼女は優しい。言葉が乱暴だが、仲間思いの優しい少女だ。俺は昨晩、それに気づいた。
だからこそ、彼女は悔しいのだろう。仲間を見捨てなければいけないことが。だからこそ、許せないのだろう。逃げなければいけないことが。
そこで俺は気づいた。
イルナは、俺のために走っているのだと。
イルナは、俺を助けるために仲間を置いていったのだと。
俺を守るためなのだと。
俺のため?俺のせい?俺のせいであの人たちは死ぬのか?
俺のせいで--彼女はこんなにも泣きそうな顔をしているのか?
「-!!シン!!!」
「え-?」
イルナが叫ぶ。と、同時に俺は突き飛ばされ、爆炎が視界を覆った。
「な、イ、イルナ!!!」
俺はイルナにかばわれたのだと気づいた。
後ろからの炎に、俺は包まれそうになったのだ。
「い、イルナ!?大丈夫か!?イルナ!!!」
炎が晴れる。そこにいたのはあちこちが焦げ、やけどを負ったイルナだった。
「イルナ!!」
「ててて…うるせぇんだよ…」
ひざを突いた姿勢で、彼女は返事をした。良かった、生きていた。
「!!逃げろ!シン!!!」
必死の形相でイルナが叫んだ。
「え?」
後ろを振り返る。
…そこには、巨大な竜がいた。
そのシルエットは、巨大な狼といったほうが良かったかもしれない。四つの足で立ち、口にはおびただしいほどの牙があった。
だが、その身体は紫がかった白い鱗で覆われており、胴体から尻尾にかけては太い蛇のようだった。その胴体には羽も生えていた。
さらに背中から頭にかけて紫のたてがみが生えており、その額には一対の角があった。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」
竜が口を開け、叫ぶ。
勢い良く飛ばされた涎とともに、空気の圧力を俺は真正面から受けた。
「あ…あ…」
「逃げろ!!!シン、逃げろおお!!!!」
後ろでイルナが叫んでいる。だが、やけどのせいで動けないようだ。
そして、俺の身体も全く動かなかった。
それは、圧倒的な存在を目の前にした恐怖。ファンタジーの世界でしか生きられない、絶対の存在に、俺はただただ恐怖しか感じられなかった。
「あ…ああ」
叫ぼうとしても全然声が出ない。怖い。
そして、目の前が真っ赤になった。
「-あ」
それは竜の口だった。大口を開けた竜が、俺を飲み込もうとしたのだ。
「あ、あああああああああ!!!!!!!!!」
それに気づいた時、俺はやっと叫んだ。叫べた。
だがもう遅い。竜の口は俺を飲み込もうとしていた。
「うああああああ!!!!」
と、その時、イルナの声が聞こえた。
瞬間、俺の視界は再び深い霧を見ることが出来た。竜が後ろへ下がったのだ。
見ると、竜の背中の翼が、少し裂けていた。
再び竜が咆哮する。
すると、霧がさらに濃くなり、竜の姿は瞬く間に見えなくなった。
「くっそ、どこだ!?シン、どこにいる!?」
イルナの声がする。おそらく、イルナが竜を攻撃してくれたのだろう。
だが、彼女も怪我を負っている。果たして、大丈夫なのだろうか。
「大丈夫か、シン!!返事しろ!!返事をしてくれええ!!!」
「い、イルナ!!ここだ!俺は生きてるぞ!!」
イルナに応える。
「!!シン!!そこ-ぐあっ!!」
「!?イルナ!?」
イルナが突如うめいた。それが聞こえた直後、目の前にイルナが転がってきた。
「な、だ、大丈夫か!?おい!!」
「シン…逃げろ…早く…」
イルナの元へ駆け寄る。彼女の背中には竜の足跡の様なものがついていた。口元には血がついており、目はうつろに俺を映していた。
「くっそ…思い切り蹴りやがったなあんにゃろう…」
息も絶え絶えに、イルナが愚痴る。
「お、おい!大丈夫なのか!!」
「大丈夫にきまってんだろう…はぁ…はぁ…」
「な、何言ってやがる!そんな身体で!」
「なめんなよ。時間さえありゃすぐなおんだよ。…はぁ…まあ、ちょっと、きついけどさ…」
何を強がってやがるんだ、こいつは。こんな状態で。
「…くそ、姿さえ見えりゃ、一撃で仕留めてやるのに…霧が邪魔なんだよ…」
そんな悪態をつく余裕なんて、ほんとはないだろうに。
「はぁ…はぁ…いいから、はやく逃げろっつってんだろ…すぐ追いつくからよ…」
「なんで…なんでそんなこと言うんだよ!!なんで言えんだよ!!!!」
こんなぼろぼろの身体で、どうしてそんなことが。
「ああ?何言ってやがる……言っただろう…」
「お前を守るって。」
「…」
この少女は、本気なのだ。本気で、命を捨てて俺を守るつもりなのだ。
俺なんかのために。
任務など投げ出せばいいのに。
「はぁ……死にたくねぇだろ…いいから逃げろ…」
お前だって死ぬのは嫌だろう。なのに、お前は。そんな顔をして、お前は。
「ぐるううう…」
獣の声が聞こえた。俺はそちらを見る。
竜が見えた。この霧で見えるはずなんてないのに、俺にははっきり見えた。
なんだこいつは。醜い、紫の鱗。その口元。
こいつが、あの人たちを殺したのか。こいつが、イルナをこんなことにしたのか。
竜が吼える。その声は大気を震わす。
だが、それがなんだというのか。
こいつのせいで、イルナは、あんな顔をしていたのか。
こんなトカゲが。
こんな蛇の出来損ないが、イルナを、泣かせたというのか--!!!!
「…」
俺はもう何も怖がっていなかった。
「…なよ」
俺は、ただ怒りを覚えていた。
「ぐおおおおうううううう!!!!!!」
「ふざけんなよおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺は、イルナの涙を見たときから、もう何も怖くはなかった。
あるのは、怒りの炎のみ。
この醜悪な竜に対する、純然たる怒り。
心に渦巻くそれは、やがて俺の身体を纏う。
俺の内側から、灼熱の炎が押し寄せてくるのが分かる。だが、怖くはない。恐怖など、怒りに変え、この炎を生み出す糧にする!!
「ぐるああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うをおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
竜の咆哮に対して、俺も叫ぶ。
身体から溢れる熱。それを解放する。
瞬間、膨大な熱は膨れ上がり、辺り一体を駆け巡った。
その熱は霧を晴れさせ、平原を晴れ渡れせた。
霧が晴れ、今は竜の姿がはっきりと目に映る。俺の怒りの矛先は、その身体のみに向けられる。
「ぐるあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
竜は猛り、咆哮し、口に炎を溜めた。それは先ほどイルナを焼いた炎。
だが、そんなものはぬるい。俺の炎に比べればぬるい。俺の怒りに比べれば、まだまだぬるい!!
竜が火玉を吐き出す。
俺は手をかざす。
イメージするのはイルナの技。思い描くは彼女の姿。
火が迫る。だが俺は下がらない。絶対に、こいつを倒す。
「はああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
体中の炎を突き出す。それは巨大な槍となる。
火玉を飲み込み、竜を焼き尽くすほどの、巨大な紅蓮の槍に。
「燃え尽きろおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その槍は、竜の全身を飲み込み、燃やし尽くした。
後に残ったのは、太い焼け跡。竜の身体は、一切残ってはいなかった。
「イルナ!!」
俺は倒れているイルナの元へ駆け寄る。顔を覗き込むと、目は閉じているが、息はしているようだった。
「よかった…」
ほっとし、思わずその場にへたり込む。
「イルナ…俺、生き残れたよ…」
彼女の顔を見て、やっと安心感に包まれた俺は思わずそうこぼした。
「俺……生きてるんだよ…」
そういったら、イルナの顔がなぜか微笑んだような気がした。
その顔を見た途端、なにかが目の奥からこみ上げて来て、その顔がぼやけて見えた。
泣いているのか、俺は?
なぜ泣いているのかも分からない。もう危険は無いというのに。
突然のことに俺は戸惑う。
でも、この涙は、流してもいいだろう。
イルナの顔を見ていると、なぜだか、そう思えた。




