略奪、そして継承される狂気
「やあやあ、お久しぶりだね悠馬君、すごい活躍だったじゃない」
白い世界に帰還した俺に掛けられた第一声は、そんな明るい、ともすれば軽い、自称神の声だった。
「本当に魔王を倒しちゃんなんてね。君が来てくれて本当に良かった。
僕もサポートしたかいがあったってもんだよ」
白いそいつは、ペタペタと足音を響かせながらリズミカルにこちらに歩み寄って来る。
その全身からは抑えられない歓喜のようなものが見て取れる。
だがそれも当然か。
自分の世界を荒らしていた魔王、彼には彼の信念があったとはいえ、ともすれば自分に届きうる牙をもっていた存在が倒されたのだ。喜びたくもなるだろう。
だが、魔王の心情を知っている俺としては複雑な気分だ。
あいつは決して私利私欲のために力を手にしようとしていたわけでは無かったというのに。だからだろうか、俺の返事もどこか素っ気ないものになってしまう。
「そうか。そいつはどうも」
しかし、自称神はそんなことを気にした風もなく、俺に近寄って来るとその能面のような顔を俺に寄せて来る。
「本当だよね、感謝して欲しいよ。
君にチート能力を授けるのも、神託で魔王討伐のお膳立てをするのもめちゃくちゃ大変だったんだから」
自称神に顔はない。のっぺりとした顔からは本来表情など読み取れないが、至近距離から俺を覗き込む顔にはニヤリと笑っている雰囲気がある。
ともすれば不気味にも見えるそれだが、俺はその雰囲気を知っている、気がする。
それはずっと子供の頃から一緒に居たあいつの様で・・・・・・。
そこまで俺の思考が回ったところで、自称神はさらに軽い口調で続ける。
「それで、魂の位階が上がった感じはどうだい?」
魂の位階?
一瞬その聞きなれないワードに疑問符を浮かべるが、すぐに以前のことを思い出す。確か、
『魂の位階、強度を上げた魂が戻れば君の肉体は健康体まで回復する』
こいつはそう言っていたはずだ。
そうだ、この世界に来る前、俺はトラックに轢かれて元の肉体は生死の狭間をさ迷うほどの重傷を負って・・・・・・。
そこまで思い出したところで俺は慌てて自称神の両肩を掴む。
不安と焦燥で声が震える。体の芯が急速に冷えていくような感覚がせり上がる。
「そうだよ、俺の体。元の世界に残っている俺の体はどうなってる。
それにサクリフィアで5年もたったんだ、あっちの世界ではどれぐらい経ってる!?」
今度は、以前の時のように手が不可視の力に弾かれることはなかった。
思わず自称神の肩を掴んだ両手に力が籠り、緊張のあまり強張った手にはじっとりと汗が滲む。
その力は決して弱くはなかったはずだが、自称神は肩に食い込む指を意に介さず満足そうに何度もうなずく。
「うん、順調みたいだね、無事僕の体に触れてる。これなら魂の位階は十分だ。」
「そんなことはどうでもいい、質問に答えろ」
すると自称神はやれやれと肩をすくめて見せる。
その様は、こちらを小馬鹿にしているようにも、慣れ親しんだ相手をからかっているようにも見える。
「やれやれ、大事なことなんだけどな。
でもそうだね、最後に教えてあげるよ。
君が事故にあってから向こうの世界だと1か月ぐらいしか経っていない。
実際、君もサクリフィアでほとんど歳をとらなかったでしょ。
これはスキルの影響だけじゃなく、本来の肉体に魂が引っ張られていた関係もあるんだよ。だから、心配はしなくていい。
君の肉体も無事だよ。」
その答えを聞いて、どっと安堵の息が漏れる。
安心のあまり全身のこわばりは解け、自称神の肩に置いた両手を離そうとする。
だが、その瞬間、自称神の手がガシリと俺の両腕を押さえつける。
「?」
その力は万力の様で、俺は手をピクリとも動かせない。
試しに身体強化のスキルを使って力を込めるがそれでも、うんともすんとも言わない。
一方、目の前にいる自称神はその様子を唇を歪めニヤニヤとした様子で、眺めている。
そう、自称神には無かったはずの唇を歪めて。
それを見た瞬間ゾワリと背筋を冷たい感触が通り過ぎる。
次いで襲ってくる全身の凄まじい痛みと、強烈な喪失感。
例えるなら、全身の至る所に無数の虫が蠢いているような、魂の奥底から大事なものが吸い上げられているような、そんな例えようもない不快感が全身を蝕む。
俺は、そのあまりの気持ち悪さに大声で叫び出しそうになる。
しかし何故だろう。体が、心が、魂が、必死に叫んでいるのに、周囲に俺の声は全くといっていいほど響かない。
あまりの不快感に耳がやられてしまったのかとも思ったが、それも違う、俺が体を震わせる際の衣擦れの音は聞こえている。
そんなことを考えている間にも体を駆け回る不快感はさらに強さを増していき、そこで俺ははたと気付く。
声を出そうとしているのに顔が動いている感覚がない。
そのことを自覚した瞬間に理解する。
ばかな、そんなはずはないと、心が、魂が叫んでいる。
だが、辿り着いてしまった答えが事実だと、どこかで理解している俺が居る。
心を占める恐怖に押しつぶされそうになる。
今の俺には、
「そう、口が、ないんだ。」
俺の考えを継ぐように、顔を近づけてきた自称神が、さっきまでなかったその口を、三日月のように醜悪に歪め、告げる。
酷薄な笑み、抑えられない悪意、嘲笑、快楽。それらが口元にありありと浮かんでいる。
その表情のあまりの気持ち悪さに、俺は全てのスキルを発動してとっさに後ろに下がろうとする。
身体強化、ブレイブブースト、合気、エトセトラエトセトラ。だが、いずれも発動出来なかった。
俺がスキルを発動しようとした刹那の瞬間、俺の両手から自称神に向かって何かがものすごい勢いで吸い上げられる。
「あはは、無駄だよ無駄。ここまで来たらもう止められない。
君の魂の器は僕に取り込まれるんだ。はは、ははは、はははははははは」
自称神の口から聞こえる、慣れ親しんだ自分の声、しかし自分では決して出したことの無い悪意にまみれた哄笑が周囲の空気を震わせる。
俺の皮膚の表面がぱりぱり剥がれ細かい破片になって、自称神の方に流れていく。
その流れは宝石の粒が集まったように様々な光を放ちながら、やつの表面を覆っていく。
そして同時に悟る。
それが俺自身を構成する何か、言うなれば俺を俺自身と定義するような、殻のようなものだと。
「ああ、そう、そうだよ、この感覚。この感覚だぁ。
これが魂の形を持つってことだった。そうだ忘れていた、僕は、いや俺は、やっと取り戻した。
そうだ取り戻した、あは、あはははははははははは」
自称神は狂ったように絶叫している。急速に全身を蝕む虚脱感。自分ではもはや立っていることも出来ずに自称神に寄りかかる。
そしてさらに接した部分から勢いを増して流れ出る俺の欠片。
それは数秒、数十秒、あるいは一瞬だったのかもしれない。
俺の体を構成していた結晶の流れは徐々にその勢いを失い、最後に虹色に輝く欠片が自称神に取り込まれるのと同時に完全に途切れる。
その頃には徐々に自称神の哄笑も勢いを無くす。
そして最後に、ふーと一つ息を吐くと、微動だにしなかったその両手を俺の腕から外し、そのまま荷物でも扱うかのように俺の体を白い床に放り出す。
床に当たる瞬間、反射的に目を閉じそうになるが視界は閉じることはなく、床に当たった顔や体にも不思議と痛みは感じなかった。
ただ、自分の真っ白い腕だけが視界の端に映った気がした。
そのまま、俺の視線が白い床以外を映せないでいると、横から、跳ねるような音や、手足を動かすような音が聞こえる。
それはまるで、自分の体の調子を確かめるかのような音だ。
リズミカルに跳ねる音、自称神の嬉しそうな声。
だが、それと同時に俺の意識も徐々にしっかりしてくる。
そして沸き上がってくる怒り。
未だ全身を包む虚脱感は凄まじく、自分の体が酷く不明瞭に感じる。
しかし、ここまで来て、こんな奴にいいようにされていることに強い憤りが湧いてくる。
ああ、そうだ、俺は元の世界に戻るためにここに来たんだ。魔王を倒し、世界を救って。
それもこれも元の世界に戻るため、柚希にもう一度会うためだ、こんなところで諦めるなんて絶対にできない!!
そんな激情が体を満たす。
全身に残った力を振り絞り、首を回す。何とか視線を地面から引きはがし、斜め上方を見やる。
そして俺は射殺さんばかりの怒りをもって、自称神を睨みつけようとした、
その瞬間、俺の眼にはあり得ない光景が飛び込んできて・・・・・・。
思考が空転する、訳が分からない。
あまりの光景に胸の内に溢れていた怒りさえも色を無くしていく。
いや、そんな馬鹿な、あり得ない。
何度も否定の言葉が脳裏をよぎるが、視界に映る光景は変わらない。
あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。
思考はひたすらに空転し、声なき声で絶叫する。
その俺の視線の先、
そこには、俺が、居た。
正確には俺と全く同じ顔、全く同じ体格をした、自称神が居た。
白い床に伏せる体、混乱する理性、絶叫するも心、けれど変わらず俺の声は響かない。
そんな俺に、自称神は嘲りとも同情とも取れるようなそんな視線を向ける。
「あー、まだ難しいんじゃねーかな、声を出すのは。
今は口も何もないからな。俺も周りの音や景色は最初から拾えたけど、しばらく声は出せなかったからな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
激情のままに声を張り上げようとするが、やはりそれが空気を振るわせることはない。
あり得ない光景、動かない全身に俺の恐怖感はさらに膨れ上がる。
「だから、声を出すのはしばらくできないって。
まあ、気持ちは分かるけどな。俺も最初はわけが分かんなかったし、悠馬の気分も想像は出来るよ、うん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
本当に訳が分からない、分からない、分からない。
思考がまとまらず、現実を脳が、心が全力で拒否をしている。
「けどさ、もうこの魂の器は俺が貰っちまったし、今更返せねえよ。
俺も自分の体にはもう戻れないしな。それに何より、これ以上この白い世界に居るのはうんざりなんだわ」
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。それは俺の顔だ、それは俺の体だ!!
返せ、返せ、返せ、返せ!!!
「ああ、そうだ。最後に神の力を渡しておくわ。
これがあると強すぎて世界を渡れないからよ」
そう言うと、俺の姿をした自称神、いや元自称神は俺に白く輝く球体を放って来る。
それは、そのまま俺の真っ白い体に沈み込むと、内部で弾けた。
その瞬間、膨大な力が全身を駆け巡る。何でもできそうな万能感とも言えばいいのだろうか。
四肢には活力が満ち、動きが戻って来る。
だが、それと同時に急激な力の変化に全身がとてつもない痛みに襲われる。
その激痛に耐えきれずのたうち回っていると、俺の体はいつの間にか元自称神の足元へとたどり着いていた。
思わず見上げると、元自称神は俺のものだったはずの顔を醜悪な笑みの形に変え、こちらを見下ろしている。
そして、俺の顔へと手を伸ばす。
何をしてくる気だと身構えようとしたが、全身を苛む痛みによってその手を払いのけることも出来ない。
せめて、嚙みついてやろうとも考えたが、噛みつくべき口すらもない。最後の抵抗と思い、視線に殺意を込めて睨み返えすが、元自称神はそれすらもあざ笑う。
そうして、その手が俺に触れそうになった瞬間、予想外のことが起こった。
バチリと稲妻のような音がしたかと思うと、目に見えない力に弾かれるように元自称神の手が弾かれる。
一瞬の空白。
元自称神はそれに少し驚いたような顔をした後、
「はは、そうか魂の位階が違いすぎると触れることも出来ないんだったな」
苦笑いしながら、寂し気な視線を俺に送る。
だがそれも一瞬。一息深呼吸するうちに底意地悪い笑みに戻り、底抜けに明るい声で告げる。
「じゃあな、悠馬、お前の体は俺が有効に使ってやるよ。
それが、昔から世話になった俺なりの恩返しってやつだ。」
そうして、倒れている俺に背を向けて歩き出す。
くそ、止まれ、ふざけるな、返せ、返せよ!!!
心の中で絶叫する、だが変わらず声は出ない。
しかし、元自称神はそこで俺の声が聞こえたかのように立ち止まり、肩越しに振り返りこちらを見やる。
「そうだ悠馬。最後に一つ願いを聞いてやるよ。言ってみな」
返せ、返せ、俺の体を、魂を!
ダメだ、行かせない、絶対に行かせない!!
俺は元の世界に戻るんだ!!!
柚希に、クレアにもう一度会うんだ、そして、そして・・・・・・
「柚希・・・・・・、クレア・・・・・・」
口なき口で、存在すべてで、俺は何とかその音を響かせる。
俺の願いが籠った言葉、俺の全て。それは、白い世界を伝わり、元自称神の耳にも届いたようだった。
「くくく、そうか、悠馬は柚希にご執心か。
昔からそうだったもんな。分かったよ。お前の最期の頼みだからな、可能な限り叶えてやる。約束だ。」
そうして元自称神は満足したような顔をすると、今度こそ振り返らずに歩き出す。
俺はその遠ざかる背中に必死に手を伸ばそうとする。
しかし、譲渡された神の力が体内でもう一度爆ぜ、意識を保てないほどの激痛が全身を支配する。
のたうち回り、声なき声で絶叫する俺は、奴をただ睨みつけるだけしか出来ない。
「あばよ、悠馬。いや神様。また会えるのを願ってるぜ。
その時はお前も別の誰かになっているだろうけどな。あは、あははは、あははははははは。」
元自称神はひらひらを手を振りながら去っていく。
そうして俺は、その姿を最後まで見続けることさえも出来ず、真っ白い世界に意識を沈めていくのであった。




