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約束と旅立ち

 吹き飛んだ天井の向こうからは月明かりが差し込み、魔王の間を優しく照らす。

その空からは未だ聖剣から放たれた光の残滓がキラキラと舞い落ちてくる。


それはまるで故郷の粉雪の様で。


全ての力を使い果たした俺は、両腕をだらりと下げ、その幻想的な風景に見入る。


しばし茫然としていた俺だったが、そんな俺の肩がポンと叩かれる。反射的に振り向くと、そこには満身創痍の、けれどとても優しい笑顔を浮かべたクレアが居た。


「やったね、悠馬。」


その言葉に、表情に、徐々に現実味が湧いてきて思わず目頭が熱くなる。


「ああ、やった。ついにやったよ。俺、頑張った、すげー頑張った。ほんとに、ほんとにさ・・・」


魔王を倒し、元の世界に戻る。

その一念で走り抜けてきた。その願いがようやく叶う。

クレアはそんな俺をそっと抱き寄せる。


「そうだね。悠馬は頑張った、本当に頑張ったよ。」


そう言って、優しく頭を撫でてくれた。

その手はとても暖かくて、とても優しかった。


俺の頬を涙が幾筋も、幾筋も流れ落ちる。

それを自覚した途端、胸中に溢れでた感情が爆発した。


俺はクレアのことを強く抱きしめ返す。


クレアの細い首筋にギュッと顔を埋め、子供のように嗚咽を上げる。今までの思いを吐き出すように、つかみ取った未来を胸にかき抱くように。


必死にクレアにしがみ付き、大声で泣いた。


そして、クレアはそんな俺の頭を何度も何度もそっと撫でてくれた。

俺を抱きしめるクレアのぬくもりはどこまでも温かかった。




◇◇



どれほどの時間そうしていただろうか、その間ずっとクレアは俺の頭を撫で続けてくれた。その滑らかな指が俺の髪をすく度に、俺の心は徐々に静まっていく。


そして、ある程度落ち着いた頃、改めて自分がクレアに抱きついていることを自覚した。


思わず顔が熱くなる。気恥ずかしくなり、すぐに体を離そうとするが、クレアの腕は俺をしっかりと抱きしめて離さない。


「あ、あの、クレアさん。そろそろ」

「ん?」

「あの、だから、もう大丈夫だからそろそろ離していただけると」


俺が体を離そうとしていることをクレアも分かっているだろう。

だが、クレアはもう一度、ん? と言うとそのまま俺の頭を撫で続ける。

いよいよ羞恥心が頂点に達した俺が我慢できずに叫ぶ。


「あの、だから、恥ずかしいから、そろそろ離してください」


顔から火が出そうだ。

クレアはクスクス笑いながらそっと腕を緩める。

そして、その隙にクレアの首筋から顔を上げそのまま離れようとしたが、クレアは俺の顔を両手で掴み至近距離から見上げて来る。そして、


「悠馬、よく頑張りました。」


そう屈託なく笑うクレアの笑顔は、今まで見たどんなものよりも美しかった。



そのまま、俺達が数秒間見つめ合っていると、その空気を壊すように、ごほん、と後方から咳払いの音がした。


ビクンと肩を震わせつつ、俺とクレアが身を離しそちらに視線をやると、そこには言わずもがな、ここまで共に戦ってきた大事な仲間である、重騎士のガエリア、大魔法使いのリーゼロッテ、シーフのクロウがこちらを生暖かい視線で見つめている。


その視線には、自分達を無視して何二人だけの空間作ってんじゃオラ、という副音声が付随しているようにも感じたが、それはほら、魔王を倒したことによる興奮というかテンションというか、そういった勢い的なものなので許してほしい。


3人も、そのことは察しているのか、やれやれとため息をつくと、そのまま俺達の方に歩み寄って来る。そして、


「やったな」「やったな」「やったわね」


ニヤリと唇の端を上げて俺の胸に拳をぶつけてくる。

その顔には確かな歓喜と、達成感。

それをみて、俺の中に改めてこれまでの道中の思い出、そして魔王を倒したんだという実感が湧いてくる。


俺がその実感を仲間と噛みしめていると、突然ブワッと魔王の間に一陣の風が吹いた。


その風に、背筋がぞわりとし、神経が再度張り詰める。


その風は魔力を帯びた風。舞い散る聖剣の光の残滓をも巻き上げながら、魔王の玉座があった場所、その少し上空で一つに集まっていく。


これは、知っている。


強大な魔物、それこそドラゴンや伝説の魔獣を倒した時に起きる現象。


倒した魔物の魔力が集まって、魔晶石を形作る時の現象だ。


魔晶石はそれ自体が魔力の塊で、巨大な魔晶石は大魔術行使の触媒や都市のエネルギー源として使われる。通常はどんなに大きくても握りこぶし大程度の大きさだ。


だが、これは・・・・・・


「でっか・・・・・・」


思わず声が漏れる。

今まで見てきた魔晶石が全て小石に思えるかのようなサイズと圧力。

その大きさは俺の身長を超え、2mにも届こうかというほどだ。


さらにそこから放たれる魔力は凄まじく、それこそ魔王のそれだ。

思わず冷や汗を流しながら聖剣を構えなおす。

しかし、数秒しても収束した魔晶石はそのまま地面から1m程度の位置を浮遊するのみである。


誰もが唖然とする中、唐突に俺の脳裏に、自称神の言葉がフラッシュバックする。


『君が無事、魔王を倒すことが出来たその時は、魔王の魔力が全て結晶に変わる。

その結晶は膨大な力の塊でね、その力を使えばほとんどすべての願いが叶えられる。

魂の位階を上げることも、チート能力を持ってここに戻ってくることも、もちろん君の世界に戻ることなんてわけないよ。

だから君はそれに触れ強く願えばいい。そうすれば晴れて君の望みは全て叶う。』


心臓がドクンと跳ねる。そうだ、あの時、あの自称神は言った。


『その結晶に手を触れて願えば、帰れる』


確かにそう言ったのだ。

心臓の鼓動が早鐘の様に響き、俺の脳裏に元居た世界、両親、学校での日々、幼馴染達と過ごした日々、そして、柚希との約束が怒涛の勢いで再生される。


そうだ、俺は元の世界に帰るために戦ってきたんだ。

ごくりと喉が鳴り、知らず手には力が入る。歓喜、不安、焦燥、望郷、様々な感情の波が俺の中で渦を巻く。


この魔結晶に触れれば帰れる。懐かしい、ずっと帰りたかったあの世界に。


知らず指先がのびる。

2m、1m、50㎝。その距離が徐々に縮まり、俺の指先と魔結晶の距離がわずか10㎝まで縮まったその時、俺は服の裾を弱々しく引っ張る感触に気付いた。


反射的にそちらを見ると、そこには美しいエメラルドの瞳を不安げに揺らすクレアが、震える指で俺の服の裾を掴んでいた。


クレアは俺と目が合うと、その相貌をさらに不安げに歪める。


両の眼は悲し気に俺をにじっと見つめ、唇は何か言葉を紡ごうとするも言葉に出来ない、そんな葛藤を示すように小刻みに震えている。


そうかクレアには以前に話したもんな。俺がこの世界に来た経緯も、俺が元の世界に戻るための方法も。


俺は、魔晶石からクレアに向き直る。

そして数秒間クレアを見つめていると、徐々にクレアのエメラルドの両目に光るものが浮かび、それを隠すようにクレアは下を向いてしまう。


俺は困ったような苦笑いを浮かべると、一度深呼吸をし、クレアから視線を外す。


そして、横に控える仲間達に順に視線を巡らせる。寂しさをかみ殺した顔、無理やり笑っている顔、泣かないようにと眉間に皴を寄せている顔。


皆も俺が魔晶石に触れることで元の世界に帰ってしまうことが分かっているようだ。


本当にいい仲間に巡り合えた。


そんな、哀愁と多幸感と寂寥と、様々な思いがこの世界で過ごした思い出と共に沸き上がる。だから俺は、拳を前に突き出し、その感謝の気持ちと共に叫ぶ。


「俺、皆とこの世界で出会えて、冒険出来て本当に良かった。」


皆の顔が一瞬悲し気にゆがむが、すぐに笑顔になる。

そして、俺の声にこたえる様に、それぞれが俺の拳に拳をぶつける。


「俺も悠馬と出会えてよかった」

「向こうに戻っても私達の事覚えてなさいよ。忘れたら絶対許さないんだから」

「元の世界でも達者でな」


拳から伝わる振動に、心の中も震える。

仲間達との様々な思い出が脳裏に浮かんでは消えていく。皆のこの笑顔を覚えておこう、そう心に強く刻み付ける。


そして最後に、俺は目の前の少女に視線を戻す。

その顔は美しい銀髪に覆い隠され、俺の位置からはどんな表情をしているのか伺い知ることが出来ない。

俺に分かるのは、その肩が何を堪えるかのように震えていることのみである。


1秒、2秒、3秒。そのまま10程数えたところで、か細い声が響く。


「いやよ、行かないで・・・・・・」


その声はそよ風にさえ打ち消されてしまいそうなほどに儚げで、それでいて切実なる願いが籠った、そんな声音だった。


ともすれば壊れてしまいそうな、幼子が縋るような。


その声に、言葉に、仕草に、クレアの全てに心が縫い留められる。


「やだ、私、悠馬とずっと一緒に居たい。帰ってほしくない。」


クレアは俯いたまま俺の胸元にドンとぶつかってくると、そのまま力ない拳で俺の胸を叩く、何度も何度も何度も。

言葉に出来ない想いをその手に込めるかの様に、行き場のない感情をぶつけるかの様に、ポスポス、ポスポスと。


「やだ、やだ、やだ、行っちゃやだ」

「っつ」

「もっと一緒に居たい。ずっと一緒に居たい。せっかく魔王を倒したのに、せっかく平和な日々が待っているのに、そこに悠馬が居ないなんてやだよぉ」


その声にはだんだんと嗚咽が混じり、震えていく。クレアはポスポスと俺の胸を叩き続ける。


「私、悠馬と一緒に冒険出来て楽しかった、幸せだった。大変だったこともたくさんあったけど、それでもこんな時間が永遠に続けばいいと思ってた」


俯いたクレアから落ちたであろう涙が、ぽたぽたと地面に零れ痕を残す。


「私、聖女なのに、世界を救わなきゃいけないのに。

魔王を倒したら悠馬が元の世界に戻るって言った時、魔王なんて倒さなくていいって思っちゃった。

だって、魔王を倒したら悠馬が帰っちゃうから。一緒に居られなくなっちゃうから。

ダメだよね、魔王のせいで苦しんでいる人をたくさん見てきたのに、でも、それでも私は」


そして、クレアは顔を上げ、その美しい涙で一杯に濡れたエメラルドの瞳を俺に向ける。


「それでも私は悠馬と一緒に居たかった。

私は悠馬が好き。大好き。だから、だから・・・」


クレアは必死に言葉を口にしようとする。

その様はとても美しく、とても愛おしい。俺の心が、信念が、目標が思わず揺らぎそうになる。

このまま、クレアの傍でずっと過ごしていたい、心の底からそう思ってしまう。

そしてそれはきっとこの上ない幸せだろう。

その銀糸のような髪を撫で、その柔らかな唇にキスをして、ずっとそばで歩いていく。

きっとそんな未来もあるのだろう。


だけど、だけど俺は、


「クレア」


俺はそっとクレアの両肩を抱き、視線と視線を絡ませる。

クレアは一瞬ビクッとするが、それでも俺から視線を外すことはしない。

だから俺も、俺の精一杯の思いと、今までの旅の全てを込めてクレアに告げる。


「クレア、ありがとう。俺、この世界に来た時は本当に不安でたまらなかった。

突然森の中に飛ばされるわ、いきなり魔物に襲われるわ、本当に死ぬかと思ったよ。

それでも何とか頑張って、生き延びて森の中をさ迷って。何度も何度ももうダメだと思った。

こんなので元の世界に戻れるのか、そもそもこの世界で生きて行けるのか。

右も左も分からない、今いる場所も分からない、知り合いだっていない。

そんな中で、全てを諦めかけていた時に、君に出会った。


最初に見た時は妖精か何かだと思ったよ、月の光に照らされた君があんまりにも綺麗だったからさ。今思うと、よく話しかけられたなって思う。」


俺は頬をかきながら思い出す。

照れくささと、嬉しさと、懐かしさと。様々な感情が沸き上がって来る。


「そんでさ、それから成り行きで一緒にクエストをこなして、あの時の俺全然戦えなくてカッコ悪かったよな。

それでも、クレアは俺と仲良くしてくれて、何度も一緒に冒険をして、魔王を倒すメンバーに選ばれた時も、本当は怖かったけどクレアが居たから頑張ろうって思えたんだ、この世界を救おうって」


「私も、私だって、悠馬が居たから、悠馬が一緒だったから頑張れた」


クレアはしゃくりあげながらも精一杯言葉を紡いでいる。

その瞳から、幾筋も、幾筋も涙が零れ落ちる。


「それからも大変だったよな。魔族に襲われている街を助けたり、変態貴族にクレアが誘拐されたり」


「あ、あれは油断しただけだもん。それにあれは、悠馬が変態貴族が仕掛けた女の人に引っかかってたからイライラして注意力散漫になってただけだもん」


「あはは、そうだった、そんなこともあったな」


「でも、助けに来てくれた時の悠馬はとってもカッコ良かった。

あの時、すごく安心したの。悠馬ならきっと来てくれるって信じてた」


クレアは溢れる涙はそのままに、そっとはにかんでくれる。


「それからも色々あったよな。

魔王領に侵入して、魔族とも心を交わして、迷って、本当に迷って。

でも、それでもクレアが居てくれたから進んでこられた。

クレアが俺の心を支えてくれたから俺は前に進めたんだ。


本当に、本当にありがとう」


クレアの表情が再び悲し気にゆがみ、唇が震える。

きっと分かってしまったのだろう。俺がありがとうの中に込めた思いを、今から俺が続けようとしている言葉の続きを。


俺はクレアが好きだ。


この世界に来てからずっと支えてくれた大事な女性だ。

でも、だからこそ、俺はもう一度あの世界に戻らなきゃいけない。

そして、どんな形にせよ決着をつけなければいけない。


確かに決着をつけないでクレアを選ぶことも出来るだろう。

けれどきっとそれはしこりになる。

俺のことを心配しているだろう両親、小さい頃から共に過ごした尊や友達、そして、きっと俺が事故に会ったことで深く傷ついているだろう柚希。


言葉にせずとも、きっとクレアはそのことに罪悪感を抱く。

クレアはそんな優しい奴だから。だから俺は言葉の続きを紡ぐ。


「俺は行くよ。しっかり決着をつけて来る。

そんで、俺は異世界で最高の仲間に出会えて、最高の冒険をして来たんだって皆に伝えて来る。」


クレアが俺の胸元をギュッと掴む。

陶器のように白い指は小刻みに震え、俺にクレアの悲しみの深さを伝えて来る。

俺は、その手を上からそっと包み込む。クレアの不安を包み込み、その悲しみを溶かせるようにと願いながら。


「だから、だからさ、待っていて欲しい。

俺、全部の決着をつけたらきっと帰って来る。クレアのところにきっと帰って来るから。

そしたらさ、俺の気持ちを聞いて欲しい」


瞬間、クレアはそのエメラルドの瞳を大きく見開き、その瞳から一筋の涙を落とす。それは地面に落ちると、澄んだ音を響かせる。


そして、クレアは一度ギュッと眼を閉じ、再び開き、その美しい瞳で俺のことを見返す。

その瞳の端にはまだ涙が溜まっていたけれど、その顔は俺の大好きな笑顔のクレアだった。


そのまま、ふーと息を深くつくと俺に告げる。


「本当に、悠馬は悠馬なんだから。

分かった、私待ってる。ずっと待ってるから、だからきっと戻って来て。

絶対、絶対戻って来てね」


「ああ、分かった。約束する」


「絶対、絶対だからね」


「ああ、絶対だ」


そうして、俺はクレアの手をそっと放す。

その時には、クレアの手の震えは治まっていた。

俺は体を反転させて巨大な魔晶石に向き直る。


改めて魔晶石を見て思う。


ここが俺の旅の終着点にして、再スタート地点。知らずゴクリと唾を飲み込む。

これまでの旅、これからの未来、クレアとの約束、その全てを胸に刻む。


そして、万感の想いをもって伸ばした俺の手が魔晶石に触れた。瞬間、


ドウッ


とあり得ないぐらいの魔力が手のひらから俺に流れ込んでくる。

荒れ狂った洪水のような、猛り狂う暴風のような、そんな魔力が俺の中に流れ込んでは渦を巻く。

一瞬、そのあまりの激しさに身を引きそうになるが、奥歯をギシリと噛みしめて踏みとどまる。

ここでひいてはたまるものか。


元の世界に戻る、柚希に会う、そしてすべてに決着をつけたらもう一度クレアに。


その思いだけで、俺は身を裂く嵐にひたすら耐える、そして願う。


元の世界に戻りたいと。


途端、体内を駆け巡っていた魔力が指向性を持ち、体外に放出され術式を構築していく。

一重、二重、三重。幾重もの魔方陣が立体的に組み合わさり、さらにそれが眩い輝きを放つ。

赤、青、緑、黄色、白、黒。全ての色が輝き、調和し、混ざり、また新たな色に変わっていく。

それは極彩色の輝き。

そして、その輝きに呼応するように空間が歪み、渦を巻き、人が一人通れるぐらいの円を描く。

その円の先は真っ白い世界。あれは俺がこの世界に来た時に通った世界だ。


帰れる。俺は帰れるんだ。


その気持ちが体中を満たす。全身にみなぎる魔力もそれに呼応するように沸き上がる。

興奮、歓喜、望郷。それらの思いに体を満たし、俺は最後にクレアを振り返る。

そこにはもう、泣いているクレアはいなかった。


そこには、わずかに瞳を潤ませた、けれども輝くぐらい眩しい笑顔を浮かべるクレアが居た。


「行ってくる、クレア」

「行ってらっしゃい、悠馬」


そして、俺は、この世界に別れを告げ、白の世界に足を踏み出すのだった。


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