夢の続き
病気の表現を含みます。微かにif設定です。
「ね、子どもの頃、どんなだった?」
ベッドに横たわる琥珀は、顔だけを俺に向けてそう言った。
眠たそうな瞼は閉じかけている。もしかすると、目を開けていることすら辛いのかもしれない。
「疲れてるだろ。灯り消すぞ」
「ボクは、よく覚えていないんだ。勝手に全部、消えちゃったんだと思う」
俺の言うことは無視をして、琥珀はゆったりと話し続けた。
照明のスイッチに伸ばした手を止めて、消え入るような声に耳を傾ける。
「楽しかったこと、思い出すと辛くなるから。でも、悲しかったこと、忘れられないんだ。不思議だね」
辿々しい話し方は、夢路が近い合図だ。俺はそっと灯りを落とした。
辺りが暗くなったことに、琥珀は気が付かない。弱い息遣いだけがしばらく響く。闇に目が慣れてから、俺はベッドに近付いた。
「それで、どんなだったの。子どもの頃」
「まだ起きてたのか」
「待ってた。話して」
眠りについたと思っていた琥珀は、薄闇の中でぼんやりこちらを見つめている。
俺は観念をして、ベッドサイドに据えられた椅子に腰かけた。
「俺だって、楽しい話はあまりない」
「そっか。同じだ」
「何の話が聞きたいんだ」
「うん」
今日は穏やかな夜だ。時間はゆっくり流れる。
このまま夢を見られるなら、そうして欲しい。返事を急かす訳でもなく、俺もこの場で目を閉じた。
「蒼葉と弟さんの話、とか」
布団の擦れる音がして、琥珀が呟く。
「気にしなくて、いい。ボクのこと」
肉親を失っている琥珀に、家族の話を聞かせることは何となく憚られる。俺の迷いを先回りするように、琥珀はそう言った。規則的な呼吸の音が尾を引く。
俺は過去の記憶に想いを巡らせた。断片的に思い浮かぶ双葉の顔は、どれも不安げな表情をしている。
「俺があいつの兄貴じゃなかったらって、今でも思うんだよな」
琥珀は寝返りを打とうとしてやめた。枕に僅かな皺が出来る。
「昔からあいつは……そうだな。じゃあ、あのときのこと、話してやるよ」
懐かしい笑い声が、微かに耳奥で木霊する。俺はまた、返事を待たずに語りかけた。
***
双葉が小学校を卒業した日、俺は中学校の卒業式に出られず寝込んでいた。胸の痛みがいつまでも消えない。
そうは言っても、体調は峠を越して緩やかに快方へと向かっているところだった。着飾った双葉が遠慮がちに部屋を覗いて、俺はベッドから起き上がった。
「お兄ちゃん。辛い?」
「もう辛くないよ。おいで」
俺が手招きをすると、双葉は嬉しそうに近寄ってきた。胸元には花が付けられていて、小さな身体は普段の何倍も眩しく見える。
この頃はまだ、かろうじて細やかに兄の顔が出来ていた。
寝衣のまま床に腰を下ろした俺の前に、双葉も習って座り込む。
「卒業おめでとう。かっこいいな」
俺が祝うと、双葉は誇らしげに胸を張って見せた。けれどそれは一瞬で、すぐに肩を落とす。
悲しげに目を伏せたかと思えば、双葉は徐ろに胸元の花を手にした。卒業おめでとう、と書かれたリボンが揺れる。
「お兄ちゃんも、おめでとう。これ、あげる」
そうして双葉は、俺の胸元に花を飾り付けた。くすんだ寝衣が華やかに色付く。
ずっと居座っていた胸の重たさが、すっと溶けていく気がした。
「あと、これ」
「文集?双葉の?」
「うん。恥ずかしいけど、読んで。ここ」
開かれたページには、たくさんの花が咲いていた。一つ一つの花びらに、それぞれの夢が書いてある。
双葉が指差す花びらには、よく見慣れた文字が並んでいた。丸くて小さい、双葉の文字だ。
「それ、僕の夢。嫌だった?」
首を傾げる双葉は、真っ直ぐに俺を見つめた。
『お兄ちゃんといっぱい遊ぶ。病気が治って一緒に大人になる』
紙の上に並ぶ双葉の文字をなぞる。いくつもの感情が胸の内で震えた。それでも、素直に表情は綻ぶ。
「嫌な訳ないだろう」
「良かった」
俺が笑えば、双葉も笑った。
何も可笑しくないのに、俺たちはしばらく笑い合った。
***
いつの間にか、琥珀は静かな寝息を立てているようだ。
俺の話す声が、いつから独り言になっていたのかは分からない。
「夢、叶えてやれなかったな」
座り込んだ椅子に沈み込んで、無意識のうちに深い息をつく。
双葉と遊ぶことはあまり出来なかったし、病気は治ることがない。俺を兄に持ったばかりに、双葉の人生にはずっと俺の影が色濃く付き纏う。
普通の兄弟なら当たり前にあり得たことが、双葉にとっては大きな夢だったのだ。
「兄弟って、そういうものでしょう。ボクには、分からないけれど」
「お前、起きてたのか」
「聞いてた」
重たい瞬きを繰り返した琥珀は、緩やかに寝返りを打つ。部屋の中は、月明かりで照らされていた。
「それに、夢、叶ってる」
毛布の下から伸びた手が、俺の胸を掴むように震えた。
「ちゃんと、生きてる。蒼葉も、双葉くんも、大人になった。良かったね」
力尽きたように琥珀の手が脱力する。咄嗟に掴んだその手は、柔らかくて温かかった。
「寒くないか」
「うん」
顔色を伺いながら、毛布を整える。兄のような弟がそうしてくれたように。
琥珀は今度こそ眠たそうに瞼を閉じた。
穏やかな寝顔に安心して、思わず欠伸が漏れる。
明日になったらまた、兄らしく連絡をしてみようと俺は思った。いっぱい遊ぶ夢は、これから叶えられるかもしれない。
読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。嬉しいです。
似たような雰囲気の文章ばかりですが、今は彼らを書くことが楽しくてしょうがないです。




