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春色

病気の表現を含みます。if設定です。

 

 今年は春の訪れが早い。つい昨日まで、寒さに身体が反応していたことも幻のようだ。

 夢から醒めるより先に、胸の痛みを感じて意識が覚醒する。思考が鮮明になるより先に、階下から苦しげな呼吸の音が聞こえてくる。

 だから俺は、冬が苦手だ。待ち望んでいた暖かな陽気が、肌を掠めて頬が緩んだ。


***


「夕方には帰る予定だけど、悪いな」

「全然平気。今日は身体もよく動いてくれるんだ」

 身支度を整えて部屋を覗くと、琥珀は一人でベッドから起き出していた。


「ボクのことは、気にしないで……」

 立ち上がろうとした琥珀の足がふらつく。頽れそうになる身体に、俺は反射的に駆け寄った。

「おい、大丈夫か」

「ごめん」

「もう少し横になっておけ。今日はやっぱり、」

「駄目だよ」

 俺の声を遮ってから、座り込んだ肩に添えた手を払われる。ベッドを支えにして、琥珀はゆっくり立ち上がった。


「前から楽しみにしていたでしょう」

 背筋を伸ばして、琥珀は笑った。

「朝はどうしても身体が強張るんだ。少し経てば、平気だよ」

 琥珀はそう言って、ベッドサイドの大きな窓を開けた。柔らかな風が流れ込む。空色の壁に囲まれた部屋の中が、春に染まる。

「暖かくなって良かった。蒼葉も、いつもより顔色がいい」

 自分の身体を解すように腕を回しながら、琥珀は静かに微笑んだ。


 身体が不自由になっていく琥珀の傍にいることを選んだのは、俺だ。こいつが背負うものを思えば、俺が抱えるものなど大したことがないように思えた。

 平気な顔の裏には、悲しさも不安もしっかり存在している。出逢った頃に比べれば分かりやすくなった気もする。けれどそれは、ほんの少しのことだ。琥珀の脆さには、琥珀自身が一番に蓋をしている。


「一人に出来ないよ、お前のこと。心配だ」

 素直に想いを伝えることに恥じらいを覚えなくなったのは、きっと眞白の影響だ。

 いつ何があるか分からない。今は元気に思えても、数秒後には倒れてしまうかもしれない。俺たちはいつだって、そんな危うさの中に生きている。


「キミは結局、そうやって行かないと言い出す気がしたんだ」

 琥珀の表情には、どこか余裕が含まれていた。入り込む追い風に吹かれて、お互いの髪が揺れる。

「双葉ならいつだって会えるし、ここに呼んだっていい。お前が良ければだけど」

 無意識の気遣いでも、拒まれれば何となく意地が出る。実際のところ、弟との予定はいくらでも替えがきく。


「たまにはここを離れてゆっくりして欲しいんだ。でも、ボクを置いて出かけることにキミは抵抗がある。そうでしょう」

 緩やかに自分のベッドまで歩んで、琥珀はそこに腰をかけた。口振りは穏やかだ。ベッドの淵を掴む腕は、薄い身体を精一杯に支えているように見えた。


「その通りだよ。当たり前だろう」

 琥珀の言うことはその通りで、俺は素直に認める。ふっと笑った琥珀は、満足げに頷いた。


「何が面白いんだよ」

「蒼葉の考えることは大体分かるんだ。だから、」

 琥珀がそう言うと同時に、玄関のインターホンが鳴り響いた。


***


「元気そうだね」

「あぁ。特に変わらないよ」

 いつものことだけれど、これではどちらが年上なのか分からない。

 双葉と落ち合った近所の広場は、唐突な春の訪れに誘われて、子どもたちの楽しげな声で賑わっていた。


「中々会えなかったから、少し心配してたよ。父さんも母さんも」

「寒い時期はどうしても。昔からそうだろう」

「手術しても、やっぱりしんどいんだ」

「まぁ、完全に治った訳ではないからな」


 忘れかけた頃、病のことに触れられるたび胸の傷痕は疼く。

 周りの環境にも自分の感情にも、些細な変化に反応していた身体はだいぶ強くなった。その証拠に、今は守りたいものがある。


「俺より、あいつの方が辛そうだったからさ」

「琥珀さん?具合良くないの」

「状態は横ばいってところだけど。なるべく目は離したくないかな」

 冷たい空気に身体は凍ったように硬くなる。呼吸が苦しいと声を震わせる夜は数え切れなかった。自分の胸の痛みなど気にならないほどに、琥珀の様子は痛々しかった。


「そっか。兄さん、出てきちゃって平気なの」

「眞白が来てくれてる。琥珀が呼びつけたらしい」

「それじゃあ安心だね。琥珀さん、兄さんのことよく分かってる」

 旧友を思い出して、双葉は感心したように眉を下げた。



『僕が琥珀さんと一緒にいれば、蒼葉さんも安心ですよね。心配いりません。そう伝えておいてください、双葉にも』



 玄関の向こうに立っていた眞白が、満面の笑みでそう言ったことを思い出す。

 双葉と眞白は、かつて同じ大学に通っていた友人だ。眞白の伝言は、明かさなくても双葉に伝わっているようだった。


「行こうか。父さんたち、待ってるよ」

「そうだな」


 双葉に呼ばれて、並んだ俺たちは久々の家路に着いた。

 寒かった季節に比べて、春空は心なしか広く感じる。小さな空色の空間で静かに息をする琥珀を、きっとここに連れ出してやろうと決めた。



読んでくださった方がもしいたら、嬉しいです。

活動報告を更新しました。

設定について少しだけ補足しています。

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