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雨音の誘い

病気の表現を含みます。

 

 雨音が嫌に耳に付く。しんとした空間で、それは僕の神経を逆撫でた。

 夜はもう更ける。父さんは眠りについている。いつまでも寝付けずに起き出した僕は、リビングの大きな窓の傍に置かれた一人用のソファに沈み込んでいた。


 ここは、僕のお気に入りの場所だ。もうずっと前に旅立ってしまった母さんと、よくここで星空を眺めた。

 カーテンが引かれていない窓の外を眺めても、今夜は深い濃紺が広がっているだけだ。大人しい風は、強い雨に負けている。

 耳を塞いでも、雨音は指の間をすり抜ける。心まで濡れて、そこには水溜まりが広がっていく。


 音に敏感になったのは、この身体になってからだ。

 自分の呼吸の音。胸につけられた心電図の音。耳に届くはずのない、点滴が落ちる音。

 静まり返った病室で、眠れない夜は全ての音が僕に刺さるようだったことを思い出す。



 灯りを落としたままの暗い場所でスマホを開く。画面の明るさに目が眩んだ。


“今、何していますか”


 流れるようにそう打って、手が止まる。

 きっと皆、雨には弱い。反応はすぐに返ってくるだろう。宛先が空欄のままの画面を、しばらく眺めて消した。


 記憶に浅い病床は、重くて、温かい。

 約束されない夢を語り合った仲間たちも、同じ音を聞いているのだろう。そう思うと、自然と気持ちは落ち着いた。



 手の中でスマホが震えて、揺らぎ始めていた意識が引き戻される。画面に表示されているのは、今しがた思い浮かべていた病友の名前だ。

 自然と僕の頬が、ふっと緩んだ。


「こんばんは、蒼葉さん」

『悪い。こんな時間に。起こしたか』

「そう思いますか」

『いや。お前も俺らと一緒だよな』


 蒼葉さんの低くて穏やかな声は、静かな夜によく合う。気の抜けたような苦笑の奥に、今夜は少しの切なさを感じた。


「お二人とも、何しているんですか」


 少し前に指先で打った言葉を、声で伝える。蒼葉さんは小さく息を吐いた。


『いまいち落ち着かなくて。琥珀が。身体起こしておきたいって言うから、付き合ってやってるんだよ』


 しょうがなくそうしている、とでも言いたいような口振りだった。最後の方は冗談を含んだ声色だ。

 素直な優しさは、琥珀さんが遠慮をする。目に見えない蒼葉さんの思いやりは、いつも分かりやすい。

 不安定な空模様は、呼吸器を使う琥珀さんの安息を邪魔することが多い。それは、心臓を患う蒼葉さんにとっても同じで、免疫力が落ちた僕にとってもそうだ。


「蒼葉さんは?」

『俺が、なんだ』

「体調のことですよ。良くないんじゃないかなって」

『まあまあだよ。琥珀に比べたら、全然楽な方だ。お前は?』

「僕も今夜はそこまで」

『でも、眠れなかったんだな』

「なんとなく、そんな気分だったんです」


 雨夜の会話は、静かに続く。全てを話さなくても、蒼葉さんは僕の様子を察してくれたようだ。

 電話の向こうに雑音が混じる。掠れ声が漏れるような、尊い音が聞こえた。琥珀さんが精一杯に話す声だ。


「琥珀さん、なんて?」

『誰かが眠たくなるまで、一緒にいよう、ってさ。笑ってるよ』


 思うように動かせなくなった身体で、琥珀さんはよく微笑んでくれる。僕はそれが、大好きだ。

 傍に寄り添う蒼葉さんも、病院を出てからは笑うことが多くなった気がする。僕は二人のことが、大好きだ。


『眞白も起きてると思うって、言い出したのはこいつなんだよ。きっと一人で寂しがってるって』


 蒼葉さんの声を追いかけるように、また琥珀さんの声が聞こえる。


「琥珀さん、怒っていませんか」

『恥ずかしいから言うなって。別にいいだろ、本当のことなんだから。俺もお前の声、聞きたかったし』


 僕も大概な自覚はあるけれど、蒼葉さんはそれの上をいくと思う。僕は一人、こっそり照れた。


「それじゃあ、もう少しお話したいです。三人で」

『ああ。眠たくなるまで。琥珀は?そろそろ身体倒すか』


 電話の向こうで、蒼葉さんの気遣いを遠慮する声が聞こえた。

 起こしたベッドに身を預ける琥珀さんと、ベッドサイドでスマホを手に会話する蒼葉さん。通話の画面は、きっとスピーカーにされている。

 二人の姿を想像しながら、僕は目を閉じた。


『雨、止まないな』

「そうですね。明日は晴れるといいですね」


 皆で聞く同じ雨音は、僕の心を落ち着かせた。僕たちの夜は、まだ長い。



今回は本編と地続きで同じ世界線のお話です。各話の繋がりはありません。

木漏れ日が差すようなお話と素敵なお言葉をいただいて、本当に嬉しかったです。

これからも、そんな温かい文章を書きたいなぁと思います。

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