3-5
「昴……」
呆気に取られたまま昴を見つめる。迷子の大人を探し当ててくれた昴は「まったく」と呆れつつも、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「走って探したけどどこにもいないからこいつに乗ってきたんだけど、波奈、どんだけ足速いんだよ」
「ごめん」
怒る気力なんて全然なくて、私を探しに来てくれたことに心底安堵して、もう謝ることしかできなかった。
昴はかたわらに軽トラを停めると、運転席から降りて私の前にしゃがんだ。小さい子どもに話しかけるような仕草だ。実際、ふてくされて迷子になった私は子どもと一緒だろう。
「いや、俺のほうこそごめん。さっきはその……言い過ぎた。SNSで楽に稼げていいよな、なんて知ったような口利いて。波奈には波奈の苦労があるって分かってるはずなのにな」
心底申し訳なさそうに眉を下げて、私の隣にちょこんと腰掛ける。しかも、なぜか体育座りで。学校で体育の授業を見学するときみたいだ。田舎道に、大人が二人並んで地べたに座り込んでいる。側から見れば奇妙な光景だろう。でも今この場には、見渡す限り自然しかなくて、誰も私たちのことなんて見ていない。
だからこそ私は、外でみっともない姿を晒すことができているのだ。
「いや、私も……。農作業が思ったよりきつくてしんどくてうまくいかないから、効率が悪いとか、収入のこととか馬鹿にしてごめんなさい。昴の言うとおり、都会での生活に正直疲れてた……」
今こうして冷静に考えれば、自分がどれだけ浅はかな発言をしたのか理解できる。
都会と田舎の生活は全然違う。どちらが優れているなんて測れないはずだし、収入の大きさを比べるなんてナンセンスだ。
……と、今なら分かるのだけれど、さっきは疲労のせいでイライラも溜まっていて、心無い言葉を浴びせてしまった。本当に自分が情けなくて消えたくなる。
「たぶんさ……私、高校時代、同じ時間を過ごしたはずの昴が自分と正反対の生活をして、違う価値観を持って生きていることが、受け入れられなかったんだと思う」
昴が隣ではっと息をのむのが分かる。言葉にすればきっとそういうことだろう。
いちばん近くで青春時代を送って、恋をしていた相手である昴が、自分と全然違う環境のなかで活き活きと輝いている姿を見て、昔と今のギャップに頭が混乱していたのだ。一言では言い表せないもやもやとしたもどかしい気持ちが胸の中に広がって、もう昔みたいに同じ景色を見ることができないのだと痛感してしまったから。
だからこそ、やるせない気分で昴のそばから離れてしまったのだ。
本当はできるだけ長く、隣にいたいはずなのに。
昴は私の心中を察してくれたのか、しばらくの間押し黙ってじっと静かに息をしていた。彼と私の間にはわずかに二十センチほどしか隙間が空いていない。だけどその二十センチ先が、昔も今も遠い宇宙の果てのように遠く感じられる。
稲穂が風に揺れる音や、鳥たちがはばたく音、秋の虫のリンリンという声が自然の中で合奏している。何重にも重なったメロディーは、耳に心地よくてすっと目を閉じた。
「俺さ」
ふと昴がつぶやく。まだ目は開けられない。彼の言葉を、静かな気持ちで聞いていたかった。
「ここでの生活が、すごく好きなんだ。確かに不便なことは多い。スマホは繋がらないことがほとんどだし、人付き合いもしないといけないから大変でさ。だけど……自然の中で暮らしてると、生きてるんだって実感が湧く」
彼が、どれだけ今の私と違う価値観の中で息をしているのか、この胸で真正面から受け止める。
「でも同時に、東京で生きてきた人生だって、否定したくはないんだ。特に高校時代……俺、後悔してることがあってさ。その時の気持ちを忘れないように、色褪せちまわないように、本当はこの場所からずっと、波奈のこと考えてた」
とくり、とくり、と心臓の音が大きく速くなっていく。
昴の口から漏れ出た本音は、カチコチに固まっていた私の胸をゆっくりとやわらかに溶かしていく。
「だから俺も、久しぶりに再会した波奈が自分と百八十度違う世界で生きてることを知って、ちょっと焦ったというか、寂しかったのかも。俺のほうが特異な生活をしてるって自覚はあったんだけどな。仕事のこと馬鹿にするような発言して、本当にごめん。俺は高校時代、本当は波奈のこと……その」
昴の顔が、少しずつ赤く染まっていく。ぽりぽりと鼻の頭を掻いている彼が、次の言葉に詰まる。
高校時代、何があったんだろう。
私の知っている昴は高校三年生になるときに後輩のまなかと付き合い出して、普通に幸せそうにしていた。その後の昴とは卒業まで友達付き合いを続けてそれっきりだった。
昴が私に友情以上の感情を抱いていたなんて想像もしていない。……そのはずだったのに。
さっきの彼の言葉がずっと頭の中でこだまする。
“この場所からずっと、波奈のこと考えてた”。
ねえ、それってどういうこと?
この場で聞いてしまいたい。だけど、聞けない私はきっと臆病者だ。
昴も昴で、やはり言葉を紡ぐのをためらっている様子で「いや、なんでもない」と赤面したまま口を閉ざした。二人の間を一陣の風が吹き抜ける。もうこれで、昴とはお別れなのかも——そう考えていたところで、昴が「あのさ」と再び口を開いた。
「波奈さえよければ、しばらくここでその……一緒に、暮らしてみないか?」
きっと、今朝までの私ならここで「え!?」と素っ頓狂な声を上げていただろう。
だけど、今の私は彼の突飛な提案にじっくりと耳を傾けていた。
「波奈、やっぱり都会での生活がしんどいって言うし、自然の中で暮らして、気持ちをリフレッシュさせてさ。宿泊代は、今日みたいに畑仕事手伝ってくれたらそれでいいから。……仕事はちょっと休んでもらうしかないけど」
昴の口から紡ぎ出されるのは現実離れした話のはずなのに、「仕事、どうやって休もうかな」と現実的な対応をすでに考えている自分がいた。
フリーのインフルエンサーなんだから、別にいつだって休むことはできるのだ。
ただ今までの自分が、誰に強制されるわけでもなく働き続けていただけ。
そう考えると、ひとりで頑張って、空回りしていた自分自身が馬鹿みたいだと思えた。
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えてしばらく厄介になろうかな」
昴の家にまた泊まることになるなんて、やっぱりどこかネジが外れた現実にしか思えない。だけど、隣でふっとやさしく微笑んだ昴が、心底嬉しそうだから、こんな破天荒な選択もありかなと思ってしまった。
「よし! そうと決まればほら、一緒に帰ろう。腹減っただろ?」
「う、うん」
差し出された手をおずおずと握りしめる。
私はたぶんもう、彼のそばから離れられない病気なのだ。
秋晴れの空の下、私たちが歩いていく足音が二つ、重なっては離れ、また重なって、二人の心の距離が揺れているようだった。




