3-1
翌朝。
チチチと鳥の囀りで目を覚ましたのは実家で暮らしていた頃以来だった。
ぼんやりとした視界に滲む見慣れない天井の色と模様に一瞬ここがどこだか分からない。が、十秒ぐらいしてようやく昴の家に泊まっていることを思い出した。
「はっ!」
ガバッと掛け布団を剥がして、スマホを見る。どうせ電波がないからと、昨日はすっかりスマホを見ることがなかった。時刻は午前九時過ぎ。普段は六時台に起きるので、とんだ寝坊だ。
「昴―!」
慌てて着替えを済ませて居間へと飛び出していく。が、昴の姿は見当たらない。
代わりにダイニングテーブルの上に食パンとサラダ、卵焼きが乗ったプレートが置かれていた。
玄関に行くと、彼が履いていた靴が——いや、農作業用の長靴がない。
「もしかして……」
気になって、私も靴を履いて外へと出る。すっぴんでちょっと気になったけれど、田舎だし、近くにひとがいないことを祈った。昨日は暗くてあまりよく見えなかったが、昴の家の周りには田んぼがいくつも広がっている。稲穂の広がる田んぼのひとつに、昴が腰を折って何やら作業をしている様子が見えた。
「昴」
彼の近くまで歩いて声をかける。昴にすっぴんを見られるのは恥ずかしかったが、高校時代はほとんどすっぴんで過ごしていたから、今更恥ずかしいと思うのもおかしいのかもしれない。
それより、昨日の夜のことは覚えているんだろうか。
私が昴に、強引にキ、キスしちゃったこと……。
「おう波奈、おはよう」
つなぎ姿の彼が腰を伸ばして私に向かって片手を挙げる。
そっか。そうだよね。農家の朝は早いっていうもんね。というか私だって普段は朝早くから仕事のために活動しているはずなのに、昨日の今日ですっかり長い時間眠ってしまっていた。幸い今日は特に打ち合わせ等の仕事は入れていなかったので、自分の采配で仕事ができるからいいけど……って、ここ、電波ないんじゃん! 仕事できないじゃんっ。
それに、昴は昨夜のことをやっぱり覚えていないのだろうか。というか、私にキスされたことに気づいていないのかも。なんだか釈然としないけれど、あのときのことをいろいろとつっこまれるよりはましか。さわやかな朝に農作業をする彼は、特にいつもと変わりのない飄々とした様子だ。
「昴、私もう帰るよ」
照れ臭さや、後ろめたさに蓋をするように若干声を張り上げてそう伝えると、昴は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして驚く。
「え? もう? てか朝ごはん食べた?」
「いや、食べてない。昴がいなかったから起きてすぐ探しに来た」
「それなら朝ごはん食べてよ。せっかく用意したんだし」
「でも」
「いいから、先に食べてきて。んで、今日は俺の仕事手伝ってくれない?」
「え!? 仕事? いや私、東京戻ってそれこそ仕事しなくちゃいけないんだけど……」
「一日くらいいいじゃん。どうせ波奈のことだから、毎日そっちの仕事に追われてるんだろ? 昨日と今日で二連休にしたらいい。普通の会社員ならみんなそうしてるだろ」
「インフルエンサーは普通の会社員とは違うんだって」
昴が私の仕事に対して解像度が低いのは仕方のないことだ。誰だって、自分がやったことのない仕事がどんなものなのか、経験してみないと分からないのだから。
「それはそうだけど。波奈、ずっと疲れた顔してるから。たまには自然相手に仕事してみるのもいいんじゃない? ほら、こういう畑違いの仕事も、波奈の仕事の糧になるかもしれないでしょ。手伝ってよ。昨日の宿泊代だと思ってさ」
「宿泊代……」
痛いところを突かれた。確かに、昨日私は昴に一晩泊めてもらっている。宿泊代はいくらか支払おうと思っていたが、それを労働でお返しするように言われるとは。農業なんてしたことないんだけど……と尻込みしつつ、これは、昴ともう少し長くいる絶好の口実になるのでは? とも思った。
昨日、彼への恋心を自覚してしまった私は、結局昴のお願いを無碍にすることなんてできなかった。
「分かった。手伝います」
「おお、さんきゅな。朝ごはんしっかり食べてまた来てくれる? つなぎは俺の部屋に新しいのがあるからそれ着てきて」
「はーい」
つなぎとかよく分からないけど、とりあえず準備をしてまた戻ってくることを約束する。インフルエンサーとしての仕事は……まあ、今抱えている案件は美容コスメのPRぐらいだから、今日一日何もしなくても大丈夫……かな。
となんとか自分を納得させるのだが、やっぱり頭の片隅では本来の仕事をしていないことで、焦りが生じるのだった。




