2-10
「こんばんは」
売り場の窓から昴が中を覗き込むと、中にいるスタッフ——おそらく三十代半ばぐらいの男性が、「おう」と片手を挙げた。こんがり焼けた肌と筋肉の盛り上がった腕が、なんだかこの場に似つかわしくない。彼も昼間は農業をしているのだろうかと予想する。
「このひとは長嶋さん。ここで働いてる」
「は、初めまして」
「え、なになに? 昴の彼女さん?」
「ち、違いますよ! 高校時代の友達です。彼女も一緒に乗せていいですか?」
「なーんだ。そうか。まあでもこれから何か起こるかもしれないしな? どうぞどうぞ〜」
星見里のひとたちは私と昴が二人でいるところを見ると、どうもそういう関係だと勘違いするらしい。というか、昴の反応を見て面白がっているだけなのかもしれない。
昴に案内されて、やってきたゴンドラに乗り込む。四人がけのぐらいのゴンドラで、狭くもなく広くもなく、程よい広さの空間だった。
乗り込んで程なくすると、『星見高原へようこそ』というアナウンスが流れ始める。
「へえ、アナウンスもあるんだ。ちゃんとしてるね」
「アナウンスは一年前から始めたんだ。ちょっとずつ観光客も増えてきたからさ」
「増えてきたって——まだ昴だって住み始めて三年でしょ?」
「そうだけど。もうここで生まれ育ったんじゃないかってぐらい馴染んでる」
「生まれ育った……へえ」
そう言われると、なんだか町田で私と過ごした三年間がなかったかのような気持ちにさせられて、複雑な気分だった。
「標高1,100メートル地点まで行くから、かなり寒いと思うけど大丈夫?」
「うん、たぶん」
「分かった。寒くなったら遠慮なく言ってな?」
「……ありがとう」
天空に向かって揺られながら、昴のちょっとした優しさに触れる。彼のそういうさりげない気遣いが好きだった。ううん。今もきっと、そういうところは好きだ。恋愛感情抜きにして、彼とは付き合いを続けたいと思わせてくれる不思議なオーラがあった。
しばらく無言の時を過ごしていると、いつのまにかゴンドラが目的地へと到着していた。
ゴンドラから降り立つと、途端にひゅうっと冷たい風が身体を覆い尽くす。高原という名の通り、辺り一面見渡す限りの草原が広がっていて圧巻の景色だった。が、景色に見惚れている場合ではない。
「さ、さむっ」
思っていたよりもずっと寒い。寒いとは聞いていたが、さすがにここまでとは思っていなかった。地上と十度ぐらい差があるんじゃないだろうか。すっかり夏の格好で来た私は予想とのギャップに面食らう。
「ほら、言っただろ。ちょっと待ってな」
昴が、『星見里星空ツアー受付』という看板の建てられた白い建物の中へ入っていく。少し待つと、『星見里星空ツアー』と背中に書かれた紺色のウィンドブレーカーを持って来てくれた。
「これ貸すから着てな。普段は俺が使ってる」
「あ、ありがと」
なんで昴、そんなに気が利くの。
彼からそっと羽織を受け取り腕を通す。その刹那、懐かしい彼の香りに包まれて、胸の奥がきゅっと鳴った。
「昴の匂い……」
バスケ部の練習のあとに、汗と制汗剤の匂いが混ざった彼の匂いが好きだった。友達に言ったら変態って笑われると思ったから、もちろん誰にも伝えたことはない。私の中でひっそりとこの「好き」が育っていくのを感じていた。
「そりゃまあ、普段俺が着てるからな」
鼻の頭を掻きながら彼がそっぽを向く。私たち以外にロープウェイに乗ってやってくるお客さんたちを見て、「俺そろそろ仕事入るから、こっちで待ってて」と先ほどの建物の中に案内された。
私が着ているものと同じ『星見里星空ツアー』とロゴの入った上着を着た彼が、「受付はこちらになります」と笑顔で接客を始める。彼が仕事をしている姿を目にするのは新鮮で、一人で待っている間ずっと、とくりとくりと心音が鳴るのを感じていた。
そして待つこと十五分。
お客さんたちがわらわらと集まり、ようやく星空ツアーが始まった。
ツアーコンダクターは昴と、それからもう一人私たちと同世代の女性が行うようだった。胸のところに名札が付いていて、「星田」と書かれている。星見里星空ツアーの星田さん。適材適所という言葉が頭に浮かんだが、たぶん使い方は間違っている。
「みなさんこんばんは! 星見里星空ツアーへようこそ! 私は今回みなさんの星空観測のお手伝いをさせていただくツアーコンダクターの城山昴です。そしてこっちは——」
「星田亜美です!」
「はい。というわけで、我々がみなさんに星見里の星について解説いたします! 早速広いところで観測したいと思いますので、ついてきてください」
ツアーコンダクター・昴は私と話している時とはまるで違うノリノリでキレの良い喋り方をしていた。すごい。プロなんだ、と思い知らされる。
二人について、ぞろぞろと観客たちが高原の真ん中のほうへと歩いて移動する。夜の草原はどこか幻想的で、異世界に迷い込んだかのようだった。




