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最終話


秘密―香織



「彩花も気付いていてくれたように、私はずっと健のことが好きだった。彩花は私を傷つけたって言ってくれてたし、確かに傷ついたよ。酷いなとも思った」



 隣に座る彩花が私の手を握り、赦しを乞うようにポロポロと涙を流す。私はその手にもう片方の手を乗せて、彩花の手を包んだ。



「でも、彩花に聞いてもらうことで、気持ちの整理ができたのも確かなの。だから、私、健と向き合ってみようって待ってたの」


 そう言って私は健に視線をずらす。下唇を噛んでばつが悪そうに、それでも私をしっかりと見つめ返す健をみて、なんだかホッとした。



「ねぇ、彩花。彩花のおかげでわたしは健に当たって砕けてみようって思えたし、風磨もね? 風磨の態度なんて、あの三人で行った祭のあとから少し変わったんだよ?」



「そんなことない! もっとできることがあったはずなのに!」

 叫ぶように悲痛な声を出す風磨を見て、私たちは今初めて心を通わせているのだと思った。



「風磨、私とのこと話してくれてたね。後悔してるって。最初はね、私も寂しかったんだよ。でも、風磨はいつも居心地悪そうにしてたから、お姉さんの私が頑張らないとって気を張ってもいたの。きっと、それが更に風磨を意固地にさせちゃったんだろうね」



 正面の風磨がぶんぶんと首を横に振った。


「僕が子供だったから。だから義姉さんを傷つけてた!」


 私もゆっくりと首を横に振る。


「実際、私も風磨もまだまだ子供だよ。それにまだ私たちは途中じゃない。これからも続いていくのに、そんなふうに結論を急がなくてもいいと思うの」



 急に空気が張り詰めた。

 どうしたのかと首を傾げて一人ずつ顔を見ていくけど、誰からも返事はない。


「風磨とどんな姉弟になっていけるかの伸びしろがあって、むしろ楽しみなくらいだよ」



 私が思い切りの笑顔で風磨に微笑みかけると、風磨は泣きそうな顔になった。


 そんなに自分を責めなくてもいいのに。



「彩花。今こんな風に風磨と話ができるのも彩花のおかげだよ。ありがとう」


 彩花が涙のたまった大きな目で私の目を見つめる。


「……香織が、健に向き合おうと思って待っていたのって、いつ……のこと……?」


 引きつるような声で彩花が私に問いかけた。


 私はそんな細かく聞かれるのかなって、ちょっと恥ずかしくなる。だって、当の本人の健も義弟の風磨もここにいる。


 だけど、彩花の声が真剣味を帯びていて。何よりここはルールの存在する部屋だから。


 私は話す。ちょっと照れながら。何故か気迫に包まれた3人からの痛いくらいの視線の中で。



「この前の金曜日だよ。へへっ」



 恥ずかしくて、思わず笑いが漏れた。手で顔を覆い尽くしたいくらい恥ずかしい。

 誰の声も聞こえなくて静まりかえった室内。鍋のガスコンロの火が心なしか弱くなった気がする。 

なんとなく肌寒くなってきた。



 確かにみんなの気配がするのに誰も声をかけてくれない。私の恋バナに引いてしまったのかと。なんなら健の立場からすると衆人環視のもと告白された。それも振らないといけないんだから、緊張感に包まれるのも無理はないかもしれない。


 ぐるぐると一人、手で顔を覆ったまま考えていると、なんだか居たたまれなくなってきた。様子を見るために顔をあげる。



 健の額からは汗が流れて口は半開きになっている。風磨は「義姉さん!」と私の手を握る。彩花は泣きじゃくる。



 え……。なに、この反応?


 彩花が私の背中に手を回して抱きついてきた。


「じゃあ、アタシのせいで香織は!!」

「いや、違う! 俺のせいだ! 俺が無視せずにちゃんと向き合っていたら!」

「僕だって! 義姉さんともっと良好な関係を作れていたら、何か変わっていたかも知れません!」



 なんだなんだと私の頭の中をその言葉が駆け巡った。全く状況が掴めないままポカンと口を開くことしかできない。



 置いてきぼりになっている私に一番に気付いたのは風磨だった。


「義姉さん。……義姉さんが言ってる、この前の金曜日。……たぶん、2年前、だと思います」

「え?」


 私が健に向き合って告白して、なんなら振られてこようと思っていたのはつい昨日……? 先週……? そういえば、この前って、いつだろう……。



 振られても、土日で気持ち立て直して、学校に行けるからって考えてて……。


 “この前の金曜日”がいつか。考えるほどに頭にもやがかかる。



「義姉さん……が、健君を待っていたのは、それ一度だけですか?」

「うん」

「じゃあ、やっぱり、それは2年前と言うことになります」

「どういうこと……?」


 私の手を握る風磨の手に力が入った。彩花は私に抱きついたままで、健はもう片方の手を握った。



「義姉さんは……」


 辛そうに風磨の声が尻すぼみになっていく。その続きを引き取ったのは健だった。


「香織が俺を待っていてくれたあの日、俺は気付いていたのに、無視して来た道を戻ったんだ」


 あぁ、そうだった。目が合った気がしたのに、健は引き返していった。そして、そのあと……。

 思い出せない……。



 健の眉間の皺が深くなり、目が赤くなっていくのが分かった。


「……それを追いかけてきた香織は、走ってくる車に気付かず……!」



 目の前が真っ白になったかと思った、次の瞬間。パラパラと切り取られた記憶が写真のように流れ込んできた。



 健の家の前で待つ私。

 帰ってきた健と目が合って、不安と期待で揺れる私。

 振り返り背中を向ける健。

 反射的に健の背中を追いかける私。


 車のブレーキ音の後に鼓膜を突き刺す衝突音。



 ……そこから先の記憶はなかった。



 胸がざわついた。


 じゃあ、私は? ここにいる私は? 



「義姉さんは、あの日から眠ったままなんだ……」



 そうだ……確か、風磨は自分の義姉は事故にあったって……。

 なんで私はそれが自分のことだと思わなかったんだろ……。



「アタシのせいで……!」

「いや! 俺が無視したから!」

「でもアタシが余計なこと言ったから!」



 まだ状況が掴めていない私の遠いところで、私の耳が2人の声を拾う。けれど、言葉として認識するだけの余裕がない。


「健君! 彩花さん! ちょっと黙ってください! この状況で自分を責めることが最優先ですか?!」



 風磨の言葉に健と彩花が、何かに気付いたかのように黙り込んだ。



「アタシは眠ったまま……?」

「はい。事故から2年が経ちました」

「じゃあ、ここにいる私は……?」

「ここがどこであるかは、僕たちにも分かりません……。その猫ぽい、緑の光も」



 風磨が私の膝に座って包まっている緑の光に視線を投げる。


 この猫ぽいものがなんなのか、私にも分からない。だけど、不思議と安心する。


「だけど、この時間をくれたのが、その猫ぽいものであることだけは、なんとなく分かっています」

「香織、覚えてる? 風磨と3人で祭に行った帰り、健とも会って。香織のお母さんが写真とってくれたの」



 そうだ。確かあの日、その写真にはこんな緑の猫ぽいものが映っていた。



 ガスコンロの火が小さくなっていく。


 みんな、なんとなく、この時間の終わりが近付いていることに気付いていた。




 ここは現実ではないどこかで。私だけが、まだ眠ったままなんだ。


 終わりか再開か。ここがどこに続いているのかは分からない。



 不安がないといえば嘘になる。だけど、この時間ももう終わる。



 


「風磨」


 私は風磨をしっかりと見つめる。



「私の目に映る風磨は、いつも抗ってた。私に寄り添おうとしてくれているのに、上手く言葉とか行動に移せなくて、そんな自分に腹立ててるように見えてたよ」

「義姉さん……」

「だから、時間がかかっても、絶対。信頼しあえる姉弟になれると思ってたし、今もそう思ってる」



 次に彩花に視線をずらす。


「彩花。私、全然、清廉潔白なんかじゃないよ。言葉にするのに時間がかかるだけなんだよ。次の言葉話す前に、彩花が喋っちゃうだけだよ」


 ふふっと思わず笑ってしまう。本当にそうだった。話さないじゃなくて話せない事の方が多かった。彩花は頭の回転が速いみたいで会話のテンポが早い。でも、彩花の話はいつだっておもしろくて、いろんな事をポジティブに変換して楽しむ彩花が大好きだった。


「……ごめんなさい」


 ばつ悪そうに彩花が俯く。


「楽しかったんだよ。テンポ良く話す会話が、私も同じ体験したかのような気持ちになれて。なんにでも真っ向勝負な彩花が大好き。……でも、今度からは、もうちょっと私の返事待ってくれるとうれしい」


 まだまだ喋りたいのに私が喋るの待ちで、うずうずしている彩花を想像して、おかしくなる。



「健……」


 頬が熱を持つのが分かる。室内が寒くなっていくのに反して体は熱くなっていく。だって、今までの話と健が前に話してくれた秘密を合わせると、それって……さ。


「……もしかして、健の……その、好きな人って……」


 なんかモジモジしてしまう。期待でいいのかな。


「香織に決まってるだろ」

「本当に?」

「この状況で嘘つけるほどクソじゃねーよ」



 嬉しくなって気持ちが舞い上がる。そういえば……。



「オバケの私が健のとこにいって、健のこと褒めちぎってた……?」

「うん」


 私は恥ずかしいと嬉しいでいっぱいなのに、健の顔はまだ罪悪感に押しつぶされたままのように見える。


「やんちゃなふりしてるだけで、本当は優しいこと知ってるよって言ってた?」


 驚いた顔で健が私を見る。


「つっけんどんな喋り方したって、言葉の選び方とか間の取り方で人の良さがバレちゃってんだよ、とも言ってた?」


 怖々と言った感じで健が頷く。


「……どんな風にしてたって好きなもんは好きなんだからって?」

「うん」

「じゃあ、そのオバケ、私だね。眠ってるってことだから、生き霊か。私、生き霊飛ばしてたか」



 健の顔に笑みが広がっていく。


「俺のところに来てくれてたんだな」

「そうみたいだね」



 ガスコンロの火が、燃料を切らしたようにボソボソと音を立てる。


 焦ったように健が言う。


「俺、香織が目覚めるの待ってていいかな?」



 急に現実に引き戻されたような気がして、言葉が詰まる。

 膝に座る緑の光を無意識に撫でていたことに気付いた。


 猫ぽい緑の光が私を見上げた金の瞳に、少し大人になった私が映った。


 ふっと笑って言う。


「またね」



 ガスコンロの火が消えた。





***


 昨晩「またね」と言った義姉さんは、まだ静かに眠っている。



 だけど僕は、あの緑の猫ぽい光をみることはもう二度とないと思うと同時に、義姉さんが目覚めることを確信していた。


 仕事を終えた二人が、ここに駆けつけることも。




お読みいただきありがとうございました。

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