表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

鬼退治は非効率です。

作者: 五月央佐
掲載日:2025/12/10

むかしむかし。


山と川にかこまれた、どこにでもありそうな小さな村に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

田畑と山と川しかない、素朴な村でした。


ある日のこと。


おばあさんが川で洗濯をしていると、上流から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。


「おやまあ、立派な桃だこと」


おばあさんは桃をすくい上げ、家まで持ち帰りました。

囲炉裏端で、おじいさんと二人で桃を割ろうとしたそのとき――

中から飛び出してきたのは、赤ん坊ではなく、ぶ厚い紙束でした。


「なんじゃこりゃあ……」


表紙には、墨で大きくこう書かれています。


『ももやま村 事業再生構想ドラフト


その下に、小さく書き添えられていました。


『※ご興味があればご連絡ください』


山奥に突然流れ着いた、営業資料である。

「じぎょう……?」「こうそう……?」

おじいさんとおばあさんは、顔を見合わせました。

文字は読める。

意味はほとんど分からない。

それでも二人は、なんとなくページをめくっていきました。


“第1章:As-Isの整理”

“第2章:To-Beイメージ”

“第3章:ROIイメージ”


なにがどうイメージなのかは分からない。

けれど読み終わるころには、頭のどこかに


 As-Is

 To-Be

 ROI


という三つだけが、なぜかくっきり刻み込まれていました。


「……よく分からんが、“今のままでは駄目”って気はしてきたのう」

「わたしも、“とぅびぃ”というやつを、ちょっと見てみたくなったよ」


中身は理解していないのに、横文字だけが妙に残る。

そんな、質の悪い読書体験でした。

それから月日が流れ――

桃も紙束も、日々の暮らしに紛れて、少しずつ忘れられていきました。


それでも、村の問題は消えませんでした。

山の向こうの鬼ヶ島から、鬼が定期的にやってきて、

米、金、布、そして若者を持っていくのです。


「このままでは、ほんとうに村がもたんぞ……」


村長がそう言った次の日。

山道を、ひとりの男が歩いていました。

黒い上着、白いシャツ、きちんと磨かれた靴。

胸には見慣れない社章。手には、あの日と同じタイトルの紙束。


『ももやま村 事業再生構想ドラフト


村の入口には、ボロボロの木札が立っていました。

かすれた文字で「ももやま村」と書かれています。


男は木札を見上げて、深くうなずきました。


「本日から、ももやま村アカウントのご担当になりました。よろしくお願いいたします」


誰もいないのに、礼だけはやたら丁寧でした。



その日のうちに、村人たちは集会所に集められました。

見慣れない黒い服の男を、全員があからさまに警戒しています。


「……で、お前さんは、いったい何者なんじゃ」


村長の声には、「絶対めんどくさいやつだ」という色が濃く混ざっていました。

男は深々と頭を下げます。


「本日はお時間ありがとうございます。

 “横文字の多い会社”から参りました、外部のコンサルタントです」


「こ、こんさる……?」

「はい。“悩みを整理して、図にしばって、しゃべる人”です」


説明のくせが強い。


「今日はまず“現状把握セッション”から入らせてください。

 ゴールは二つです。

 ①今の状況(As-Is)を一枚の絵で共有すること。

 ②“なぜしんどいのか”を、全員が同じ言葉で言えるようにすること」


村長は、二割も分かっていません。

ただ、「①」「②」と区切られると、妙にちゃんとしている気がしてきます。

男は床にしゃがみ込み、木の枝を手に取りました。

土の上に、丸をひとつ。

ゆがみの少ない、変にきれいな円です。


「ここが“村”です」


さらに、少し離れた場所に、同じ大きさの丸をひとつ。


「こちらが“鬼ヶ島”」


村人の一人が思わず突っ込みました。


「丸描いてどうするんじゃ?」

「ありがとうございます、良いツッコミです」


男はぴしっと頭を下げました。

二つの丸のあいだに、一本の矢印を引きます。

矢印の上に「米・金・若者」。

下に「恐怖」。


「今のフローは、村から鬼ヶ島への一方通行です。

 アウトは“米・金・若者”。鬼側に提供している“価値”は、ほぼ“恐怖”だけです」


妙に落ち着いた口調でした。

しばらく沈黙が流れます。

誰かがぽつりと言いました。


「……言われてみれば、全部同じ流れじゃな」


さっきまでバラバラだった出来事が、一本の矢印でつながります。

村長は眉をしかめました。


「おかしなことを、きれいな線で説明されると、余計に腹が立つのう……」


そうこぼしながらも、図から目を離せなくなっていました。

男は矢印の端に小さく×印をつけました。


「このモデルを続けると、供給元である村が先に枯渇します。

 つまり、“続ければ続けるほど詰みに近づく”構造です」

「つみ……?」

「詰みです。将棋でいう“もう手がない”状態ですね」


村長は、図と男の顔を交互に見ました。


「……わしら、将棋どころか毎日鬼と相撲を取らされとるんじゃが」

「その状況を、図で見るとこうなります」


男は姿勢を正します。


「ここで、一度“結論から”お伝えしてもよろしいでしょうか」

「け、結論から……?」

「はい。鬼退治は、非効率です」


集会所の空気が止まりました。


「な、なにぃ? お前、鬼退治に来たんじゃないのか!」

「“個別に殴り倒す”アプローチは、コストに対してリターンが見合いません。

 村の人手というリソースが限られている以上、スケールしない戦い方です」


村人のひとりが叫びます。


「スケールとか知らんわ!」


笑いが起きかけて、すぐに止まりました。

床に描かれた丸と矢印が、妙に“正しそうに”見えてしまうのです。


男は声を少しやわらげました。


「やり方は二つあります。

 ①今まで通り、鬼を一匹ずつ殴る。

 ②“鬼ヶ島ビジネスモデル変革プロジェクト”として、鬼の稼ぎ方そのものを変える」

「……に、にほんごで言うと?」

「鬼の暮らし方を変えさせて、殴らずに済むようにする、です」


村長は、深くため息をつきました。


「横文字が多すぎて腹が立つが……“このままだと詰む”図だけは、やけに分かる。そこは認めざるを得ん」


男は満足そうにうなずきました。


「ありがとうございます。“そこだけ”共有できれば、第一歩としては十分です」


村人たちは、自分たちが何かに一歩踏み込んだことだけは、漠然と理解していました。

何に踏み込んだのかは、まだ誰も説明できません。



その夜。

おじいさんとおばあさんの家の囲炉裏端で、三人は向かい合って座っていました。


「では次に、“リソース”の話をさせてください」


黒い上着の男は、湯飲みを前に置きました。


「りそーす?」

「人と物と時間です。ここでは主に、“人”と“渡せるもの”ですね」


おばあさんが戸棚をごそごそと探り、もち米の袋を取り出します。


「立派な刀や鎧はないけど……きびだんごなら、たくさん作れるよ」


男は、目を輝かせました。


「非常に良いアセットです」

「今、“あせっと”って言った?」

「はい。“強みになるもの”という意味です」


男は、囲炉裏端の土の上に、小さな四角を描きました。

四角を四つに区切って、文字を書き込んでいきます。


「『安い』『軽い』『腹持ちがいい』『甘い』。これは、きびだんごの4Pです」

「ぴー……?」

「きびだんごを、サインオンボーナス兼インセンティブにしましょう。

 参加してくれた瞬間に一つ。“がんばった分だけ追加支給”を約束する。

 “殴るより頭を使う”戦い方を選んでくれる人にだけ、渡す仕組みです」


おじいさんは、また頭をかきました。


「ええと……」


おばあさんが先にまとめました。


「つまり、“仲間になったら一つ。がんばったら、もっともらえる”ってことだね?」

「はい。その理解で100点です」


男は本気でうなずきました。

説明はやたら長かったのに、結論は普通でした。


それでも、「サインオン」「インセンティブ」という言葉だけが、なぜか耳に残りました。


おばあさんは立ち上がり、台所へ向かいます。


「よーし、“いんせんてぃぶ”作るかね」


言ってる本人も意味は分かっていません。

ただ、新しい横文字を口に出したときの“自分、なんかできる人っぽい感”だけは、なぜか心地よく感じていました。



翌朝。

きびだんごの袋を腰にさげた黒い上着の男は、山道を歩いていました。


「これより、“タレント採用フェーズ”に入ります」


誰も聞いていませんが、本人にとって大事な宣言です。

しばらく進むと、道の真ん中にイヌが一匹、座っていました。

筋肉質で、目つきは鋭く、警戒心と闘争心と、少しの空腹がまざっています。


「お前、どこへ行く?」


男は穏やかに笑いました。


「鬼ヶ島です。“フィールドセキュリティ&ロジスティクスリーダー”を探しています」

「にほんごで頼む」

「“走る・嗅ぐ・吠える”のが得意な人を探しています」


イヌの耳がぴくりと動きました。


「……それは、まあ得意だな」


男は、きびだんごをひとつ差し出します。


「これは、固定給です。

 プロジェクトに“コミット”してくれたら一つ。

 そのうえで、行動と成果に応じてボーナスを支給します」


イヌは一口かじりました。


「……うまいな。“固定給+ボーナス”か。

 おい、それ、“働きがい”あるやつじゃないか?」


自分で言っておいて、イヌは一瞬固まりました。


「……いま、オレ、何て言った?」

「とても良い言葉です」


男はにこやかにうなずきました。


「“働きがい”を感じているなら、すでに半分は成功です」


意味のあるような、ないようなことを言い切られると、

なんとなく「まあ、そうなのかもしれない」と思えてくるから不思議です。

イヌは、残りのきびだんごをぱくっと食べました。


「分かった。オレ、そのプロジェクトに……こみっと、だったか? する」

「ありがとうございます。強力なタレントのジョインです」


言葉の半分は、もうよく分からなくなっていましたが、

「悪くない話だ」という感覚だけは、はっきり残っていました。

木々の上から声がしました。


「おーい、そこの黒いの。“タレント”とか“こみっと”とか、さっきからうるさいんだけど」


枝の上には、一匹のサルが座っていました。

目は、計算や情報が好きそうな、いやな賢さを宿しています。


「これは失礼しました。

 もしよければ、“データ&ストラテジー担当”として――」

「だから日本語で話せって」


サルはため息をつきました。

男は少しだけ言い換えます。


「“鬼ヶ島の地形情報を整理して、鬼の動きのパターンを読み解いて、

 こっちが一番得をするやり方を考える係”です」

「……それはたしかに、ちょっと面白そうだな」


サルは身を乗り出しました。

男は、きびだんごを掲げます。


「報酬は、きびだんご。

 それから、“数字と地図で悩める権利”です」

「後半は権利なのか罰なのか、よく分からんけど……」


サルはきびだんごをひとつつまみ、口に入れました。


「……まあ、“投資対効果”は悪くなさそうだ」


口から出た瞬間、自分で眉をひそめます。


「いま、オレ、“投資対効果”って言った?」

「はい。とても良いワードセンスです」


男は心底うれしそうでした。

さらに進むと、空から声が飛んできました。


「下で、やたら“モデル”だの“フロー”だの、くさい横文字のにおいがするわね!」


色鮮やかなキジが、空を旋回しています。


「上空からの俯瞰視点と、通りのいい声をお持ちの方ですね。

 “インサイト&コミュニケーション担当”として――」

「要するに?」

「上から全体を見て、“やばそうなところだけ叫ぶ係”です」

「最初からそう言いなさいよ」


キジは、少しだけ笑いました。

男は、きびだんごをひとつ差し出します。


「これは?」

「出張手当と、“情報を届ける”ことへの対価です」


キジはついばんで、目を細めます。


「悪くない味ね。

 ……空から全体見て、“全体最適”ってやつ、ちょっと試してみようかしら」


「全体最適」という言葉は、さっき覚えたはずなのに、

ずっと前から知っていた言葉のように、自然に口から出ました。


こうして、


・黒い上着の男(肩書きだけやたら長い)

・フィールドセキュリティ担当のイヌ

・データ&ストラテジー担当のサル

・インサイト&コミュニケーション担当のキジ


という、妙に横文字の多いチームが組まれました。


この時点でもまだ三匹は、


「この人の話を最後まで聞くのは危険なのでは」


という本能的な警戒心を、かろうじて持っていました。

それが、このあと、きれいさっぱり消えていきます。



その夜。

三匹と一人は、焚き火を囲んで座りました。

パチパチとはぜる火の音。

虫の声。

そして、黒い上着の男の声。


「では、“キックオフ”を始めます」


イヌが眉をひそめます。


「またよく分からん横文字だな」

「最初の作戦会議、という意味です」

「最初からそれで良くない?」


サルのツッコミには、男はいつも通りにこやかでした。


「本日のアジェンダは三点です。

 ①役割と責任の整理

 ②ゴールとKPIの設定

 ③明日以降のざっくりプラン」


地面には、すでに線が引かれています。

縦に一本、横に三本。四つの段。


「ここが“やる人”。

 ここが“最終的に責任を持つ人”。

 ここが“相談される人”。

 ここが“一応知っておく人”です」


イヌが火を見つめたまま言いました。


「なんか、役割の“見える化”ってやつか?」


それっぽいことを言っています。

言っている本人も、どこで覚えたのか分かっていません。


「その通りです」


男は、それぞれの段に文字を書き込みます。


 実行(Do)

 責任(Own)

 相談(Consult)

 共有(Inform)


サルは、焚き火の明かりを見ながらつぶやきました。


「じゃあ、オレが“オーナーシップ”持つのは、この辺か」

「はい。そこが、あなたのスコープです」

「すこーぷ……なるほどね」


なるほどでも何でもありませんが、

口に出してみると、自分の役割が前から決まっていたような気がしてきます。

キジは、おもしろそうに笑いました。


「役割が“見える化”されると、たしかにスッキリするわね」


三匹とも、さっき自分たちが「見える化?」「すこーぷ?」とツッコんでいたことを、もう覚えていませんでした。


「本プロジェクトのゴールは二つです」


男は、指を二本立てます。


「①奪われた宝の回収。

 ②今後の襲撃ゼロ化」


「次に、KPIを三つ置きます」


イヌが条件反射のように聞き返しました。


「けーぴーあい?」


「“うまくいっているかどうかを見る物差し”です。

 一つ、奪われたリソースの回収率。

 二つ、鬼の襲撃回数ゼロ。

 三つ、メンバー全員の無事な帰還」


サルはうなずきました。


「三つめがコアKPIだね」


さっき覚えたばかりとは思えない使い方でした。


「その通りです」


男は、さも当たり前のように合いの手を入れます。

キジは、焚き火を見つめながら言いました。


「“KPI”って、不思議ね。

 一回ちゃんと聞くと、もう前から自分で使ってた言葉みたいに思えてくる」


それは言葉のせいではなく、目の前の男のせいです。

ただ、三匹は、そこまで考えが及ばなくなっていました。



数日後。

小舟で鬼ヶ島へ向かう道中。

キジが空から叫びました。


「砦の大広間、宴会中! 酒と肉と大声で、ガードはゆるゆる!」


サルが顎に手を当てます。


「警戒レベルはロー。インパクトはハイ。これは“おいしい時間帯”だね」


イヌは前方をにらみました。


「オレは入口で“退路の遮断”をやる。逃げようとした鬼は全部止める」


黒い上着の男は、紙束をしっかり抱えて言いました。


「では、ここからフェーズ3、“示威+対話”に入ります」


イヌは、ちょっとだけ首をかしげました。


(フェーズ1と2、どこからどこまでだったんだ……?)


が、よく考える前に、舟が岩場に着いてしまいました。

考える暇を与えないのも、ある種のスキルです。



砦の大広間では、鬼たちが酒盛りの真っ最中でした。


「今日も村からたんまり巻き上げてきたぞ!」

「鬼ヶ島ビジネス、本年度も絶好調だな!」


そこへ、扉ががらりと開きます。


「失礼します。本日は、“鬼ヶ島ビジネス”の現状分析と今後のご提案について、ご説明の機会をいただきありがとうございます」


誰もそんな機会を与えていません。


「誰だお前は!」


鬼の一人が立ち上がりました。


「まずは簡単に、本日のアジェンダから――」

「アジェンダはいい! 殴るのが先だ!」


ごもっともな意見でした。


男は、小さくうなずきます。


「ありがとうございます。懸念点を率直に共有いただき、感謝します。

 ただ、一つだけお願いがあります。“殴る前に三分だけ図を見ていただく”のは、難しいでしょうか」


鬼たちは顔を見合わせました。


「三分だけだぞ?」

「終わったら殴るからな!」

「はい。“三分だけ話を聞いたあと、殴るかどうか決める権利”は、皆さまの側にあります」


妙に筋が通って聞こえました。

殴る前提で丁寧にお願いされると、鬼たちも断りづらくなります。



男は、近くの板切れと炭を手に取りました。

まずは二つの丸と矢印。

村と鬼ヶ島。「取得:米・金・人材」「提供:恐怖」。

簡単にAs-Isをなぞると、鬼たちもすぐにうなずきます。


「まあ、そうだな」

「やってることは、その通りだ」


次に、四角の中に十字の線。4つのマス。


「これは、“鬼ケア2×2”です」


縦軸に「暴力レベル(ロー→ハイ)」、横軸に「話の通じやすさ(ロー→ハイ)」。

左下のマスに「寝てるだけの鬼」。

右上のマスに「よく殴る・よくしゃべる鬼」。

男は、右上を指さしました。


「皆さんの多くは、この“よく殴る・よくしゃべる鬼”ゾーンにいます。

 ハイリスク・ハイコミュニケーションコスト層です」


鬼の一人が叫びます。


「バカにしてんだろ、それ!」

「いえ。“変革のレバレッジが一番大きい層”と捉えています」


ポジティブ変換の速度が速い。

鬼たちは、なんとなく悪い気はしなくなってきました。

板の端には、もう一つ新しい図が描かれていきます。

上から下に枝分かれしていく、「木」のような図。


「これは、“シナリオツリー”です」


一番上に「鬼ヶ島の未来」。

その下に、「殴るモデル」と「作るモデル」の二本の枝。

さらにその先に、「村の枯渇」「取引の安定」「襲撃リスク」「収穫安定」などが並びます。


「“殴るモデル”を続けた場合、“作るモデル”に切り替えた場合。

 五年後、十年後の姿を並べています」


鬼の一人が、ごくりと唾を飲みました。


「……“作るモデル”のほうが、長く飯が食える……」

「殴るほうの枝、途中で“供給断絶リスク”って書いてあるぞ……」


図に書かれた言葉を読み上げるたび、

その考え方が、自分の頭の中にも組み込まれていきます。

もともと“力こそパワー”で生きてきた鬼たちが、

今は“長期の収益性”について真剣に考え始めていました。



男は、きびだんごの袋を持ち上げました。


「インセンティブ設計についても、お話させてください」


袋の口を開いた瞬間、甘い匂いが大広間に広がります。


「これは、村と鬼ヶ島が協力して価値を生み出した時に、双方で分け合う“象徴”です。

 殴り合いをやめて取引に切り替えたほうが、きびだんご的メリットが増える世界を設計したい」


鬼の一人が、真剣な顔で尋ねました。


「どうすれば、それをたくさん食える?」


「村への襲撃をゼロにすること。鍛冶と漁業に本気で取り組むこと。村とフェアに取引すること。

 この三点が、“新しいKPI”になります」


「けーぴーあい……」


鬼は、その言葉を小さく繰り返しました。

さっきまで「アジェンダうるせえ」と言っていた本人とは思えません。

別の鬼が、ふと冷静な顔になりました。


「……そのKPIは、“何のためのKPI”なんだ?」


場が、一瞬静まり返ります。

男は少しだけ笑いました。


「とても良い質問です。

 “長く飯を食えるようにするためのKPI”です」

「なるほど。じゃあオレたちは、“長く飯を食う”ためのKPIを、ちゃんと追う必要があるってわけか」


その鬼は、のちに鬼ヶ島で


「それKPIじゃなくて単なる作業指標じゃね?」


と平気で言い出す“KPI警察”として知られるようになりますが、

この時点では、まだ誰も知りません。



しばらく沈黙が続きました。

やがて、一番大きな鬼が口を開きます。


「正直、横文字は半分も分からん。

 だが、“このままだとそのうち全部なくなる”って話と、“仲良くしたほうが長く飯が食える”って話は分かった」


周りの鬼たちも、ぽつぽつと続きました。


「最近、村まで行くのもしんどかったしな……」

「山越えは膝にくる……」

「“ちょっと働いて、ちゃんと食べる”のも悪くないかもしれん……」


気づけば大広間では、


「中長期で見たときに――」

「リスクとリターンのバランスが――」


などという単語が、自然に飛び交い始めていました。

大きな鬼は、板のシナリオツリーをじっと見つめます。

そして、ゆっくりと頷きました。


「方針を変える。村への襲撃は、今日で終わり。奪った宝は全部返す。

 これからは鍛冶と漁業をちゃんとやる。村とは、殴り合いじゃなく取引だ」


静かながら、はっきりとした宣言でした。

黒い上着の男は、深く礼をしました。


「ありがとうございます。本件、“方針合意済み”として整理します」


イヌは入口でホッと息を吐き、

サルは頭の中で“リスク低減率”を計算し、

キジは梁の上から全体を見渡していました。


最初に抱いていた「怪しい横文字男への警戒心」は、

この頃には、すっかり消えていました。


数日後。


ももやま村の広場には、宝物と米俵、布や道具が山のように積み上がっていました。

村人たちは口々に驚きます。


「ほ、本当に戻ってきた……!」

「鬼は、どうなったんじゃ?」


黒い上着の男は、淡々と答えました。


「As-Isを整理して、図に落として、対話しました。

 それから、きびだんご・インセンティブを少しだけ使いました」


イヌが付け足します。

「オレは入口で“退路の遮断”と“入り口のファネル管理”をやった。砦に入ってきた鬼は、全員あの兄ちゃんの説明テーブルにコンバージョンさせた」


サルも続けます。

「オレは“最悪のケース”を洗い出して、パターンA〜Zまでシナリオ切っておいた。殴り合いになるルートだけ、いちおう最後に残してたけどね」


キジは笑いました。

「わたしは空からリアルタイムで全体をモニタリングして、“やばそうなポイント”だけピンポイントでアラート飛ばしてた。だいたい“叫ぶダッシュボード”みたいな役割ね」


村長はしばらく黙っていましたが、やがてこう言いました。


「横文字はほとんど分からん。

 じゃが――村が助かったのは事実じゃ。

 なら、そのやり方は“良いプロジェクト”だったんじゃろう」

「ぷろじぇくと……」


村人たちは、その言葉をそっと口の中で転がしました。

意外なほど、すっと馴染む響きでした。



鬼ヶ島側でも、変化が続いていました。

鍛冶場には火が入り、鉄を打つ音が響きます。

漁に出る舟が増え、干物が軒先で揺れています。


ある夜。

大広間で、小さな宴会が開かれていました。


「“殴るモデル”やめてから、腰の調子が良くなったな」

「最近、飯が安定してうまい」

「村とケンカしないって、こんなに楽なんだな……」


そんな中、あの鬼がコップを置いて言いました。


「来年のKPI、そろそろ決めねえとな」


周りが顔を上げます。


「“売上(=食料の量)”を追うのか、“ケンカ件数ゼロ”を追うのか、“みんなの満足度”を追うのか。まず、“何を守りたい数字にするか”をはっきりさせろ。

 全部KPIに乗せるって言い出したら、オレは止めるからな。それはKPIじゃなくて“願望の箇条書き”だ」


別の鬼が苦笑しました。


「出たよ、KPI警察」


それでも誰も、「KPIって何だっけ」とは聞きません。

気づけば、鬼ヶ島の日常会話に、

完全に横文字が混ざり込んでいました。

黒い上着の男は、その場にはいません。

ただ、彼が描いた図と置いていった言葉は、静かに残り続けていました。



しばらくして。

村のはずれの道を、黒い上着の男が歩いていました。

手には新しい紙束。


『浦島港 エンゲージメント向上施策案ドラフト


イヌが隣を歩きながら言いました。


「また新しい案件か?」


「はい。“海辺のクライアント”です。

 亀の救出と、竜宮との中長期の関係づくり。スコープは少し広めですが、やりがいがあります」


サルが前を見たまま笑います。


「また仮説立てて、シナリオツリー描くんだね」


キジが空から声を落としました。


「どうせ最後は、きびだんごか、それっぽいインセンティブで締めるんでしょう?」


男は少しだけ笑ってうなずきました。


「ツールは似ていますが、クライアントごとにカスタマイズは必要です」


三匹は、もうその言葉を完全に理解できるようになっていました。

最初に「横文字やめろ」と言っていた頃の自分たちを、なんとなく思い出せません。

ふと、イヌが首をかしげました。


「そういやさ」


「はい?」


「オレたち、ずっと“黒い服の兄ちゃん”とか“コンサルの人”とか呼んでたけどさ。

 お前の名前、ちゃんと聞いたことあったっけ?」


サルも言います。


「確かに。肩書きと用語は覚えたけど、名前は知らないな」


キジが笑いました。


「どうせ、“なんとかチュア”がつくんでしょう?」


男は一瞬きょとんとしてから、小さく咳払いしました。


「申し遅れておりました」


三匹のほうを向き直り、丁寧に頭を下げます。


「都で、ちょっと横文字の多い会社におります――

 チュア太郎と申します」


一拍おいて、イヌが吹き出しました。


「やっぱり“チュア”入るんだな!」


サルが肩をすくめます。


「ここまでの流れからして、そうとしか思えなかったけどね」


キジはうなずきました。


「名前を聞いたら、逆にスッキリしたわ」


チュア太郎は、少しだけ照れくさそうに笑います。

自分の描いた図が、人の頭の中にそのまま写り込んでいくような感覚。

自分の口から出た横文字が、相手の言葉として普通に使われ始める瞬間。


それを、彼はただ


「ちゃんと腹落ちしてもらえた」


としか思っていませんでした。


殴る代わりに図を描き、

怒鳴る代わりに説明し、

ときどき、甘い報酬で背中を押す。


そんなやり方で、世界をほんの少しずつ、別の形にねじ曲げながら――

チュア太郎の、やたら横文字の多い旅は、今日も続いていきます。


めでたし、めでたし。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ