第五話 赤い夜明け
「雪菜様、お目覚めを。」
御簾(竹のすだれ)の向こうからする幼女の凛とした声で、雪菜は薄く目を開けた。ぼーっと見知らぬ天井を眺めて数回瞬きをした。
「………おはよう、春姫ちゃん。起きたわ。今何時かしら?」
雪菜は上体を起こし、声の方へ向く。
「おはようございます、雪菜様!失礼致します。」
春姫は断りを入れた後、春姫は御簾を潜って雪菜の寝具の横へまで行くと、水を溜めた桶を置いて座った。
「兎の刻にございます。」
「兎の刻……?ごめんなさい。その時間の数え方には慣れてなくて…。」
雪菜は困った様に言う。
「『明け六つ』にございます。」
「…あけ…朝の…六時…ってことね。……今はまだ慣れないけれど、もっとこの世界のこと知らなくちゃね。」
「ご心配には及びませんわ。本日からはこの世界に慣れて頂く為の基礎知識の座学と、法力の制御の為の基礎体力作り、それから邪見に対処する為の基礎格闘術を学んで頂く予定ですわ。」
「あら……」
格闘術なんて…私出来るかしら…。
「月世様はやる気満々といったご様子で、早朝より『らじお体操』なるものをしておりましたわ。何やら珍妙な動きではございましたが、嶺岩も楽しそうに隣に並んで体操をしており、微笑ましい光景でしたの。」
不安な顔をする雪菜に春姫がクスクス笑いなが話す。
ええ……月世の様子は目に浮かぶわね…。
昨日の話を聞いてうずうずしていたのだろう月世を想像し、雪菜は苦笑いを浮かべながら、春姫の持ってきた桶の水で顔を洗う。春姫が手拭いを渡し、顔を拭く。
「お水と手拭い、ありがとう。」
…………洗顔フォームが無いのは困るわね。後で女房さんに相談できないかしら。
些細な問題に思うかも知れないが、女子高生からすれば洗顔フォームが無いのは大問題なのだ。
雪菜は白小袖を着替えるべく立ち上がる。
「まだ慣れませんでしょう。ご支度手伝わせて頂きますわ。」
「ありがとう、春姫ちゃん。」
着替えすら儘ならない現状を思い、雪菜は申し訳無さそうに笑った。
覚えることが多すぎるわね……。今日は本当に大変な日になりそうね。でも長女なんだもの私がしっかりしなくちゃ!
青い袴の帯紐をきゅっと閉めて気合いを入れ、顔を上げた。
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「おはよう、月世。おはようございます、水兎様。」
「おはよー、雪姉ー♪」
「おはようございます、雪菜様。昨晩はよく眠れましたか?」
「お陰さまで、しっかり睡眠が取れました。ありがとうございます。」
「それは良かった。さあ朝餉に致しましょう。」
水兎は爽やかに笑った。
目の前にお膳が二つ運ばれ、その上には朱色の小さな皿がたくさん並ぶ。左手のお膳には野菜や魚の切り身が乗っている。右手のお膳にはご飯と…塩と味噌と透明な液体。
((どうやって食べるの。)かしら。)
姉妹に緊張が走る。お膳をじっと見つめ固まる姉妹に、察した水兎が袖で口を隠し笑った。
「ははは。大丈夫ですよ。ここに礼儀作法をとやかく言うものはおりません。ご自由にお召し上がりください。」
それを聞いて姉妹は安堵した。
「じゃあ、いただきます♪︎」
「いただきます。」
月世が元気よく手を合わせ食べ始めたので、続いて雪菜も手を合わせて箸を持つ。
野菜の煮物に蒸した魚の切り身。どれもやはり薄味だ。塩や味噌をつけて食べると丁度いい。
雪菜はお膳におかれた液体を手に取る。
(これは……お酢ね。この世界では調味料は別で付いて来るのか主流なのかしら………。)
「やはりそちらの世界とは、食文化もかなり異なるようですね。」
お酢を手にして考える雪菜を見て、水兎が困り顔で声をかける。
「いえ……。母の手伝いで料理はする方でしたので、興味があるんです。良ければそう言った事も知りたいです!…あ…勿論、基礎知識が優先なのですけど……。」
「雪姉の作る魚の漬け丼は絶品だよ~!あと白身魚のフライ!イカの味噌和えも!私は料理下手だから、凄いなっていつも思うよ♪」
「ありがとう。そうやって喜んでくれるから、料理が大好きになったんだよ。」
そんなふたりを見て水兎か微笑む。
「ここは玉鱗城の敷地内にありますが、料理は城の厨とは別に、この境内で作られております。お恥ずかしながら私は、料理に関しては知識が乏しく...詳しくは後程、厨番を紹介致しましょう。」
「ありがとうございます!」
普段ほわほわした雪菜にしては、珍しくテンションが上がりっている。その様子を見て水兎は嬉しくなる。
(どんなことであっても、この世界の事に興味を持って下さるのは嬉しいですね…。)
和やかな空気の中、食事が進む。
「そう言えば浪牙様は?」
思い出した様に月世が尋ねた。
「ここに来てからお会いしてないわね。やっぱり皇子様だから忙しいのかしら。」
水兎が少し困った顔をした。
「それもそうなのですが……。殿下は早朝より既にこの豊湘を発ち、御使い様捜索に戻りました。」
「「えっ」」
姉妹は驚きの声を上げた。雪菜が心配そうに眉を寄せる。
「水兎様。浪牙様は……かなり無理をしているのではないでしょうか……。国の事を考えれば無理もないことですが……王様がお倒れになって、さらに浪牙様まで倒れてしまっては……。」
「ええ……。何度も言っておりますが、私の言葉など聞きゃしないんですよ…昔からね……。」
水兎は大袈裟にため息を付く。
「古い付き合いなんですか。」
月世が疑問を口にする。
「はい。幼少からの中ですが……なんとも頑固でして…。」
水兎は呆れた笑いを浮かべた。
「「あー……」」
姉妹も苦笑いをし、浪牙の見るからに堅物そうな難しい顔と眉間の皺と思い出す。
「しかし…妹の捜索ななのに丸投げしてしまい……」
申し訳無さそうに雪菜が言う。
「大丈夫ですよ。浪牙様としても、城に籠って兵を動かすより、動いている方が幾分か気がまぎれるのでしょう………。」
皆が食事を終えて、女房によりお膳が下げられる。
「さあ!捜索は浪牙様にお任せして、我々には沢山やるべきことがあります。学びと謁見の日程はこのように。」
水兎は床に巻物を転がして広げた。巻物には、びっしり文字が敷き詰められている。
「こ…これはぁ~……」
普段勢いのある月世でさえ戸惑う。
「緻密な日程ですが、私が補助致します!さあさあ!張り切って参りましょう!」
水兎が勢いよく立ち上がる。
「えいえい」
「「おー……」」
水兎の掛け声に雪菜と月世は顔を引き吊らせながら答えたのだった。
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早朝に左近衛軍を引き連れ王都豊湘を発った浪牙は、森の中で出くわした邪見を討伐しながら進む。
宵の刻、南の捜索拠点と指示した『青竹の塔』にて右近衛軍と合流を果たす。
「予定より遅くなってすまなかった。勝利、引き続きの捜索ご苦労だったな。」
「はっ!殿下の指示通り滞りなく。しかし少々気になることが………。この辺りは西に比べ、やけに野獣が少ないのです。森から生き物の気配がしない。何か潜んでいる可能性を否めません。」
勝利と呼ばれた武官が返答する。
まだ二十代前半といった見た目の青年だが、年の割に落ち着いた話し方をする。
「ビビってんのか勝利大将殿。」
浪牙の後方にある陣幕の入口から、ニヤニヤ笑う武官が入る。
「殿下…、有利大将殿はお疲れでしょうし城に置いてくるべきだったのでは。……帰ってもらいましょう。」
勝利はツリ目を細めて有利と呼ばれた武官にガンくれながら浪牙に進言する。
有利と呼ばれた武官も一歩も引かず、タレ目を細めて下から睨め上げる。
このガラの悪いふたりは、同じ年頃、同じ背丈、同じような体格だが、決定的に纏う雰囲気が違うのだ。見るからに堅物そうな勝利と、楽観的な振る舞いの有利。双方睨み合いが続く。
「お前達は本当に仲がいいな。」
ふふっと笑う浪牙。
「「どこがですか!!!!」」
勝利と有利は浪牙を見て食い気味に叫んだのだった。
勝利の父、中村|必勝竜宮玉鱗国右近衛軍総大将と、有利の父、大田好機竜宮玉鱗国左近衛軍総大将もお互いに切磋琢磨し強くなった。この国の屈強な二大防壁として、仲良く喧嘩をする父達を見て育った勝利と有利もたま、お互いにライバル同士である。
「ごほん…バカのせいで話が脱線しました。戻します。」「誰がバカだ!」
勝利は有利をガン無視して続けた。
「この森から伴洋の街にかけて、何か居る…と見て間違いないでしょう。森の捜索と街の捜索、同時に進めたいところですが、まずは潜む何かへの対処が最優先かと。捜索範囲を伴洋にまで拡大するのはその後になります。」
「潜む何か…か。殿下。やはり邪見でしょうか。」
有利の脳裏には西の蛍火の谷で対峙した巨大な邪見が過る。
「いや……西にも邪見はいた。だが森には多く生き物が居ただろう。……分からぬ以上、慎重な行動を心がけよう。勝利の言うように、明日は双軍とも森の捜索からだ。」
「「はっ!!」」
「捜索部隊数を減らし、一部隊の人数を増やすよう組み直せ。各部隊まめな伝達をするよう。」
「「御意」」
ふたりの大将は陣幕の外へ出て、各近衛軍に指示を出す。
夜が更ける。夜営も静まり返り、月の光が陣内を照らす。
浪牙は一人、剣の素振りをする。己の不甲斐なさに直面して数年。嫌と言うほど思いしる無力。脳裏に過るは民の声。嘆きと怒りに満ちた眼差し。それらを振り払うかの様に剣を振る。
不意に闇を絶つようにひとひら光が閃く。浪牙は瞬時に剣で受け止める。
「お見事!」
少し離れた場所で、有利が感嘆の声を上げ拍手をする。
勝利の放った突きの一撃を受け止めた浪牙は、眉ひとつ動かさず、勝利の剣を推し返して撃ち込む。
「くっ…」
斬撃の重さに勝利が奥歯を噛みしめる。口角が上がる。
間合いをとり、一、二、三回と剣がぶつかり合い火花が散る。
すると切り結ぶ二人の外から、有利が勝利に目がけて剣を振り下ろす。勝利と浪牙が後ろに飛び躱す。
浪牙は後ろに飛んで着地した左足の膝で、着地の反動を殺してそのまま瞬時に前に踏み込んで有利に斬り込む。
有利は浪牙の一撃を受け止めた。瞬間、左後方から勝利お得意の神速の突きが飛んでくる。
しかし有利は勝利の突きを見切り、体を右に回転して浪牙の剣をいなし、勝利の突きを躱す。
三者とも一度距離をとり直し、剣を構える。
「手荒いな。」
浪牙が薄く笑う。
「ひとり素振りをするより楽しいでしょう。」
勝利も楽しそうにわかった。
「流石に城でこんなんしたら親父にどやされるんで、内緒にしてください…よっ!と」
有利が踏み込むと同時に浪牙と勝利も間合いを詰める。
浪牙が有利の剣を止める。
「いやバレた、らどやされるどころかクビだから!」
勝利が横から有利の胴を薙ぐが、有利は浪牙の剣を推して反動で上体を反り躱して下がる。
浪牙が踏み込み追撃をする。
「そうだな。バレたら文字通り…首だわな!」
有利は豪快に笑って浪牙の攻撃に対し、姿勢を低くして下から上に払う。
弾かれた剣を飛ばさぬよう両手で握る浪牙は両腕が上がる。
空いた胴へ透かさず有利が踏み込む。
しかし浪牙の前に勝利が割り込み、突っ込んで来る有利の右手首を狙った。
有利は瞬時に右手を剣から離し、勝利を左に躱す。
体勢を崩した有利に、構え直した浪牙が切り込む。
有利は大きく状態を剃らし、片手でバク転をしてふたりから距離を取った。
「あーあ、二対一はズルいだろ~。」
むくれる有利にふたりが笑った。
それから三人は何度も何度も切り結ぶ。時間も忘れて、チャンバラに夢中になる子どものよう。
「はっ…はっ…はぁ~流石に疲れた~。」
有利が声を上げる。
白熱して気がつけば上着はどこへやら、三人とも着物から両腕を抜き、上裸に袴で仲良く並んでひっくり返っている。今日の夜空には星が無い。
「疲れたけど…はっ…はっ……すっきりしますでしょう、殿下。」
勝利が目を閉じたまま、浪牙に問いかける。
「ああ……。…はっ…はっ……くくっ…悪くないな。」
息を整えながら浪牙が答えた。
呼吸が落ち着き、沈黙が落ちる。
「殿下。……我々に出来ることは、これくらいしかありません。ですが、無いよりマシでしょう。」
勝利が起き上がり浪牙に笑う。
「……そんな言い方はよせ…。お前達が居なければ…とても困る。」
むっとしながら浪牙も上体を起こす。
「ひゃー嬉しいね~。頑張りがいがあるってもんだ。」
茶化しながら有利も起き上がった。
「照れてるのか、有利。」
「うっるせぇぞ、勝利。」
がやがやと口喧嘩を始める大将ふたりに、下を向き浪牙が呟く。
「すまない。ありがとう。」
ふたりは浪牙を見て笑った。
「「ええ。/おう。」」
「さて、さっさと寝ますよ。」
勝利が立ち上がる。
「こんな汗だくで寝れるかよ。」
「それはそう。……殿下、水で汗と土を流しましょう。」
勝利が提案し浪牙に手を差し出す。下を向いていた浪牙が顔を上げると、ふたりはニッと笑っていた。
「座り込んでしまったら、いつでも我らをお呼び下さい。」
浪牙は目を見開く。そして目を細めて困ったように笑う。珍しく眉尻が下がっている。
「ああ。…そうしよう。」
差し出された勝利の手を力強く掴んだ。勝利が勢いよく引っ張り、浪牙は立ち上がる。
「引っ張り上げるのも俺らの仕事なんで。」
有利は、くしゃっと笑った。
「いやお前今、引っ張ってないだろ。」
勝利がマジレスする。
「う…うるせぇよ!俺にも何か良い感じのこと言わせろ。」
そんなふたりを見て浪牙が薄く笑う。
(俺には勿体ないくらいの……)
ドンっ!!!!!
「「「!!!!!」」」
森から凄まじい音がした。三人は慌てて音のした方へ向かい、陣幕の外に出る。勝利が正面で見張りをする部下に見張りに声をかけた。
「何事だ!?」
「わっ…分かりません!!何者かが木を薙ぎ倒したようで……!!」
慌てて見張りの者が答えた。寝ていた他の近衛も先程の音で目覚め、わらわらと駆け付ける。
ドンっ!!!!!
またひとつ木が倒れる。
ドンっ!!!ドンっ!!!
まるで破裂でもするような音の度に木々が倒れる。
「………ッ!来るぞ!総員構え!!」
森の暗闇を睨みながら、有利が叫んだ。
暗闇に無数の炎が揺らめく……。
(…炎…いやあれは……眼だ!!!)
浪牙が眼だと認識した次の瞬間には、巨大な猪が浪牙の正面に迫っていた。
浪牙が間一髪躱す。次々と森から飛び出る猪の群れだが様子がおかしい。
「これは…猪!?いや…まるで魔獣だ!!」
躱しつつ勝利が叫ぶ。
魔獣は通常の五倍はあろうかと言う巨体に、大きな牙と光る目玉。皆が知る猪とは程遠い禍々しさど獰猛さをしている。
「ああ!恐らくその類だろうよ!!正面から受けるな!吹っ飛ばされるぞ!!」
次々に魔獣が武官へ衝突する。衝突をまともに食らえば、全身の骨が砕け内臓が破裂する。
「ぐぁあぁぁぁぁあ!!」
「ア!ガっ…ぷぱ…」
「嫌だあーーーグェッかはッ…………」
魔獣は吹き飛ばし地面に叩きつけた兵を、鎧ごと難なく噛み砕く。無数の悲鳴が夜の森に響いた。
「あぁああ…俺はまだ…死にたく…死にたく…な……」
腰を抜かして尻餅をついた若い武官。足は震えて立てず、体に力は入らない。必死に手で地面を手繰りよせ後ろへにじり下がる。
しかし無情にも若い武官の正面に炎の目が揺らめいた。
「ひぃ!!あ…。(おわた)」
若い武官は全てを諦め強く目を閉じた。
ドゴン!!!
轟音が響いた。しかしこの騒動の中、誰も見向くものはいない。
「上に躱し、躱し際に眉間を突け!!!」
浪牙が叫んだその声で、若い武官は目を開ける。
「ひぃいぃぃ!!」
武官の目の前には大きな魔獣の眼があった。先程の轟音は野獣が倒れた音のようだ。まだ目が動く。即死とはならず動こうとする野獣。
「あばばばばば」
グサっ。
浪牙は魔獣の背に飛び乗り項ひと突きした。
若い武官がついに泡を吹いて倒れたのは、魔獣が再び倒れたとほぼ同時だった。
「猪突猛進つったって限度が…あんだろ!!」
有利が魔獣の突進を高く躱して眉間を突く。
「まあ慣れれば容易いがな!」
勝利は突進してきた魔獣を上に躱し、華麗なカウンターで眉間をひと突きする。そのまま宙で翻り、横から来たもう一体の魔獣の脳天を突き、着地と同時に二体の野獣を地に沈めた。
「どうした。手こずっているのか有利。」
有利を見てドヤる勝利。
「うるせぇ!煽る暇があんなら手ぇ動かせや勝利!」
対策が分かり反撃の流れが出来た。しかし魔獣の動きが見きれなければ、攻撃が出来ない。躱すことも出来ないものや躱すのがやっとと言ったものも多い。
「……一体…何体いる。」
(御使い殿の…あの力があれば……)
浪牙は蛍火の谷での巨大邪見戦を思い出し、己の非力に苦虫を噛み潰したような顔をする。
(非力なこの剣に何が救えると言うのか。)
浪牙は黙々と剣を振るっていく。
どれくらい経ったのか。辺りはまさに血の海だった。獣と人の残骸がごろごろと横たわる。浪牙は血の海の中、ゆっくり歩くき辺りを見渡す。
(……何人…残った…)
べちゃっと血肉を踏む音がした。振り向くと魔獣の死骸の上を越えて勝利がひょこっと顔を出す。
「ああ!殿下!………良かったぁ。」
心底ホッとした顔で魔獣から飛び降り、駆け寄る。
「私としたことが殿下を見失いました。もしものことがあれば私は……。」「オジキが怖くてこのまま国外逃亡してたろ。」
ガハハと笑って大きな死骸の陰から有利がひひょっこり現れる。
「……なんだ生きていたのか有利。」
勝利はジトっとした目で有利を見た。
「こんなんでくたばるかよ勝利。」
有利は余裕とでも言うように軽い振る舞いをする。
勝利と有利が生きていることに、浪牙も内心ホッとした。しかし顔には出さぬよう努める。
「しかし…被害は甚大だ。」
冷静に浪牙が見渡す。
「動けるものは一度、塔へ集合せよ!……我々はまだ生きているものを探すぞ。」
浪牙の指示にふたりが頷く。
捜索隊には左近衛軍・右近衛軍から各々、中隊規模の人員を割いていた。その数三百人である。それは大隊にも匹敵する人数であり、更に近衛軍は国でも選りすぐりのエリートだったのだ。
しかし今や、魔獣の襲撃によりその数は二割程度、六十三人となったのだ。
体の部位を欠損した者や深い傷を負った者もいる。動けるものはが処置をするが、応急措置がやっとだ。
この惨状に有利が険しい顔をし、キツく奥歯を噛み締めた。
「このまま伴洋へ進むのは不可能でしょう。一度、豊湘に帰還しましょう。」
冷静な勝利の進言だが、浪牙は口元に手を持っていき深く考え混んでいる。
「伴洋の民は………」
「え?」
浪牙の呟いた小さな声を勝利が聞き返す。
「最後に伴洋から上がった報告は……海が荒れて漁が出来ぬといったものだった。あれから一年半は経っている!……伴洋の民たちはどうなっている!街の外に魔獣がおり、流通も退路も絶たれた伴洋の者たちは…。」
勝利と有利がハッとする。
「直ぐに大隊規模の援軍を要請せよ!この青竹の塔に救護所を儲ける!このまま夜が明け次第、伴洋の救援を開始する!動けるものは着いてこい!」
浪牙の指揮に両大将が膝を突き拝礼する。
「「御意!!」」
夜が明けるまでの数刻、休むことなく大将ふたりと浪牙は話し合う。
道中には邪見がおり、まだ魔獣がいる可能性もあるのだ。早馬であれば、朝日と共に青竹の塔を発てば夕刻前には豊湘に着くだろう。各軍総大将指揮の元に夜間進軍をするとして、最速で明後日の昼前には伴洋に援軍が到着する算段だ。
「生き残った六十三人中、動けるものは我々入れても四十二人といったところです。」
勝利が報告する。
「明日街へ入る先遣隊は五人とする。俺とお前たちふたり。あとは各自で一人ずつ部下を選べ。」
「閉鎖された街がどうなっているのか……。」
「想像したくはねぇが……。」
両大将は険しい顔をする。
(どうか間に合ってくれ………。)
浪牙の目には祈る言葉とは裏腹に諦めが滲む。
もう間もなく夜が明ける。
本日の黎明は、鮮血のような赤色が空を染めていた。
夜はだいぶ冷えてきました。
ぶり大根食べたい。