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その定義には諸説あるが、短く見積もって三〇年、長く見れば半世紀にも渡って繰り広げられた<帝国>と<同盟>の戦争が終結したのは五年ほど前の話だ。
だが、当初はよくある地域紛争としてだらだらと無駄に長く続けられてきたこの戦争が、双方、抜き差しならない総力戦に発展してしまったのは、この両国の国境地帯に横たわる大砂漠の地下に莫大な地下資源が眠っていることが判ってしまってから──戦争も最後の一〇年間でのことだ。
それでも誰もいない砂漠のど真ん中で殴り合っている分には迷惑も少なかったのだが、ほどなくそれでは埒が明かないことに両軍共に気づいた。砂漠を横切る長大な兵站線を苦労して維持するより、その北方に広がる森林地帯を迂回して、敵の後方策源地を叩く方が効率的だという結論に達したのだ。
そんなわけで、チャム達の暮らすこの〈帝国〉西方辺境領地域は苛烈な戦場と化すこととなった。
折も折り、両軍の兵装は急速に機械化が進んでいた。そもそも、軍だけでなく社会全体の機械化の進展が、大砂漠の地下資源を必要としたが故の戦争であり、そうであるからこそ、互いに引くに引けない総力戦にまで発展してしまったという事情もある。
機械化された両軍は、森を切り拓き、田畑を潰し、軍用道路を次々に開通させ、山野を掘り返して重厚な縦深陣地に変えた。
敵の拠点には大口径の砲弾を次々に叩き込み、射界を確保するため、敵に隠れる場所を与えないためと称して、森や村を焼夷弾で焼き払った。
湖は埋め立てられ、補給や偵察に使う飛行船や航空隊の基地になった。
その結果、木々を喪い、保水能力がなくなった森林地帯は、次々に砂漠に呑み込まれてゆく。
こうして幾度かの大会戦を経て共に国力の限界に達した両国は、決め手を欠いたままうやむやの内に停戦に至ることとなったのだが、戦場となった西方辺境領地域が元の緑と水に溢れる豊かな大地に戻ることはなかった。
戦争の末期、兵力の枯渇に悩んだ両軍は、戦場で手足を喪った将兵に機械の手足を与え戦力として戦場に復帰させることを考えた。限界ぎりぎりまで行われた動員体制は、既に後方で社会を支える生産者人口にまで深刻な影響を与えつつあり、文字通り使える者なら病人や怪我人にでさえ銃を持たせて戦場に送り込みかねないところまで、両軍の司令部は精神的に追い詰められていた。
当初は単純な構造の義手や義足を支給するくらいだったのだが、戦争の激化と期を一にした急速な機械生体学の発達により、本来の人間の手足の代用品としての機能を越え、戦闘に最適化された「人間の兵器化」へと突き進むことになる。
これが「機人」──もしくは「機人」によって編成された部隊が「機族」である。
だが、戦争に最適化された彼らの存在は、戦争の終結によって意味を喪うこととなる。
問題は機械に置き換えられた手足だけではない。「兵器」として最大の機能を発するように調整されてしまった彼らの精神の多くは、戦後の平和な社会に適応できなかったのだ。
一方、停戦条約で定められた条項により、両軍とも大規模な兵力の配置ができなくなった西方辺境領地域は、混沌とした無法地帯と陥っていた。
戦争に特化した総力戦経済体制から平和な時代に適した産業構造への転換は、スウィッチを切り替えるようには簡単にいかない。必然として大規模な景気後退が引き起こされる。その影響は特に中原より辺境地帯に激しく顕れる。資本の蓄積やインフラの整備が不足しているから、資金流入の減少の影響が出やすいのだ。元より、戦前の主力産業だった農業や林業は見る影もなく、大砂漠の地下資源開発も停戦条約で向こう一〇年棚上げとあっては、戦場から返ってきた復員兵達に与えられる仕事なぞどこにもあろうはずもなかった。
加えて、両軍の遺棄兵器や機械車がそこら中に転がっているとなれば、あちこちで盗賊団が徘徊するようになるのも時間の問題だったと言える。
そうした盗賊団を取り締まれる戦力は、軍にも自治体警察にもなかったが、その内に縄張りを巡って盗賊団どうしで殺し合いを始めるようになり、力のある盗賊団を中心に合従連衡が行われていった。
そんな中で生き残ってゆく盗賊団の多くは、頭目や幹部の多くを機人が占める盗賊団だった。
単純に固体として機人の方が一般の兵士より戦闘能力が高いということもあったが、戦争末期に前線配備された機人には、機械車と接続することによって車輌や火器の自動操作が可能な者が多かったことも理由として挙げられる。
重武装の機械車で部隊を編成し、村々や街道を荒らし廻るのがこうした盗賊団の基本的なスタイルだったから、行き場をなくした機人の納まりどころとしては妥当なところではあった。
そして彼ら機人に率いられた盗賊団の多くは、かつての軍隊時代への郷愁からか、「機族」と自ら称する者が少なくなかった。
かくして、この西方辺境領地域では「機人」や「機族」と言えば、ろくでなしの無法者として忌み嫌われるようになっていたのだった。
ろくに具も入ってないスープを弟達の皿によそっていたチャムは、寝室から突如聞こえてきた獣のような咆哮に危うく皿を取り落とすところだった。
「ようやっとお目覚めか……」
小さく呟くと、怯えて縋りつく妹の頭を優しく撫でて安心させてから、少年を寝かせている両親の寝室へと向かった。と言って、掘っ立て小屋に毛の生えたような小さな我が家のレイアウトでは、リビングからほん数歩の距離でしかない。
ほとんど意識することもなく腰の後ろのホルスターに手を廻し、信号銃を改造した対機人拳銃の銃把を握る。父の遺品のこの銃を使わずに済むよう祈ってはいたが、それでもいざとなればまずはぶっ放せというのが辺境でのルールだ。
明かりを消した室内では、ベットの上で上半身を起こした少年が荒い息を吐き、額を機械の掌で押さえていた。帽子を脱がせてみれば意外に長かったその黒髪は、寝ぐせもあってか興奮した獣のように逆立っている。
悪い夢でも見たのか、とチャムは思ったが、単純にそう思っただけで、それ以上の感慨はない。
別に夢でうなされるのは、何もこの道で拾った少年の専売特許ではない。自分にもある。辺境に住んでいれば、悪夢のひとつやふたつくらい適当な折り合いをつけて生きてゆかねばならない。
ただ、首から下、すべてが機械化されているこの機人の少年の見る悪夢は、さぞや酷いものなのだろうなとも思ったが、それを訊いてどうなるものでもない。
なので、そのことには触れず、まずは必要なことから訊くことにした。
「あんた、名前は?」
「…………」
冥い地の底から地上を見上げるように目を細めてこちらを見る少年は、しばらく無言でチャムの顔を眺めてから、ぼそりと告げた。
「……クロエ……」
「そ」肯き、続ける。
「あたしはチャム。叔父さんを手伝って、この辺でスクラップ業者をやってる。ダタの街に回収した部品を卸しに行った帰りに、行き倒れていたあんたを見つけて拾ったの」
「…………」
クロエと名乗った少年は、感謝というより猜疑に満ちた視線でチャムを睨む。
礼の一言もなしかよ、と思いはしたものの、ならば遠慮なく金の話を切り出せるというものだ。
「悪いけど親切でやってあげたってわけじゃないの。あたしらスクラップ業者は、道に転がる遺棄兵器やら邪魔な機械車輛やらの残骸を片づけておまんまをいただいててね。道のど真ん中で行き倒れてる機人のガキを拾ってくるのも、仕事の内ってわけ」
「…………」
「あんたがそのままくたばっててくれたら、丁重に弔ってあげて、あんたの身ぐるみ一式がその代金になってたところだけど、めでたく生きてたことだし、感謝の気持ちは判りやすく示してもらえるとお互いに──」
「金なら、ない」
「……ま、んなこったろうと思ってたから、いいけどね。じゃぁ、代わりになる物だったら何だっていいわよ。機械部品の類なら、いくらでも金に換えられるし。何なら、腕の一本でも……って聞いてんの、あんた?」
チャムの台詞を無視して、クロエはしきりに周囲を探っている。
「こっちも幼い弟と妹抱えて、呑気に慈善事業やってられる余裕はないんだからさ。だいたい、あんたのその重い身体とあの荷物を運んでくるだけでもひと苦労だったんだからね。せめてガス代と手間賃くらいは──」
「荷物」という単語に反応したのか、クロエははたとチャムを睨む。
「……棺はどこだ?」
「ひ、棺?」真剣、というより血走った色の浮かぶ瞳に、チャムは思わずたじろいだ。
「あんなもの、ウチの中に入れられるわけないでしょ。表のガレージで、叔父さんが今ばらして……」
その台詞を皆まで聞かず、クロエはベッドから跳ね起きると、チャムの脇を抜けて寝室から飛び出そうとする。
「ちょっと!」
チャムの抗議の声を無視してリビングに出たクロエは、素早く周囲を眺め廻して外への出口を確認すると、身体ごとぶつかるようにして外へと繋がるドアへと突進してゆく。
「おい、こらちょっと待て!」
大人びた顔立ちの頭部に、一〇歳になる弟と同じくらいの背丈という奇妙な組み合わせのクロエの背中を追って、チャムもやむなく外へ向かう。
「お姉ちゃん!」
「ごめん、先によそって食べてて」
背中越しに弟達にそう告げ、クロエを追って外へ飛び出す。
「あンの、バカっ!」
罵りつつ、対機人拳銃をホルスターから引き抜く。棺について問いただすクロエの表情は尋常ではなかった。どうも拾った地雷の信管に触れてしまったらしい。事と次第によっては、引き金を引かねばならない羽目になりかねなかったが、形成炸薬を使用したこの銃の弾頭は、クロエの胸板くらい簡単に貫いて高温のジェット・フォイル熱噴流を体内に流し込んでくれるだろう。問題は、もともと信号銃を流用した程度の代物なので、よほどの至近距離でなければ当たらないということだ。
「使わないで済めば、それに越したことはないんだけど……」
安全装置を外しながら銃を両手で構え、ガレージを目指す。
回収した車輌の分解整備などを行うガレージは、歩いて数歩の叔父の家のそばにある。明かりの洩れるそこへと辿りつく前に、派手な破砕音が聞こえてきた。
「叔父さん!」
そのまま中に飛び込みたかったが、戸口で一旦立ち留まって銃を握る腕だけを先に突き出したのは、辺境に生きる娘の嗜みという奴だった。機人の手足の届く距離にうかつに近づいて、なます切りにされる趣味もない。
見れば、機械油の染み込んだコンクリの床の上で、作業着姿の叔父が腕を押さえ、うつぶせになって呻いている。クロエは? 銃身と視線の軸を決して逸らさないようにしながら、ガレージ内を素早く走査する。
いた。ガレージの奥で、クロエが棺に取り付いてしきりに表面を撫で廻している。
「動くな!」
銃を向けたままその背中に怒鳴ってみたが、反応はない。ガン無視かよ、この野郎。ムカつく感情に促されつつ、それでもクロエの背中にいつでも対機人弾を叩き込めるように銃口は逸らさぬまま、慎重に近づいてゆく。
それに気づいているのかいないのか。ひとしきり棺を撫で廻すのにも気が済んだか、クロエは安堵の吐息をついて顔を上げた。
「……無事か……」
「無事か、じゃない!」
銃口から飛び出している対機人弾の膨らんだ弾頭を、クロエの後頭部に突きつける。
「動くんじゃないわよ。まずあんたの右腕のロックから外す。右腕を外したら、次は左腕。それから両足首。つまんないこと考えたら、すぐに撃つからね」
「おい」
「あんたの意見はいらない。あんたの全身をばらしてからなら、ゆっくり話を聞いてあげる」
言いながら、クロエの右腕の付け根を手早くまさぐってゆく。すぐに腕をボディに固定するロック部分らしき引っかかりを見つけ出し、外そうとした。
「って、何これ、〈帝国〉の標準規格品じゃない?」
ロック部分の上に薄いスリット上のパネルが付いていた。砂塵避けかしら。〈同盟〉系の部品でもあまり見ない仕様ね──整備士稼業の性で、ついついそちらに意識がいってしまったその瞬間、すっとクロエの身体が沈みこむ。
あっ、と思ったときには既に足を払われ、尻もちをついて床に倒されていた。
「……っ、痛~っ!」
呻いたものの、はたと気づいて銃を構え直す。が、その手に握られていたはずの銃は、いつの間にかクロエの手の中にあった。
「物騒なものを振り廻すんだな」
「う、うるさいっ!」
言いながら安全装置を掛け、弾頭を外す。細かい作業に向いているとはとても思えない無骨な金属の指は器用に動き、次いで弾頭発射用の空砲まで抜いて対機人拳銃を完全に無力化した。その上でくるりと銃を回転させ、銃把をチャムの方へ差し出す。
「返す」
そっけなく告げるクロエの手から、チャムはひったくるようにして拳銃を取り返した。
「別にお前達を傷つけたいわけじゃない」
「あったり前でしょっ!」反射的に怒鳴り返してから、叔父の安否に意識が向いた。
「叔父さん!」
慌てて駆け寄るその背中に、クロエは素直に謝罪の言葉を口にした。
「すまない」
「すまないって、あんたねぇ……」
「こいつには触ってもらいたくなかった」
言いながら、棺の表面を再び撫でる。その横顔には複雑な翳が差していたが、無論、今のチャムは同情してやりたい気分ではない。
「何なの、それ?」
チャムの問いに、簡潔極まりない回答が返ってきた。
「棺だ」
「見りゃあ、判るわよ。そうじゃなくて、中に何が入ってんのかって訊いてんのよ!」
「…………」
それ以上の答えはなかった。また無視か。この野郎。
よもや本当に屍体でも入ってるのかとも疑ったが、しかし叔父とトラックの荷台に運び込んだときの冗談みたいな重さを思い出して即座に否定した。たとえ大人が入っていたって、あんな重さになるはずがない。トラックの荷台に乗せるのに、備え付けのフックアームを使う必要があったのだ。少なくとも、チャムが覚えている棺の重さはあんなに重くはなかった。
まぁ、おおかた予備のパーツでも詰まっているのだろう。それにしては棺を見るクロエの陰鬱な表情が気になったが、本人が話したくないというなら、それ以上、突っ込む気にもなれなかった。
むしろどうでもいい。と言うか、こんな疫病神、一刻も早く追い出すべきという結論に急速に傾きつつあった。
「もぅ、金なんかいいから、それ持ってとっととどこにでも──」
「待った」チャムの腕を掴み、下から叔父が止める。
「勝手にその子の持ち物をいじろうとしたこっちも悪い」
「だって、叔父さん!」
また叔父の悪いくせが出たか、とチャムは胸でうめいた。戦前のまだ穏やかな時代に育ったためか、叔父には決定的な場面で判断が甘きに走るきらいがあった。根っからの善人であるこの叔父のことは基本的に嫌いではなかったが、時折、家出した息子の苛立ちが判らなくもないチャムだった。
「いや、そうじゃない」チャムの懸念を察してか、情けなさそうに苦笑しながら叔父は右腕を掲げて見せた。
「どうもさっき突き飛ばされたときに、やっちまったみたいで……」
「…………っ!」
ぶらんと不自然にぶらさがる叔父の右腕に声にならない悲鳴を上げたチャムは、即座にクロエの方を向き直った。
「あんたっ!」
「迷惑を掛けたことは謝るが──」
「このまま行かせると思ってんの?」
「…………」
よほどその時のチャムの表情が凄まじかったのか、肩を掴まれたクロエの仏頂面がわずかに引きつる。
それを見て、ほんのちょっとだけチャムの溜飲がさがった。
ざまあみろ。
ガレージから突き飛ばされるようにしてクロエの短躯が姿を現わし、次いでこの家の者らしき若い娘とその後ろを右腕を押さえた作業着姿の中年男性がついてゆく。
高感度の光増幅式モニターグラス越しに遠くからそれを眺めていた男は、独り言のように呟いた。
「……ええ、再び捕捉しました。どうやら地元の住民に拾われたようで、さっそくひと悶着起こしてますよ」
フルフェイスのヘルメットの下から含み笑いを洩らす。そのヘルメットに覆われた頭部も含め、無骨なプロテクターで固められた全身のライダースーツから足のブーツまで、闇のような黒で固めている。
その姿でまたがるのは、巨大なフロントノーズを突き出したモンスターバイク。前後両輪のタイヤは大人の胴回りほどもありそうな太さで、それを流線形の艶めかしいラインのカウルが包んでいる。ライダー同様、車体もすべてが漆黒に塗られ、こうして陽もとっぷりと落ちた辺境の宵闇にたたずめば、シルエットは簡単に闇に溶け込んでしまいそうだった。
「棺ですか? ええ、一緒に回収されたようです。テレメトリーは依然、良好。特に障害の兆候はありません」
そう報告を終えてから、ここにはいない相手から意外な返事が来たのか、男は軽く小首を傾げた。
「……お言葉ですが、今の彼に見合う相手となると──ああ、待ってください。二〇キロほど南方の旧街道を熱源が移動中ですね。規模からして申し分ない。こいつらにしましょう」
肯くと男はもう一度、モニターグラスを手にとってクロエの姿を捉えた。元の小屋のドアの前で、腰に手をあてた娘から何事か命じられているのをむすっとした表情でおとなしく聞いている。遠目で見れば、何やら姉に叱られる弟のような図ではある。
「……ま、愉しみに待ってなよ。いい退屈しのぎにしてやるから」
そう嬉しそうに呟くと、男はスターターを捻ってエンジンを吹かし、モンスターバイクを目覚めさせた。急速に高まる甲高い排気音はその辺りの機族どもが乗りまわしているバイクとはまったく次元の違う、凶暴なポテンシャルを予感させる。あるいは、邪悪な魔物の哄笑にでも例えるべきか。
そしてその巨体を驚くほど軽やかに操り、その場で車体を旋回させると、爆発するような加速を解放して男とバイクはその場を去った。