2人の決断
「エンテルンが鍵を握っておったとはのう」と言いながら、アルリフィーアは大理石の廊下をツーッと滑った。
それを見たウィンも滑った。アルリフィーアよりも滑った。
「私の勝ちですね」と言ってウィンはわははと笑った。
「次は負けぬ!」と、アルリフィーアは助走を付けてツーッと滑った。前回よりも距離が伸びたが、またウィンの方が長く滑った。
「また私の勝ちですね」と言って、ウィンはわははと笑った。
「な、生意気な! ワシが一番うまく滑れるんじゃ」
アルリフィーアは鼻の穴を広げて廊下を走った。その横をウィンがツーッと滑って並んだ。なんと小癪なやつ! だが、とても楽しかった。一緒に廊下を滑ってくれる者に初めて会った。
「そうそう、私は明日帝都に帰ります」
「え」
「いつまでもただ飯をむさぼっている訳にもいかないでしょう」
そう言って、ウィンはやる気がさっぱり感じられない目でアルリフィーアを見た。
ついに来るべき時が来た。アルリフィーアは最後の決断を下さなければならない。
「ここに残ってワシに仕えよ」
そう言えば、ウィンは残ってくれるだろうか。これからも一緒に居られるだろうか。
残ってくれるかもしれない。だがそれは彼女が望んでいたことなのか。無神経で遠慮もなく、公爵を公爵とも思っていない男。彼を家臣にすることを自分は望んでいるのか。家臣として跪かせ、命令に従わせたいのか。
曖昧で形容し難い現在の関係に、主従関係という名前を付けたいのか。
彼女は目を閉じて、今までのことを思い出した。笑ったこと。怒ったこと。笑ったこと。怒ったこと。怒った……怒ってばかりではないか。そして笑ったこと。
ウィンが家臣になった未来を想像してみた。死んだ魚のような目をしたウィンがいた。一緒に廊下を滑っていた。やはり、笑ったり怒ったりしている自分がいた。
でも……。
アルリフィーアの隣に居るのは、まだ会ったこともない帝国諸侯。アルリフィーアの腕の中には、その男との間にできた赤ん坊がいた。ウィンは、その3人を少し離れたところからニレロティスらと一緒に眺めている。ウィンがアルリフィーアの隣に並ぶことはあり得ない。公爵とヘルル貴族の間には、あまりにも深い溝が横たわっている。
答えは出た。
ウィンを家臣にしたいとは全く思わなかった。
「何の関係もない」というこの貴重な関係を大切にするためには、こうするしかない。たとえ、もう二度と会うことはないとしても……。
「そうか。そなたには世話になった。帰路の安全を心から祈っておる」
アルリフィーアはそう言って、ほほ笑んだ。精いっぱい、ほほ笑んだ。
夏はとうの昔に終わり、季節は秋から冬に移り変わろうとしていた。
名もなき帝国の物語 第2章『居眠り卿と木漏れ日の姫』は以上で完結です。お付き合いいただきありがとうございました。
続編『居眠り卿と純白の花嫁』も、よろしければお付き合いください。




