対南部3郡作戦 その2
ウィンという刺激が、カーリルン公の家中に活気を呼び戻す切っ掛けになった。アルリフィーアだけでなく、譜代の家臣たちもそのことに気付きつつあった。
目障りだが、役に立つ。ニレロティスはウィンを認めつつある自分に気付き、苦虫を100匹まとめてかみつぶしたような顔をした。感謝はする。だが嫌いだ。
カーリルン公の名において南部3郡の領主に出頭命令が下されたのは9月15日だった。出頭期限は10月1日。9月20日に、1500の公爵軍が各領主との境界に展開することも決定した。ニレロティスは5000の主力部隊を指揮することになり、ベルウェンが率いてきた50騎弱の騎兵も改めてカーリルン公と契約してニレロティス麾下に組み込まれた。
体制が決まれば、ウィンにできることは何もない。例によって、中庭の木の下に寝転んで居眠りを決め込んだ。
アルリフィーアはウィンの行動が読めるようになってきた。どうせあそこだろうと当たりを付け、1階の廊下をツーッと滑ってきた。やはり中庭だ。
ウィンの頬を人さし指でつつく。
「ほれ起きよ。いつまで寝ておる。起きろというのに」
起きない。
何だか腹が立ってきた。怒るほどのことではないはずだが、起きないのが無性に腹立たしい。
「起きろ。起きろってば!」。そう言って、頬に平手打ちをかましてしまった。
「イタッ!」
さすがに起きた。
「リフィは優しく起こせないんですか?」
「ウィンが起きんからじゃ。最初は優しくしたのじゃぞ」
「何か用ですか? 起こさなきゃいけないことでも?」
ウィンが頬をさすりながら顔をしかめる。
そうだ。なぜ無理に起こしたのだろう。話がしたかったからだ。といっても、別に話したいことがあるわけではない。何でもいいから話したかったのだ。
それより、ウィンが迷惑そうにしているのが気になった。アルリフィーアは話したいと思ったのに、ウィンはそう思わないのか。また無性に腹が立ってきた。
「別に用などない。寝ていたから、たたき起こした。それだけじゃ」
腹が立つ。顔も見たくない。なぜウィンといると、イライラするのだろう。
そっぽを向いたアルリフィーアなど関係ないというように、ウィンは話を始めた。
「記憶が戻ったときに思い出したんですが、先代のカーリルン公に一度だけお目に掛かったことがあります」
「何? 父上に会ったことがあるのか」
「5年……以上前かな? 帝都で。お言葉をかけていただきましたよ。厳つい顔立ちだが優しい目をしておられた」
「そう! そうなのじゃ。父上は一見怖い顔なのじゃが、目が優しいのじゃ。ウィンは分かっておるの!」
アルリフィーアは嬉しそうに笑った。また鼻の穴が膨らんでいる。
ウィンが12、3歳ごろのことだ。皇帝宮殿の侍従の下で働いていたとき、先代カーリルン公ラエウロント3世が通りかかった。廊下の隅に跪くウィンに気付いたラエウロント3世は、ウィンをしばらく眺めて何かを察したのか「そうか……がんばりなさい」と言ったのだ。当時はなぜ言葉をかけられたのか分からなかったが、今から思えばラエウロント3世はウィンの身の上を知っていたのだろう。
ふと横を見ると、目をきらきらさせたアルリフィーアがウィンを見つめていた。
「父上のことを知ってくれている人がいて、とても嬉しい。本当に嬉しい。ウィンの中にも父上が生きておられるのだな」
そう言って、アルリフィーアはほほ笑んだ。相変わらず、木漏れ日のような優しくて眩しい笑顔だった。
ああ、そういうことか。ウィンは自分自身への戸惑いの原因がやっと分かった。以前のウィンなら、北部を平定した時点でカーリルン公領から退去していただろう。これはカーリルン公領の問題である。監察使が必要以上に介入すべきことではない。南部の平定はカーリルン公がやるべきことだった。
帰るべき多々の理由を退けてこうしてカーリルン公領に居座っている理由とは何か。「居心地がいいから」だと思っていたが、もっと単純なことだった。この笑顔に未練があったのだ。
「あっ、公爵!」と言って、侍従の1人が近づいてきた。アルリフィーアを探して右往左往していたらしい。
「帝都から使者がいらっしゃいました。お会いになりますか?」
「使者? 誰じゃ」
「マーティダ宮内伯の使いで、ムトグラフ卿という方が」
「ムトグラフ!?」




