ラゲルス動く その1
帝都での待機を命じられたとはいえ、ラゲルスはのんびりしているつもりはなかった。ねぐらで一眠りしてから、最低限の身なりを整える。お貴族様に会わねばならないからだ。もっとも、正装など持っていないから、ここ数日間で汚れた体を拭いて洗濯済みの服に着替えただけだ。「悪臭はあまりしない」程度にしかなっていないが、平民は皆似たようなものだ。
取りあえず、ウィンの状況を「お貴族様」に知らせる必要がある。しかし、監察使の仕事の報告は誰にするのか。
「貴族社会のことは貴族に聞くしかねぇ」
だがラゲルスが知っている貴族などたかが知れている。「差し当たってはアレス副伯かな」とつぶやいて、貴族の邸宅街に向かう。確かアレス副伯も帝都に屋敷があると言っていた。場所までは知らないが、アレス副伯邸といえば誰か知っているだろう。
貴族の使用人らしき人間に何度か聞くだけで、アレス副伯の屋敷にたどり着いた。副伯ともなると敷地も広大で、行けども行けども塀が続いている。門にたどり着くだけで一苦労だった。門扉の前に立っていたアレス副伯の家臣は、「汚らしい平民ふぜいが何のようだ」と言わんばかりにラゲルスを追い返そうとしたが、帝国監察使の名を持ち出すと態度が急変した。だが、アレス副伯は領地に戻っているという。仕方がないので言づてを残して辞去した。「帝国監察使に関すること」ということで、確かに伝えると確約してもらえた。監察使がらみでなければラゲルスなど相手にしなかっただろう。
こうなると、残るはムトグラフだ。だがムトグラフの住居を探すのには難儀した。貴族社会の末端に連なる「ほぼ平民」のムトグラフのことなど、誰も知らないのだ。傭兵仲間や手下にも手伝わせて、やっとのことでムトグラフの家を探し当てたのはベルウェンが帝都を出発した翌日だった。
ムトグラフの家は、みすぼらしかった。平民が住む、ウサギ小屋よりはややましな小屋とは確かに違うが、ラゲルスが思い描く貴族の屋敷には程遠かった。建物は手入れされておらず、ボロボロだ。庭……というか建物の周りに存在しているというだけの平地には雑草がフサフサと生い茂っている。門から建物の入り口まで、獣道のように雑草が刈り取られているだけだ。といってもムトグラフ家が取り立てて荒れているというわけではない。この辺りの屋敷は似たようなものだ。零細の騎士階級では、建物の修繕も庭の手入れもままならないのだろう。
建物の入り口を開けて来訪を告げると、ムトグラフ本人が出てきた。使用人もいないのか、この家は。




