足元注意【東方二次創作】
秋の竹林。
竹の葉が風に揺れる中、藤原妹紅は道なき道を走っていた。
前方には妖怪──猪ほどの大きさで、全身が黒い四足の影がある。纏う空気からすると、さほど強くはなさそうだが、逃げ足はやたらと早い。
幻想郷では、妖怪は人間を襲って喰い、人間は妖怪を退治する。どちらか一方が増えすぎないための理であり、妹紅はそれに従って妖怪退治を生業にしていた。里の人間が退治に乗り出すのは危険すぎるから、死なない彼女がその役を引き受けている。
妹紅は足を速めた。体の奥に熱が灯る。
火を放てば届く距離だったが、あいにく周囲には竹が茂っている。葉に燃え移れば、あっという間に林は火の海だ。妖怪を一体仕留めるために竹林ごと燃やすのはさすがに気が引ける。
赤い瞳は前方を向いたまま。この道は何度も使っている。闇夜でも歩けるくらいには馴染んでいて、足元を見ずとも走ることができた。
その油断がいけなかった。竹の切れ目に差し掛かったとき、足元で、がちゃりと不吉な音が響く。妹紅は足を取られてその場にうずくまった。
*
その頃。人里の猟師が、弓と短刀を携えて竹林に入っていった。仕掛けた罠を確かめるためだ。
竹林は迷子や妖怪の危険が多いが、季節の茸や山菜、鳥や獣を狩ったりと、地元の人間にとっては恵みも多い。秋は猟の季節で、猟師たちは肉や毛皮を取って生計を立てていた。
最近になって広まった猟具がある。
虎挟みという罠で、二つの半円の金属板に、のこぎり状の刃が無数についた形をしている。罠の真ん中の板を踏むと、ばねが作動して足首に食い込み、獲物を捕らえるものだった。動く獣に鉄砲や弓を向けるよりも、動きを封じてから絶命させたほうが確実で、里の猟師に重宝されている。
虎挟みが幻想郷で広まったのには理由がある。
幻想郷には、外の世界で忘れられたものが流れつく。動物を不必要に苦しめるのは良くないという見方が広まり、山の猟が減ったこともあって、虎挟みを仕掛けるのは禁じられていた。
外の世界で忘れ去られたそれは「幻想入り」し、里でふたたび日の目を見たのだった。
*
罠を仕掛けた場所を遠目で眺めると、何かが身じろぎするのが見えた。
林の間から、白と赤がちらりと覗く。
獣では考えにくい色合いに、男は眉をひそめた。弓に手をかけたが、少し考えてから腕を下ろした。竹の間を踏み分けて獣道に入り、罠の近くへと足を運ぶ。
後ろから罠に近寄った猟師は、思わず声を失った。
少女が座り込んでいた。足首までの白い髪に、護符のたくさん付いた朱色の袴を履いている。表情は髪に隠れてこちらからは見えない。片足が罠にかかっていて、少女は背中を揺すって足を引こうとしていた。男の心拍が早くなる。
「おい、待て──!」
少女は泣き叫ぶでも助けを求めるでもなく、自分の足を罠から引き抜いた。弾けるような音は、罠が壊れたのか、足の骨が砕けたのか。
少女は上体をひねって、こちらを振り返る。袴の裾から覗く足に、赤い色が伝っていた。
「大丈夫か!?」
「……いや。もうちょっとで仕留められたのに」
「仕留めるって、何を」
「妖怪」
少女はどこか悔しげに呟いた。足のことを訊いたつもりだったが、どうにも話が通じない。
何にせよ、罠を仕掛けた側として、彼女を放っておくわけにはいかなかった。罠を踏むのは踏んだ側の不運だが、本人を前にして立ち去れるほど薄情でもない。
「永遠亭ってのが、この竹林のどっかにあるらしい。確か腕のいい医者がいるって。 道は知らねぇけど、今から探して」
言葉を探しながら肩に触れようとすると、少女はこちらの手首を掴んで下ろさせた。
「離れて」
猟師が動きを止めた瞬間、少女は残った手足で地面を蹴って、跳ねるように距離を取る。
その身体から、突然、炎が噴き出した。
反射的に後ずさりする。少し遅れて、顔に熱を感じた。猟師の目よりも高く火柱が上がる。
「え、あ……」
竹林に入る者は少しのことでは驚かないはずだったが、予想の斜め上を行く光景に、体が動かない。目だけが釘付けになっていた。
炎の中で、人影がゆらりと立ち上がった。両手を広げて伸ばす姿は、どこか飛び立つ鳥を連想させる。
火の手が収まると、先ほどの少女の姿があった。両足はしっかりと地面についていて、髪や服が焦げた様子もない。焼けたような匂いが微かに漂っていた。
「永遠亭なら知ってるよ。最近は患者の道案内もしてるしな」
立ち去ろうとして、少女はふとこちらを振り返る。
「……さっきのこと、誰にも言うなよ。余計な噂が立つと、面倒なんだ」
そう言い残すと、小径を曲がって竹林の奥へ姿を消した。
*
数日が経った。
妹紅が竹林を歩いていると、竹の間から泣き声らしきものが聞こえた。様子を伺いながら近寄ってみると、人の形に兎の耳、薄紫の髪が揺れている。
永遠亭の玉兎──鈴仙・優曇華院・イナバが虎挟みに足を取られていた。
妹紅が声をかけると、兎の背中がぴくりと揺れた。
「妹紅さん~! なんか変なのに挟まって困ってたんです!」
耳をしわしわにして半泣きの声で助けを求めてくるが、よく見ると、足首の少し上を布で縛って出血を抑えていた。薬師の使い兎だからか、応急処置の心得はあるようだった。
自分や輝夜ならともかく、兎の体を後ろから引っ張るのも不味いだろう。結局、手近な竹を拾ってきて、金具の間に挟んで罠をこじ開けた。
罠から解放された鈴仙は、座り込んで足を触っていた。顔をしかめているが、骨は折れていないようだった。
「……はあ。助かりました。なんなんですかこれ」
「獣を捕るための罠らしい。前に私がかかったやつと同じだな」
兎は驚いたように顔を上げた。
「えっ? 妹紅さんもこれ踏んだんですか!?」
「ああ。妖怪を追っかけるのに気を取られてた」
鈴仙を永遠亭に送っていくことにして、妹紅は肩を貸した。背負っていってもいいのだが、鈴仙はゆっくりなら歩けると答えて、妹紅の肩にもたれて歩き始めた。幸い、永遠亭はそう遠くはない。足元の整った道を選んで少しずつ歩く。
「狩る側が罠にかかるなんて嫌ですねぇ。で、誰か助けてくれたんですか?」
「猟師が一人。永遠亭に案内しようとしてたけど、断って帰らせた」
「そこは助けてもらいましょうよ」
そんな話をしていると、永遠亭が見えてきた。垣根に近づいたとき、顔に妙な冷気を感じた。
「なんか寒くないか?」
「確かに、何かひんやりしますね」
顔を上げると、垣根にチルノが腰掛けていた。水色の髪に氷の翼。霧の湖に住むはずの氷の精が、なぜか目の前で足をぶらつかせている。
「あ、兎。もしかして罠にかかったのー?」
楽しげな声に、鈴仙はぐったりした様子で応えていた。
「どうしてここに……」
「すっごい罠があるって聞いたから見に来たの。人間が作ったやつだって!」
そんなもん見に来るなよ、と妹紅は呟いた。
「ほんとドジだよね。あたいは天才だから、引っ掛からないもんね~!」
「……飛んでるから、じゃないのか?」
妹紅の答えに、チルノは言葉を返せなかった。
「ほら、飛んでるし、体が軽いからばねが動かないんだろ。かかるとしたら鳥もちだろうな」
「もち? 食べられるの?」
鳥もちを知らない様子のチルノに、鈴仙はここぞとばかりに説明を聞かせた。
「鳥もちってのは、枝に塗って鳥を捕まえる道具です。くっつくとなかなか取れないので、妖精さんは特に気をつけたほうがいいと思いますよ」
「えっ、やだなにそれ」
「お前が一番かかりそうだからな。明日はちょうど今いる辺りに仕掛けておくよ」
「そんなのに引っかかるわけないじゃん! あたいを誰だと思ってるの!?」
チルノが飛び去っていくのを見送りつつ、妹紅と鈴仙は永遠亭の門をくぐった。
*
竹林で使い兎が罠にかかったことで、翌朝には月の頭脳──八意永琳が動き出した。
調査の結果、なんと永遠亭の薬樹園の小径にまで虎挟みが仕掛けられていたことが判明した。どうやら人里の猟師が獣を深追いし、永遠亭との境界を越えてしまったらしい。悪意はなかったにせよ、見過ごすわけにはいかず、鈴仙が人里に出向いて苦情を申し立てることになった。
幸い、玉兎の治癒力は高く、永琳の薬の助けもあって、足の傷はきれいに治ったという。
永遠亭の垣根では、鳥もちまみれになってもがくチルノの姿が発見された。どうやら、自分が罠にかかるはずがないと豪語しつつ「鳥もちを見物しに来た」らしい──が、それはまた別の話である。