ep.1 マナエルフ
「…の子は…かる…で……か…」
「……して…だ………命は……り…………」
「(ここ…どこ…?)」
目を覚ますと見慣れない部屋にいた。
視界がぼやけていて暗い、そんな中月明かりに反射する点滴のようなものが見えた事で彼女は少しだけ思い出した。
「(病院……仕事の帰りにトラックに轢かれ…たんだっけ…体が動かない……)」
「よ……た…」
「(誰か話してる…)」
微かに聞こえてくる声はくぐもっていて誰のものかも分からない。
不思議なことに痛みはないがまるで自分の体ではないように手足は動かすことができず、唯一動かせる視線だけを頼りに状況を把握しようと努める彼女だったが、相変わらず視界もはぼんやりとしたままだった。
「しか……損…が…どく……」
「やっと起きたか」
突然はっきりと男の声が聞こえた。
まだ声や音がぼんやりとしか聞こえない中その男の声だけがはっきりと聞こえ、彼女はそれに対して強い不快さを感じた。
「俺に感謝しろよ?」
彼女は視線だけを声の聞こえる方に向けると声の主であろう男の姿が見えた。
視界がはっきりしていない為顔は分からない、でも白い髪と黒い服を着ているのだけはわかった。
助かった…?
男は彼女に近付くと彼女の視界を奪うように手を伸ばしてきたが、今の状態の彼女にはそれを拒絶する手段はなかった。
この人誰…やめて…
ダメだ…すごく眠い…
だれ、か…
「…、……」
「オ……」
「(なに…?)」
「オリビア‼︎」
「!」
「よかった…っよかった…」
「オリビア…っ…もう危険なことはしないでくれ…」
次に目を覚ますとぼんやりとしていた視界は晴れ、景色は大きく変わっていた。
「私…死んだ…?」
――――
「…まぶしい」
カーテンのないこの部屋は誰であろうと日が昇れば嫌でも目が覚めるだろう。
彼女が重たい瞼を擦り窓の外に目を向けると広場で中年の女性達が洗濯物を集めながら会話に花を咲かせていた。
「起きたのー?」
「起きたよ、おはよー」
「準備ができたら下にいらっしゃい!顔を洗う水は扉の前に用意してあるからね!」
「はぁい」
彼女は扉を開けて水の入った器を手に取ると少しだけコップに移し歯を磨き終えた後、顔を洗った。
そして服を着替え寝癖を直すために鏡を手に取り覗き込むと、そこには夏の木々を思い出させるような緑の髪と横に長い耳、そして主張の強いアメジストのような色の目をした彼女がいた。
ある日オリビアは木から落ち頭を強く打ちつけた事で前世の記憶を思い出した。
日本に生まれた前世の彼女は病気で早くに亡くなった父親に代わり懸命に働く母と幼い妹の三人で暮らしていた。
高校を卒業すると家族を支えるために就職。
母に少しでも楽をさせるため、とにかく必死で働いていた。
だがある日、仕事帰りに不運にもトラックにはねられ……
気が付けばここヴァイスと呼ばれる大陸の片隅にある名もなき小さな村でオリビアとして生まれ変わり、新しい人生を歩んでいた。
前世を思い出して数日は二つの記憶に混乱し、高熱を出して食事もままならなかったがやっと落ち着くことができた。
「オリビア、右手を出して」
「大丈夫だってば」
「ダメよ!欠けてたらどうするの!」
「もう…確認何度目よ…」
心配そうに右手を見ている母親に前世の母の姿が重なって見えたオリビアは気まずさを感じ窓の外へと視線を移す事にした。
窓の外では風で巻き上げられた衣服が宙で渦を巻く水の中を通った後洗濯紐に並ぶ光景が見られた。
―――この世界には魔法が存在する。
「さーて洗濯は終わったし、ご飯の準備しましょうか!ちょっとアンタ!火の加護頼むよ!」
「もうできてるわよ!」
「かまどもそろそろ大きくした方がええかねぇ…土の加護使えるのは誰がいたかね」
「(木が揺れてるみたい…)」
この村に住む人々は神に愛された種族、《マナエルフ》と呼ばれている。
マナエルフは木々の葉を思わせる緑色の髪を持ち、
自然界に満ちる“マナ”を吸収し蓄えることのできる特別な力を持った石を右手の甲に宿している。
マナは自然だけでなく虫や動物、人間などすべてのモノに存在するエネルギーだ。
人間などの知的種族は体内に存在するマナを消費して魔法を使うが、
マナエルフは石の力によって体内のマナを減らす事なく強力な魔法をいくつも使うことができる。
彼らは神から与えられたこの石を"神の石"と、そしてこの力を魔法ではなく"加護"と呼んだ。
神の石は形も色も人それぞれ違っていて、色合いによって扱う事のできる属性が異なるのだが、
オリビアの神の石は他のマナエルフとは違い宝石のような輝きを放つオレンジがかった黄色い石で、八芒星の形をしていた。
この神の石は大地の加護と呼ばれ、風と水と土そして植物の加護が使える特別なものであった。
植物を操る事ができるのはとても珍しく、村人達は大いに喜んだ。
―――しかし本人は最初こそ喜んだものの、すぐに落胆する事となった。
「よし、大丈夫そうね。もう無茶しちゃダメよ?あなたの神の石は特別なんだから」
「…特別って言っても家事にしか使えないんだから意味ないわ」
「風や水が操れれば洗濯も料理も掃除も楽で植物が操れれば食料だって困らないわ!まさに最高の加護じゃない!」
「……」
「オリビアだっていつか嫁ぐのよ?狩りや村の安全のために働く未来の旦那の為に今から練習しておかないと…」
「私も狩りに行きたい!なんで男の人だけ…」
「男は村の為に戦い、家族を養う。
女は家を守り、子供を産み育てる。
女が戦いに出たり狩りを行うのは許されない…村の掟、前から言ってるでしょ…?オリビアが思っている以上に村の外は危険なのよ」
残されたマナエルフは種を増やす義務がある。
オリビアは大人達から嫌になる程聞かされていた。
マナエルフはかつて世界に広く存在していたが、神の石の力に目をつけた人間達によって大きく数を減らされた。
わずかに生き残ったマナエルフ達はひたすら逃げ続け、
人の手が届かない山奥の険しい土地に移住し、やっとのことで安息の地を手に入れたのだ。
「……でも!」
「ただいま」
「あら!おかえりなさい!早かったのね?」
「ああ……オリビア、少し席を外してくれるか?母さんと話さないといけない事があるんだ」
「……わかった」
父親が帰ってくると助かったと言わんばかりに母親は駆け寄って行き、オリビアは話を切り上げられた事に不満を抱えたまま渋々と家を出た。
そしてなんとかこの気持ちを解消しようと家から離れ、自身が管理する畑へと向かう事にした。
「いいぞローレル!もう一度だ!」
「あっ…」
まるで地面を踏みつけるような足取りで畑に向かっていたオリビアの視界に幼馴染の"ローレル"が父親に剣の稽古をつけてもらっている姿が入った。
この村では12歳になると男は剣や弓、そして加護での狩りを覚え、女は家事を覚える。
オリビアはせっかく魔法のある世界にやってきたのに家事しかさせてもらえない現状に不満を溜めていた。
そのせいで剣術や加護の訓練をする幼馴染を見かけると羨ましく思い、いつしか避けるようになってしまっていた。
だが彼を避ける理由はもう一つある。
「あっ!オリビアー!」
慌てて来た道を戻ろうとしたオリビアだったが見つかってしまった。
ばつが悪そうに眉を顰めた顔を両手でほぐしてなんとか表情を作り振り向くとローレルは笑顔で手を振っていた。
「…ろ、ローレルおはよ」
「おはよ!どっか行くのか?」
「おいおい、剣術の途中だぞ?ローレルはオリビアの事が気になってしょうがねぇんだなぁ〜」
「なっ…!やめろよとーちゃん!」
「……あっ、家に忘れ物しちゃった!またねローレル!」
「あ、ああ!……とーちゃん余計な事言うなよ!」
「照れんなよ!早く孫の顔が見てぇなぁ〜」
「とーちゃん‼︎」
彼を避ける理由―――
村中が特別な加護を受けたオリビアと若く才能のあるローレルを夫婦にしてたくさん子供を産ませようと話しているのを聞いた事がもう一つの原因だった。
「(ホント、デリカシーが無い…)」
視線を落としつつ来た道を戻るオリビアは
前世の記憶が戻ってから以前よりも溜息の数が増えた事に気付いていなかった。
―――――
「だから明日村の男衆を連れて行方不明になった奴らの捜索と調査をする事になった」
オリビアが家に戻ると両親の声がまだ続いていた。
窓の近くに寄り、そっと聞き耳を立てると内容は穏やかなものではなかった。
「"モドキ"の仕業かしら…?最近よく見るって聞いたけど…」
「いや、その可能性は低いな。何年も山を降りて物資を調達してる奴らだ…とろくて頭の悪いモドキに今更やられるはずはない。おばばは人間の仕業じゃないかと…」
「…人間が…」
「もしかしたら俺達の存在に気付いたかもしれない。ここはおばばの水の加護の結界で隠されているから安全だとは思うが……」
「……」
人間が…?
小さな頃から聞かされていたマナエルフを狙う人間の存在
それを思い出し少しだけ恐怖心が湧いたオリビアだったが、慌ててそれを振り払うように頭を左右に振るとぐっと拳を握った。
「(もし悪い人間が村に来たら私の加護の力でぶっ飛ばしてやるわ…)」
「オリビアが男だったら…」
父親の一言に握っていた拳の力がすっと抜けた。
オリビアがそっと中を覗き込むとそこには泣いて謝る母親とお前は悪くないと慰める父親の姿があった。
その様子に呆然と立ち尽くしていると、2人はオリビアに気付いて驚いた後に、ばつの悪そうに視線を逸らした。
なによ、それ
「オリビア…」
「……私…戦えるわ…!」
オリビアは勢いよく部屋の中に飛び込むと震える手を握り締めながら両親の前に立った。
「わ、私の加護の力はすごいんでしょ…?男じゃなくたって役に立てるわ…!」
「オリビア、ごめんなさい…さっきの言葉で傷付けてしまったわよね……ごめんね……もう少しだけ外で待っててくれる…?」
「女だからって、戦えないなんて言わないで、…私…っ」
「オリビア…」
「皆の為に戦うわ…!だからお父さ…」
「女が生意気言うんじゃない‼︎」
家が僅かに軋んだ。
オリビアは耳の奥がキーンと痛むのを感じながら初めて聞いた父親の怒鳴り声に体が固まってしまった。
少ししてから鼻の奥がつんっと痛んで涙で視界がぼやける。
そこへ父親から追い討ちをかけるようにこのぐらいで泣くようなやつが戦えるなんてよく言えたモノだと溜息を吐かれた。
「っ…お父さんのバカ‼︎」
オリビアは涙を隠すように2人に背を向け自分の部屋に飛び込むと乱暴に部屋のドアを閉めた。
「っ…なんで…」
私には力がある。
なんで、女だから戦ってはいけないのか
……前世の記憶がなかったら、納得してたのかな…
オリビアはその場に座り込み必死に涙を拭った。
―――次の日
「オリビアはまだ部屋から出てこないのか…?」
「ええ…」
オリビアの父親は行方不明となってしまった村人達の捜索に向かうべく、装備の最終確認を行っていた。
捜索に向かう男達はほとんどがもう広場に集まっているというのに、彼が矢筒に入った矢を数えるのはこれで3度目だ。
「…言い過ぎた」
「私もひどいことを聞かせてしまったわ…帰って来たら皆で話をしましょ」
「……ああ、オリビアを頼む」
「必ず帰って来て」
父親が家を出る頃、オリビアはベッドの上で蹲っていた。
階段を上がってくる音がした後、
扉の向こうから母親の声が聞こえた。
「オリビア…」
「……」
「昨日は本当にごめんなさい…私もお父さんも本当に申し訳なく思ってるわ…」
「……」
「……あなたが戦うって言った時、お父さんとても怖かったんだと思う。人間は本当に恐ろしい存在だから……
お父さん今から調査に出かけるって………今ならまだ話せると思うけど…会わなくて大丈夫…?」
(「おばばは人間の仕業じゃないかと…」)
「…っ!」
オリビアが慌てて下へ降りて外に飛び出すと少し遠くに父親と調査に向かう人達の背中が見えた。
―――まだ腹が立ってるし納得もいってない、だけど
「お父さん‼︎」
気付かず歩を進める父親の背中に向け大きな声で呼びかけると父親はすぐに振り向きオリビアの元に駆け寄って、力強く彼女を抱き締めた。
「………オリビア、昨日はすまなかった。
だが、お前を連れて行くわけにはいかない。危険だ」
「……分かってる…」
「……問題が解決したら…一緒に狩りに行こう」
「えっ!ホントに…?」
「ああ。…実は父さんがまだ幼い時、狩りよりも料理に興味があったんだ」
「そうなの…?」
「ああ、それを知った親父に男が女の仕事をするなと叱られたんだが…お前を見て思い出したよ、その時すごく悲しくて悔しい気持ちになったことを…そして、俺の気持ちを察してこっそり俺に料理を教えてくれた母さんの事を」
「おばあちゃんが………」
「…そろそろ行かなきゃな。この話は皆には内緒だぞ」
「……うん‼︎…お父さん…必ず無事で帰ってきてね…」
「ああ、約束だ」
父はオリビアの頭を優しく撫でた。
彼は荷物を背負い直すと捜索隊の皆を連れて村の外へと出て行った。
オリビアはその背中に向かって残った村人達と姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
―――この世界に転生して、自分のことしか見えていなかった。
気持ちを前世に残したままで、この世界の人との間に壁を作っていた。
「オリビア、そろそろ家に帰りましょ」
「……お母さん…ごめんね」
「……っ」
「お母さん…?」
「なん、でだろ……いつも呼ばれていたはずなのに…お母さんって呼ばれて、…急に…っあは…なんで私泣いて…」
「……お母さん、今までごめんね」
これからは前世に囚われず、この世界で生きていこう
オリビアは大粒の涙を流す母をそっと抱き締め、前世を思い出した事で無意識に作ってしまった壁を取り払う事にした。
そして母と2人、父の無事を祈った。
――――しかし、父は帰って来なかった。




