9 クレメンスとの攻防3
たくさんの作品の中から目にとめていただきありがとうございます!
前回「スルメとか切りイカも同じよね」と自分とイカを一緒にしていたベルですが、今回は?
「あー、済まない、それは一体…」
存在を忘れていたクレメンスがおずおずと聞いてきた。そうだった、こいつがいたんだった。仕方がないからパントリーの棚から干しエビを取り出して見せた。
「これが干しエビ、海辺の地域ではよく使われる。水に漬けておくと中から味が染み出してくる。やってみせようか?」
「あ、ああ、でも、後でいい…ちょっといろいろ想定外すぎて…」
クレメンスは調理台に手をつき、俯いている。そうだよな、自分の常識が覆されるのって辛いよな。特にクレメンスのように優秀なやつが自分の守備範囲のことで思わぬものを見せられたら驚くだろう。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ…あの…あなたは、これを見つけるまでにどれくらいの時間をかけたのですか?」
クレメンスがベルに弱々しく、これまでよりも丁寧に問いかける。クレメンスが無理だと思っていたこと、これまでの人々が取り組んできたのに成し遂げられていなかったことを、この16歳の田舎に住む少女にできたことがショックなのだろう。これで短時間だったりしたら…しかしベルの答えは意外だった。
「ええとここに来て少し経ってからからだから2ヶ月くらいかしらね?」
「2ヶ月…思ったより…」
思ったより長い。干しエビとか言うから思いついてすぐにできるようになったのかと思ったが。俺の考えが伝わったのか、ベルはちょっと笑ってこたえる。
「この方法に気付いたのは海辺の商人が来てくれてからだもの。それまでもいろいろ試したけど、上手くいかなかった。実験にも時間がかかるから」
「あ…」
そうだ、もし魔力酔いが上手く抜けなかったとしたら、その間ベルはずっと2日酔いの症状で過ごしていたはずだ。何回くらい試したのだろう。
「ベル、期間は2ヶ月かもしれないが、回数は?」
「そうねぇ…1日に20回くらい試したかしら」
「「っっ!?20回っ?」」
俺とクレメンスは驚愕した。1日のうちで起きている時間が16時間とすれば、1時間弱で1回だ。1時間で魔石を作って魔力酔いを抜く?そんなことができるのか?俺、絶対に無理だ。そもそも魔力の引き出しはできるけど魔石を作るのは可否で言えば否の俺だ。引き出すだけでもあんな気持ち悪さなのに、しかもそれが2ヶ月って…1000回以上ってことか?
「やだ、そもそもそんなに魔力量は多くないから魔力酔いも酷くないし、最後の方はほら、だいぶこうして抜けるようになったから、そんなに大変じゃなかったし回数もそんなには多くないわよ?」
俺達の驚いた顔を見て、慌ててそう言ったベルだが、そんなに大変じゃなかったという言葉に俺達はさらに打ちのめされた。
「そう言えば…トウワ領でベルはずっと練習していたな」
俺は、出会った頃の10歳のベルがオエオエ言いながら家の裏手で特訓していたことを思い出した。ルナを助けたいという一心でものすごく努力できてしまう優しい子なんだ…いや、待てよ、もしや。
「ベル、まさかと思うけど、あの特訓、あれからずっと続けてたり…?」
「え?特訓なんてそんな大したものじゃないよ。ちょっと練習くらいで」
「でも、毎日してた?」
「ええ、それはそう。でも1時間くらいよ?」
「毎日1時間?」
「うん、5分で魔力を込めて、残りで魔力酔いを抜く感じ」
「ここに来る前からそのペースで魔石を作っていたってことか。その魔石は何に使っていたんだ?」
「魔力酔いが治まったら、作った魔石から魔力を引き出して物を冷やしたり熱したり、別なことを試したりしていたわね。それだけなら次の日までには体調も万全になるし。とにかく何か他にも使えないかなって思って。
第一魔石の魔力を抜かないと次の日に練習できないでしょ、魔鉱石は高いし…でも上手になったのはそれ2つで、他のはあまり上手くできなかった。
今も練習はしているけど、ここのところは冷蔵庫とコンロ用で温冷ばかりだから他のはあまりやってないの。ここは魔鉱石に困らないんだから、もう少し頑張らないとね」
1時間の練習と言ったが、その後できた魔石を使っていたならそれだって練習だろうが。それに、気になるのは…
「ちょっと、ねえ、その2つ以外って?」
俺が質問したタイミングでクレメンスが声を掛けてきた。
「あの、男爵、この話、私が聞いていてもいいのだろうか…?」
放っておいた彼の顔色が悪い。それはそうだろう、俺だって愛するベルのこの話は受け入れ難い。だって、それ以外の他のことって言ったら…
「ほかは浄化と光が多少で、風もほんの少し。土もちょっとだけだわね。治癒と守りは無理。氷と炎は魔石の魔力を使ったり、込めた冷気と熱気を集めたりすれば結果としてはそれを作れる温度の変化はおこせるけど直接氷や炎を出すことはできない」
「「!!!!」」
なんてこった、俺が知らないうちに愛するこの子は筆頭魔術士並の力を身につけていたってことか。こんなに大事に思っているつもりだったのに、全然理解できていなかったのか、俺は…。
呆然とする俺を見て、クレメンスは気の毒そうな顔をした。多分俺の気持ちがわかったのだろう。そうだよ、俺は自分のことで精一杯で、ベルのことをきちんと見ていなかったってことなんだろう。やるせない気持ちで頭が痺れて、涙が出そうになる。
「ちょっ、カイったら、なんて顔してるの。あなたが気付かなかったのは当然よ、だって私はあなたにバレないように隠れてやってたんだから」
「いや、あの、それ逆効果では?」
クレメンスがフォローするが俺は自分に隠していたという一言に、崩れ落ちた。
「どうして…俺に隠し事なんて…」
「もう!そうやってすぐに心配するからでしょう?具合が悪くなるようなことをするなって、そんなの必要ないって言うに決まってるもの」
「そりゃあそうだろ?あんな二日酔いみたいなの、なきゃないほうがいいだろう!」
「でも、私はここに、カイのところに来たかったんだもの。魔鉱石の産地であるここに。それなら上手に使えるようになっておきたいじゃない。あなたと、け、結婚するって決めてたんだもの、あなたの役に立ちたいって…でもそんなこと考えてるってバレるのは恥ずかしかったし…」
最後はゴニョゴニョ言うベルを見上げる。顔が真っ赤だ。そうだった、この子はそういう子だった。悪い感情での隠し事なんてできなくて、すぐに挙動不審になってバレていた。でも娘や俺に対してのサプライズなんかは本当にわからないように準備してくれてたっけ。
「ベル…ありがとう…でも、本当に無理はしてほしくないし、俺に隠し事はしないでほしいんだ…」
愛おしさや後悔や情けなさ、その他のいろんな感情が混じり合って、俺は思わず座りこんだままでベルを引き寄せ抱きしめた。
「お願いだから、君の全部を俺にくれ」
「カ…カイったら、何を今更。私はずっとあなたのものでしょう?」
ベルは抱きしめられるままに俺の腕の中でそう言って、背中に回した手でトントンとしてくれた。この世界ではまだ成人していないベルにこんなことをするべきではない。だけどこらえきれずに抱きしめた俺をベルは優しく受け止め、慰めてくれている。ああ、好きだ。
「うん…そうだ、君は全部が俺のもので、俺の全部が君のものだ」
「あー、その、だな…」
しばらくそうしていたら、ゴホンゴホンと咳払いが聞こえて、俺達はハッとした。そうだった、クレメンスがいたんだった。
「す、すまん、つい」
「ごめんなさい、お客様の前で」
俺達はパッと離れて、立ち上がった。
「いや、いいんだ。この場合、邪魔なのは私だということはわかっている。だが、私も仕事なのでもう少し話をきかせてほしい。頼む」
俺達のイチャつきっぷりに少し冷静になったのか、クレメンスは元気を取り戻した様子でそう言った。
俺達は先程の水溶液を調べた。天然の魔鉱石は水溶液の中心より下に、それを魔石にしたものはそれより下に、ベルが作った丸いリサイクル魔鉱石は水面より4〜5センチ下に、それを魔石にしたものは中心付近に留まった。リサイクル魔石は混ざり物があるから比重が違うのだろう。
ベルは採掘場からもらってきた魔鉱石は水溶液の中では上に浮かんだ枯れ葉やゴミを取り除くとその下にあるので集めるのが簡単でいいと言っていた。それにしてもこんな魔力酔いの解消と魔鉱石の選別が一緒にできるなんて、どうやって考えついたのかと思ったら、
「魔力酔いの解消のために水を使ってみたんだけど、その時に魔力酔い成分が混ざった水の中だと魔石が水中にとどまるのを見て、これは使えると思ったの。だから偶然ね。一石二鳥ってこと」
と事も無げに言われた。うう〜ん。解せぬが仕方ない。そしてクレメンスはと言えば、コンロや蛇口の仕組みを聞いて考え込んでいた。
「その、棒で擦ると発熱するというのは…」
「ああ、うん…なんて言えば…ああ、マッチ、マッチに近いかな」
苦しいところもあるが、この世界で擦ると発火するものと言えばこれだろう。キャンプの話はしてもわからないだろうし。いや、火起こしはわかるか?まあいい。
「ああ、そういう。で、その蛇口?というのは?」
「それは、裏の井戸から水を引いてきて、ここから出るようにしたの」
と言って水栓を動かして水を出した。
聞けば灯油ポンプと同じように井戸から水を上げて、そのまま管を通しているということだった。また灯油ポンプか…。しかも蛇口のすぐ近くには浄化用の魔石が仕込まれていて、そのまま飲めるという。
そして蛇口が2つあったのは片方は熱の魔石も使われていてお湯が出るということだった。ベル、すごい。浄化って…それできるの、聖女だろ。
お湯の方は魔石がそれなりの温度なので触らないようにと言われた。クレメンスがあれこれ見ながらじっと考え込んでいる間にこそこそ聞く。
「ベル、水道の浄化に使っている魔石って」
「中に小さく砕いて入れたの。ほら、ペットボトルろ過器の活性炭」
「ああ、昔作ってたな」
夏休みの自由研究で娘のマリエと一緒に作っていたことを思い出す。
「浄化の魔力を込めたあと、最初に温めた水溶液で蒸らす感じにすると、その後はそのまま浄化の力が出続けるの。交換は1週間に1回」
「あー、それアイスコーヒー作る時の…」
「そう、よくわかったわね?」
段々ベルの考え方がわかってきた。まあそもそもは塔子だし…料理とか家事とか仕事でやっていたことがアイディアや行動のもとにはなるよな。
「まあね…ねえ、それってどのくらい試したの?」
「そうねぇ…期間はそうでもないけど、魔石の量と砕いた粒の大きさと水溶液の温度と蒸らす時間を変えて試したから…4〜500種類くらい?」
「ごっ、500っ?」
思わず大きな声が出てしまい、クレメンスがパッと顔を上げる。
「男爵?」
「あ、いや、何でもない」
「そうですか…?あー、いや…この仕組みはよくできていますね。イ…あ、あの、男爵、婚約者のお名前を呼ぶことをお許し願えませんか?トウワ様、またはイザベル様と」
「あー…」
クレメンスがそういう理由はわかる。貴族の令嬢がやるにしては本格的だし、研究者として話したいんだろうな…でも本当に嫌なんだけど。そう思ってベルを見ると、俺を見て『なんでダメなの?』という顔をしている。その顔がもうダメ、可愛いから。でもベルの努力に気付き評価しているクレメンスだ。仕方がない。
「…ベルがいいなら…」
「いいですよ」
即答かよ!と思ったが
「じゃあイザベルで。トウワは…私、もう少しでタヴァナーになるから…」
とモジモジして可愛いから我慢することにした。
お読みいただきどうもありがとうございます。クレメンス回全然終わりません。