12 クレメンスとの攻防6
カイ、クレメンスを説得します。若者に対して大人げないかも。
「…カイ殿、私がその条件を飲まなければどうする?もう既にあなた達に何か秘密があることは今までの話でわかっている。私がこれをアンドリューやその上の王太子に俺が伝えれば、そして彼らが本気になれば、イザベル様は王都へと連れて行かれるだろう。そこで私は彼女から様々なことを教えてもらうことができる。
今ここであなたと取引をしてもしなくても私がイザベル様から学べるのならば、カイ殿はもはや優位に立っているとは言えないのではないですか?」
クレメンスが、落ち着きを取り戻した顔で聞く。ふむ、本当に賢い若者だ。でもこっちは長年妻を溺愛している、中身は60歳過ぎのヤバい男なんだな。
「そうしたければどうぞ」
俺がそう言うと、クレメンスの顔はひきつった。それはそうだろう、状況は彼が今言った通りで俺の方が不利なのだ。何を馬鹿な、といったところだ。でも、この若者が本当に賢いのであればきっと俺に協力する。
「んー、まあ俺の話を聞いてからにすれば?」
俺はローテーブルを挟んでクレメンスの向かいに座り、俺達の転生の話をして聞かせた。
前世の社会のこと、様々な科学の知識、多くの職業、そこではありとあらゆる魔法やテクノロジーの世界がファンタジーやSFとして存在したこと、そしてベルはその知識と自身のイマジネーションでもってこの世界の魔力をコントロールしていること。
全部を理解できなくて当然とばかりに話す俺に、驚きのあまり固まっているクレメンス。彼に追い打ちをかける。
「君は今聞いたことで理解できないものも多いと思うけれど、俺達にとっては全てが日常だったんだ。
それからさ、ベルは家事や子ども向けの科学実験で得た知識をヒントに考えることが多い。これは前世の俺達が暮らしていた国では『義務教育』といってほぼ全ての人が15歳までに受けていた教育が基になっている。
俺達にとっては普通のことだけれど、君たちにとってはどうかな。例えばタンパク質の熱変性なんて、俺達みたいな年代のやつらは基本は小学生、11、2歳頃に学校で習った。今だって多分中学生までにはみんな習って覚えていて、それが当たり前の世界で生きていたんだ。
ベルの説明はそれが前提だから、その知識も体験もないこの世界の人間に理解させるのは骨が折れるだろうよ」
クレメンスにプレッシャーを与えるために、小学生レベルで習うのは「卵は熱を加えると固まる」なんて簡単なことだけど、わざと難しく説明したのは許してほしい。こう見えて俺だって必死だから。
こんな風に、たとえベルを連れて行ったとしても、彼女の頭の中でイメージされているものを理解できなければ他の人は同じ現象を起こすことはできないだろうということや、だからここにベルを置いたまま、俺と協力してクレメンスがその力を使えるようになり、この世界に合わせた仕様に修正・改善して王都に持って帰るほうが理に適っているだろうことを言って聞かせた。
アンドリューが言っていた、守りの力どころではない様々な知識を得ることもできるだろうと甘い罠も一緒にだ。
「さっきベルが君に守りの力を込めろと言ったけれど、それ以上は説明がなかっただろう?ただやってみろというだけだ。俺なら、何かとっかかりがないか、前世の知識を元に聞くことができる。そう言えば、彼女は守りの力は自分には無理だ、できないとも言ってたよね?じゃあこれまでベルは何をどれくらい試してダメだったのか、そもそも最初にできると思って始めた時に前世で参考にしたものがあったのか、それも聞いてみようか」
クレメンスは俺の話を聞いて、本当はあの短時間にベルに聞くべきことがたくさんあったことに気付いたようだ。そうだよ、あの省略された話の背景には君の知らないいろんなことが隠れているけど、ベルはわざわざそんな説明はしないんだ。
「なあ、クレメンス、ここまでのことやこれから先起こりそうなことについて、君や王都の人々がベルから聞き出すことはできそうかい?うん、難しいだろうねぇ。
そもそも説明してもらうのも大変なんだ。なにせ彼女は質問されたことにそのまま答えることがないからさ…何故か聞いていないことを答えるんだよなぁ。そして説明されても君たちはきっとそれが何を指しているのかわからなくて、その説明も求めることになるだろうね。
そして更にその説明だって理解できないことだらけだ…ふふっ、ベルが可愛らしくほっぺを膨らませて『どうしてって、何が?何がわからないの?◯◯だからよ?』って言う姿と『◯◯って何だ?』って困惑する君たちが想像できるな
…どう?彼女1人を連れて行ったのでは何をするにも膨大な時間がかかるよ。そして山程の試行錯誤と失敗もついてくる。それは避けたいんじゃあないかな?」
クレメンスは黙って聞いていたが、想像したのか目が虚ろになった。そうだろう、ベタ惚れしている自覚がある俺だって忍耐力が必要なのがベルとの会話だ。でも、その大変さも合わせて俺にとっては大切で、失うことなんて耐えられないんだよ。
「これでどうするかは君に任せるが…最後に、クレメンス、俺は、俺達はいくつに見える?」
「え?いくつって?」
困惑するクレメンスに俺は言った。
「今さ、俺達はこの身体では18歳と16歳だけど、前世では俺とベルは40年近く連れ添った夫婦だったんだよ。子どもも2人いて成人していて、俺はもうじき60歳になるって時に死んだんだ。そしてその後ベルも亡くなったんだろう、転生してここに来た。それが既に数年前のことだ」
クレメンスの目が見開かれる。そうだろうな。この世界では60歳はかなりな年齢で貴族階級であれば敬われ、労られる立場だ。
「そこでは彼女は塔子、俺は隆史という名だった。ここに転生してきたのは多分俺の未練が大きすぎて、娘のマリエが作ったゲームアプリってやつに転生してしまったんだと思う。
そうか、転生モノって当時ラノベで流行していた題材だもんな…そう考えると俺の想像力もなかなかだ。
ああ、すまない、ゲームアプリがそもそもわからないよな、まあ文字ではないもので書物みたいに記録されているものなんだけど…ははっ、信じられないだろう?理解もできないだろうしな。逆の立場の俺だってそうだった。
転生した時は気が狂うかと思ったよ、二度と家族に、塔子に会えないんだと思って」
俺の話の真偽について、また自分はどうすればいいのかについて、頭をフル回転させているだろう顔色の悪いクレメンスを見ながら明るく続ける。
「でも塔子がベルとなってここに来てくれた。おそらくさ、俺の前世への未練が、亡くなった塔子を呼び寄せたんだ。
今なら、無自覚で自分勝手だった俺に神様か悪魔がもう一回チャンスをくれたんだとわかる。だから俺はこのチャンスを逃す気はないし、もし邪魔が入るなら全力で阻止する。
つまりね、お前たちが俺達の邪魔をするなら容赦しない。でも、そうだね、もう無理だと思ったら…その時は、もう一度転生することに賭けるよ。そして俺はその賭けに勝つと信じている」
そうだ、もしここでベルと引き離されることになったら、俺はもう一度転生できることに賭けて行動する…その意味するところは、自分自身の命を賭ける選択も辞さないということだ。
もちろんベルに無理強いなんてできないから、先に転生して彼女が転生してくるまでに暮らしやすい環境を整えておく。何故かわからないけれど、絶対にできると感じるんだ。黙って俺の話を聞いていたクレメンスも俺の意図に気付いたようだ。さっきよりも更に酷い表情をしている。
「クレメンス、お前が間違った選択をしないことを願っているよ。俺にとってはベルが全てで、お前ら若造やこの国なんか本当はどうでもいいんだ。
わかったら明日の朝までに決めろ。朝までお前がこの屋敷にいたら了承したと見なすし、姿を消していたら敵になったのだと考えて対抗するための準備をする。お前の目の前にいるのは領主になりたての若い男爵だけど、同時にかつて一度家族を失って後悔の念にかられた経験のある執念深い年取った男でもあることを忘れるな」
クレメンスは返事をしなかった。うん、仕方ないよね、俺、ベルが取られるかもって思ってからちょっと、いやかなり変になってる自覚ある。クレメンス、どう出る?俺は本気だぜ?
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