第4章6幕 だたそこにあるだけの世界は、慈悲深くも残酷でもある
世界とはただそこにあるものである。意志はなく、故に慈悲もない。そこに慈悲を産んだのはこの世界では竜だった。そして今や竜は捕らわれ、自らの存在が為だけに行動する神が君臨する。己以外の全ては道具に過ぎない。神により慈悲は奪われた、ゆえにこの世界は残酷なのだ。
確かに希望はあったのかもしれない。だが今それも潰えようとしている。その力は世界にとっては巨大だったが、神にとっては無意味だった。信じた人族も魔族も裏切り欺き道具にする。きっとこの大陸の人々も神によって正のマナを完全に奪われたのだろう。
この残酷な世界で大切なものを守るなら、己もまた残酷でなくてはならない。師はそう言った。敵に情けをかけるな。油断は仲間の死をも招くと。ああ、俺はただ油断をしていたのか?全力を出していたのではなかったか?まだ力が残っているのか?この抜けていく感覚の中でそれを考えても無意味なのかもしれない。
だがどうか仲間と大切な家族・友人は守りたい。魔族にも約束をした。それが果たせないまま消えるしかないのか。不意に世界が明るくなる。
『こうやって話せる事を待ち望んでおりました。異界の者よ』
「あなたは白き竜ですか?」
『左様。この世界に最初に降り立ったマナを司る竜です』
「すみません、守ってもらってここまで来たのに」
『あなたはまだ力を残していますよ』
「今こうしている間にも身体から力が抜けているのにですか?」
『ええ、あなたは莫大なマナを持っています。それは私と同質であり、この世には存在しない別世界の物』
「元の世界のマナですか?」
『そうです。それを全て引き出せば、あのような者に後れを取る事はないでしょう』
「どうすればそのマナを引き出せるのですか?」
『自ら限界を決めない事です』
「限界を決めない…」
『私も内側から結界の破壊を試みていますが、2000年かけても無理でした。今の私は貴方がこの世界に来た時のマナの揺らぎに干渉する程度しか出来ません』
「仲間が向かってます、貴方を自由にしたい」
『それにはあなたの力も必要でしょう?さあ、限界という概念を捨てなさい』
「限界を捨てる…」
『あなたの可能性を全て解き放つのです』
アルトは地面にあおむけに倒れ天を見つめていた。その視界には憎々しいほど優雅に神が天に浮いている。リリー達が何もできずに逃げてくるとでも思っているのだろう。もしこのまま自分が倒れたままだったら、リリー達は上手くやっても神に殺されてしまう。シズクも、レオニスも。
「限界を…捨てる」
『道具、何か言ったか?」
「全てを…捨てる!」
アルトが力を振り絞り叫ぶ。神は狼狽えた。確かにもうすぐ死ぬはずだったと。しかしこの道具はマナを増大させている。それは星のマナに匹敵する…いやそれ以上だと感じた。
「お前は…敵だ」
アルト、いやアルトだったものはそう言放つ。その姿はアルカナの姿ではあるが今までと異なり翼のようなパーツと強く青白いマナの光を纏った美しい姿だった。
リリー達はひたすらに下を目指している。らせん状の階段を下り、そこの方まで走り続けること数分、中央に半球体型の部屋があった。階段は終わりその場所へ通路がと続いている。中に入るとそこには限りなく白に近い金色の美しい金属の3mほどの人型の物体が立っていた。
「あれって、ゴーレムよね」
「多分な。あの体は何の金属だ?」
「あれはオリハルコンではないでしょうか?」
3人が近づくと、ゴーレムはその巨体からは想像もできない程のスピードで迫って来た。リリーが『氷塊』と剣槍、ヒュドラの3つでこの勢いを止めようとするも全てが通じず、その拳はかろうじて躱せたものの、ヒュドラを破壊されてしまう。
「リリー様には手出しはさせません!『狐火・蒼炎の極槍』」
これまで放った炎で最も蒼いそれはゴーレムの体表に当たるも全く効いていない様に見える。
「こっちだデカ物!」
レオニスが背後から高速接近しハルバードの一撃に渾身のマナを込める。しかしこれも弾かれてしまった。対象をレオニスへと変えたゴーレムはホバー移動するレオニスを追い続ける。
「シズク!さっきの炎でこの先のドアを溶かせ!先に行くんだ!」
「レオニスさん、一人では危険です!」
「アルトの方がよっぽど危険だ!アレは相当だぞ、白き竜の開放を急がねばアルトは死ぬ!」
レオニスは敢えて死を想起させた。それがシズクにとって最も恐れている事であり、彼女が戦う理由だと理解しているからだ。そしてそれは効果覿面だった。
「分かりました。頼みます。リリー様、お供をお願いします」
「最後まで一緒、勝って帰るんだからね!」
「はい!『狐火・蒼炎の極槍』」
ドアを溶かし先へと進む二人を見届けたレオニスは、このオリハルコンゴーレムとの消耗戦に挑む。
ドアの向こうはさらに通路があり、先ほどとは違う下り階段があった。廃墟のビルにあった折り返し階段と同じようなものだ。二人は急いで降り、最下層に到着すると何やらアルトが弄っていたものと同じような物が並んでいた。
下には結界のような薄ぼんやりとした光の膜が見える。この端末でこれを操作するのだろう。いくつか触ってみるが書いてある言葉が読めても意味が理解できない。アルトであればこれが理解できるのだろうに…必死になってどうすればいいかと触りながら考えるリリーとシズク。すると、不意にシズクの本来の尻尾からチッチが飛び出してきた。
「あなた、こんなところまで付いてきたの!?でも今は貴方に構っている暇はないの、貴方の大切な主人がピンチなのよ!」
「この子は妖精なんですよね?ひょっとして何か必要があって現れたのではないですか?」
そう言ってチッチを手に乗せるシズク。するとチッチから『声』がした。
『私は白竜様の使い。チッコリに意識を移しアルトに同行していました。今白竜様の近くに来た事でようやく本来の使命を果たすことが出来ます』
そう言うとチッチはその小さい手で端末を次々と弄っていった。
「まったく、アルトといいあなたといい本当に色々と驚かせてくれるわ」
「本当ですね。まさかあなたが白き竜の使いだったとは驚きました」
『私も先ほど思い出したところです。これまでほぼ本能でしか動けませんでしたから』
二人は顔を見合わせてクスリと笑うと手伝うと言って作業に取り掛かった。
一方、地上ではアルトと神が再び熾烈な争いを繰り広げていた。アルトは明らかに瀕死だったはず。にも拘らずこれは一体どういうことだと神は思案しながらも、アルトを追い詰めるべく2本の剣と30ものビットでアルトを追い込もうとする。しかしこれまでとは異なりビットの攻撃は防がれるか避けられる、剣の攻撃は剣で受けられてしまう。オリハルコンでもない剣で、一体どうやって高度を上げたのだと神は訝しむ。
同程度のマナを込めた剣同志のぶつかり合いであれば、オリハルコンに勝る金属は無いはずなのだ。この男に出来る事は自身の力でマナ粒子を操るだけのはず。それでなぜここまで戦える?まさかこの男もまたマナ粒子を使って構造を操りオリハルコンを作り出したと?いや、あり得ないはずだ。
不意にアルトは片手で大剣を叩きつけた後、もう片手に似た大剣を取り出す。そしてその大剣を片手で軽々と扱い互角のスピードで斬り合いながらも砲撃をかいくぐっているのだ。それはもはや自分と同じ神の領域である。この男は単独でそこまで至ったのか?それは大きな代償を支払って手に入れた我々が認められるはずがない事実だった。
アルトがなぜここまで互角にやり合えているのか、それはアルトが白き竜である『マナの竜』に「限界という概念を捨てなさい」と言われた事が切っ掛けだった。アルトは全て理屈で考えるタイプだ。一件雑に見える方法を提示するのも、その方が時間効率がいいからだと考えているからである。
そしてその思考は元の世界とこの世界の常識によってつくられた物だ。それがアルトの枷になっていると本人すら自覚していなかった。そう、元の世界とこの世界の常識を照らし合わせ最も合理的な回答が彼にとっての「限界」だった。だがアルトのマナの本質はそれを塗り替えるほど強力な物だ。
オリハルコンには通用しないという常識の壁、反応速度の常識の壁、マナ出力の常識の壁、ありとあらゆる壁を壊し、自らが望むままに力を解放したアルトにとって、今見えている世界はこれまでと一変していた。そしてまだまだ自分が設定している限界を感じては都度それを壊し、この世ならざる者へと近付こうとしている。
かつて精霊は言った。人であって人の枠から外れた者と。アルトはそれをいまようやく理解し体現しているのだった。そして二本の大剣を神に投げつける。神はそれを武器の放棄と勘違いしたがそうではない。アルトは「自身が振るう力と同じ力でマナで剣を自在には操れない」という概念を破壊した。
そしてアルトにとって最も斬れるイメージが強い物をマジックポーチから取り出す。それはかつてカグチ国でアルトが褒美として受け取った太刀だった。これも壊れるイメージが先行して使っていなかったものだがその概念を捨て「全てを斬るもの」と捉える。それは刀身の波紋と同じようにマナの波を纏い、神に急接近し切り上げを放つとオリハルコンの鎧を切り裂いた。
「貴様!道具の分際でこの私をっ!」
しかし神は喋る暇すら与えられない。神もまたアルトと同類の人間だった。研究者らしくその常識の範疇からはどうしても逃げられない。身体の反射速度がアルトの動きについていけないのだ。それを可能な限り縮めた所で限界点が決まっているのである。だが今のアルトにはそれが無い。
空中を舞う二本の大剣、アルトの刀の剣戟、神のビットも次々と斬り落とされ全て消えた。その間神はひたすら高速で襲い来る大剣の対処に追われるばかりだ。これでは押し負ける、そう思った瞬間神の手にあった剣は大剣が放ったマナの放射で無残に砕け散った。
新しい剣を生成し始めたその瞬間、神の腕はもう肉体から切り離されていた。アルトが刀で斬ったのだ。それを認識した直後、自分の足も地面に落ちている事に気付く。そしてあまりにも遅すぎた知覚が翼と胴体と首、すべてが切り離された事を告げた。
神は四肢をもがれ地面に転がっていた。その状況でもなお生きているのは神の強大なマナで治療魔法を掛け続けているからである。だがそれも無駄に終わるだろう。あの道具、いやあの男は既に人である事を辞めだのだ。どうあがいても今の自分に敵うはずもなかった。
しかし、アルト既に消えていた。きっと仲間の所にでも向かったのだろう。ならば急ぎ治療をして策を立てねば、神はまだ諦めていなかった。
アルトはレオニスの元まで飛ぶと、彼を追い回していたゴーレムをあっさりと切り刻んだ。そして無言で飛び去りさらに下へと向かう。その様子にレオニスは困惑した。これまでのアルトと明らかに違うのだ。
そのままアルトはリリーとシズクの前に現れると一旦マスクを開け、微笑んで下へと消えた。
『ああ、そうなのですね。あなたはそれを選んだのですね』
「どういうこと?」
「アルトさんの身に何が?」
アルトの顔がその微笑みはそのままなのに、どこか薄らいで見えたように感じた。
『私が言うべきことではありません。せめて共に旅した主人と最後まで一緒に居ましょう』
「待って!」
その制止の言葉も聞かず、チッチはアルトを追っていった。
アルトはチッチを受け止め方に乗せると、結界を切り裂いた。3重の結界を一つまた一つと切り裂き、白き竜との邂逅を果たす。そして目覚めた白き竜と共に天へと飛翔するのだった。




