三題噺『苗、天上界、手紙』
苗、天上界、手紙
ある日のことだ。いつもの如く深夜に徘徊を繰り返していると、寝静まった商店街の隅に天幕があることに気が付いた。
僕は賢い。はてあれは何か?なんてバカなことを考えずとも占い師の店であると分かる。
布をめくると案の定というか、やっぱり怪しげな老婆がごちゃごちゃとした室内で水晶玉を磨いていた。
「占いってまだやってます?」
「あんた、金はあるんだろうね」
「いくらで?」
「三千円」
ちと高いが、ちょうど詐欺にでもあいたい気分だったので野口を三人手渡した。
「で、悩みはあるかい?」
「ははぁ、悩み」
少し考える。あるには、あるが、これは悩んでいるかと聞かれれば怪しい。
「良いから言ってみな」
老婆は皺だらけの顔を歪め、愉快そうに微笑んだ。まるで、僕の心の中を理解しているようである。
「少し前に事故で娘を亡くしまして。どうにかまた会えないものかと」
「なるほど、そりゃ悩みじゃないね。さっさと精神科を受けたほうがいい」
ここはカウンセリングだったのか。なら三千円というのは格安だ。
「なんだい、オカルトに期待してるのかい?」
「だからこうして座ってるわけですけど」
「やめときな。素人がやろうとすると碌な目にあわないさね。FXと一緒」
えらく具体的な例えである。
「それでも、天上界にいる娘に一目会いたいんです。会えなくてもいい、元気しているのか手紙を送れるだけで構いません」
「はぁ。わしゃ勧めないって言ったんだからね?オカルトは借金じゃすまないんだから」
そう言うと老婆は後ろの棚からひとつの苗を取りだした。見た目はトマトの苗そっくりな、ホームセンターに売っていそうな見た目である。
「こいつを月明かりだけに当てて育てな。そうすりゃ一か月後には天国……あんたのいうところの天上界まで届いてるさね。あとは枕元に置けば会える」
「は、はあ?」
「分かったら帰った帰った。あんたの後ろがつっかえてるんだ」
出ていけと言わんばかりに押し付けられ、仕方なく外に出た。あとにつっかえてるとは言っていたが、深夜の商店街は相も変わらず閑散としていて、人っ子ひとり見当たらない。
今更うすら寒いものを感じて、身体が勝手に走り出す。
気が付けば、家に着いていた。
冷静になればあれは夢だったのではないかと考えてしまうが、財布を見ればきっちり三枚の野口が出奔している。何よりも、娘の写真の横にはトマトによく似た苗が置いてある。
老婆の言葉が脳に反響する。オカルトを素人がやろうとすると碌な目にあわない。
だが、好奇心が、何よりも娘に会えるかもしれないという興奮が、僕の身体を突き動かしていた。
「僕は賢いから止まれる」
思ってもいない言葉を呪文のように吐き捨てた。
ガラリと庭に出る。荒れた庭に満月が煌々と降り注ぎ、ひどく美しく見えた。
よく月明かりの当たる位置に苗を置き、水をかける。もう止まれないのだろうというおぼろげな確信だけがあった。
おろかなじんるいに、かんぱい。
それからの一か月はあっという間だった。
毎晩眠りもせず月明かりに照らされる苗を見続け、朝日と共に眠りにつく。食事もろくに取らず、気が付けば身体は骨と皮だけになっていた。ご近所付き合いなんてあったもんじゃない。
苗は反対にすくすくと育った。あっという間に小さな木と見違えるほどに大きくなっていった。植えたのでしまうこともできず、毎朝わざわざ布を被せた。
けれど、たったこれだけの高さで天上界なんてものに届くのか?一抹の不安がよぎる。
まあ、騙されたとて失うのはたった一か月の時間とご近所のおば様方からの信頼である。FXよりずっと失うものは少ないじゃないの。
寝ようと思ったが、その前に娘の写真と書いた手紙を持ってきた。
どうしよう、いよいよオカルトチックじゃないか。蝋燭と線香と十字架もあったほうがいいか?ちょっと楽しくなってきて蝋燭に火を点け、爺さんの遺影も立てかけた。
布を乱暴に剥ぎ取り、地面に寝転がった。ゴロゴロとした地面は痛くて、寝れたもんじゃないと思ったが、不思議と眠気が訪れた。
思考が、朧気になっていく。まどろみの中、不自然なほどにガサガサと木が揺れていた。
空にはほぼ満月みたいな月があの日と変わらず輝いていた。
ざわざわ。ざわざわ。人の声みたいなものが空っぽの脳に反響する。
ざわざわ。ざわざわ。うるさいな、僕は眠いんだ。
ざわざわ。ざわざわ。ざわざわ。
「っ」
激しい頭痛に、飛び起きた。目を擦る。
甘い匂いがする。ケーキ?マカロン?なんかそんなお菓子屋さんの匂い。
ようやく視界がはっきりとした。
空が近かった。青い、青すぎて目が痛くなるような空がどこまでも続いていた。
お尻が痛くないことに気が付いて、僕は雲の上にいることに気が付いた。
どうやら、ここは荒れた庭じゃないらしい。Z軸だけ移動したのだろうか。
うろうろとしているうちに、一つの建物にたどり着いた。なんていうか、役所だ。ほんと、郡山の市役所みたいな。あの無難で当たり障りのないデザイン。
入れば当然のようにひとつの受付しかなくて、座ったらこれまた市役所の職員みたいな男性が現れる。
「あーお客さんもしかして、正規の手段取らずにこっち来ちゃった?」
「正規の手段?」
「地獄での裁判ですよ。たまにいるんだけど、困るんだよね。現世、臨死体験とか流行ってるの?ツアーとか組まれてて大変よ」
知らなかったが、今の時代、天上界にはツアーで行けるらしい。僕もそっちにすればよかった。
「まあいいや。俺の管轄じゃないし。で、目的は?」
「死んだ娘に一目会いたくてですね
「あーはいはいそういう系ね。んとお名前は……ちょっと待っててよ」
そういうと職員はすうと消えていった。
そしてしばらく経って、また現れる。
「あー生憎娘さん、地獄だね。ここにはいない」
その言葉を聞いて、僕は、ひどく、安心した。
「なら、問題ないです。そのうち会えますから」
「そか。ならいいね。あ、祖父さんには会えるけど会ってく?」
そんな軽いノリでいいの?まあいいのか。
「じゃ、お願いします」
「はいよ。シチュは三途の川で殴り飛ばされるやつね。正規の手段じゃない人はこれ一択」
「え」
ニヤリと職員が笑ったかと思うと、次の瞬間床ごと椅子が消えた。
ふわりとした浮遊感。遅れて、自分が無重力状態にあることに気が付く。しまった、ペンでも持ってくればよかった。
地面が近づいてくる。結構移動した気がしたけど気が付けば目の前に眠りこける自分の顔があって。
それもすり抜け、ようやく地面に激突する。不思議と痛みはなかった。
そんでまあ、着いたのは噂に聞いたあの三途の川。占い師の老婆によく似たババアが衣類を洗ってる。
さて、職員の話ではこれから僕は祖父に殴り飛ばされるはずだが。
肝心の祖父が見当たらない。というか天上界在住がなんで三途の川に来るんだ。
ふらふらと歩きまわっていると、今度は川辺に亡者の人だかりを発見した。やいのやいのと騒がしい。時々歓声も上がっているが、カニでもいたのだろうか。
「ちょっと開けてくださいな」
見れば、浅瀬で二人の亡者が殴り合いをしていた。なるほど、喧嘩とは素晴らしい娯楽であろう。僕も混ざって野次を飛ばしたいくらいだ。
その喧嘩をしているのが娘と祖父でなければ。ちなみに今のところ娘が8:2くらいで圧勝である。
「てめぇが会えるのに私が会えないのは理不尽だろうが!」
「うるさいガキが!わしゃ金積んだんだから当然だろう!だから蹴るのをやめてくれ!」
「そんなのに金積むから若返りプラン選べないんだよ!」
ひどい。地獄の沙汰ってほんとに金次第なんだ。というか若返りもプランなんだ。あの子に多めの六文銭を入れといてよかったな。流石にあのままじゃ見るに堪えなかったし。
それはそれとして、目の前で繰り広げられる一家の恥を止めるべく仲裁に入った。
「お、お父さん!」
「はいはいお父さんですよ。なのでそこら辺でやめてあげてね。おじいちゃん流石に歳みたいだから」
プリン色の髪を振り回しながら抱き着くんじゃありません。感動で泣きそうになってしまうでしょう。
「て、そうじゃないそうじゃない!お父さん死んじゃったの⁉」
「え?娘よ、お父さんは貴方が心配だから様子を見に来たのよ。死んでないけど」
「そ、そうなんだ」
元気そうで何よりです。
「じゃ、帰るね」
「う、うん。またね?」
「またね、であってるよ」
なにせ、僕は必ずここに堕ちるでしょうから。
「あ、おじいちゃんもまた来ますからね」
「分かったから足をどけてくれんかのう……」
「ああ、はいはい」
そういえば足の踏み場にしていたのを忘れてた。
歩き出す。野次馬は既に散っていた。言い忘れていたことに気が付いたけど、こんなことを言うのは小恥ずかしくて、何より言う資格なんてないような気がして。
けれど言うなら多分、最後のチャンスな気はした。
「娘よ。ごめんね」
「いいよ」
そんな安易に許されるのはちょっと、困る。まあいいか。
ぐらりと地面が揺れた。いんや僕が倒れてるのか。
足が磁石になったみたいに空中へと引っ張られ始めた。
あら、地獄の空ってこんな風になってるのね。
そんなことを思ってるうちに僕は元の身体に戻っていた。
朝日が痛い。真上にあったはずの木は跡形もなく消えていた。ついでに爺さんの遺影も燃えていた。
占い師のばあさん、どうやら僕はFXの才能があるっぽいです。ざまあみやがれ!
起き上がって、いまだに燃える蝋燭で手紙を燃やした。
ほんとは遺書のつもりだったんだけど、許されちゃったなら仕方ない。
娘の写真を手に取って、家に戻る。色々なことが頭をよぎった。ゴミ捨ての曜日とか、洗濯とか、ハロワの連絡とか。
まあとりあえず。何日ぶりかの朝ごはんといたしましょうか。