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「ようニコラ、なにしに来やがった」
「あんたの死に顔拝みに来たんだけど、まだくたばってないのね。葬式はまだなの」
小道を歩いて行くと、洗濯物の垂れ下がった薄暗い路地に入った。路地の入り口で出くわした、小汚い子供とニコラがいきなり始めた会話が、これ。
子供はニコラを知っているらしい。
これは、ニコラとここの子供の、
「おはよう、元気?」
「久しぶりだね、どうしてた?」
という会話なのだが、心底おぼっちゃま育ちのニコラの連れ人達は、この儚げで可憐な少女が、淡々とここの子供と交わす言葉の一つ一つにドン引きだ。
フォレストはここの匂いに耐えられないらしい。ずっと美しい顔を、また高級そうなハンカチで覆ったままだ。
子供は、十歳くらいだろうか。汚い格好に汚い言葉。生傷だらけだ。
「あんたの家のババアは流石にくたばったかい?」
ニコラはとんでもない事を聞く。
「まだくたばり損ないだ。もう流石に立つのも苦しいから、海にでも捨ててやろうかと思ってるとこだ」
「お生憎様だね、あんたの邪魔しに来たよ」
これは、この汚い子供とのニコラの会話の意訳。
「お母様は元気?お加減はどう?」
「もうあんまり良くはないけど、まだ生きてるよ。もう長くないのかも」
「そうだったのね。大丈夫よ。薬を持ってきたから」
ジャンは、なぜ慣れない淑女教育の中でも、ニコラが、慣れていないはずの貴族的な言い回し方については、実に上手に勉強が捗っていたのか、こんなところで秘密を知ることになる。
貴族のややこしい言い回しも、ニコラにとっては、貧民街の露悪的な話し方の応用と同じなのだろう。
ニコラは心配そうに、持ってきたカゴを子供に手渡して、断りもなく汚いほったて小屋に入っていった。
貴族たちが後に続く。
その穴蔵のようなほったて小屋には、汚いベットに、痩せこけた女性が一人、体を横たえていた。
ニコラは全くなんの躊躇もなくベットサイドに腰掛けて、痩せた手をとった。
「おばさん、久しぶりね」
「ああ、本当に。ニコラちゃん、いつもこんな遠いところまでいつもありがとうね」
女は、この子供の母なのだろう。子供の差し出した薬草を見て、女はさめざめと泣き出した。
ニコラは優しい顔をして、女の手をとる。
「いいのよ、いつも言ってるでしょ?もう賞味期限切れだから、市場に出せないやつを持ってきてるだけなんだから。焼くときつい匂いがするし、埋めると土壌に影響があるから、貰ってもらう方が助かっちゃうのよ」
ニコラはなにも嘘は言っていない。
ニコラが持ってきたのは売れ残りの薬だ。割り引いても売れない、品質の落ちたやつだ。
だが、乗合の船に乗って、5刻。
魔の森からならもう少し近いのだろうが、こんな遠くのこんな所まで、薬をもって訪ねてくれる人など、いるのだろうか。
「大丈夫よ、後でこのバカから船の運賃はもらっておくから」
「畜生ニコラ、お前は相変わらず銭ゲバだな!こんな貧乏人からもしっかり金取りやがって!」
乗合船の運賃は、銅貨一枚。
どんな距離を乗っても銅貨一枚だから、便利に庶民は使うらしい。
子供はブツブツ言いながら、大切そうに瓶に入れていた銅貨を、ニコラに渡す。
この子供にとっては、大切な硬貨なのだろう。
フォレストはなんとも見ていられなくなり、こっそりと耳打ちをする。
「ニコラちゃん、君の船の運賃は私がはらうよ・・」
そしてニコラにガッツリと、返り討ちにあう。
「フォレスト、あなたにそんな筋合いはないわ。この子は施しを求めていた?違うわ。この子は対価を払っているだけよ。この子はちゃんと稼ぐのよ。お母さんの薬に必要なお金は、ちゃんとこの子は私に払うのよ。誰の助けもいらないのよ」
そして、大切そうにその硬貨をニコラは懐に入れた。
フォレストは、羞恥で耳まで赤くなるのを感じていた。
この子供はニコラと正当な取引をしているのだ。
子供の誇りを尊敬して、ニコラはきちんと、容赦無く金を取っているのだ。それがたとえ、硬貨一枚であっても、この金をニコラが受け取る限り、この子供は、ニコラと対等だ。
汚い口を叩き合える、誇り高い関係なのだ。
(それが、どうだ)
貧しい子供を見て、すぐに銭ゲバから金を守ってやろうと、施しの精神などを起こしたのは。
フォレストはため息をつく。
ニコラと一緒にいると、驚く事ばかりだ。ニコラは伯爵令嬢で、魔女育ちで、銭ゲバで、そして、優しい。
だが次のニコラの言葉でずっこける。
「フォレスト、その銅貨、いらないんだったら私にちょうだい」




