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「隊長、今日の分はこちらです」
「ああ、ありがとう」
この世で一番の苦行だった、ジャンの、解呪ポーションの摂取が始まって6日目。
3日目になる頃には、もうポーションの時間が待ち遠しくて、ウズウズするようになった。
「本当に変われば変わる物ですね。」
リカルド医師は、メガネをくい、と上げて、ジャンの様子に目を丸くする。
ジャンが魔獣の毒に侵されて死線を彷徨った時も、頑として魔術もポーションも拒否して、薬草だけで苦しみ続けたこのジャンが、だ。
ジャンは少し照れたように、言った。
「私もびっくりしてるよ。まさか同じポーションでも、製作者によって、こんなにも違うものかと。このポーションを摂取した後は、まるで、昼寝の最中にいい夢を見ている気分になる。」
リカルドは少し呆れながら、それでもおなじみになった赤い瓶の蓋を開けて、手渡す。
実際に、良く効いている様子で、ジャンの皮膚を蝕んでいた黒いシミは、大分薄くなっており、この様子なら、魔法を発動できるようになる日までそう遠くない。
(この質のポーションを作成できる薬師が、こんな田舎にいるとは・・それも若い娘だとは・・)
リカルドの見立てでは、宮廷薬師が調合したポーションを、なんとか無理やりジャンに飲ませて、一週間でようやく効果が出てくるかと、思われていた。
それが、今やジャンは、明日、明後日には、部屋から出て、歩くことができるかもしれない回復ぶり。それに、なんと言っても、ジャンが喜んでポーションを口にしてくれる。
リカルドにとっては、本当に全く製作者様様なのだ。
・・・・・・・・・・・・
二日目にポーションを摂取した後の、思考の波は、また随分可愛らしい物だった。
(このポーションが必要な隊長様って、どんな方なんだろう。酷い状態だと聞いたけれど、よく効いてくれるといいな。ちょっと余計に魔力入れときましょう。効くかな? 明日もマフィン楽しみだな、一番大きいのは、右端にあるのよね、サラッと貰ってこれるかな・・あ、いもの花がもうすぐ咲くのね、咲いたら寝室に飾りましょう。うふふ、今日は傷薬と痛み止めで、大銅貨4枚と、小銅貨2枚も儲かったわ! ああなんて私はお金持ち! 早くお金数えたいわ。うしし)
ちなみに、ジャンはいわゆる高給取りの上、伯爵家の出身だ。
基本金貨、よくて銀貨くらいしか、持ち歩きもしない。銅貨の数枚でお金持ちだと大喜びしているこの製作者の思考が、可愛くて、しょうがないのだ。
だが、この可愛い思考の持ち主、どうやら可愛い思考にはあまり似つかわしくなく、小銭を数えるのが無上の楽しみらしい。チャリンチャリン、と小銭を数える音が綺麗に効果音として、響く。
三日目は、
(昨日のマフィン美味しかったわ。こっそり二つもいただいたけど、バレちゃったかな。でも中のブルーベリーが少なかったのはきっと騎士様のマフィンなのに大きいのいただいたバチが当たったのね。明日も隊長様にこのポーションがよく効きますように。呪いって、痛くないかしらね・・ちゃんと効いてたらいいのだけど・・さ、今日は月が綺麗だから、小銭が綺麗に輝くわ。早く壺を出してきて、今日は銀貨を磨こうかしらね。でへ)
この製作者、騎士用のマフィン2つも強欲にも食べた事を、大変反省しているらしい。騎士は皆大食いなので、マフィンが10個消えたところで誰も気にも止めないのだが。
(あー、畜生、マフィンの10個でも20個でも俺手配してやりてえなあ・・)
あんまり可愛い事で反省してるこの製作者に、ジャンは無駄にベットの上をゴロゴロしてしまう。
四日目はひたすら、地獄の雄叫びのような歌が聞こえてきた。
ものすごく機嫌が良い状態で、一人で大音量で歌を歌っているらしい。歌詞は、ジャンにも覚えのある流行の恋の歌なのに、なぜこの若い娘はこんな地獄からの呪いのようなコブシ回しで、歌うのか。
ジャンは薬の影響が消えるまで、この妙な歌に笑いが止まらずに、リカルドに気味悪がられていた。
五日目は、
(今日は隊長様が飲みやすいように、鈴蘭から取った朝露を足してあげましょう。早く良くなるといいな。あ、今日は村長の奥さん、パイって言ってたわ。ウシシシ。へへ、昨日のお肉値切ったので、少銅貨二枚も儲けちゃったわ。二枚・・うふふふ。へへへ・・)
ともかく、ちょっとガメツイ以外は悪い思考が何もないのだ。
どうやら若い身で、暗い魔の森で一人で慎ましく暮らしているらしいのに、毎日毎日、本当に上機嫌だ。
思考の中身は、大抵はお菓子の事か、銅貨程度の小銭の事か、ポーションを必要としている、隊長様の・・つまりはジャンの・・早い回復を祈っているだけなのだ。
その他は、花が咲いただの、虹がでただの、鳥が今日は喧しいだの、本当に微笑ましい事で頭がいっぱいなのだ。
毎日王都の警ら状況や、日々上がってくる不審者のリスト、王家の密命や、国内の貴族の造反の内密情報など、心の休まる事のないジャンの毎日の中で、このポーションの製作者の思考に触れている間は、良い夢を見ながら微睡む昼寝のように、素晴らしいひと時となっていた。
今日もジャンは、心が暖かくなるような、赤い瓶の蓋を開けて、強欲で、そして心優しい娘のポーションを摂取する。
わざわざ早起きをして、その日咲いた花の朝露を入れていると知った、そのポーションは微かに鈴蘭の香りがした。