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レベッカさんは、大きくため息をついた。
再び涙が、その頬を伝う。ベンは母の悲しみを知ってか知らずか、手元の黄色い馬車のおもちゃに夢中だ。
レベッカさんは、ゆっくりと話を始めた。
「・・あの方はね。本来のお生まれは、平民出身なのですよ」
少し、落ち着いたのか、もう涙は乾いた様子だ。
今度は遠い幸せだった頃の時間にうっとりと身を浸して、昔話を始めた。
キャスが、レベッカさんの肩をそっとさする。
レベッカさんは、キャスに少し微笑みかけて、続けた。
「・・あの方はね、ほんの小さな頃から、楽器の演奏や、絵を描くのがとてもお上手だったので、子供のいない前伯爵夫人に目をかけていただいて、まだ小さい頃に、伯爵家の養子に迎えられたというお話ですの。何でも、伯爵夫人が主催した詩の大会で、とても素晴らしい作品を披露したのが始まりだったとか。あの方本当に、美しいものがお好きだから。それまで、ご実家は、あまり生活は楽ではなかったらしくて、いつもお腹を空かせていた、と」
レベッカさんは、あっさりとした服装にはあまり似つかわしくない、繊細な指輪を空に掲げて微笑むと、そして悲しそうに続けた。
「この指輪の中にはね、あの方がお作りになった、私への愛の詩が刻印されているのですわ」
するり、と指輪を外して、ジャンに渡した。
指輪の中には、月夜の薔薇の園のような美しい女性への、愛の詩。繊細な作りの指輪は、薔薇の園を模したもので、指輪を外して光にかざすと、まるで月夜の薔薇のように見える。
銭にしか感性が特化していないニコラですら、そのロマンチックな指輪に、ほう、っとため息をついてしまう。
「繊細で、とても綺麗な心の、そんなあの人に、私は恋をしてしまったのです」
そう、レベッカさんはつぶやいた。
「でも、幸せは長くは続きませんでした。平民だった頃に、苦労した時代が長かったからでしょう。伯爵家を継いでから、彼のお金の使い方が、あんまりにも見栄や体裁を張る為に使うものばかりになってきたのです。私は何度も注意したのですが、どうしても、あの人に聞き入れてもらえなかったんです。あの人が、なんでも美しいものを好むという部分も理由なのですが、元は平民出身である事が、体裁を重んじる貴族社会では、本当に辛かったらしく、体裁を整えるため、身の回りのものを何もかもを一流品で揃えようと、躍起になって。でも伯爵家は特に、裕福な貴族の家ではないのです」
「あなたの方が、裕福なのね。そして、金の扱い方を、よく知っているわ」
ニコラは、つぶやいた。
レベッカさんは、逡巡したが、認めた。
「・・ええ、裕福という言葉には語弊がありますが、私の家は代々貴族の方々を相手に安定した商売をしておりましたので、お金というものに不自由は感じた事はありませんでしたし、貴族の方々より良い品と、それとわかるものを身につけたり持っていたりしますと、とても困った事になりますので、気をつけて、暮らしは目立たないように、装いは少し落ち着いたものを、との家の方針でした」
(なるほど、金的には真逆の価値観といったところだったのね・・)
賢いやり方だ。目立たないように金を使う方法を知っている家の娘だ。
こんな庶民のエリアで、大きくはない家に住んではいるが、おそらくその気になれば伯爵の別荘くらい現金で買えるくらいの金は、持っているのだろう。金は、こうやって、こっそり隠されるのが大好きだ。きっとレベッカさんの家の金庫には、幸せな銭が、お仲間と一緒にホクホク眠っているのだろう。
「では、あなたの浮気が離婚の原因と、伯爵は・・」
フォレストが、言葉を選びながら、レベッカさんに話しかける。フォレストの実家も、今修羅場なのだ。少しでも、役に立つ情報が欲しいのだ。
「ええ、私の幼馴染に相談をしていたのです。幼馴染のアンソニーは、私の実家と同じ家業で、貴族相手の商売でとても成功しているのです。伯爵家の昔からの商売をしているつながりから、今の伯爵になってから、マッケンタイヤ伯爵家は、お金の使い方がおかしい、今の代で傾く、と色々と噂が横の繋がりから入ってる、と彼から忠告していただいていたのです。それで、アンソニーにその詳しい情報を聞くために、こっそり夫が出張中に呼び出して、」
もう、取り繕う事もできないほどの号泣だ。
ニコラが、つけていたエプロンで、一生懸命レベッカさんの涙を拭ってやる。
「うう・・あの通り、少し思い込みの激しい人なので、どうやら私が浮気していたと思っていたのです。アンソニーの奥様は、帝国の宝石と称えられた、北の元歌姫だというのに、ですよ。私など、そもそも比べ物にもならないではないですか」




