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「レベッカさん、すみません、突然。姉さんからのお使いと、あと、こちらの騎士様が、レベッカさんにちょっと用事があって・・」
キャスは、スミス夫人に持たされた、なんだか細々としたママレードだの手編みのレースだのがしっかり入った大きなカゴを、玄関に出迎えてくれた華やかな雰囲気の女性に手渡す。
華やかな雰囲気な女性だが、どこにでもいる平民のお母さんと言った風情で、地味な色味のドレスに、地味なエプロンをつけて、どうやら家事の最中だった様子だ。
どうやら、スミス夫人とこのレベッカさんはそれなりによい関係を築いているらしい。
ここでまた、ジャンは思う。
(あれ、マッケンタイヤ伯爵は、前のご夫人の事を、絶世の美女みたいな言い方してたけど・・)
目の前の女性は、華やかな優しげな雰囲気ではあるが、別にそれこそ、造作的には美人ではない。普通だ。
なんならスミス夫人の方が、一般的には美しいとされるカテゴリーに入るだろう。
「まあ、お姉さまにはいつもたくさんいただいていますのに。キャス様、どうぞありがとうと伝えてくださいね」
ジャンはあまり人の美醜に鋭くないので、自信はなかったのだが、目の前のキャスは、一応儚げな美女のガワを持つ、ニコラの姿を見た時は真っ赤になっていたのに、このレベッカさんには、ぼうっと無反応なのが、良い証拠だ。
失礼だが、おそらくジャンの審美眼の判断通りで、間違いないのだろう。
奥から、小さな男の子の声が聞こえてきた。
この邸宅は庶民の家なので、もちろん子供の声も何も、よく聞こえる。
ジャンは、そっとレベッカさんを怖がらせないように、
「伯爵が子供の行き先を聞かされていなくて心配していたので、ご子息のお元気な姿を、確認だけさせてほしいのですが・・」
そうやんわりと訪問の意図を告げた。
実は誘拐騒ぎになどなっていたと聞いたら、気の毒だ。ジャンは、心がとても優しいのだ。
「息子はここにおりますわ。数日こちらに滞在させると、お姉さまが、キャス様に伝えてもらったと、聞いていたのですけれど・・」
レベッカさんがチラリとヒンヤリとした目線をキャスに送ったあたり、キャスの昼行灯の被害者はスミス夫人のみではなさそうだ。
キャスは知らん顔して、テーブルの上に乗っていた、子供用の菓子に手を出して、しっかり、菓子に使われていたブルーベリーのジャムをその白いシャツにこぼして汚している。
(あっちゃ、あれシミになるやつだ)
・・・・・・・・・・・・・・
色とりどりの流行りのおもちゃ、たくさんの乗り物の模型。
手作りだろうか、あまり上手ではない出来の、不細工なクマのぬいぐるみが床に転がっていた。
あちこち破れた所を直しているのは、大切にしているのだろう。
伯爵家の、色味のない子供部屋とは大違いだ。
(全部合わせても、銀貨で足りるおもちゃでいっぱいだわ。伯爵家のクマは、確か金貨だったわね。でも、この家のレンガの方が、高級品だし・・)
ニコラは、子供部屋をぐるりと見渡すと、ゆっくりと思考の海に入る。
スミス伯爵夫人の家は、とてもわかりやすかった。
金に対する姿勢が、しっかり一貫していて、ブレがないのだ。
おそらくスミス夫人の家の石鹸は、中級貴族の購入する平均的な金額のものの、ど真ん中の価格帯の石鹸だ。
台所で使っているフライパンの類は、手入れが面倒で重いが、おそらく一番高いものを購入して、100年単位で使うだろう。金への姿勢が非常に安定して、安心できる。
だが、マッケンタイヤー伯爵家と、このレベッカ元夫人の家。
ニコラはこの二人の元夫婦のあちこちに、金の不協和音を感じていたのだ。
(おかしい、何がおかしいのか、わからないのだけれども、バランスが不自然なのよね・・)
「うー、うー、ぶるぶるぶ!」
部屋の隅っこで、黄色い馬車のおもちゃで遊んでいるのは、元気そうな伯爵家の跡取り息子、ベン。
伯爵よりも、母のレベッカさんによく似ている、可愛らしい、バラ色のほっぺたの子供だ。
ただいま絶賛、鼻を膨らまして、大興奮中だ。
「よお! ベン、遊びに来たよ!」
キャスによく懐いているらしく、馬車のおもちゃを手にしたまま、きゃっきゃとベンはキャスの腕に抱かれに行った。
(あいつは、いいやつだな)
ジャンは、この昼行灯のせいで仕事が増えてしまった事は、忘れてやろうかと思うほど、ベンはキャスに懐いて、大喜びだ。おそらくこの遠縁の子供の面倒を、よく見てやっているのだろう。
そう、ジャンがキャスを見直したそのあたりで、今度はベンのギャン泣き。
キャスが、汚れた己の手をパンツの尻で手を拭いたのだろう、キャスのパンツに引っ付いていたブルーベリーのジャムを触ってしまって、今度はベン、キャスのせいで、ギャン泣きだ。
「キャス様は、本当にもう・・・」
レベッカさんはプリプリしながらベンをあやして、ベンの手を拭いてやる。
レベッカさんが、案外しっかりした丈夫そうな手で、ベンのブルーベリーで汚れた手だの鼻水だのを拭いているのをニコラはぼんやり見ていた。
そして、気がついてしまったのだ。
レベッカさんの丈夫そうな指に、控え目に収まっている、小さな指輪だ。
(・・・金貨20枚はするわ!!この指輪!!)
小ぶりで、繊細なデザインながら、ニコラの銭ゲバ眼は、見逃さない。
非常に高級なサロンで作られたであろう、この指輪は地味だが、凄まじい高級品だ。
引っ詰め髪に、化粧もしていないおかみさん風情のレベッカさんの指に。なんでこんなものが収まっているのだ。
(大丈夫そうですね、じゃあ帰りましょうか)
フォレストがジャンに耳打ちをする。
誘拐ではなく、失踪でもない。ただの、元夫婦間の連絡ミス。
大事にするほどでもないように見える。
ただの一件落着にしか見えない事件の終わりだ。
だが、ジャンは、ニコラが、じっと考え込んでいるのに気がついた。
ニコラが何かに気がついたのだ。
ジャンは、帰りを促そうとするフォレストを、小さく静止して、ニコラが何かを語り出すのを待つこととする。
しばらくゆっくりと考えて、そして、ニコラは、その美しい唇を、開いた。
「レベッカさん。あなた、まだあの伯爵の事を愛してるのね」




