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「・・ああ、例の・・。お嬢様、私にお答えできる事なら何なりと」
夫人は深く頭を下げる。
マシェント伯爵令嬢、ニコールに関する話は、王都では大きな話題だったのだ。当然夫人の耳にも、いい感じに脚色されたバージョンの話が、入っている。
騎士団の訪問理由を兄から告げられていなかった夫人は、警戒心を丸出しで、この脳筋集団を迎えていたのだが、あの有名な、可憐な悲劇の美少女が、何か人探しにでもやってきたのだろうと、勝手に理解をして、うっかり、完全に協力体制だ。
(兄様は何も仰らなかったけど、このお嬢様のお力になって差し上げろ、という事なのね)
ニコラの目に映った、夫人の髪には、古くて、艶がもう失われた、小ぶりの真珠の髪飾りが見える。
非常に古いし、小さいが、本物だ。
今のマーケットに出したら、銀貨3枚くらいの価値くらいだが、100年前は金貨に相当するくらいの価値があっただろう。
ニコラの銭勘定がフル回転する。
「奥様、痛み入りますわ」
ニコラは、妖精のような微笑みで、夫人の親切に礼を述べる。
ハタから見ていると、実に優雅な伯爵夫人と、麗しい伯爵令嬢の、品の良い社交の光景なのだが。
(こういう古いものを後生大事にしてるタイプは、怨恨犯罪する場合なんかは、絶対に証拠なんか残さない、完全犯罪するし、尻尾なんか絶対に出さない努力はするのだけれど・・)
ニコラの頭の中は、下品な方向性の思考でいっぱい。
魔女の元に訪れる客の中で、一番怖いのはこういうタイプなのだ。
前に、雨の魔女の所にお使いに行った時に出くわした、浮気した旦那を取り返したいとやってきた地味な女がこのタイプだった。浮気相手の女に、呪いをかけてほしいとの依頼だった。
雨の魔女は、雨を司どる魔女。
雨の魔女の呪いを受けて、雨の日になる度に、原因不明の熱に悩まされるようになったこの男の浮気相手は、雨季のあるこの国から逃げるように、砂漠の国へと居を移したらしい。
女は、何食わぬ顔をして、浮気相手に逃げられて、すごすご自分の元に帰ってきた夫を迎えた。
夫は、浮気していた事がバレていた事にも、浮気相手の出国の原因が、まさかこの真面目そうな妻だった事にも、何一つ気が付いてはいない。
この地味な女は、眉ひとつ動かさずに、何事もなかった、という事実だけを淡々と作り上げたのだ。
ニコラは大きな笑顔を、ジャンに向ける。
なんだか知らんが、このご夫人は協力的だ。人の気持ちは変わりやすい。さっさと詰めた方がいい。
ジャンの出番だ。
ジャンが、ゆっくりと夫人に歩み寄り、ニコラの肩を抱いて、言葉をつなぐ。
「・・スミス伯爵夫人。ご協力に感謝を。では単刀直入にお伺いしますが、黒髪の、30代前半の男に、あなたは心当たりはありませんか。大柄な男です。」
ジャンが、残留魔力で読み取った、転移魔法を利用した男の姿だ。そして、依頼主の美しい金髪の女は、おそらくこの夫人だろう。
ジャンも、隊もみな体を固くして、夫人の次の言葉を待つ。
この返答によって、捜査は大きな局面を迎えるだろう。
だが、実に意外なことに、夫人はあっけらかんと、ゲロを吐く。
「ああ、私の義理の弟のことですわね。もうすぐ訓練から帰ってきますから、本人にお会いされます?」




