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魔法機動隊隊長という、大変立派な立場にいる立派な成人の男であるジャンが、たかだかポーションの摂取を、ここまで子供のように嫌悪するのには、訳がある。
ジャンがその若さで、魔法機動隊の第一隊長を任されている理由もそれだ。
ジャンは、「思考過敏症」と呼ばれる魔法の才能の極めて高い人間に、まれに起こる症状の持ち主なのだ。
魔力を感知する際に、魔力を放った術者の思考もたった一瞬だが、感知できる。
この能力を利用して、犯罪に使われた魔法陣や、魔道具に残された思念を読み取り、術者の特定や、犯罪組織の特定をするのだ。この特殊能力を駆使して、ジャンは難事件を次々に解決してきたのだ。
非常に便利なこの能力なのだが、一点非常に厄介な点がある。
相手の魔力を体に取り込むと、魔力の効力が消えるまで、取り込んだ魔力の相手の思考がずっと、頭の中に鳴り響くのだ。
魔力は大抵の人間に備わっている。
いわば生命の力、その物なのだ。
・・・身分も容姿も実力も優れている、ジャンが未だに結婚できない理由の、一番大きな理由もそこにある。
御令嬢といい感じになって、口づけを交わすところまでは、ジャンの容姿と身分を持ってすれば、手の物だ。
だが、その後が問題なのだ。口づけで交換された微量な体液に含まれる魔力で、ジャンは口づけを交わした御令嬢の思考が、ほんの一瞬だけ、読み取れてしまう。
(ああ、あの女見てるかしら、今王都で一番人気の男と口づけを交わしてる私の事。あの女よりも、私の勝ちよね)
(うふふ、ジャン様をこのままうまく落として、伯爵夫人の地位は私のものよ。次のお出かけはサロンでドレスを買っていただくわ)
(口づけの後は、次までお預けにしておこうかしら、今日触れさせてあげようかしら、どちらの方が上手くこの男を操縦できるか、迷う所ね)
一見すると、女神のようにたおやかな女達も、うっとりとする口づけの裏では大抵、こんな事を考えていて、ジャンは口づけの後数刻は、その思考に囚われる。
ジャンが16歳の頃、まだ純情な青年だった時に初めて交わした口づけで、ほうほうの体でお相手の御令嬢から逃げ出して、御令嬢に大変な恥をかかせたことがある。
お相手は、当時ジャンが恋憧れていた、公爵家の御令嬢で、あの手この手で、ようやく口づけに漕ぎ着けたというのに、このたおやかな妖精のようなご令嬢の思考ときたら、
(まあ伯爵家の男だし、婚約まではチョロっと遊んでやったらいいか、こいつ顔はいいし)
とまあ、純情ボーイの淡い憧れやら夢やらを、一瞬で砕くにはちょうどいい感じの破壊力だったのだ。
その一件があってから、本格的にジャンの能力が開花したこともあり、悪いばかりの思い出ではないのだが、ジャンのトラウマになってしまった事は否めない。
軽い口づけで、これだ。
ましてや子作りのような濃厚な魔力の交換ととなると、半日は、お相手したパートナーのその時の思考に支配されてしまうのだ。
娼館にも足を運んだことがあるが、ジャンはその後、二日は寝込んだという。
(尚、看病してくれたのはリカルドなので、いまだにリカルドに隠し事は何もできない。)
ポーションも同じだ。
おおよそポーションの効き目が切れるまで、ポーションを作った人間の、作ったその時の思考に頭の中を支配されて、非常に不愉快なのだ。
そう言うわけで、余程のことでなければ、ジャンは治癒魔法もポーションも受け付けたがらない。
リカルドはそこの所をよく理解しているので、普段は薬草だの、外科的な方法でジャンを治療するし、そもそもジャンは非常に強い。滅多に怪我はしない。
リカルドがそんなジャンに、わざわざポーションを持ってきて、「絶対」という時は、それ以外には絶対に治らない時。つまり、いまだ。
魔法機動隊隊で使用しているポーションは、王宮から配布されている、宮廷薬師が作成した、効き目の確かな物だが、前にジャンが利用した際は、働き過ぎの宮廷薬師が作ったものだったらしく、
(ああ、もう家に帰りたい・・もう三日も家に帰ってない・・)だの、
(何だよ、あの論文が雑誌に掲載されないなんて、絶対に身分の壁じゃないか・・畜生、俺の才能のせいじゃない!)だの、
(あ、ちょっとポーションの配分間違えたけど、まあいいか。バレないバレない)
など、なかなか数刻支配される思考にしては、ゲンナリするものばかりだったのだ。
ジャンは、大きくため息をつくと、己の炭のごとく真っ黒な腕に目をやり、そして腹を括って赤いガラスの瓶を一息にあおった。
リカルドは、ジャンが薬を飲み干すまで、ずっと赤いガラスの瓶を見つめていた。
(頼むから、薬師が機嫌の良い時に作っててくれたポーションでありますように・・・)