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あれからもう数週間の日が流れた。
ジャンがあれほど頭を悩ませていた、ニコラの安全面は、ジャンの考えも及ばない、ものすごく意外な方法で解決していた。
星降る魔女が、ニコラの家を王都のど真ん中に吹っ飛ばした際に、ニコラの美しい額のど真ん中に、こともあろうか「刻印」を打ったのだ。
「刻印」は魔女が獲物、もしくは眷属として使いっ走りに利用する対象になった相手につける印で、刻印が打たれた相手は魔女の獲物。刻印が打たれた人間は、その魔女の支配から一生逃れられないという、恐ろしい呪いだ。
そして、呪いを受けた相手を殺害すると、その呪いは殺害者に移る。
例え双頭の蛇であろうとも、魔女の中でも名高い、星降る魔女の刻印を打たれた相手に手を出すような愚かな真似をする人間はいないだろう。
ニコラの額に打たれた、酷い呪いの刻印に渦巻く魔力に触れて、その刻印者の思考を正しく理解したジャンは、その一見酷い仕打ちに見える中の、星降る魔女の優しさに、深い思いに暮れた。
(ニコラ、私らがついてる。誰にもお前に危害など、加えさせてたまるものか。可愛いニコラ、幸せにおなり)
呪いという名の、守護。追放という名の、祝福。
ジャンは、遠く思いを馳せる。
(忌み嫌われる魔女とは。恐れられる呪いとは。私は、何かとても重要な事を理解していないのかもしれない・・)
それだけではない。
ニコラの住んでいた魔の森のある、リンデンバーグ領の領主が後ろ盾となって、ニコラの貴族籍の復帰が叶ったのだ。ニコラの父が所属していた騎士団は、悲願であったニコラの生存、そして発見の知らせを受けて、一団は男泣きに泣きくれて、ニコラの父の眠る廟に一団で報告に向かったという。
現団長がニコラを養子に迎え入れると大変な騒ぎであったのだが、ニコラは、丁重に今の生活が気に入っている、と一人の暮らしを求めた。
(人と一緒に暮らしたら、月の夜に小銭数えたり、磨いたりする事なんてできないし、商売の邪魔になりそうだわ)
ジャンの父である、ドワール伯爵が騎士団と、ニコラと、王家の間を取り次いで、ニコラはドワール伯爵家の預かりになり、王都でのニコラの面倒は、次期伯爵である、ジャンが担当し、王命にて保護役となった。
実質上の、二人の婚約発表である。
ニコラの発見は、騎士団により、騎士団の長年の悲願の達成として大きく世間の知ることとなった。
その際に騎士団が発表した、悲劇の犯罪被害者・ニコラを旗印にした、犯罪撲滅への強い決意表明を知る人間は、今後ニコラに危害を加えようなどとは、思いつくこともないだろうほどの熱量での表明だったという。
魔の森で、息を殺して生きていたニコラは今、魔女達の呪いという名の祝福と、騎士団の誓いと、ドワール伯爵家の保護、リンデンバーグ伯爵家の後ろ盾、おそらくこの王国で、一番、危険からは無縁な存在だろう。
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「それで、今はどこに住んでるって?」
大分久しぶりに、谷間の村の、薬局のおかみさんに会いにニコラはやってきたのだ。
王都まですっ飛ばされてしまったので、流石にもう薬草だのポーションだの配達できないが、ニコラを心配してくれていた、おかみさん達にはぜひ一度挨拶しておきたかった所だ。
王都からこの小さな谷間の村までやってくるのには、大変な手間だったのだが、丁度ジャンがここの領主に仕事があるとの事で、無理を言って一緒に連れてきてもらった。
わざわざそんな手間も惜しむことなく、谷間の小さな村の事を気にかけてくれるニコラに、おかみさんはじん、としてしまう。
王都の騎士たちが王都に戻ってしまってから、谷間の村は、今は閑散として、いつもの静寂を取り戻している。
冬支度が始まっているのだ。
村の若い連中は皆、今日は森の果樹の、冬籠の準備で皆、出払っている。
おかみさんは、騎士たちに人気だったアップルパイを焼いて、ニコラとお茶だ。平和が戻ってきた事をしみじみと感じる。
おかみさんがアップルパイに合わせて、アップルティーなぞ小洒落たものも一緒に出してくれたことが、ニコラにはびっくりだ。
ジャンの隊が駐屯中に教えたこのちょっと洒落た組み合わせがこの村の若い娘達の間では大流行中なのだ。
都会の香りに憧れた、この村の娘達の、騎士たちへの小さな夢の残滓。
「それがね、おばあちゃんたち何をどうやったのか、気がついたら、ジャン様と一緒に、王都の繁華街の奥まったところにある、王立博物館の中庭に家ごと飛ばされていたのよ!人混みのど真ん中!あんな所に家が丸ごとごと飛ばされたもんだから、本当に困っちゃうわ」
ニコラは小洒落たアップルティーなんぞには目もくれず、遠慮なく、やはりめざとく一番大きく切り取られたパイを、おかみさんに気づかれないように自分の皿に寄せた。
おかみさんには、ニコラはそうやって一応は困った顔を見せてはいるものの、王都の繁華街の近辺は非常に家賃が高い。
ニコラは、「魔女に飛ばされちゃったんですうう、ニコラ困っちゃう」という顔をして、例の荒屋の一階で、王都の非常に家賃が高いであろうその場所で、何も知らない田舎娘の顔をして、しれっと、無許可の薬局の店舗を始めたのだ。
引きこもっている間に散々備蓄用に作ったポーションだのなんだのも、すっかりはけてしまっている様子。
王立博物館の敷地のど真ん中なので、王家も、文句を言えばいいのではあるが、ニコラはそもそも犯罪被害者で、その上双頭の蛇絡みで、せっかく静かに暮らしていた森の家も、魔女に家をスッ飛ばされてしまった被害者でもある。
騎士団の喧伝もあって、ニコラの事件は王都ではよく知られている上に、あのたおやかな見かけだ。やんわりと立ち退きを要求してはいるが、世論もあり、強くは出られないのだ。
また、例の荒屋も、森の中ではただの小汚い荒屋だが、王都の洗練された建物の中では、カントリーでレトロで魔女の隠れ家っぽくて可愛いと、(実際にそうなのだが)若い貴族の娘達の間では、なんだか新しい博物館の風景の一部として、博物館の名物の、古い魔力が動力として利用されていた時代の風車と並んで人気なのだとか。
ニコラの貴族籍は復帰された事により、王家に接収されていたニコラの実家の財産だの、土地だのは、今王家でそれ相応の返還対応が協議されているのであるが、ニコラはそんな金を悠長にじっと待っているような娘ではない。銭の女神は前髪しかない、というのがニコラの持論だ。稼げる時に稼いどくのだ。
ニコラにカントリーもレトロも可愛いも分かったものではないが、その銭嗅覚で、森っぽいものがウケると知って、違法薬局の隅っこに、森で拾ってきた木の実やらなんやら森っぽい飾りなんぞを並べて博物館帰りの貴族の娘に売りつけて、暴利を得ているとか。
「それは災難だね。でもおばちゃんは、年頃の娘があんな暗いところに住んでるのはやっぱり怖いから、よかったと思うよ。で、ニコラちゃん、あの男前の隊長さんとはどうなんだい?もう一緒に暮らしてんのかい?」
ニヤニヤと薬局のおかみさんは一番聞きたいことをズバッと聞いてみる。
おかみさんは、ニコラがジャンから逃げる方に賭けていたので、賭けに負けた分は楽しませてもらいたいという事だ。
ちなみにこの賭けは、最近失恋したばかりの肉屋の下の息子の一人勝ち。
自分の恋愛をジャンに勝手に重ねていたらしく、がっぽり儲かった金で、いい馬を買うとか。
いい馬に乗れば、素敵な恋がやってくるだろうと思っている当たりがもうダメなのだが・・
だが、さんざ惚気を聞かされるかと思ったおかみさんは、ニコラの困惑顔を眼にすることになる。
「それがね、おかみさん・・」




