15
魔女達と、ここの領主は、様々な取り決めを交わして、お互い不干渉を誓いを立てている。
この誓いを破れば、かなりいやらしい罰則があるらしい。
秋口の、魔法機動隊による魔の森の警備については、「魔女の暮らしに干渉しない限り」との誓約付きで、一応は魔女達と、領主との間で契約は成り立っているらしいのではあるが。
「ドワール隊長。この件は、魔女との契約に触る。悪いが協力はできない」
美しい金色の液体の満ちた、グラスを傾けて、にべもなく、ジャンの要望を却下した。
「魔の森の警備の範疇を超えている。これは別件の犯罪の調査だ。気持ちは分かるが、魔女達との契約に関しては、私ですら、なんともできかねる」
手元のフォークを森の方に行儀悪く指して、
「あの森には、私の息子に危害を加えようとして、返り討ちにあって氷の柱にされた貴婦人がどこかに転がっているのだがね。ご実家に引き取ってもらうには、誰かが魔女のテリトリーに入るしかないのだが、魔女がそれを拒否しているわけだ。あの貴婦人はそういうわけで、自然解凍される200年後まで、あのままだ」
眼光も鋭い、鬼神のごとく迫力のある、この領地の領主、リンデンバーグ魔法伯だ。
軍事天文学の権威であるらしいが、ジャンの父とも旧知の間柄で、秋口の、魔の森の警備の際は、毎年こうして館にジャンを晩餐に招待する。
リンデンバーグ領のマスは、王都では非常に有名だ。
特に秋口の満月の夜に産卵のために湖の辺りまでやってきたマスは、油が乗っていて実に美味だ。
ジャンは、深くため息をついた。
その事件については、知っている。王都では有名な、お人形のように可愛いリンデンバーグ家の息子の誘拐を企てた愚かな貴婦人が、返り討ちにあって氷の柱にされて、魔の森に捨て置かれているという。
侯爵家のご婦人だというのだが、その身分を持ってしても、あの魔の森の魔女達には、交渉のテーブルにも着かせてもらえず、打ち捨てられたままだというのだ。
だが、ジャンは諦めるわけにはいかない。
「では、魔法伯の協力の元という形ではなく、あくまで私の、個人の行動という形であれば、黙認はいただけますか」
マスを堪能しつつも、ジャンは交渉を諦めない。
「・・随分食い下がるね。魔女の厄介さは、君こそよく知っているだろう。触らぬ神に祟りなし、触らぬ魔女に、呪いなしだ。それにしても、隊長、しばらく見ない間に随分と男前になったものだな」
ジャンの顔中に広がった黒いあざをしげしげと眺めて、なんだか魔法伯は嬉しそうだ。
もちろん、ジャンの身に何があったかは、魔法伯の耳にも入っている。
この世代の男は、男らしい若者の無謀な行動が大好物だ。
ジャンの顔のあざの事も、あざの元である呪いを浴びた理由も、非常に気に入ったらしい。
「隣国の間者のアジト。違法薬物絡みの被害者。犯罪からみでは、魔の森にかなう隠れ場所は、そうそうはないからね。」
カカカカ、と豪快に笑う。
この豊かではあるが、面倒臭い領を、建国以来守ってきた魔法伯の当主だ。魔の森の事なら、知り尽くしている。
「隣国の間者のアジトについては、我が隊にて壊滅させました。それに、言いにくいのですが、魔女の機嫌を損ねたらしく、あの、面倒な呪いをかけられて様子で・・」
「2度とは帰ってこないだろう、そういうワケだな」
「・・ええ・・」
ジャンの隊が、間者を深追いしなかった一つの理由がこれ。
アジトでうるさくでもして、魔女の機嫌を損ねたのだろう。
アジトの中には、魔女から古い呪術をかけられていた痕跡があったのだ。
魔女の呪術に詳しい部下に分析させると、実に、地味でいやらしい、しかも強力な呪術がかけられていたとの事だ。
「あいつらは、善悪の彼岸の彼方で、魔女の理の元で生きている。敵国だの、自国だの、加害者だの被害者だの、関係がないんだよ。自分の気持ちのまま、風のように好き勝手に生きている。その薬師の娘が、例の事件の被害者だったとしても、魔女達にとっては関係のない事だ」
魔法伯は、手元のグラスに、黄金の液体を満たす。
この領の名物である、リンゴ酒だ。
ニヤリと悪い笑みを、その顔に浮かべると、魔法伯は切り出した。
「ジャン、お前がドワール隊長としてではなく、ただの若い娘に恋する男、ジャンとして調査をするなら、協力してやってもいい。だが、満月の魔女の孫娘に男がちょっかいを出すとなると、今度は物見高い魔女達が黙っちゃいないに決まっている。覚悟はできてるのか?」
要するに、どんな切り口でニコラに近づいても、面倒な魔女の干渉はあるだろう事、そして、領主としては何もできない事を示唆されているのだ。
グッとジャンは、色んな思いを飲み込む。
(なんで、俺が恋をしていると・・)
面と向かって、魔法伯から、ジャンがニコラに恋しているなどと言われてしまうと、まだ自分の感情に整理がついていないジャンはたじろいでしまう。ジャンは、未解決事件の、犯罪被害者の調査の話をしただけだったのに・・
だがそれ以上に、隣国の間者のアジトにかけられた、魔女の呪術を思い出して一瞬震え上がってしまった。
だが、ジャンはブルリ、と一度震えると、キッパリと宣言した。
「魔法伯。寛容なご理解に感謝を。覚悟はできています」
隣国の間者のアジトにあった痕跡は、非常に強力な、非常に解除が難しい「百年の孤独」という名で知られる呪いだった。
「百年の孤独」とは、魔女が得意とする、生命活動そのものへの呪い。
男性器がその役割を果たすべく勃起すると、とんでもない痛みが発生する、地味で強力な、しつこい呪いだ。一度この呪いを受けた男は、年単位で神殿に籠もって、とんでもない痛みを伴う勃起の最中の度に、複数の上級神官から何度も浄化を受けなくてはいけない。
(・・男として、ちょっとかわいそうだと思ってしまうのは、俺は騎士失格かな・・)
ジャンは、ニコラの思考を思い浮かべる。
ちょっと強欲で、お人好しで、それから、心の綺麗な銭ゲバの娘。
(・・頑張ろう・・)
ジャンは、黄金色したリンゴ酒をあおる。
今年できたばかりという若いリンゴ酒の、青く、若い香りがジャンの喉を潤した。