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迎えはいらない。辻で馬車を拾うから」
そう言って、仰々しい六頭だての、実家の馬車を追い払うと、フォレストはため息をついた。
公爵家の当主となるフォレストには、一族の代表者としての富と権力に恵まれた豪奢な生活と、それに相応する責務がこれから、ついてまわる。
騎士団は退団し、公爵としてこれからは、こうして一人で呑気に、ふらりと友人の祝いに顔を出すことも、難しくなるだろう。
今ややんごとなき身分である、そんなフォレストが一人で今日訪ねてきたのは、王立博物館の中庭に、しれっと不法占拠しているニコラの魔女の家。
緑の屋根で、レトロかわいい魔女の隠れ家のような、薬屋さんだと若い娘に人気らしい。
フォレストが訪ねるのは、今日が初めてだ。
薄い、赤い扉を叩いて、遠慮がちにそれを開くと、すぐにニコラの怒鳴り声が聞こえた。
「お前はすぐに!人から食べ物をとるんじゃないの!」
ニコラに怒鳴られて追いかけられているのは、灰色なのか黒なのか、よくわからない大きな犬。
フォレストにも見覚えがある。
どうやらこの犬、口いっぱいに、何かを頬張ってニコラに追いかけさせてをからかっている様子。楽しそうだ。
「ああフォレスト!」
犬の首根っこをひっ捕まえて、こちらに向ける輝くようなニコラの美しい笑顔は、いつ見ても、フォレストの息を一瞬で奪ってゆく。この娘は、本当に美しい。
「やあニコラちゃん、お招きありがとう。ところでその犬は、ひょっとして・・」
間違いない、前の事件の解決の糸口になった、ニコラの肉をドロボーした例の犬だ。
「そうなの、この子出ていかないから、お義母様がどんどん太らせて困っちゃうのよ。フォレスト、叱ってやってちょうだい」
「嫌だわニコラちゃん、太らせてるんじゃなくて、可愛がってるのよ」
汚い魔女の隠れ家には、似つかわしくない、上品な貴族のご婦人が奥から出てきた。
「これは・・ドワール伯爵夫人・・」
「久しくフォレスト。いいえ、おめでとう、公爵様。お目にかかる栄誉を女神に感謝いたしますわ」
くすくすと笑って、上位貴族に対する淑女の礼をメリッサはとった。
もちろん、息子の部下であるフォレストの事は、メリッサはよく知っている。フォレストが公爵となり、騎士団を退団して、これから息子より上の立場となる事も。
こんなところで、上司の母である貴婦人に貴族の挨拶を受けるなど、フォレストはたじろぐ。
「ああ、きたか?」
ヒョイ、と小さい台所から顔を出してきたのは、ジャン。ニコラの趣味の悪いエプロンをつけて、野菜を刻んでいた様子で。なお、この国で、男が厨房に入るのは非常に珍しい。
「隊長!」
フォレストは、信じられない。
己の敬愛する隊長が、この小さな家の台所に幸せそうに立って、己の婚約者に料理を振る舞おうと、そして、それを諌めるべき、母である伯爵夫人は、ニコニコと貴族にあるまじき振る舞いをする息子を見守って、せっせと大きな犬に食べ物を与えてニコラに叱られているではないか。
フォレストには理解が及ばない。
貴族として、あるまじき振る舞いだ。
よろよろと、年季の入った革張りの椅子に腰を下ろすと、部屋の隅でワンピースを着たお人形のようにかわいい子供が、ニコラのぬいぐるみに、プロレス技をかけているのが見えた。
子供は、フォレストに気がつくと、真っ直ぐフォレストの元に歩いていって、
「返すよ」
そう紙に包まれた、何かを押し付けてきた。
フォレストが包みを開けてみると、中身は無くしたとばかり思っていた、フォレストの懐中時計だ。
「覚えてる?この子のお母さんはもう亡くなったんだけど、あの後、街が結構潤ったから、この子は娼館に行かずにすんで、無料で学校に行けるようになったのよ。あなたのおかげよ」
ニコラはしれっと、すごい事を教えてくれる。
「悪かったよ」
子供は、目を合わせずに、だが、謝罪してくれた。
ダンジューロの街の、あの汚い子供だ、女の子だったのか。(そして、どのタイミングでスリに合ってたのか、いまだにフォレストはわからない)
そして。
「今日のお祝いは、ジビエ料理ですってね、キャスが姉さんも食べてみなさい、って絶賛してたのよ」
優雅に微笑むのは、レベッカさんと、その子供のベン。
ベンは、そこらへんに飾っていた怪しげなニコラの祖母の魔道具を振り回して遊んでいるが、レベッカさんは止めもせず、ニコニコと楽しそうだ。貴族の跡取り息子が、魔女の道具をおもちゃにするなど。
「フォレストだってお肉きっと気にいるわ!何せフォレストは、村にいる時はいつだって出されたもの美味しい、美味しいって全部食べてたもの」
「ルイーダ!」
見覚えのある顔は、魔の森のほど近くの村の、薬局の娘のルイーダ。
こんな遠くまでやってくるのに、一体ルイーダの足では何日かかっただろう。
身分も、性別も、年齢も、住んでる場所も、みんなバラバラの人々が、和やかに、非常にマナーに反する方法でこの不法占拠の小さな家に集まって、ニコラを囲んで楽しそうだ。貧民も、田舎娘も、伯爵夫人も、皆。
「星降る魔女もさっきまでいたのよ。でも、王宮に用事があるとか言って、すぐに帰っちゃった」
ルイーダは、何にもない事であるかのごとく、フォレストの手土産の花束を、棚から勝手に出してきた花瓶に挿しながらそんな事を言うが、魔女は忌み嫌われる存在だ。
貴族の夫人や、その跡取りがウヨウヨいるこの空間に一緒にいたとなると、王都では、大変不名誉な事となる。
パクパクと口を開けたり閉めたりしているフォレストに、メリッサはいたずらっ子のような顔をした。
「公爵様、どうされましたの、まるで双子の竜に出くわしたみたいな顔をしておいでよ」
「メリッサ様、公爵様はやめてください・・今まで通り、フォレストで・・それにしても」
面白くて仕方がない、という顔をして、メリッサはふわり、と扇子を広げた。