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ジャンは、共についてきたがる騎士たちをやんわり断って、一人で魔の森まで、遠乗りにでた。
魔の森までは、馬の足で二刻ほど。
まだ回復期にいるジャンにとって、少し遠出となるが、そろそろ体を動かしておきたい。
村の薬局の女将によると、このポーションの製作者は、若い娘で、魔の森に一人で住んでいるという。
ポーションのお陰もあり、顔の大きな呪いの黒いあざと、魔力の発動障害以外は、ほとんど回復している。
だが、やはり顔の大きな黒いあざは、鏡で自分の顔を見ても恐ろしい。
ジャンは顔にはグルグルと包帯を巻いて、森に出た。
(まさか、とは思うが・・)
行方不明の娘の名前は、確か、ニコール。父は当時の国境防衛騎士団の、勇敢な団長だった。
違法薬物の取引現場を抑えて、犯罪者の組織を壊滅させたその後、組織の恨みを買って、あの日、団長の館は、襲撃された。
もう十年以上も、前の話だ。
(ニコラ、名前は似ている。)
ジャンは考える。
(もしニコール嬢がニコラだとしたら、彼女は、魔の森からは、出られないはずだ。あの連中は、蛇のようにしつこい)
・・・・・・・・・・・・
ニコラは魔の森で人に会うことは滅多にない。
この森は魔獣やなんやらで、一般的には危険な森だと認識されているからだ。
(あら、なんて珍しい)
今日、ニコラが薬草を取りに森に入っていると、実に珍しいことに、遠くから人影が見えたのだ。
黒い髪に、黒い馬に乗ってニコラに近づいてくる、機動隊の制服をきた、包帯だらけの男だ。
この森で人を見るのも珍しいのに、王都にしかいない機動隊の騎士など、本当に珍しい。が、すぐにニコラは思い当たる。
(きっと、この間の襲撃で酷い目にあった騎士様たちね・・)
ニコラは心根の優しい娘だ。
包帯の男を同情こそすれ、恐ろしいと思うことはなかった。
包帯の男はニコラの前で馬を降りると、丁寧に腰を折った。
「初めまして。私は魔法機動隊のジャンと申します。このあたりに敵国の侵入者のアジトが発見されてより、警備の見回りをしていたのです。お嬢さんはこんな森の中で、お一人で、何かお困りですか?」
ニコラは「お嬢さん」などと呼ばれて少し照れてしまう。
まだ少女と言っても通じる、若い娘のニコラに、こんなに丁寧に、淑女を扱うように腰を折る。
さすが、王都の騎士様ともなれば、本当に物腰が違う。
ニコラは、ちょっとしかないが、一応は持ち合わせている、なけなしの乙女心をガッツリくすぐられてしまい、ほう、と、うっとりしてしまう。ルイーダが熱狂している王都の騎士様は、伊達ではない。
猫を五重くらいにかぶって、ほんのり頬を桃色に染めて、この騎士の質問に丁寧に答える。
「騎士様、私はニコラと申します。この森に住んでいますが、薬を作って生業としておりますので、今日は薬草を探しにここまで」
(あ、ニコラ・・こ、この子だ・・い、意外!)
ジャンは、なんとなく胸のときめきが止まらない。
ジャンが想像していた「ニコラ」は、もっと気が強そうで、それからちょっと銭ゲバで、なんと言うか、こう、太ましい、健康的な素朴な田舎の女の子を想像していたのだ。
それがどうだ。目の前にいる「ニコラ」は、華奢で、可憐で、雪のように白い肌をした、貴族の娘と言っても通用するような、可愛い女の子だ。
とてもこの物騒な森の中に一人で住んで、夜な夜な硬貨を数えてうしし、と喜んでいるような女の子には見えない。
(ニコラって、ひょっとして何人もいるかもしれない名前だし、そう、そうだ。これは、ただの、確認作業だ、確認だ。任務だ任務)
ジャンは予想外に可憐な美しい少女だったニコラにドキドキしている自分を認めたくなくて、己の為に、大義名分を作ってやる。
油断すると、ニヤニヤだらしない顔を晒してしまいそうになる所をグッと堪えて、ジャンは猫を五重くらいに被り直して、きりりと包帯の下に王宮の騎士の顔を作り込んで、
「そうでしたか、この所魔の森は物騒になっていますので、私がお宅までお送りしましょう。お荷物も重そうですので、私に運ばせていただけませんか」
ジャンは、ニコラの抱えていた籠をヒョイ、と持ってやる。
(う、うお、ものすごい重さだな・・)
籠の中には、薬草などのポーションの材料の他に、薪や、ミルクなどが入っており、結構な重さだ。涼しい顔で一人で、この折れそうにたおやかな娘が運んでいたとは、ジャンはびっくりだが、ニコラがたおやかなのは、見てくれだけだ。
「まあ騎士様、助かります。祖母と二人で暮らしていたのですけれど、祖母がなくなってからはずっと一人で、色々と難儀しておりましたの」
これまた猫を五重くらいに重ねて、上目遣いでニコラはもじもじとジャンを見つめるが、別にニコラは何一つ難儀などしていない。まだ子供の頃から重い荷物を抱えて森中走り回っていたこの野生児が、どの口で物を言っているのか。
庇護欲そそる系の美少女から上目遣いで見つめられて、この口づけから先の恋をしたことのない行き遅れの男は、すっかり、肩にずしりと食い込むミルクの大瓶と薪の重さを忘れてしまったらしい。
きりりとした涼しい顔を包帯の下にキープしつつ、王都で淑女にするように、ニコラの手をとって口づけを落とした。
「うら若き乙女が一人とは、ご不便も多いことでしょう。どうぞ私で役に立つことがあれば、仰せください。」
ジャンは紳士のガワを利用して、この美少女のナマの手に触れたかっただけだが、田舎の野生児ニコラは、もうルイーダの事を笑ってられないくらい、舞い上がってしまっている。
(と、都会の紳士・・!!!!!)
ニコラとジャンは、ニコラの家につくまでの長い距離、ずっと、ずっとお互いの、猫を五重に重ねた麗しい姿に舞い上がっていた。
・・・・・・・
翌日。
いつもの薬の摂取の時間だ。
(優しい騎士様・・私、明日も会いたいわ。あんな方と一緒に)
ブーーーーーー!!!!
折角飲んだ赤い瓶の中身を、危うく吐き出しそうだった。
「どうなさいましたか?」
ジャンは訝るリカルド医師の前で平常心を保つのに必死だ。
(ああああ会いたい、素敵、優しい?? 俺の事か?? あんな方と一緒に、何、なんだ、続きは??)
「いや、なんでもない」
落ち着け、ジャン、落ち着け。あんな可愛い子が、俺のことを??
包帯巻いてたから、顔見てないはずなのに??
この、乙女のように案外純情で繊細な男、自分の身分と外見以外で、女の子から好意をもたれたことは、これがまさに生まれて初めてなのだ。
いや、もたれた事はあったのだろうが、ジャンに口づけを許す御令嬢はそういう類の娘たちではない。
生まれて初めての純粋な乙女の、己への淡い好意に、ジャンはもんどり打つほどこっはずかしい。
倒れ込むように布団に潜ると、容赦無くちょっと恥ずかしそうな乙女の感情が、次々に襲い込んでくる。悶絶しそうに、ある意味死ぬほど辛い。
(騎士様、今頃どうしてるかしら、ジャン様・・)
(あー!!ニコラ、頼むから小銭でも数えていてくれ、耐えられん!!!は、恥ずかしいい!!!!!!)
ベットに潜り込んで悶絶だ。幸せな、それから死ぬほどくすぐったい、数時間だった。