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「ニコラちゃん、ここは・・」
「貧民医院よ。王都の修道院から割と有名な司祭がが来てるのよ。病気は見てくれないけど、死にゆく人の面倒は丁寧に見てくれて、葬式してくれるのよ。いよいよダメになったら行く場所。おばさんも、そろそろって言ってるわ」
あまり信仰心の強くないジャンは、知らない話だったが、フォレストには心当たりがあったらしい。
「ニコラちゃん、まさか、「福音の使者」がこの街においでだと噂で聞いていたが、あのお方なのか」
銭の信仰者であるニコラは、フォレストの衝撃など意に解さない。
「福音?なんか知らないけど、そんな名前で呼ばれてたかも。子供らには、青びょうたん司祭って呼ばれてるからそっちの方がこの街では通りがいいわよ」
フォレストは、確信した。「福音の使者」だ。確かに青い、なんだか長いお顔立ちをされている。子供はなんとも残酷なまでに正確に物事を比喩するものだ。
貴族の嫡男であるフォレストは、信仰の道へ歩むという道はなかったが、フォレストは子供の頃、修道院に入って、司祭になり、恵まれないものたちへの布教を夢見ていたのだ。
もちろん「福音の使者」のことはよく知っている。フォレストが歩めなかった道を歩んだ、気高き聖者。
「知っているのか、フォレスト?」
ジャンの問いかけに、フォレストは感慨深げに答える。
「ええ、あのお方は元は貴族のご出身ですが、家族の反対を押し切って修道士となり、非常に高い志で、貧しい地域にも神の福音をお伝えすべく、旅から旅を重ねて国中の貧しい地域をを回っておられます。なんという志だ。こんな所まで魂の救済を求める人に、手を差し伸べておられるなど」
フォレストはジーン、と想いに耽っているが、ニコラはシラッとした顔で、そんなフォレストに言い放つ。
「バカね、フォレスト。人っていうのは、基本損得勘定以外では動かないわよ。あの教会の連中は、一人でも自分の教会のメンバーを増やして、教会のメンバーとしてあの世に行った人数がが多ければ多いほど、あの世の神様とやらに対してポイントが積めるっていう計算で商売をやってるのよ。この世での貯金は天国に持っていけないから、永遠の命のあるらしい、あの世用のポイント貯金を頑張った方が利鞘がいいっていう事。普通の投資ばなしと大して変わりないわ」
「まあ神様とやらが、ポイント受け取ってくれるかどうかは怪しいもんだし、ただの掛け捨てだったら面白いわね!」
ゲラゲラとニコラは笑うが、フォレストはなんとも、衝撃的な発言を受けて、ドン引きだ。
フォレストの知っている、貧民街へ赴く聖職者の気高き姿も、志も、一度ニコラの銭ゲバ視線で見てみると、なんともフォレストの知る姿と異なるではないか。
「でもそれでおばさんの葬式が出るんだったら、それでいいんじゃない?おばさんも知ってる事よ」
次のニコラの発言に、フォレストはもっと衝撃を受ける。
淡々と、ある意味強欲な聖職者の裏の顔とも感じるその欲さえも、死を待つ貧民は理解した上で、それでいいらしい。
ニコラはいろんな意味で大いにショックを受けているフォレストを尻目に、ずんずんと貧民医院の扉を開けて、まっすぐ先に進んでいく。ぎっしりと並べられたベッドには、大勢の死をまつ人々が横たわっているが、ニコラの解釈が正しいとすると、「福音の使者」にこの大勢の人々は、大漁の浜辺のように見えるのだろうか。
ニコラは知り合いがあちこちにいるらしく、にこやかに声をかけていく。
ここの連中にとって、死は日常の事であるらしい。
涙にくれているものはいない。皆死をまつ身というのに、動かなくなった指先で、それでも何かを編んでいたり、ビーズを通していたり、最後の最後まで金になりそうな作業に余念がない。
そして、ニコラに悲壮感はない。魔女育ちのニコラにとっても、死はただの日常の一部なのだ。
死のにおいで満ちた病室を抜けると、そこには事務局の看板が、大きくはまった薄い扉があった。
ニコラはノックもせずに、当たり前のようにその扉を開ける。