私は人間
そして現在。
場所は高天原。
私は電動平行二輪車に乗って、幅の広い道を移動中だ。
モモは私の足の間に座り、移動中に生じる僅かな風を堪能していた。
高天原に来るようになって早一カ月。
こちらの世界での知り合いは現実世界を大幅に上回り、格段に過ごしやすくなった。
孤独感を感じないというのは過ごしやすくなった一因ではあるだろうけれど、その他にももう一つ。
それは、容姿が異なっているということが、この世界では普通だということ。
私やモモのように人の姿をした人は勿論、俗に言う天狗や大蛇なんかも居る。
私の悩みがいかにちっぽけなものだったのか、この場所に来てようやく知ることができた。
容姿が同じ人ばかりではない。
そんな当たり前のことが、この世界では当たり前の様に扱われている。
誰も私を気味悪がったりしない。
珍しがったりしない。
それが思いの外嬉しかった。
「あらヒマリ! またこっちに来てたのね!」
猿田毘古神の家に差し掛かったとき、その家の入り口から私に話しかける女性がいた。
その神様は、天宇受売命。
天照大御神が天岩戸に籠ってしまったとき、外で舞を舞っていた神様だ。
「うずめさん。またお世話になります!」
私は電動平行二輪車から降り、天宇受売命にそっと挨拶をした。
停止した二輪車に乗ったままのモモは、首だけこちら側を向いている。
どうやら降りる気はないらしい。
「あ、そうだ。よかったらこれ貰ってくれない?」
そう言って天宇受売命が差し出した風呂敷きの中には、たくさんのお米が入っていた。
それを見たモモは目の色を変え、誰よりも早くその風呂敷きを手にし、中のお米に目を輝かせていた。
「これどうしたんですか?」
「実は、最近お供え物をたくさんいただいてしまって。二人ではどう頑張っても食べきれそうにないの」
「そうか。今日は五日だったわね」
風呂敷きを器用に背負ったモモは、再び二輪車に座って言った。
「そうなのよ。こうやって今でも信仰してもらえるなんて、本当に有難いわ」
モモと天宇受売命の会話について行けない私は、完全に蚊帳の外だった。
五日には何かあるのだろうか。
私が会話に入って来ないことを察知したのか、モモは下から私の名前を呼んだ。
「毎月決まった日に行われるお祭りを月次祭と言って、人々が報賽のために神社に行ったり、神棚にお供え物をしたりするのよ。だからその日は、お酒やお米なんかがたくさん届くの」
「へぇ……、月次祭」
毎月お祭りが開かれるなんて、人は神様をとても大切にしているのだろう。
ネット社会になり、文明が近代化した今でも、人々にとって神様という存在は思ったよりも大きい。
これまで、私にとって神様は身近な存在ではなかった。
しかし、こうして目の前で笑っている姿を見ると、驚くほど私たちと変わらない。
今や、身近どころか、家族のようにすら思ってしまう。
「宇受売や、誰か来ているのかい?」
そう言って開けられた家の入り口から出てきたのは、大柄な天狗だった。
身長は三メートルはあるだろう。
天狗に似た顔はかなり怖い表情を浮かべているが、決して怖い神様ではない。
天宇受売命を誰よりも大切に想っている、素敵な天狗さんだ。
「ヒマリが来てくれているのよ」
「おやおや、ヒマリ殿。最近はよくお見掛けしますな」
「高天原の方が居心地がよくて」
大学は休学しているから行く必要はないし、家に居たってやることがあるわけではない。
そのせいか、暇さえあれば余計なことをいろいろと考えてしまう。
それが例えようのないほどの不快感を招き、空間が私を押し潰そうとしてくる。
まるで、私が生きていることを世界が拒絶しているように。
「ヒマリ、そろそろ行きましょ。私このお米食べたいわ」
「うん、じゃあまた!」
「また来てくださいな。宇受売はヒマリ殿に会いたくて仕方ないようですから」
私は、既にモモが乗っている電動平行二輪車に乗り、接続されたハンドル代わりの棒を握った。
そして二柱に挨拶をして、私たちはそのままモモの家に向かった。
歩くより早いと言っても、小走りで走るぐらいのスピードしか出ない平行二輪車。
出入口の門から歩いて二時間の距離を、一時間ほどで行けただけ上出来と言えるだろう。
「さ、ここが私の家よ!」
「もう何度も来てるって」
中央の広い道沿いの家とは違い、モモの家周辺は少しだけ小さな家が集まっていた。
平屋だということもあって、隣の家よりも小さく見える。
小さいと言っても、私の実家の三倍はあるだろうけど……。
大きさの違いは神としての力の差なのか、はたまた知名度の違いなのか。
そんなことは分からない。
けれど中央に位置しているのは、どれも各地で言い伝えられている神々だ。
「入らないの?」
モモは不釣り合いなほど大きな引き戸をスライドさせ、私に中に入るよう促していた。
「おじゃましまーす」
平行二輪車を玄関の脇に置き、私はモモの家にお邪魔した。
玄関で靴を脱ぎ、畳の敷かれた居間に寝そべった。
畳特有の香りが鼻の中を通り抜け、体全体で日本を感じた。
そっと目を瞑れば、家の中を通り抜ける風が肌を撫で、危うく寝そうになった。
私はゆっくり起き上がり、ぼーっと宙を眺めた。
何もすることがないということは、私にとって少しだけ苦痛だった。
出来損ないを痛感してしまうから。
携帯を見れば、同じ学部の人が送信したたくさんのメッセージが目に入る。
みんな学校に行ってるのに……。
そんな思いがぐるぐると脳内を巡る。
しかし、こちらに居ればそんな思いを抱く必要はない。
学校なんて狭い場所に縛り付けられるのが、なんだかバカバカしくなってくる。
それに、高天原では携帯が使えない。そもそも電波なんてものは存在しない。
だから持ってきてすらいない。
携帯がないだけで、これほど楽になれるのだ。
いっそのこと解約してしまおうか。
「何か飲む?」
奥の部屋から戻って来たモモは、私にそう言った。
背中には、先ほど貰ったお米入りの風呂敷きが背負われている。
「ううん、要らない。それより、お腹空いちゃった!」
「何か食べる? と言っても、この家にはこのお米しかないのだけれど」
モモは風呂敷きを畳の上に置き、そっと広げた。
二人のお腹を満たすには十分すぎるほどのお米が、目の前に広がっている。
「せっかく貰ったんだし、そのお米食べようよ! 私炊くよ!」
「そうね! じゃあ戻りましょうか」
「……ん?」
お米を食べるために、わざわざ元の場所に戻る必要はない気がした。
こっちで炊いて食べれば、それで済む話だ。
「この家何もないのよ」
「………炊飯器も?」
「ええ」
「鍋も?」
「そうよ」
「マジか……」
この神様は、今までどうやって生きてきたのだろうか。
生活力が私よりもない。
小さな神様は風呂敷きを器用に背負い直すと、そそくさと家を出て行ってしまった。
私は慌てて靴を履き、平行二輪車を手にして外に出た。
「さ、ご飯の時間よ!」
モモは楽しそうにニカッと笑うと、行きと同様に私の足の間に座った。
「おかずは何がいい?」
私は平行二輪車を前に進めながら、足元に居るモモに問いかける。
「カップラーメンがいいわ」
「それ主食じゃん」
私たちの横を、着物姿の神様が通り過ぎていく。
私は元の世界の住人であるのと同時に、高天原の住人にもなりかけていた。
その証拠に、もう誰も私を他所者だとは言わなくなった。
居場所ができたことに喜びを感じ、このままずっと高天原に居たいとさえ思う。
けれど私は人間であって神様ではない。
所詮、来訪者に変わりはない。
二つの世界で揺れる私は、一体どうなりたいのだろう。
「じゃあ肉! おかずは肉よ!」
私は大きな声で叫ぶモモにふふっと笑い、「分かった分かった」と宥めるように言った。
行きよりも早く出口にたどり着いた私たちは、ゆっくりと開く扉を見つめていた。
そして、二人揃って光の中に足を踏み入れた。
この日のご飯は、天宇受売命からもらったお米と生姜焼き。
案外箸の持ち方が上手なモモは、器用にお米を口に運んでいく。
美味しそうに食べるモモと一緒に取る食事は、今までで一番美味しかった。