龍と聖女と巨大岩の村
クロとセレナが平原を歩いて二日。二人はあるものを眺めていた。
「デカイなぁ」
「おっきいねぇ」
「あれ、どのくらいあるんだろうか」
「たぶんあれ、御神木くらいあるわ」
「御神木って、お前の村の?」
「うん」
「はー……世の中不思議がいっぱいだな」
二人が眺めていたのは、天を突けるのではと思えるほど大きく長い巨大な岩――いや、もはや岩山と言っても過言ではない岩だ。
男性から、巨大な岩がある、という話こそ聞いていたが、身の丈の倍どころか更に上の大きさとは。
あまりの大きさに感嘆の声をあげる二人。
「行くか」
「待って。キチンと被らないと」
セレナが錆色の髪を白いフードで隠すのを見て、クロも真似して黒いボロ布で耳を隠す。
これで、よく見なければこちらの世界の耳とは違うことは悟られないだろう。
そう、胸元の紐を結びながら考えつつ、クロは自分のボロ布を摘んで呟いた。
「手先器用だな」
「針仕事は村でやってたしね。昔は自分で服を編んでたのよ」
粗末な黒いボロ布は素材こそ変わっていないが、セレナの手によって、ただのボロ布からボロ布の外套にランクアップしていた。
ボロ布に紐を通しただけとはいえ、クロにとっては大きな進歩で、クロは興味深そうにボロ布を摘んでは「おぉー」と小さく声を上げる。
「……そんなに喜ぶこと?」
上機嫌な様子にセレナが声をかけると、クロは外套のポケットに手を入れて、外套をバサバサさせながら言う。
「俺の服、まあ服っていうか、ボロ布なんだけど。こういう、人が着る物としての服ってのは初めてだからな」
普段よりワントーン高いクロの言葉を聞いて、セレナは彼の服装を思い出す。
彼の衣服は、大きいボロ布を纏うだけの外套もどきと、布を丸めて輪切りにしたような、頭と手足を出す穴があるだけの服。
それと比べれば、多少切ったりポケットを追加しただけとはいえ、衣服としての加工がされた服を着れるのが嬉しいのだろう。
「そっか」
「そこまで距離はないし、どうする?」
「どうするって、なにが?」
「設定だよ。巡教の旅をしてるってのが、ボロ出にくくていいと思うんだけど」
巡教、と言われてセレナは顎に人差し指を当てて考える。
この世界を見て回りたいという自分の願いは、言い換えれば巡教の旅と言えなくもない。
しかし、巡教とは言うが、この世界の宗教が神龍教というわけではないだろう。
セレナがクロに視線を向けると、彼女の疑問を察していたようで、彼女が質問するより先に、クロが口を開いた。
「お前、岩獄龍って知ってるか?」
「岩獄龍? あのおじさんが言ってた……」
「火神龍、地神龍、風神龍、水神龍の四天龍と、それらを束ねる光龍が合わさりお前たちの信仰する神龍となっているように、この世界にも同じ立場の龍が存在しているんだ」
それが、暗黒龍。
炎獄龍、岩獄龍、嵐獄龍、氷獄龍の四天龍と、それらを束ねる黒龍が合わさった存在だ。
「この世界は、暗黒龍か四天龍のいずれかを信仰しているらしいからな。ここの近辺は岩獄龍を信仰しているようだし、とりあえず岩獄龍の祠を巡っているってことにするんだよ」
「……聖女として祭事なんかにも参加してたし、ごまかせるって?」
「ああ。いくら違う世界って言っても、行われることは似るはずだし」
本質が同じ龍を祀っている以上、そこまで大きな差はない筈だ。
歩き出したクロの背中を追いかけながら、セレナは問いかける。
「ねえ、なんでそこまで断言できるの?」
「少し記憶を取り戻したからな。取り戻す、と言ってもまたささやきに教えてもらったって感じだけど」
クロの台詞に、巨大昆虫の群れに襲われた時のことを思い出すセレナ。
確かに、記憶を取り戻したと言ったクロは『自分のささやきは龍由来のものだったこと』『自分の知識は両方の世界のもの』と言うことを話していた。
龍とは、この世の理そのものだ。その理が言うのだから嘘ということはないだろう、というのが彼の言い分だった。
「それ、本当に信用できるの?」
「……ビミョー」
「えぇ……」
なんとも言えない微妙な表情をしたクロの反応に、セレナもなんとも言えない表情で返す。
そこは嘘でも信じている、と断言してほしかった。
「ええって、だっていつも一方的にささやくだけで質問には答えてくれないんだぞ? 今回も、訳わからない内に知識だけブチ込まれてこっちに帰されたんだ。嘘は教えてないとは思うけど、心情としてはなぁ……」
「ああ、そういう」
一方的に言われるだけ、というのは楽ではあるが、クロにとっては自分に関する大事なことだ。
こちらからの言葉を一切受け付けてくれないというのは、信じる信じないというのは別として、嫌いなのだろう。
「それで――」
と、セレナは見えてきた門を見て口を閉じる。
ここからは未知の領域。村、と言うことからおそらく多くの人がいることだろう。
男性に斧を向けたときのことを思い出して、ゴクリと生唾を飲み込むセレナ。
緊張している彼女を横目で見て、口を開くのだが、なんと言っていいか思いつかなかったクロは、肩を落とすと気を引き締めるように胸元の紐を結び直して言ったのだった。
「よし、行くぞ!」
※
少し小高い丘になっているのか、坂道を上った二人の前に、門が現れた。
遠目ではよく分からなかったが、こうして近くで見てみれば、巨大で分厚い柱と石で組み上げられた門はとても立派なものだった。
門の上に取り付けられた巨大な何かの頭蓋骨も相まって、そこいらの城壁にも負けない威圧感を放っていた。
村に門番のような人はおらず、開け放たれた門から村に入った二人。
詰め所のような、門の直ぐ側にある小屋はすぐ見つかったのだが、そこに人影はない。
ここに人はいるのだろうか? そんな風に考えた二人の耳に、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
どうやら、村に人はいるらしい。
ギュッと胸元を握りしめるセレナを尻目に、クロは堂々とした足取りで声の方に向かって歩いていく。
踏み固められた坂道を行く二人。そうして見えてきた光景に、二人は足を止めてしまう。
「わぁ……」
「ほぅ……」
平らになっている広場の光景に、二人は感嘆の声を漏らす。
村の至るところにある隆起した岩と、それらの側面を削って作られた階段。そして、その上に立つ木と石で作られた家。
村の一番奥、広場から更に坂道を上った先にあるのは、村長の家だろうか。村の外から見えた巨大岩の前に建っているが、その立派な佇まいは後ろの巨大岩にも負けていない。
「あーっ、なんか変なやつがいるー!!」
高い大声に、二人の肩が跳ねる。
クロが声のした方を見れば、丸い岩の上に立って木の枝を突きつけている少年の姿が見える。
そこには他にも数人の子供たちがいて、と思えば少年の声を聞いたのか、家や岩の陰からゾロゾロと人が出てくるではないか。
クロは半歩身体をズラし、怪しまれないように素早く村人たちの格好を確認する。
大小様々な毛のある耳をしているのは、先日会った男性と同じこの世界の人の特徴だ。
子供は小さく、大人は逆に顔にシワの入った人や髪に白が多く混じっている人が多い。特に男性はその傾向が強いようだ。
皆、線は細く、武装はしていない。
「あんたら、どこのもんだい?」
集団から出てきて二人に近づいてきた、腰の曲がった老婆にそう言われ、クロは事前に考えていた設定を口にした。
「俺たちはここからさらに東にある、イーストウッドという村から来た。巡礼の旅をしているんだ」
「巡礼の?」
「ああ。イーストウッドは暗黒龍を祀っていて、俺らくらいの歳になると各地の龍の祠を巡礼することになっているんだが」
「ああ、暗黒龍様の!」
ポン、と手を叩く老婆は「それじゃあ家に来なさいな」とクロに言うと、村人たちに向かって手を振って散るように言う。
老婆の言葉を聞いた村人たちは「巡教者様かぁ。久しぶりだね」「若いのに熱心だねぇ」などと口々に言いながら散っていく。
それを見て満足そうに頷いた老婆は、皺くちゃな顔をくしゃっとさせて言う。
「さあ、こっちへ」
そう言って歩き出す老婆。
クロとセレナは、トントン拍子に進む話に不思議そうに顔を見合わせるのだが、なにか知ってそうな老婆についていくしかないと、頷き合うと老婆の背中を追いかけるのであった。