龍と聖女と世界の問題
セレナを回収し、彼女を家の一室に寝かせてもらったクロ。
「すいません。わざわざ部屋を貸していただいて」
「構わん。ワシには過ぎたものだ……」
そうして男性とクロは、リビングでテーブル越しに向き合っていた。
何か言おうと思うが、空気が重くて言い出せない。
シワの深い男性の顔は、それだけで不機嫌そうに見え、クロは少し怯んでしまう。だが、怯んだままでは話が進まないと、ふぅ、と一呼吸おいてクロは男性に質問した。
「それで、耳なしの悪魔、というのはなんのことでしょうか? 俺やセレナを見てそう判断したようですが」
「言葉のとおりだ。数年前から鎧甲冑を着た者たちがこの世界にやって来た。その者たちは皆、ワシらのような耳を持っておらんかった」
数年前、界門を通して鎧甲冑を着た集団がやって来たらしい。その者たちは、この世界の住人と違い、毛の生えた耳を持っていなかったのだという。
それが、耳なしの悪魔――神龍教の兵士との出会い。
一月ほどは仲良くしていたらしいのだが、その後神龍教の兵士たちは暴徒化し、村々を攻撃し始めたのだという。
今では多くの街や村が占拠されており、それらに対抗するための反抗組織――レジスタンスが結成されていて、日夜戦いを繰り広げている。
「奴らは龍様と似た力を使い、人を人とも思わぬ所業で殺し回る」
「だから耳なしの悪魔」
男性の話から、この世界と向こうの世界を取り巻く状況は把握できた。
ただ、分からないのは神龍教の狙いである。
鎧の装飾などの特徴から、この世界に進出している耳なしは、ほとんどが神龍教の兵士であることは間違いない。
だが、彼らがこの世界に侵略してくる意味が分からないのだ。
セレナの話からするに、神龍教という宗教は世界的な巨大宗教であり、その影響力は強い。しかも界門の力やこの世界の物資を独占しているから、軍事力もあの世界で最も高いらしい。
それほどの力を持っていながら、わざわざ侵略行為を行う意味。
腕を組み、唸り声をあげるクロに「こっちからも質問いいか」と男性が問いかける。
「なぜ竜人族が耳なしと一緒にいる?」
「あー……それは……」
男性に問いかけられて、クロは困ったように言葉を濁す。
男性の言葉ぶりからして、セレナの素性を話すのは怒りを買うだけのように思えた。
だが、だからと言って下手な言い訳ができるわけでもない。少し悩んだクロは、仕方がない、と覚悟を決めて口を開いた。
「彼女が神龍教――あなたの言う耳なしの重要人物であり、俺が彼女を誘拐したからです」
「なんだと……?」
シワが深くなり、険しい表情がより険しくなる男性に、クロはできるだけ簡素に、わかりやすくなるように自分たちのことを説明した。
「記憶喪失で、龍の言葉を受けることで聖女という少女を誘拐したと」
「はい。信じられないと思いますが」
巨大昆虫との戦闘を経てここに来たこと、ささやきの言葉に従うなら、これからこの世界を旅してまわらないといけないこと。
今の自分に出せるすべての情報を男性に話したクロは、膝の上に置かれた拳をギュッと握りしめた。
男性の攻撃を考えれば、ここで激昂して襲われてもおかしくはない。ジワリと汗を滲ませながら、男性の顔をじっと見つめるクロ。
男性は黒の言葉を聞いて目を閉じて、何かを考えている。
数分後、男性はゆっくりと口を開いた。
「そうか」
そう言うや否やおもむろに立ち上がる男性。
攻撃してくるか、とクロが緊張に身を固めるが、男性は部屋に置かれた棚の引き出しをいくつか開け、何かを探し出すと、それをもってクロの前に置いた。
「これは?」
「方位磁石、というらしい。昔息子にせがまれて買ったものだ」
年季の入った木枠の方位磁石は、机の上でゆらゆらと針を揺らしている。
「玄関の道をまっすぐ進めば、森を抜けられる。そうしたら北へ行け。そこに巨大な岩のある村と、岩獄龍様の祠がある」
方角が分からんだろう、と男性に言われ、クロはパッと顔をあげた。
「大切なものなんでしょう? なんで俺に」
「このまま棚の中で朽ち果てるより、いいと思っただけだ」
そういうと男性はクロに背中を向けて歩き出す。その行く先にあるのは玄関だ。
「ワシはこれから狩りに出る。夕方までに帰るから、それまでにここを出て行ってくれ」
クロの方を見ることなく出ていく男性を見送り、クロは、はぁ、とため息を吐いた。
どうやら見逃してもらえるらしい。クロは男性の残した方位磁石を見る。
細かい傷やへこみこそ多いが、大切に扱われてきたのだろう。
クロは、男性の好意に感謝を抱きつつ、方位磁石をボロ布のポケットに入れて席を立つ。
まずは……そこで覗き見をしているやつを起こすところから始めよう。
※
「あの人が優しい人で助かったな」
それから十分ほど経ち、クロとセレナは森を抜け、平原を歩いていた。
先導するクロがそう言うが、セレナからの反応はない。
彼が後ろを伺えば、少し表情の暗いセレナが居た。
「攻撃したことか?」
クロがそう問いかけると、弾かれたように顔を上げたセレナが「うん」と蚊の泣きそうな声で頷いた。
「そう、だな……あれは俺の判断ミスだった」
道具として使いこなす、と言ったにも関わらず、彼女がどういう環境で育ち、どういう判断基準を持っているのか考えもしなかった。
結果的に情報が得られたので良かったとはいえ、万が一のことはいくらでもありえる状況だったのだ。
「お前のことも考えてなかったし、あの人のことも考えてなかった」
「あの人のこと?」
セレナには「どんな人が出てくるか分からない」と言っていたが、実のところクロも油断があった。
顔を合わせてすぐに攻撃なんてされないだろう、という油断だ。
しかし、実際にクロは顔を合わせることなく攻撃を受け、危うく致命傷を負いかねなかった。
「あの人、たぶん家族を亡くしてる」
「……神龍教のせい、だよね」
「そうでない可能性もあるが、少なくとも近しい人を耳なしの悪魔に殺されてるはずだ」
想像だけどな、と誤魔化すように言うクロだが、男性本人がハッキリと言ったのだ。
「家族だけではなく」
どう考えても、神龍教との戦いで家族を亡くしているとしか考えられなかった。
「恐らくだが、これから行く村でもそういう人はいるだろう」
だから、これを渡しとく、とクロは歩みを緩めてセレナの隣に並ぶと、彼女にぐちゃぐちゃにたたまれた 布を差し出した。
「これは?」
「作った」
「作ったぁ?」
クロが差し出したのは、クロの身につけているボロ布を綺麗な白い布にしたもの。
虫のモヤ――岩獄龍の力を吸収してから少し調子がいいクロは、黒い服と黒いボロ布以外に、綺麗な布を作る能力を手に入れていたのだ。
「これを頭から被るんだよ」
「ああ、フードってこと」
耳なしであることがバレれば、まともな情報収集どころか、村人と敵対することにも繋がりかねない。
それはクロもセレナも望むところではなかった。
「でも、こんな布一枚でどうにかなるの?」
「被れば大丈夫だろう」
「……それだと風で飛ぶし、抑えとくのに片手塞がって不便じゃない?」
「あっ」
セレナに指摘されて初めて気づいたらしく、クロは間抜けな声を出してしまう。
その声を聞いて『あっ、こいつなにもかんがえてなかったな』と思ったセレナは、くすっと微笑みを漏らすと、尋ねた。
「あなた、糸とか針とか作れないの?」
「糸と針ぃ? ……糸は作れる、とは思うけど、針は――」
どうかな、とクロが呟いた時、二人の耳に遠吠えが聞こえてきた。
それはセレナにとっても聞き慣れた獣、狼の声だ。
「……そういえば、大昔の人たちは獣の革で服を作っていて、獣の牙なんかを針の代わりにしてたらしいぞ」
「狼の肉ってたしか、めちゃくちゃ硬いのよね。でも、今日の食料ないわよね」
二人は顔を見合わせて頷き合うと、クロは変身し、セレナは戦斧を構えた。
これからの事を考えるにも、まずは近くの脅威の排除と今日の食料の確保が先だ。
示し合う前にクロが平原を駆けていき、直後悲鳴と咆哮が響き渡る。
そして、草を踏みしめ走る足音を聞いたセレナは、飛び出してきた狼に戦斧を振り下ろすのであった。