龍と聖女と森の小屋
「なによまったく……」
ご立腹、と言ったふうに森を歩くセレナの後ろを、耳を押さえたクロが歩く。
「あー……みみイッテェ……」
顔をしかめるクロの言葉を聞いて、振り向いたセレナが口を尖らせる。
「仕方ないじゃん。記憶取り戻した、なんて言うんだから」
「俺の言い方が悪かったのは分かるけど、あんな詰め寄り方することはないだろ……」
「さっきまで記憶ないって言ってた人が、急に『記憶取り戻しました!』とか、どういうこと? ってなるでしょ。しかも記憶取り戻すために誘拐されたのよ、わたし」
それを言われれば何も言えず、ぐっ、と口を閉じてしまうクロ。
彼女の言うとおり、クロの言い方に問題があった。
クロは、記憶を取り戻したわけではない。
彼が今回得たのは『自分へのささやきが、龍からのものであった』ということと『虫の身体から出たもやが記憶の鍵である』こと。
記憶の鍵となるものこそ見つかったが、彼の記憶そのものはまったく取り戻せていなかったのだ。
そのことを、きっかけが掴めた喜びで『記憶を取り戻した』などと口走ってしまったのである。
「それで? 何が分かったって言うのよ」
「えっとな……まず、俺のささやきの正体は龍だった」
「りゅう? ……神龍様ってこと?」
「恐らく。俺を見守る、力の残滓、光龍。ささやきの言葉から推測するなら、だけどな」
力の残滓、は虫のもや。光龍の娘はつまり、龍神器に選ばれたセレナのことだ。
「お前の言う通り、神龍教の関係者なのかもな」
「そうね。神龍様の神託があるということは、龍神器の使い手と考えるのが自然だし」
「お前みたいなのを持ってないんだけどな」
それに、と続けようとして言葉を濁すクロ。
彼の直感だが、自分の変身する力は龍神器によるものとは思えなかった。
龍神器を神龍の力を使用するものであるなら、自分の持っている力はもっと根本的な、それこそ龍そのものになっているような、そんな気がするのだ。
とはいえ、龍とはこの世の理を司る存在。火を吹けることと頑丈なことを以外、これといって凄いことができるわけでもない自分が、龍そのものというのもおかしな話なのだが。
言葉を濁したクロに首を傾げたセレナだったが、前を向いたとたんに駆け出した。
「あっ、ちょっとこっち!」
「ん? 小屋、か?」
セレナが走り出したのを追うと、二人の視界が開けて森が途切れる。
木を組み合わせて作られた壁と屋根。屋根から延びているのは煙突だろうか? 薪が積み上げられており、物干しにいくつかの布がかけられていることから、これが今まで見てきた小屋とは違う、人の住む家だということがうかがえた。
「すいませーん!」
「おい!?」
出入口と思われる扉に近づくや否や、大声を出して扉を叩くセレナ。恐れを知らない行動に、クロは悲鳴をあげた。
「なに?」
「なに、じゃねーよ!? お前な、ここがどこか分かってるのか?」
「ここがどこって――あっ」
クロに言われて少し考え、彼の言いたいことを察した彼女は「ごめん」と真剣な表情のクロに謝った。
界門の先のこの世界と、クロとセレナのいた世界は現在、戦争状態である。
「出てくるのが友好的とは限らないし、俺らと同じ姿なら誤魔化せるだろうが」
「……うん」
セレナが言うには、界門の先から現れる悪魔は、人に近い容姿の者を含め、様々な姿かたちをしている。
つまり、クロやセレナから見ればあちらは異世界人だとわかるし、逆にあちらからしても二人が異世界人だとわかるということだ。
「攻撃しろ、なんて言わないけどな。警戒はしとけ」
「うん。ありがと」
それから一呼吸おいて、扉を叩いて「すいません、誰かいませんか?」と声をかけるセレナを見て、クロも家の周囲を調べてみることにした。
家は大きく、家の横には薪置き場と薪割りの道具がある。家の近くにある小屋の窓を覗けば、斧などが置いてある物置で。複数ある物干しを見ても、この家には複数の住人がいると考える方が自然だろう。
どうか友好的な人がいてくれればいいんだが、とクロが考えたとき、急に彼の足を衝撃が貫いた。
「あ? っ!?」
なんだ? と下を見れば太ももを鉄の棒が貫いているのが見える。
痛みを自覚すると同時に、クロはとっさに頭をかばった。衝撃と熱、腕を貫く感覚がある。
「あがっ!? くっのっ」
足を射抜かれて思うように動けず、転がるようにして小屋の陰に隠れるクロ。
混乱する頭の中で、クロは何とか状況を把握しようとする。
まず、一発目で足を射抜かれて、二発目で頭を狙われた。鉄製の、弓矢? 龍神器のような特別な力は感じないから、普通の弓矢だろう。
では誰が射ったのか? 神龍教の追手? いや、それならこんな小さなものは使わないはず。つまり相手は――。
クロが様子を窺うために小屋の陰から顔を出したとき、背中をぞわっと何かが撫でる。
その場を跳び出し地面を転がるクロは、射抜かれて痛む手足に歯を食いしばって顔をあげ、それを見た。
それは、人だった。
日に焼けた浅黒い肌、露出した腕は太く、鍛えられているのが分かる。深くシワが掘られた顔と白の混じる黒髪の、壮年の男性。
そして何よりも目を惹くのが、彼の顔の横にある深い毛に覆われた耳だ。
「なるほど、こっちの世界の人、か」
口の中で呟いて立ち上がるクロ。男性は振り下ろされた鉈のようなものを腰にしまうと、背負っていた弓を手に持ち矢をつがえる。
男性の目からは殺気も何も感じられないが、こちらを殺す気はあるらしい。
セレナに注意した自分が襲われるとは、と苦笑を漏らし、クロはどうしたものかと考える。
クロがこの場で男性から逃げるのは簡単だ。変身し、逃げればいい。もしくは、逃げなくても返信すれば男性を倒すのは容易だろう。
しかし、逃げるとなるとセレナを連れていく必要があるし、変身は手加減がきかないせいで攻撃すれば殺しかねない。
「おいあんた! 挨拶もなしに攻撃するのはどうかと思うぞ!」
急に声を張り上げられて、怪しむように眉間にシワを寄せる男性。
すぐに後ろから足音が聞こえて、男性が矢先をクロから逸らす。それを見てクロは、逃げるために身体に力を入れた。
「シイッ!!」
「なっ!?」
弓が放たれ、軽い金属音。クロの前に躍り出たセレナが、問答無用で戦斧を振るう。
予定と違う彼女の行動に面食らうクロ。そうしている内に、セレナは男性に斬りかかっていた。
「おいセレナ!?」
「ハアッ!」
セレナが戦斧を振り抜き、これをまともに受けた男性が吹き飛ばされる。
上手く受け身をとり、地面を転がった男性は、叫んだ。
「家族だけでなく、今度は村まで奪うつもりかッ! この、耳無しの悪魔共めッ!!」
「耳無しの悪魔……?」
クロを殺そうとしたときとは違う、感情を剥き出しにした男性の言葉。
「でぇぇえええッ!」
「うおおおおお!!」
その言葉の意味を考えようとしたクロは、二人の雄叫びにハッとして二人の行方を見る。
武器を構えて同時に走り出した二人。だが、明らかにセレナの方が動きが早い。
言葉の意味を考えるもなにも、どちらかが死んでは意味がない。
慌てて飛び出したクロだが、二人の間に割って入るには速さも長さも足りなかった。
「ッのびろォ!!」
祈るように右手を伸ばすクロ、と、次の瞬間彼の腕だけが変身し、壁のような大きさになって二人に伸びていく。
そして二人がぶつかり合う寸前、クロの右腕が二人を遮った。
「えっ」
クロの右腕が戦斧に断ち切られ、血しぶきを上げる腕を見て、正気を取り戻したセレナが動きを止める。
そこにすかさず変身したクロが飛び込んだ。
『イッテェなこの野郎ッ!!』
怒りの雄叫びと共にクロが左腕を振りかぶり、セレナに拳を振り下ろす。
呆然としていたセレナは、彼の拳をまともに食らって木々をへし折りながら森の中に消えていく。
森の中に吹き飛んだセレナを見送り、はあ、と大きくため息を吐くクロは、目を白黒させる男性に視線を向けた。
『俺の名はクロ。状況が状況だけに信用できないとは思うが、俺たちに敵対する意思はない』
「思念会話……竜人族がどうして悪魔と……」
『それについても、話したい。混乱する気持ちも分かるが、こちらの手違いで敵対行動を取ったことは謝る。だからどうか武器を下ろしてはくれないだろうか』
混乱している男性に深々と頭を下げるクロ。
男性は混乱しながらも、クロの態度に鉈のようなものを収めてくれる。
それを見て『ありがとう』と再び頭を下げたクロは、セレナを回収すべく森の中へと入っていくのであった。