群れと二人ときっかけと
「ぎぃやあああああっ!?」
森の中に、この世の終わりのような壮絶な悲鳴が響き渡り、同時に大きな土煙が上がる。
土煙が上がった場所には、必死の形相で走る少女と、彼女とは対象的に涼しそうに並走する少年の姿があった。
「叫ぶことか?」
「いやいやいやいや叫ぶに決まってるでしょ来たぁああああッ!?!?」
少女、セレナが振り返った先、土煙から飛び抱きてきたのは赤い頭と長い触角。
太陽を反射する黒光りした甲殻としなる長くて平らな身体。百を超えると見間違えるほどの数の足を持つ昆虫、百足だ。
ただ、この百足、ただの百足ではない。
とにかくデカいのだ。
セレナの故郷に居た百足でも、大きくて手のひらほどの長さのものがせいぜいで、この百足はその数十倍。人を丸呑みできる大きさなのだ。
「速ぁっ!?」
「あれだけ足があったらな」
「なんでそんなに冷静なわけッ!?」
「そっちこそ、なんでそんなに慌ててるんだよ」
故郷ならアレくらい出ただろ、と顎で指すクロにセレナは叫ぶ。
「そんなわけないでしょッ!? お化け百足どころか、あんなん化け物じゃない!!」
「あれ、虫だぞ?」
「あんな大きいのが虫なわけ――きゃあっ!?」
クロがセレナを抱えて横っ飛びに跳んだ、次の瞬間、絹を切り裂くような絶叫が辺りを揺らした。
「今度はなに!?」
「あいつが絶対の捕食者ってわけじゃないらしいな」
クロの言葉を聞いてそちらを見れば、そこには身を食い千切られ狂ったようにのたうち回る百足と、それに飛び掛かる巨大な蜘蛛の姿があった。
どうやら、二人は気づかない内に巨大蜘蛛のテリトリーに入り込んでいたようだった。
二人は顔を見合わせて頷き合い、背後で行われている狩りに巻き込まれぬよう、息を殺してその場から逃げ出すのであった。
「なんなのこの森……」
その日の夜、巨大な木の洞の中で焚き火に当たりながらセレナが呟いた。
二人が最初の洞穴を出て二日。二人は未だに森の中をさ迷っていたのだ。
「いくつか建物は見つけたし、人の通った跡も見つけてるんだが……」
木の洞に入る前に殺した虫の足を齧りながら、クロも頭を悩ませていた。
クロたちが降り立った場所は森の奥深い場所だったようで、二日経った今でも森の先は見えない。
しかし、森の浅いところには来ているらしく、チラホラと巨大な丸太が積まれた小屋など、明らかに人工の物と思われる場所が発見できた。
それなのに何故二人が森の外に出られないのか?
「なんなのよあの虫たち。絶対おかしいじゃん」
「確かにな」
辟易してため息を吐くセレナの言葉に、クロも同意するようにため息を吐く。
昼間の大百足もそうだが、その後も巨大蜂や羽の生えた百足もどきなど、二人が出会った巨大昆虫は数知れない。
この森がそういう森だ、と言われれば何も言えないが、それにしても行く先来る先で襲われてはたまったものじゃない。
そして、そうやって虫に襲われては逃げるを繰り返しているせいで、二人はいつまで経っても森から出られないでいた。
「俺たちが隠れられるくらいの穴があって助かったな」
こんな森で野宿なんてゾッとしないぞ、と壁を叩きながらそう言って笑うクロに、セレナは頷いた。
「夜に火を焚いてたら、空から蛾が降ってきたりしてるだろうし」
「やめてっ!!」
冗談めかしてクロが言うと、想像させないで、とセレナが腕を擦る。
顔を歪めるセレナを見て、ふっ、と笑みをこぼすクロだったが、すぐに眉間にシワを寄せて腕を組んだ。
今はこのように安全な場所を確保することができているが、それがいつまで続くかわからない。
食料を確保するのだって、虫に会えば難しくなる。それに、いつまでも森で燻ぶっていれば記憶も何もあったものではない。
――でもなぁ……。
自分一人なら強行突破も視野に入るんだが、とクロは胸の中で呟いた。
自分なら、並大抵の傷や毒なら再生するので無視できるのだが、人であるセレナはそうもいかないだろう。
抱きかかえて動こうにも、変身した自分と同じか、下手をすればそれ以上の大きさの昆虫たちと相対したら手を使わないわけにもいかない。
腕を組んでうんうん唸るクロのことを、セレナはジッと見つめているのであった。
※
次の日、今日こそは森を出るぞと洞穴を出た二人だったが――
「またぁっ!?」
「今日は一段と多いなッ」
二人は巨大昆虫の群れに追われていた。
二人が不用心に歩いていたわけではなく、不思議な羽音が聞こえたと思ったら、気づけば二人を巨大昆虫が襲ってきたのである。
「あなた何かしたんじゃないのッ!?」
「果物取っただけだぞ!? こいつらに恨まれるようなことしてないわッ!?」
「記憶なくなる前とか!」
「急所を突くんじゃねーよッ!? そっちこそ、こっちの住人殺してんだから恨まれてんじゃねーのッ!?」
「虫を殺した覚えないからッ!!」
叫びながら走る二人、するとまた不思議な羽音が聞こえてくる。
「百足か!?」
正面に土煙、そこから飛び出してきたのは昨日も襲われた大百足だ。
大きさは昨日のものより小さいが、それでも人を襲うには十分以上の大きさがある。
前に大百足、後ろからは昆虫の群れ。どちらも戦闘能力は未知数で、危険を回避するなら森の奥に逃げ込む方がいいだろう。
しかし、それでは一昨日までと同じ状況の焼き増しだ。
「――おいっ!?」
クロが悩んでいると、彼の横を錆色の風が駆け抜ける。
セレナだ。クロを置いて加速した瞬間には彼女の手に戦斧が握られていた。
身の丈を越す斧を担ぎ、彼女が走る。大百足も向かって来ているのだから、クロが介入する時間はない。
「馬鹿やろ――」
クロが叫ぶより早くセレナに大百足が飛びかかる。
吹き出す血飛沫と飛び散る肉片。無惨にも引き裂かれる、
「どぉおおおりぃやぁあああああああッッッ!!」
大百足。
一気呵成、雄叫びと共に振り下ろされた戦斧が大百足の頭をとらえ、飛びかかる勢いのまま真っ二つに両断したのである。
あまりの光景にクロの足が止まり、昆虫たちも進撃を停止する。
純白を体液に染めたセレナが戦斧を肩に担いで振り返る。
「血が出るなら……断てるならっ、殺れるッ! ごめんクロ、訂正するわ。こいつら化け物でもなんでもない、虫よ」
「だから言うわ。あなた変身できるんでしょ? なら戦いなさい!! 道具扱いするんなら、キチンと使いこなしてみせなさいっ!!」
虫けらにやられるほど、神龍教の聖女は甘くないわよッ! 戦斧に着いた血を振り払い、群れに向け歩き始めるギラつく彼女を見て、クロの身体がブルりと震えた。
ああ、嗚呼。滅茶苦茶だ。だが、その滅茶苦茶が、強い意志を放つ瞳の輝きが、その戦斧の輝きが。
『ッハハハハハハ!! そうだな。道具は使いこなしてなんぼだもんなぁ!!』
喜び、それを遥かに上回る歓喜。
クロの身体は喜びのままに、その身体を化け物へと変身させる。
黒い化け物と白い聖女が並び立つ。
「記憶喪失も、世界を見るのも、土地を切り拓くのと同じよ。逃げてても変わらない。自分の手で切り拓かないと」
『ああ――違いないッ!!』
咆哮が空気を震わせ、クロが群れに飛びかかる。
巨大な蠍の甲殻を不揃いの牙で食い千切り、飛び掛かるバッタを尻尾が打ち据える。
複数の目がギョロギョロと忙しなく動きまわって周囲の状況を把握する。
「ドッせぇいっ!!」
気合一閃、戦斧が巨大昆虫の胴体を輪切りにし、その勢いで反対の昆虫がこれまた一刀両断される。
小柄な少女が純白の衣を翻してくるくると回る姿は、まるで舞踏会のよう。
だがその実態は、ギラつく龍の爪が飛び交う大嵐だ。
「邪魔ァッ!!」
『雑魚がドケェッ!』
次々とバラバラになっていく巨大昆虫たち。
不思議な羽音が聞こえ、二人の周囲から昆虫たちが退いたかと思えば、腹の底に響くような羽音と共に、空を覆い尽くす黒い影。
飛行する巨大昆虫だ。空飛ぶ百足もどきに蜂、蛾のようなものまで、多種多様な昆虫が二人に殺到する。
二人は空が飛べないと読んでの行動なのだろう。
確かに、二人は空を飛ぶ術を持っていない。
だが、空を攻撃する手段がないわけではなかった。
『飛んで火に入る夏の虫ってなぁ!!』
クロの口から巨大な火球が飛び出し、群れに直撃。その日は次々と燃え広がっていく。
「多勢に無勢って言葉知ってる?」
『うるせェぞ!』
空を相手にできないセレナに言われ、思念で言葉を返しながらクロが連続で火球を放つ。
だが、どれだけクロが火球を撃っても昆虫の群れが途切れることはない。
徐々に距離が近づいてくる群れに焦っていると、セレナがクロの後ろに回りながら言った。
「ねえ、あなたって火を出し続けることできる?」
『火球じゃなくて噴射しろってことか? ……できると思うけど』
「じゃあ尻尾を短くすることは?」
『それも出来る』
「三半規管に自信は?」
『は? どういう――なにやってんの!?』
クロが叫ぶのも無理はない。
戦斧を背負ったセレナが、何を思ったのか短くしたクロの尻尾に組み付いているではないか。
頭がおかしくなったのか? そう心配するクロをよそに、セレナはクロの尻尾をしっかり抱え込むと、その場で踏ん張り身体をひねり始めた。
最初はゆっくり、だが徐々に勢いを増し身体を引っ張られていく感覚に、クロの頭がある答えを導き出した。
『おいお前まさか――』
「んっぬぬぬぬぬっ」
『流石にお前それは無茶だろ!?』
「いいから放射準備ぃ!!」
『いやいくらなんでもそれは、あらぁ!?』
火球を放つクロの身体が後ろに引っ張られ、彼の身体がバランスを崩す。それと同時にクロの身体をふわりとした浮遊感が襲ってきて。
「こんっのぉおおおおっ!!」
『嘘だろぉっ!?』
戦斧が力強く輝き、セレナの身体を白い靄が包み込む。
そうしてセレナは渾身の力でクロの身体を持ち上げ、勢いに任せて回転を開始した。
これにはクロも驚くしかない。
今のクロとセレナの体格差は非常に大きい。セレナが背中に乗れるくらい、といえばクロの大きさはわかりやすいだろうか。
そんなクロをセレナが持ち上げる。意味不明な光景だが、同時に役目も理解したクロは、セレナの指示通りに火球を出すのではなく、口から黒い炎を吐き出した。
「あああっ! うでいったぁい!!」
『頑張れ!!』
「頑張ってるわよ!!」
『知ってる!!』
二人がそう言っている間にも、高速回転するクロの放つ炎は木々を焼き、天地違わず溢れた昆虫たちを焼き払っていく。
それを何秒、いや、何時間続いたのだろうか。
セレナの身体は悲鳴を上げ、脂汗を額に浮かべながら歯を噛み砕く勢いで食いしばることで、飛んでいきそうになるクロの身体を抑えつける。
そしてクロもまた、長時間炎を噴射している影響で体力を劇的に消費していた。
このままでは炎の勢いを維持できず、それどころか変身の維持すら難しくなってしまう。
焦るクロの耳に、不思議な羽音が聞こえてくる。
『セレナァッ!! 俺をあっちに飛ばせえッ!!』
「あっちって……わっかんないわよっ!!」
そう叫ぶセレナだが、彼女も何かを直感したのだろう。
彼の言葉を聞いて大きく足を踏み込み、クロの尻尾をしっかりと掴んで――投げ飛ばす。
「ッだあぁああああッッ!!」
上空に跳び上がったクロは、すぐに身体を捻って反動で吹っ飛んでいくセレナを見、複数の眼を全力で使って羽音の発生源を探す。
あまり時間はない。忙しなく動く視界の中で、クロは一匹の昆虫を発見した。
毒々しい、紫と赤の派手な配色の昆虫だ。
他の昆虫より身体は小さいが、身体の半分を占める重なった複数の羽が不思議な音色を奏でていた。
その音色は、群れが襲ってきた前に鳴っていたものと同じものだ。
『さては貴様かァッ!!』
クロが上体を反らし、渾身の火球を吐き出した。
目にもとまらぬ速さで空を駆けた火球が、派手な昆虫に直撃する。
――ギィイィ
弱々しい叫び声と共に燃え、すぐに身体をひっくり返して死んでしまう派手な昆虫。
無事に着地したクロは、急いで派手な昆虫の元へと走る。
真っ黒に焼け焦げた派手な昆虫は、時々ピクピクと足を痙攣させることはあるが、それ以上動くことはなく、瞳も黒く淀んでいた。
頭を上げて辺りを見回せば、火に追われて巨大昆虫たちが逃げていく姿が見える。
これ、消せるのか? と不安になりながらも、危機を乗り越えたことを実感して胸を撫で下ろす。
『これで……ぁ?』
と、妙な気配を感じて、クロが昆虫の死体を見る。
霧? いや、もや? 昆虫の死体から、焼けた煙とは違う、黄色いもやが立ち上がっている。
それがなぜかどうしても気になってしまい、クロは恐る恐る黄色いもやに近づいていき、彼の手がもやに触れた瞬間、
――やっと来たか。
気づけばクロは、不思議な空間にいた。
上下左右もなく、まるで水の中にいるような、そんな感覚。
そんな彼の脳内に声が響く。年若い男性の声、そうだ。これは、囁きだ。
「あんたたちはいっ」
――おお、ワシの残滓に触れたようじゃ。
――コレが先なの? あたしより先はどうかと思うんだけど?
――俺の力を使えりゃもっと強くなんのにな!
――それより貴様ら、光龍の子を見たか? 凄まじいぞ?
「ちょっと話聞いてくれない!?」
頭の中でやんややんやと響く声にクロが叫ぶと、大きな笑い声が頭に響く。
――わるいわるい。お前と話せて皆嬉しいんだ。普段は意思を伝えるので精一杯だからな。
「囁き、あんたたち一体……」
――それを知るのも、お前の宿命だ。己の記憶、己の意味。世界を巡ってそれを探してこい。
声の主が言い終えるのと同時に、クロの身体が消え始める。
「えっ、なんだ!?」
――覚醒しようとしてるんだよ。お話はここまでだ。
「おい、ちょっと待て!! まだ何も話は」
クロは叫んで抵抗するが、彼の意志など関係なく彼の四肢は光になり、どんどんと身体が消えていく。
――光龍の娘と仲良くな。たとえ聞こえなくても、俺たちはずっと見守ってるぞ。
そんな言葉を聞きながら、クロの身体は完全に光に変わるのであった。
※
「――ろ!! クロッ!!」
「……ぁ、あ……あ?」
視界いっぱいに広がる少女の顔に、クロは目を瞬かせた。
どうやら、地面に倒れてしまっているらしい。
「クロ、大丈夫?」
「身体は大丈夫だが…………なんだ、これ?」
クロが身体を起こすと、ふと手に冷たい感触を覚える。
クロが手を握って掲げてみれば、みずみずしい草が根っことともに引っこ抜かれて。
辺りを見回してみれば、なんということだろう。先程まで丸焼けになっていた森が、完全に再生しているではないか。
「な、なんだ? 何が起こってるんだ? なんで森が……」
「分からないわよ。クロを追いかけてみたら、あなた草まみれで棒立ちだし、かと思ったら変身が解けて倒れるし……」
混乱するクロに、セレナが説明する。
クロを投げ飛ばして吹っ飛んだセレナは、火を避けて物陰に隠れ、体力を回復していたらしい。
すると、急に地面や燃える木から新たな草木が生え始め、またたく間に火を消してしまったのだという。
「で、草まみれの俺を見つけた、と」
「うん。花とか蔦とかが身体から生えてるし、声かけてもなんの反応もないし、死んだのかと思った」
「心配かけた」
「いや、心配とかしてないけど……」
眉尻を下げるセレナに、心配かけたな、と頭を下げるクロ。
「そんなことより、何があったの?」
何か危ない生き物がいたのか、それとも何か悪い術でもかけられたのか。
一目でわかる異常事態の原因を尋ねられ、クロはなんと説明するべきか、と腕を組む。
と、真っ先に説明すべきことがあるじゃないかと気づいて、彼はにこやかに言った。
「記憶を取り戻した」
「……はあ?」
「だから、記憶を取り戻したんだって!」
「…………」
――はああああああ!?
森を揺るがすほどの叫び声に、木にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立つのであった。




