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時のない家  作者: まきの・えり


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3 悪い仲間

3 悪い仲間


 僕のカバンがなくなった。

 すると、突然、母親が騒ぎだした。

「いい加減にしてよ」と母親は言った。

「あの中には、私の大事なジャージとバンデージが入っていたんでしょう?」

「オレの友達から借りた本も入ってるし……オレの……」と言っても、聞いていないみたいだった。

 母親は最近、すっかりおとなしくなり、腹を立てたりすることはなくなったものだと思っていたけれど、大変な間違いだった。怒るような原因がなくなって、暇だっただけなのだ。

「あれだけは、返してもらってよ。いいわ、もう、電話番号を教えてよ、私が電話するから」

 時計を見ると、夜中の一時前だった。

「落ち着いて、オレの話を聞いてからにしたら? その方が、お前にとっても有利やろう。何もわからずに電話しても、バカにされるだけだよ」

「いいのよ、理由なんて何だって。私は、自分の大切なジャージとバンデージが返ってきたらいいだけなんだから。何でもいいから、そこにいた人間の誰でもいいから、電話番号を教えてよ」


 僕は、中学生になってから、部分的な登校拒否児になった。それが原因ではないだろうけど、それがきっかけみたいに、両親は離婚した。母親に引き取られ、学校を変わってから、僕は、本格的な登校拒否児になった。つまりは、僕にとっては、学校に行けと言って、鬼のように怒る父親がいなくなったのだ。だから、学校に行きたくなかった僕は、母親の方について行った。

 僕は物事をかなり、うまくやったと思っていた。僕のすることに口出ししない母親の方について行って、生活全般の面倒をみてもらい、息子がいなくなって淋しくなった父親からは、経済的に面倒をみてもらう。

 しかし、物事は、そうは、うまく運ばないものだ。

 学校に行かなくてもよくなった僕は、段々とどこに行くのも面倒になった。

 父親と一緒に暮らしていた時には、学校に行っていないことを知られたくないから、一晩中コンビニで過ごす、一晩中帰らずに逃げ回る、ということもよくあったけれど、学校に行かなくても、誰も怒らない状況になると、コンビニに逃げる必要もなくなって、家でテレビゲームをするようになった。テレビを見て、ゲームをして、テレビを見てゲームをして、テレビを見てゲームをしているうちに、日が過ぎる。

 そうして、中学校時代は終わった。

 僕自身、そういう生活が好きだったわけではないけれど、他にしたいものもなく、なりたいものもなく、勉強もスポーツも好きではなかったし、何のために生きているのかと考えたら、死ぬ理由もないからだった。

「一樹、一樹」と母親が騒いでいた。

 僕は、自分の不満を全部母親にぶつけていたところがあって、母親が鬱陶しい時には、鬱陶しいなりに、母親の腕を掴んでねじあげたり、足で蹴ったりしていた。大声で威嚇したり、壁を潰したり、物を投げたり壊したりするのは、日常些煩事だった。

「何で、こんなことをするの」と母親が嘆いたり悲しんだりしても、親父ほどには、僕にとっての実害はない。

「お前が、鬱陶しいからやろ」と言えば、すんでいた。母親は、壁の補修をしたり、壊れた物を不燃ゴミに出したり、溜め息をついたりしていた。それも、僕にとっては、鬱陶しいことで、また、そのことで、怒り狂ったりした。

「一樹、定時制にだったら、行けるかもしれない」

「何やねん、それ」

「夜間の高校やんか」

 母親があんまり嬉しそうにするので、僕までつられて嬉しくなった。考えてみれば、生まれて以来、母親を悲しませてばかりだったような気がする。

 しょうがないな、と僕は考えた。それほど母親が喜ぶものなら、いっちょ、やってみるか。

 それで、僕が心を入れ換えて、真面目に勉強するようになったと思ったら、大きな間違いで、とにかく、中学の先生の言うように、願書を出しに行き、ま、零点でなければ入れるでしょう、という先生のことばを頼りにして、母親の言う百分の一の勉強もせずに、入学試験を受けた。

 その頃の僕は、それでも、それまでになかったような希望を抱いてもいた。母親の喜びが感染したのだろう。

「一樹、あんたが高校生になれるなんて、ほんとに諦めていたけど、こんな素晴らしいことも、生きていたら、起こるもんやねえ」

 母親と一緒に、自分の受験番号を掲示版で見た。

 やっぱり、変に嬉しかった。

 身長を計ってもらって、体育用のジャージを買ったり、僕が通うことに決めたのが、工業高校だったので、実習用の服を揃えたりした。工具やその他必要な物も揃えた。

 その時、僕の胸に、そんなもの、揃えても無駄だという気分が起こった。

 その気分通り、夜間高校に数日通ってから、僕は段々と授業に遅れて行くようになり、そのために、級友ともうまくいかなくなり……また、中学校時代のような生活に戻った。僕には、一人の友達もいない。

「そんなん、学校に行かんかったら、当たり前やない」という母親のことばがむかついた。

 一度頭突きをくらわして、母親の右目の周りが真っ黒になったこともある。

「アホか。お前、身体弱いな」と翌日は言ったけれど、その翌日から段々と母親の目の周りが真っ黒になっていくのを見て、あ、悪いことをしたな、大変なことをした、もし、これが原因で母親が死んだらどうしよう、と思ったけれど、口から出てくることばは、「お前、ほんまに弱いな」だった。

 高校に行った方がいいとは思っている。しかし、昼過ぎに起きても、高校に行く準備をしているうちに夕方になる。すると、今更、行っても仕方がないんじゃないか、と思える。

「学校にデンして帰ってくるだけでもいいじゃない」と母親は言う。

「何のために、そんなアホなこと、せなあかんねん」と僕は腹が立つ。

「あんたは、今まで家にばかりいたんだから、外に出るだけでもいいと思う。動いていくうちに変わっていくこともあるし、体力がついたら考え方も変わると思う」

 僕もそれは思う。

 けれど、日ばかりが、過ぎていく。

 僕だって、何とかしたいと思っている。何とかしなければならないと思っている。そんなことは、ずっと昔から思ってきた。思うだけは思ってきた。

 けど、何ともできなかった。僕には、どうすることもできなかった。僕は、地獄の底をはっている。それは充分以上にわかっている。けれど、どうすれば、その地獄の底から抜けることができるかが、全然わからなかった。


 母親は、以前から、何やかやと、僕の考えるよりも先に考えて、多分、僕にとって一番いい道を探そうとしてたんだと思う。けれど、それは、僕から、考えるということを奪う行為でもあった。

 僕は、確かに母親に引きずられていた。そして、引きずられながら、引きずられるのはイヤだと感じていた。

 オレの人生は、オレが決める。

 そう思いながら、何の実行もできない僕は、恨みながら、母親に引きずられるしかなかった。

 そんな人生は、もう、イヤだった。

 それでも、母親に引きずっていかれた、母親の知り合いの写真展で、僕は、物凄いショックを受けた。

 わかっている。イヤだ、イヤだ、と思いながら、僕は、次に母親が何をしてくれるかを、心待ちにしている。

 僕は、ずるい。僕のすることと言ったら、受けた恩は忘れて、してもらったことに、ケチをつけるぐらいだ。

 いい加減、目を覚ませよ、と母親に対して思っていたりする。

 お前が何をしても、オレは、迷惑やと本当は思う。何で、オレの方が、お前よりは下やという屈辱を、毎度毎度感じて生きていかなあかんねん。何で、お前の方が、オレの人生を、オレ以上に知ってるという屈辱を感じて生き続けなあかんねん。

 オレは、もういい。

 別に、この人生、チャラにしてもいい。こんなしょうもない人生、オレが生きてやるほどの価値もない。

 どこかで、もういい、と思っていた。もう、いい。

 生きていたって、悩みや苦しみがあるだけで、幸せや愛情は、きっと、僕には一生生きても回ってこない。それは、金のある人は、一生裕福に暮らすというのと一緒だと思う。愛情に恵まれた人は、何があっても、一生愛情に恵まれる。

 けど、人生の最初の最初に、愛情のない人生を歩き始めた人は、一生だけでない、何生生きても、永遠に幸福や愛情とは縁がない。

 僕は、そういうことを、悟り始めていた。

 中学生の時の僕は、まだ、努力すれば、とか、一生懸命頑張れば、という神話を信じていたみたいだ。

 今の僕の人生に、神話はない。

 それでも、僕は、今でも信じているよ。自分の心の奥の奥を見たら、今でも信じているよ。どこかには、努力すれば報われる世界があり、幸せと安心に満ち満ちた世界があると。

 けど、残念ながら、現実を見たら、どこにもそんな世界はないことがわかる。そんな世界を信じている自分が、この世で一番哀れな存在に思える。

 僕が、母親の知り合いの写真展を見て、心底感動したことも、そのお蔭で、自分でも写真を撮り始めたことも、今となっては、遠い遠い思い出に思える。


 けど、その時の僕は、心底カンドーした。

 写真に物語があることを、生まれて初めて知った。

「私の知ってる人が、二人ほど写真を撮ろうと言うてたんやけど、一人は、自分が見ている情景から、音も匂いも一切消そうと思っていると、言うてた。もう一人は、写真という枠の中に、今自分が見ている限りの、音と情景を入れようと思っていると、言った」と母親が言った。

 僕が見た人は、音も匂いも消そうと思った人の方らしかった。

 けど、僕は、その写真から、音と匂い以外の全てを感じた。本当を言えば、音と匂いも感じたんだと思う。

 僕は、母親には言わなかったけれど、心底カンドーした。自分の存在の根を揺るがされたと言った方がいい。

 それで、僕は、写真を撮り始めた。

「オレ、何かうまいこと撮られへんわ」と軽い気持ちで母親に言ったら、「多分、あんたは、写す相手に対して、許可を得てないんと違う?」というピント外れの答えをもらった。けれど、どこかで、母親のことばは残っていて、僕はそれから、心の中で、写す対象に向かって、今から写します、と思うようになった。それで何が変わったということもなく、また、あのバカのお蔭で無駄なことをするようになった、と思ったけれど、写真の出来は、格段によくなった。

 僕は、写真の個展を開こうと思った。世界中の人が僕の写真にカンドーする。僕は、プロのカメラマンになる。来年の四月に個展を開こう。母親が今まで貯めてくれていた、小さい頃からの貯金を使って、カッコイイ個展を開くんだ。

 自分で言うのも変だけれど、僕は自分の写真にカンドーしていた。現像から帰って来るのが待ち遠しかった。そして、写真の出来は、いつも自分の予想を上回っていた。

 写真をやると決めたのだったら、写真を撮ればいいのはわかっていたけれど、一人で写真を撮るのは、撮り続けるのは、虚しかった。


 僕の高校一年時代の最後の方、明日から十二月になろうという十一月の最後の日、僕は、以前母親に一度だけ連れて行ってもらったことのある、フリースクールに行った。

 僕の人生は、もう行き詰まっていて、誰かに何とかして欲しいと思っていた。僕には、もう、どうしようもなかった。誰かに何とかしてもらわないと……

 自分でもわかっている。そういう場合の誰かというのは、いつも母親だった。

「一緒に行ってくれへんか?」と僕としては精一杯頼んだつもりだったのに、あのバカ母は、「行きたかったら、自分で行ったら?」と冷たく答えるばかりだった。

 オレが、このオレが、ようやく世間に出て行こうとしているのに、肝心の母親の仕打ちはコレかと思った。それやったら、オレは一生どこにも行かず、自分の部屋に閉じ籠もって、お前を恨んで生きてやるからな、と思った。

 僕は、しばらく悶々として暮らした。恨んでやるからな、恨んでやるからな、と思っても、母親にとったら、何にもないのと同じみたいだった。

「オレ、行ってくるわ」と言ったのが、十一月の最後の日、明日から十二月になろうという日だった。

「ええ?」とまだ寝ていた母親は、驚いたようだった。

 僕は、その時の自分の唯一の宝物である、写真の入ったファイルを持って、家から一時間半以上かかるフリースクールに出掛けて行った。

 僕が、自分の意志で行動した、生まれて初めてのことで、後で、僕は、母親に付いてきてもらわなかって、本当によかったと思った。

 その時の自分の心を細かく観察すると、僕は、母親には付いてきて欲しくないけど、一人では怖いし不安だ。そして、もし、うまくいかなかった場合でも、自分の責任ではなく、付いてきた母親の責任にできると踏んでいたようだ。

 結果は、自分で決めて、自分で行動したお蔭で、いいことも悪いことも、全部自分の収穫になった、と思っている。

 僕は、その時から、しばらくは、生まれて初めて自分自身の力で獲得した、自分の居場所を堪能した。

 フリースクールの人達は、僕に居場所をくれた。僕の話を、それこそ、この世で一番大切な宝石みたいに聞いてくれた。

 ひるがえって、自分の母親のことを考えた。これほど大切に僕の話を聞いてくれたこともなければ、これほど、僕そのものを大切に思ってくれたこともなかった。

「あの人達に比べたら、お前はカスや、クズや」と僕は言った。

「そういう人ができてよかったね」と母親は喜んでくれたけど、そんなことばで、僕は納得しなかった。

「あの人達のお蔭で、お前が何の価値もない、詰まらない人間やということが、生まれて初めてわかったよ。オレは、今まで、お前だけは、本当に何でもわかっている凄い人間やと思ってきたけど、お前は、ほんまに、何の値打ちもない、ただのおばはんやったんやな」と僕は生まれて初めて、母親に対して、真正面からの批判をした。

 それなのに、母親は、「当たり! やっとわかったか」と、ほんのちょっとしたジョークを聞いたみたいに言った。

 違う! と僕は思った。僕は、自分でも、混乱していた。

 違う、違う! と僕は思った。

 僕は、もっと悔しがって欲しかったんだ、とかなり後で気付いた。

 オレに、このオレに、母親以上の存在が、それこそ何人も何人も現れたことを、そんなことあるはずない、と悔しがって欲しかった。お前のことを一番わかっているのは、この私だけだと主張して欲しかった。

 そうでなかったら、お前だけに、お前の考えだけに振り回されてたオレは、どうなるんや。オレが、振り回されるほど、お前にも、オレに振り回されて欲しかった。

 母親にとって、自分が何の値打ちもない、取るに足らない存在だと思い知らされた気がした。自分の他にコイツの話を聞いてくれる人達がいて、本当によかった、と心の底から思っているらしい。

 僕の心の底に、というより腹の奥の方に、理由のわからない怒りが渦巻いていた。

 今までの自分の腹立ちや怒りというのは、表面的なものだ。むかつくからキレる。腹が立つから暴れる。一応キレてしまうと、その後は、スッとおさまっていく。

 え? ごめん、誰がキレたん? という感じだ。

 僕は、写真を撮りに前住んでいた家の近くに行った時に、以前同じ小学校や中学校に通っていた友人達と再会した。

 この辺りには、イヤな思い出しかないと思っていたけれど、再会してみると懐かしかった。

 それから、そいつらの仲間で、新しく知り合った友人達もできた。

 一番嬉しかったのは、小学校の時に、仲の悪かった大塚と友達になったことだった。

「お母さん、大塚、知ってるやろう」と母親に、即報告した。こういう癖はなくならない。

「アイツ、今、すごいいいヤツになってんねん。それでな、オレラ、すごい友達になってん」

「ふーん」とお母さんは言った。

「それで、アイツ、目茶苦茶、金高い高校に行ってるねんて」

 と話しているうちに電話がかかってきた。大塚からだ。

 先生がちょっとしたことで殴るとか、学校の門に鍵がかかっていて、逃げられないことなんかを、ゲラゲラ笑いながら聞いた。

「お前、そんな学校やめろよ」と僕は言った。

「金高いし、先生目茶苦茶やし、何にもいいことないやんか。それより、オレの行ってるとこに来たらいいのに」

「お前、ナルミとやったんか」

「いや。別にそんなこと」と僕はお母さんが聞いていたら困ると思って、お母さんの方を見たら、暇そうに新聞を読んでいた。

「ナルミとチサトの電話聞いたんやろ。タカシが怒ってたで」

「え?」

「今度会ったら殺すって、言うてた」

「え、ほんま?」

「タカシ、ナルミと付き合ってるやん」

「オレ、知らんかったわ」

 えらいことになった、と僕は思った。

「お前、今度会ったら、絶対殺されるで」

「嘘。やば。どうしよう」

「やっぱり、やったんやんか」

「なあ、大塚、ヒロコちゃんは元気ですか?」とオレは話題を変えた。

「え? うん。まあな」

「愛してるんですか?」

「もう、この世で一番愛してるよー」

「どこが好きですか?」

「もう、顔も身体も性格も、ぜーんぶ好きよー」

「どれぐらい?」

「もう、世界中の金ぐらい」

 わははは、と僕と大塚はバカ笑いした。


 僕は、後で考えれば、バランスを取っていたのだと思う。

 僕にとって、フリースクールは、素晴らしい場所だった。スタッフは、みんな、いい人だ。当然ムカツくガキもいるけれど、僕は、自分みたいな人間が、こんないいところにいさせてもらっていいのか……とどこかで考えていた。

 最初の頃、小学校高学年の女子三人からままごとに誘われて、「あなた、お風呂が先? ごはんが先?」とやられた時は、涙が出るほど大笑いした。そんなに、心の底から笑ったのは、生まれて初めてだった。

 フリースクールは、朝の八時半から始まり、五時半に小中学生が帰り、六時半に高校生以上が帰る。僕は、その後も何となくグズグズしていて、最後の最後にスタッフ全員が帰る時まで、話を聞いてもらったり、聞かせてもらったりしていた。

 僕は、フリースクール依存症みたいになっていた。ドップリと首まで、それどころか頭の上までフリースクールにつかり、そのくせ、駅に着くと、昔の仲間に電話をかけた。

 家には、戻りたくなかった。家に戻ると、現実が待っている。この幸福感に、いつまでも浸っていたかった。だから、昔の仲間と酒を飲んだり、煙草を吸ったりして、夜中遊び回っていた。

 以前の仲間とバカやってはしゃぐのは楽しかった。少なくとも、最初の数週間は。

 僕は、遅くなる時は、家に電話をいれる。いつでも、母親の顔色を伺うような気分で電話をかける。

「あ、そう」としか母親が言わないので、拍子抜けする。

「オレのこと、心配と違うのか」と言ってみる。

「それは、心配よ」と母親は言う。

「それがほんまやったら、もっと心配した声を出せよ」

「ああ、心配、心配。物凄い心配」

 僕は、受話器を握ったまま、大笑いする。何で、コイツは、こんなに可笑しいんやろか、と思う。僕が深刻に悩んでいても、その大事な悩みがどこかに行ってしまって、何で悩んでいたのかわからなくなる。

「あんたは、悩むのが好きなのよ」と言われたこともある。

「けど、人間っていうのは、一日二十四時間悩めるようにはできていない。おなかもすくし、眠くもなる。それでも、暇な時には、悩んでみたいのよ。何か、悩んでると、ちょっと偉い人間みたいに見えるじゃない。悩みがないって、バカみたいに思う人が多いじゃない」

「そうだよなあ。お前は、本当に、バカだもんな。悩んでる人間の気持ちはわからんよ」

 けれど、時々羨ましいと思わないでもない。


 昔の仲間の話から、時々大人が混じって、車で色々な所に連れて行ってくれると聞いていた。僕は、内心、そういうこともしてみたかった。

 一回目は、あちこちドライブしただけで、どうということもなかった。僕は、助手席に乗って、今行っているフリースクールのこととか、お母さんから話を聞いた、来年の六月二十一日に、人類に意識の大変革が起こることか、ムーとかアトランティスとか、色々なことを話した。

 その時、僕は、他の仲間に対して、非常な優越感を抱いた。

 彼らが、ビクビクして、近藤さんという大人には遠慮しまくって、あんまり話もせず、ペコペコしているのがわかった。僕は、ほとんど大人としか接していない生活を送ってきたから、大人は平気だった。かえって、同年齢の方に神経や気を使った。

 その時からかもしれない。この集団に違和感を感じ始めた。

 その次に車に乗った時、違和感は頂点に達した。

「殴るぞ、コラ」

「殺すぞ、コラ」という彼らの声が、耳の周りで異物になって飛んでいた。

 それしか言うことがないみたいに、ちょっと肩が触れる度に、「殴るぞ」と言われ、「オレ、帰るわ」と言うと、「殺すぞ、コラ」と言われた。

 その日行った先には、犬が二匹、紐で繋がれていて、大人の近藤さんは何もしなかったけれど、一緒に行った全員が、全然抵抗できない犬を蹴っていた。

「やめてやれよ」と僕は言ったけれど、誰も、僕の言うことなんか聞いておらず、最後には石まで持ってきて、犬を殴っていた。

 この世で一番楽しいことみたいに、目をギラギラさせて、殴り続けている。僕も、身体でかばってまでは、犬を助けようとはしなかった。飛び散った犬の血が、服にかからないようにしているだけで、精一杯だった。

 僕は、離れたところで、後ろを向いて、震えていた。

 犬の悲鳴は、聞こえなくなった後も、いつまでもいつまでも耳に残っていた。

 その時、車の発進する音がした。

 車は、僕を置き去りにしたまま、走り去ろうとしていた。

「待ってくれ」と言って、車の方に走って行ったが、車は走って行ってしまった。

 車の窓からは、僕の方を見て、笑っている仲間達の顔が見えた。

 僕は、しばらくの間、車の行ってしまった方向に走っていた。

 深い森の中で、辺りは暗く、どの方向に行けば帰れるのかわからなかった。

 一時間ぐらいと思ったけれど、実際にはもっと短かったかもしれない。トボトボと歩いていると、車が戻って来た。

 ああ、助かった、と思ったけれど、彼らの顔を見るのがイヤだった。

 帰りの車の中は、犬がどれだけ吠えたかとか、犬をどれだけやっつけたかという話題で盛り上がっていた。みんな、楽しそうだったけれど、僕は気分が悪かった。

 僕が置き去りにされている間に、車に残してあった上着のポケットから、一万円札が消えていた。

 僕は、彼らを心の底から軽蔑し、自分とは人種が違うと思い、もう、二度とこんなやつらとは付き合わない、と決心していた。少なくとも、その時の僕は。


 僕は、言わなくてもいいのに、その時の気持ちを、母親に打ち明けた。

「イヤなんだったら、行かなかったら?」と母親に言われた。

「おお、オレもそう思ってるし、もう、二度と一緒に行く気はないんやけど……」

「ふーん、ほんとは、行きたいんやね」と言われて、オレは、キレた。

「お前は、何もわかってないくせに、何でもわかってるようなことを言うな! 何で、そんなに偉そうに、何でもオレのことをわかってるみたいに、言うねん!」

「え?」と母親は、本当に驚いたように言った。

「私、あんたのこと、何もわかってないよ。けど、二度と行く気がないというのは、本当やないということがわかるだけで」

「オレは、行ったらアカンのか!」

「え? 行きたいんやったら、行ったらええやん」

「オレは、行きたくないんじゃ」

「それやったら、行かなかったら、いいやん」

「そやから、オレは、もう、二度と行かへん、て言うてるやろ!」

「それやったら、それで、いいやん」

 僕は、何か、まだ、ムシャクシャしていた。

「オレはな、ほんまに、行きたくないけど、行かんかったら、リンチされるねん。そやから、行かな仕方がないねん」と本当のことを言った。

「うーん」と言った母親は、「けど、本当にしたくないことは、人間、しないもんやから、あんたがしてること、本当は、したいことと違う?」

 僕が、キレまくる前に、母親は、「じゃ、これで」と自分の部屋に引き上げた。

 何で、そんなことができるねん、と僕は思う。自分の息子が、集団リンチに合うか、合わんかの瀬戸際やろ。

 ああ、ムカつく。それやったら、もう、どうでもいいからな、と思う。

 僕のすることは、いつも、同じ。壁を蹴って殴って、ウワアアとわめいて、マンションの上の階に住んでる人、怖いやろな、と思う。

 僕達の住んでるところの上の部屋だけ、この三年の間に、三回、住む人が変わった。


 新しい年になっても、僕の生活は変わらない。

 フリースクールにドップリつかり、その帰りに昔の仲間と会う。

 僕は、自分が引き裂かれていくような気がする。漫画じゃないけど、いいオレと悪いオレに。

 何もしていないのにムカツクと言って、関係ないヤツに殴られた僕は、一人で酒を散々飲んで、もう、オレはダメだと思い、行きつけのコンビニの前でワアワアと声をあげて泣いた。

 誰かに助けて欲しかった。誰かに救って欲しかった。

 顔見知りの店長が出て来た。僕は、どこかで、この人が助けてくれるのかもしれない、と思っていた。

「もう二度と、うちに来んといて」と店長は、吐き捨てるように言った。

 多分、僕は、自分に相応しい人生を送る。

 母親には、言われた。

「あんたには、叶えられないことは何もないほどの未来があるのに、あんたは、堅実で、きちんとしていたら、叶う未来のことは、何も考えない。その代わり、こうなったら、イヤやと思う未来は、確実に実現させている。多分、それが、あんたの心の底で、想い描いている未来なんやろね」

「お前に、そんなこと、言われたくないわ」と思ったけれど、自分がしていることを見ていると、ズボシかもしれなかった。


 そうや。

 僕は、誰にも言えないことをしている。

「オレが、何をしても、お前は見捨てへんか?」と母親に尋ねたら、「場合によっては、見捨てる」という返事が返ってきた。

 こういうヤツや、と僕は思う。

「シンナーを吸う。シンナーを吸ったあげく、女の人をレイプする。また、目茶苦茶になって、車の無免許運転をやって、人を引きまくる」と母親は言った。

「アホか」と僕は答えたけれど、ある種、いいカンやな、とは思った。

 僕は、友達がシンナーを吸っているので、最初は絶対そんなことはしない、と誓っていたけれど、段々とどうでもよくなって、一緒に吸った。

 すごく気持ちがよかった。気持ちがいいというんではなく、自分が悩んでいることとか、その他、何か鬱陶しいと思っていることが、全部、綺麗に消える。

 酒を飲んでも、煙草を吸っても、そんな気分にはなれなかった。

 一時、違う場所に行ける。自分の居場所に行ける。本当の居場所に行ける。

「うーん、シンナーいうのは、怖いねえ」と母親が言っていた。

「上半身裸で、シンナー吸ってて、そのまま、包丁持って、幼稚園バスを待っていた人に襲いかかって、本人、覚えてないんやて」

 オレ、その怖いシンナー吸ってんで、と内心思った。

 それだけやない。

 僕は……親父の車のキーをコピーして……駐車場のキーも、ある場所は知ってる。それで……友達が、無免許やけど、車を運転できるから、何度も、何度も、親父の車で、ドライブしている。

 イヤやった。大人に仕切られて、窮屈な想いで車に乗ってるのが、イヤやった。

 真っ青になったのは、友達が車をガードレールでこすって、バンパーとライトが潰れた時だ。

 その時は、最初、親父に友達が運転して、事故を起こした、と正直に言ったけど、友達の友達が、架空の大人をでっちあげて、その人が運転して、事故を起こしたことにした。

 親父は、自分の息子がからむより、その話の方が気にいったみたいだった。

 僕は、昔から、親父には本当のことは言えない。

 本当のことを言うつもりではいる。言うつもりではいるけど、親父に受け入れられる話は、大抵、嘘になってしまう。

 そのことを、どう言えばいいのかわからない。

 母親は、譬え話が好きで、それを聞く度に、僕は、イライラして、むかついて、キレるけど、それも、たまにはいいかもしれない。

 イタリア人がいて、日本語が全然通じないとする、と母親は親父のことを解説した。

 ま、別に、アメリカ人でも、ロシア人でもいいけど、何となく、親父はイタリア人だ。

 オレがこうした、とか、こう思う、と言っても、通じない。だから、相手にわかる範囲でことばを使う。

「この料理、おいしかった」とか、「ありがとう」という範囲だ。それなら、親父にも、通じる。

 だから、僕は、親父には、学校に行けないというのを、どうしてもわかってもらうことができなかった。

 母親だったら、「へえ、そう」で通じる話だ。

 学校は行かなければならない場所だと親父は考えていた。絶対、何があっても、学校には行かなければならない。

「何で?」ということは、たずねることもできない。

 なぜかと言えば、絶対に、行かなければならない場所だからだ。それは、もう、宇宙ができる前から、決まっていることだからだ。

「おなかが痛い」というのは、親父にも通じた。

「頭が痛い」というのも同じだ。

 だから、僕は、慢性的に、おなかと頭が痛くなり、その都度、親父は心配してくれ、僕は堂々と学校を休むことができた。

「これは、仮病やない、と小児科の先生も言うてた」と親父は、母親に弁解してくれるほどだった。

 母親は、『ふーん』という顔で、僕を見ていた。

 僕にはわかっていたよ。

 あんた、本当は、学校に行きたくないから、おなかや頭が痛くなるのね、と思っていることぐらい。

 けど、オレは、本当に、おなかや頭が痛かったし、本当に、しんどかったんや。

 そんなこともわからんお前に、そんな目で見られたくない、見られたくなかった。

 初めて、わかった。僕は、母親が嫌いなんや。誰にでもわかる理屈の通じない母親が嫌いなんや。絶対に、心の底から嫌いやったんや。


 夜間高校でも、フリースクールでも、新学期が始まる前の前の日だった。


 僕は、親友と一緒に、僕の家に泊まった。

 僕は、彼を気にいっていた。尊敬していた。

 僕は、地元の他のヤツラは、ほとほと軽蔑していたけれど、喧嘩も強い、ギターもうまい、ナナハンを乗り回し、全然、偉ぶらない、その友達が好きだった。

 母親は、何か忙しそうに動いていた。この前連れて来た時には、豪勢な料理を作ってくれたけど、今回は、冷凍食品とレトルト食品だった。それでも、家では、もう全然料理を作ってもらっていない友達は、感謝感激していた。

 僕と友達が、夕方出掛けて行く時も、何か、忙しそうにしていた。

 僕は、昔から、母親が忙しそうにしていると、無性に腹が立った。

 幼稚園や小学校の頃、忙しそうに仕事をされたり、ワープロを打たれたりして、淋しい想いをした後遺症だろう。

 へえ、そう、と僕は、心のどこかで思っていた。あんたの息子のことより、そんなワープロとか仕事の方が大事なん。

 あんたの大事な息子が、こんな夕方に出掛けていくん、全然、心配してないん? と僕は、内心思っていた。

 友人と二人で、親父の車に乗って、女の子を迎えに行く計画を立てていた。

 その前の日、その友人と一緒にいて、僕は、言われないリンチを受けていた。

 その友人は、暴走族なんかとも知り合いで、僕はバイクにも乗れないし、一旦、帰ると言って帰り始めた。そうしたら、僕より年下だけど、十センチは身長の高いヤツが、僕を脅した。

「何で、帰るねん。一緒に、乗っていけや」

 わかっている。僕は弱い。僕は、生まれてから一度も喧嘩したこともない。殴られるのは、怖いし、イヤだ。

 それで、僕は、言うことを聞いた。

 最終的には殴られるかもしれないとは思ったけれど、今、この瞬間に殴られるのはイヤだった。いつもと同じパターンだ。恐怖を先送りするという。

 それで、かっこ悪く、バイクのケツに乗って、皆が集まっていくところに行った。

 僕は、バカだ。そこまで行ってしまえば、また、バイクのケツに乗せて帰ってもらわなければ、帰れない。

「あんた、アホと違うの?」とその話を必死で話した母親に言われた。

「けど、オレには、そうするしかなかったんじゃ」

「あんたの行動パターンやね。今のイヤから逃げるために、どんどんもっとイヤなことに首を突っ込んでいく」

「わかってるよ。けど、オレは弱いんじゃ。そしたら、どうしたらええねん」

「最初のイヤに、イヤと言えなかったら、そら、仕方無いわね」

「お前なんかに話しても、無駄なだけやった」


 それで結局、僕は、暗がりに引っ張っていかれて、年下二人に散々殴られたり蹴られたりした。何で殴られているのか、わからなかった。

 僕は、全然抵抗せず、ダメージを最小にするために、終始頭と腹をかばっていた。

 死ぬまで殴られるのと違うか、という恐怖もあったけれど、殴っている方も疲れるんや、ということもわかった。僕は、途中で、解放された。

 友人も同じように、他のヤツラにリンチを受けていた。友人も、僕と同じように、抵抗せずに、殴られたままだった。

 何でや、と僕は思った。友人は、喧嘩では誰にも負けたことがない。僕をリンチしてたヤツラでも、友人には一目置いていた。

 後で、先輩の幹部とかいう人達が、下の者を戦わせて面白がりたかったんや、というのを聞いた。

「そんな人間の思い通りになるのは、イヤやったから」あえて、何の抵抗もせずに殴られ続けたという話を聞いて、心底、かっこいい、と思った。怖い、イヤや、痛いと思って殴られていた僕とは、レベルが違うと思った。

 けど、殴られたこと自体には、むかついていた。

 お互い、どこかで、そのウサを晴らしたい、という気持ちもあった。

 僕が、親父の家から、駐車場のキーを持ち出した。

 車庫を開けようとしている時に、会社から帰ってきたところの親父に出会った。

「近くまで来たら、喉が乾いたから、何か飲ませて欲しいと思った」と僕は、とっさに嘘をついた。友人の方は、見つかったらヤバイと思って、陰に隠れていたけれど、僕は、友達も一緒でいい? と尋ねた。それまでも何度か、親父と一緒に釣りに行ったり、お好み焼きを食べたりしていて、友人と親父とは、顔馴染みだった。

 また、親父がよくいくお好み焼き屋で、お好み焼き・焼きソバ・ビールをご馳走してもらった。

 後で、母親は、「それって、オニじゃない? 自分を全面的に信頼している相手に出会ったら、そこで、天からの声だとか思って、今からすることを思い止まらない?」と言われたけれど、僕達は、親父が家に帰るのを待っていたかのように、車庫を開けて、作ったキーで、車を発進させた。

 女の子を迎えに行くと、その友達が来てたので、一緒に車に乗せた。

 僕達は、得意だった。車で女の子を迎えに行けば、絶対、歩いたりするより楽だから、女の子が乗ってくるのはわかっていた。

 深夜のドライブは気持ちがいい。

 僕も、女の子達も、運転している友達も誰一人として、免許なんか持っていなかったけれど、全員で、遊び半分で、色々な場所場所で、運転を代わった。

 猿を見に行った時、餌をもらって、全員にわける猿、自分一人で、持ち切れないほど抱え込む猿がいて、あんまり、人間にすることが似ているので、全員で、大笑いした。

 後で考えたら、友人は、その前後一人で、十時間以上、車を運転していたことになる。

 その時、僕達は、疲れも手伝って、グッスリと寝ていた。

 当然だろうけれど、運転している友達は、寝ていなかった。

 僕は、夢を見ていた。

 なぜか、その友人をボカボカと殴っている夢だ。

 友人を何度目かに殴った時、ガガガガという音で目が覚めた。

 その時には、一体、何が起こったのか、全然わからなかった。

 ただ、夢から覚めたばかりの僕に、友人が、額からダラダラと血を流しながら、「全員いるか? 大丈夫か?」と何度も何度も繰り返す声が聞こえているだけだった。

 助手席に乗っていた女の子は、「窓が開かない、窓が開かない!」とヒステリーを起こしていた。

 もう一人の女の子は、「(この子)壊れてるう」と言って、ゲラゲラ笑っていた。

 すごく、非現実的な感じがしていた。

 一体、何なんだ。これは、夢か。または、アニメか……

 サイレンの音が聞こえていた。

 僕は、全然正気に戻っていなかったと思う。

 わあ、パトカーだ、とワクワクし、わあ、救急車まで来た、と思っていた。

 僕は、持っていたピッチ(PHS)で、母親に電話をかけたことを、後で母親に聞いた。

「今日から始業式でしょう。何してんの?」と母親に尋ねられて、「今、ちょっと、立てこんでて、そういう状況じゃないんですわ」と答えたらしい。

「あんたは、いつも、そうやね」と母親は言ったらしい。それを後で言われても、その時は、全然何も覚えていなかった、と思う。

 僕達は、訳のわからないまま、救急車で病院にまで運ばれ、そこで、何か訳のわからない検査を散々され、それから、警察署に連れて行かれた。

 僕は、その日、多分は、事故の起こる直前まで、始業式のあるフリースクールに行く気だったし、フリースクール関連のボランティアの仕事にも行くつもりだったし、今年から三年制になる、夜間高校の手続きにも行くつもりだったと思う。

 そのどれもが、できなくなった。そのことにも、腹を立てていた。何で、いつでも、しようと思うことが全然できなくなってしまうのか。

 僕は、この事故のことは、絶対に親父には知られたくなかった。そこで、警察には、母親の電話番号を教えた。

 僕は、後悔していた。何で、車を出すのをやめておかなかったのか。

 母親は、僕が一度親父の車を使って、ガードレールにこすったということは知っている。けれど、それ以後も、車を乗り回していることは知らない。母親に言えば、どういう手段を使っても、自分のすることを止められると思った。だから、あえて、何でも話す母親に、何も言わなかった。

 僕は、母親に秘密を持った。

 しかし、フリースクールでは、ずっと車を乗り回している、ということは話していた。ここで話しても、父親や母親に漏れることはない、と踏んでいた。また、どこかで、漏らして欲しい、という気もあった。

 僕は、どこかで、誰かに止めて欲しい、と思っていた。けれど、誰にも止めて欲しくはない、とも思っていた。

 フリースクールにいる時の僕は、品行方正で礼儀正しい、善悪の基準のハッキリしている人間だ。いいことはいいと思い、悪いことは悪いと思う。

 スタッフの一人に、僕は、親父の車のキーを渡す約束をしていた。その人には、キーを渡してもいいと思っていた。本当は、それが最善の道なのだ。それ以外に道はないのだ、とフリースクールにいる間は思う。

 けれど、駅まで来て、友人に電話をかけている時には、そんな気分はどこかに行ってしまっていて、これからするワクワクドキドキした冒険のことだけを考えている。

「オレが、何をしても見捨てへんか?」と母親にたずねたのが、二日前のことだ。

「見捨てる時には、見捨てる」と母親は答えた。

「お前がそういう人間やから、オレはショックを受けて、自分でしたくないことまでしてしまう」と母親に責任をかぶせようとした。

「人間、誰が止めてもしたいことはする。誰が勧めても、したくないことはしない。あんたが、したくないけどするということは、本当は、したいことなんや、と思う」

「お前は、イヤなヤツやな」と僕は言った。

 けど、まだ、その時の僕は、したくないことを、無理やりやらされているという気持ちがあった。


 僕は、警察でウンザリしていた。

 一日中、これか。

 病院がすんだら、警察だった。

 あれこれと詰まらないことを、一杯聞かれた。

 友人と二人、部屋の外のベンチでグッタリしているところに、母親が現れた。

 お互いに、顔は会わせなかった。

 父親は当然だが、母親にもどんな顔をしたらいいのかわからなかった。

 友人の母親と姉貴もやってきて、僕と友人は、母親達と一緒に、また、取り調べ室に入った。

 母親達は、書類に何か書いて、はんこを押していた。

 それから、全員で、最初に行った病院に行って、母親達は、お金を払った。

 薬局で薬をもらって、家に帰った。

 僕は、親父には何も言うな、と母親を脅した。

「オレは、これから逃亡するから、言うんやったら、その後にしてくれ」

「あんたは、最低の人間やね」と母親が言った。

「いつまで逃げれるつもりなん。一番被害に会ったのは、お父さんなんやから、できるだけ早く知らせないとアカンでしょう」

「オレが、どんな顔をして、親父に会えるねん」

「自分がしたことだけは、キチンと謝りなさい」

「イヤじゃ」

 僕は、現実逃避していたかった。

 実際には、何も起こっていないと言って欲しかった。誰からも、責められたくなかった。

 自分は、何も悪いことをしていないと思いたかった。仕方のない事故なんや、と皆に認めて欲しかった。特に、母親に、庇って欲しかった。

「自分が、何をしたのか、本当にわかってるの? あんたは、人の信頼を完全に裏切って、人間として、最低のことをしたのよ。車が全損して、全員軽い怪我ですんだなんて、奇跡に近いことなのよ。誰かが死んでいても、誰かを轢き殺していても、全然、不思議じゃないのよ。そうなっていたら、どうするつもりだったの」

「オレも、生きてない」と言ったけれど、オレは、生きているかもしれない。

「自分が死んですむことじゃないのよ」

「何で、お前は、そこまで、オレを追い詰めるねん。お前が、そういう人間やから、オレが事故を起こしたりするんと違うんか」

「違う」と母親は、言った。

「あんたの周囲の誰がどういう人間でも、今回の事故で車がペッシャンコにならなかったら、あんたは、車が潰れるか、誰かが死ぬまで、同じことを繰り返す。私も、あんたが、そこまで、バカやとは思わなかったわ」

「そやから、車が潰れただけでよかったやないか」と僕は言った。

 オレは、天から生きるように言われている人間や。だから、今回も生き延びた。誰も死ななかった。全員無事だった。

 けど、僕は、どこか、不安で不安で仕方がなかった。

 やったことは悪いと思っているけれど、それで責められるのは、納得できなかった。

 反省してるんやから、いいやないか、と思う。

 僕は、友人といると、心が安らいだ。

 彼は、全然、悪いことをしたと思っていない。というか、何の反省もする気配もない。

 というか、起こったこと全部が、他人事みたいだ。

 だから、一緒にいると、気分が楽だった。

 母親なんかが、異常な人間に思える。無事やったんやから、いいやないか、息子の無事を喜べよ、という気になってくる。

 それで、友人とずっと一緒にいて、うちに泊まってもらった。事故の翌日から、四日間。このことで、母親と徹底的に気まずくなったけれど、僕は、今さえよかったらいい。

 今が、イヤだったら、将来、どんなにいい生活が待っていてもイヤだ。

 僕のこの生き方は、どこか間違っているのだろうか。

 どうせ、人間は、滅びる。

 どうせ、地球は滅亡する。

 明日、生きていられる保証は何もない。

 今回だって、事故で死んでいたかもしれないんだから。

 僕は、救いを求めるような気持ちで、フリースクールに行った。

 母親みたいな責めでなく、温かい励ましが欲しかった。本当だったら、母親に求める温かさを、フリースクールに求めていた。

 僕は、正直に起こったことを全部話した。

 僕は、助けて欲しかった。救って欲しかった。温めて欲しかった。

 しかし、返ってきた答えは、無残なものだった。

「一樹君が、ここに来るための条件が二つあります。一つは、集中内観にもう一度行くこと、毎日朝晩一時間の内観をすること。それをしない間は、うちでは、到底、一樹君のことに責任をもてないし、ただ、居場所を求めて来るだけだったら、時間とお金の無駄だと思う」

 母親からも言われた。

「事故のこと自体よりも、その後のことの方が問題だと思う。あんたは、何の反省もしていない。友達を家に連れ込んで、自分から逃げることだけを考えている。前から言っているけれど、学校にも行かない、仕事もしない人間を養うだけの余裕は、うちにはないの。自分で住むところを見つけるか、それができないなら、お父さんのところに行ってくれない? これは、前からの約束でしょ」

 そうか。それが、お前らの返事か、と僕は思った。

 一回、何か問題を起こしたら、それだけで、オレという人間に対する評価が変わるんか。

 唯一の救いは、親父だった。

 もう絶対、親父とは顔を会わせられない、電話も無理だと思っていた僕は、偶然、親父からの電話に出た。

「……」僕は、言うことばが何もなかった。

「……」親父も沈黙していた。

「……一樹か。今度だけはいいから。けど、今度だけやぞ」

 僕は、初めて、親父に対して、本当に申し訳ない、と思った。



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