020 変異体再び
森に入ってから30分ほど経っただろうか。一向に目標の姿が見えずにいた。
「そろそろ昼になるか」
コンソールの現実時刻は12時を回っている。この世界で空腹が訪れることは無いが、現実の身体はそうはいかない。一度昼食を取りにログアウトする必要があった。
ぶっ続けでの探索も可能だが、長時間のプレイはVR機器より警告がなされてしまい、強制的にログアウトさせられてしまう。
ゲームによって餓死したなどといったニュースが世に出回れば、コンテンツが終わってしまう可能性すらあるため個々人でも注意が必要だ。
「まだクエストを達成していないのにフェリアの下へ訪ねなければならんのは気まずい。が、こちらもまた急用だ。仕方あるまい」
泉がセーフティエリアとなっており、ログアウト可能と気付いたのは先日である。
もっと早く気付けば一々ギルドへ戻る手間が省けていたものを。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。次からもっと注意して見ることにしよう。
とはいえ今外に出ると面倒な輩が蔓延っていることだろうから、現状のソウにとっては朗報である。
マップに従って泉へ向かう。少し広い道に出たことで、脳内に接敵のアラートが木霊した。
「ちい、このタイミングか! どこだ⁉」
ソウは周囲へ視線を向けて迫ってくるであろうボスの姿を探す。
しかし、それらしいものは見つからなかった。
ふと、視線を地面に向けると黒い影がどんどんと広がっているのが見て取れる。
「まさか……」
ソウは空を見上げた。
太陽光で全体が見えにくいが、何かが落下してくるのを確認できた。
ソウは【観察眼】を活かしてじっと対象を見続けると、少ししてその全容が判明した。
パンチングポーズを保ったまま落ちてくるキメラであった。
ソウは影を頼りに着地点を把握すると、その圏外へ全力でダッシュする。
退避が完了したタイミングで、地面を抉る轟音と地響きが襲ってきた。さらに遅れて砂埃が宙を舞う。
「今回は随分と演出が凝っているではないか!」
砂塵を巻き上げると、キメラは軽口をたたいたソウへ有無を言わず突進を仕掛けてきた。
・モンキーキメラ (変異体) lv 26
フィールドボスのレベルを上回っているのだが、これは一体どういうことだろうか?
ソウは襲い掛かってくるブローを何とか回避する。
なにより、相手の情報で目を引いたのはHPゲージが2段あることだ。
「まだモノシスなのだが、これ以上インフレさせてどうすると言うのかね⁉」
背丈は2mを超えているだろう。猫背のために3mと言われても納得の大きさであり、見た目は完全にゴリラ。しかし名前の通りサルっぽい茶色の体毛はそのままに、なぜか右の肩甲骨から黒い羽が生えていた。
よく見れば足首から先が鳥の足になっており、下半身はサルとゴリラの中間でやや屈伸気味。鳥の足が混ざっているのを表現するためであろうが、骨格及び形態は人のそれであり、バランスを崩すということはなさそうだ。
まさしくキメラである。
「どうせならば顔も鳥にしてもらえた方がまだ納得できるのだがね!」
その巨体でサル顔はなんだか不釣り合いな気がしてならない。
ソウは水晶玉と片手剣を取り出すと、まずは一発片手剣で横っ腹にお見舞いした。
・獣骨の直剣
DV:180
ATK:60
獣の骨から作られた片手剣。骨であるため刃こぼれがしやすく切り難いものの、同シリーズの短剣よりはまし。
相変わらずフレーバーテキストが泣かせに来ている。
お値段なんと、8000マーニ。
ここに来る前に貯まった有り金叩いて装備屋で購入したものだ。MMOに限った話ではないが、ゲームなどで新たな武器を購入すると手持ちがひもじくなる現象を誰しも一度は経験したことがあるだろう。
毛皮は堅いが、短剣より火力が出る分前回よりも手ごたえを感じた。
HPの減りは相変わらず僅かであるものの、フロア限界突破ボスにしてはダメージの入りがいいのは実に救いであった。
2段もHPがあるための調整だろうが、骨が折れる以外の感情はソウには浮かんでこなかった。
これが短剣であったらと思うとぞっとした。
太い腕がソウの近くを掠めると、引き起こされた風がソウの身体を浮かせて少しばかり横に飛ばされる。
体幹を用いて着地したソウの目の前にはすでに反対の拳が迫って来ている。
咄嗟にヘッドスライディングをしてそれを回避。
放たれた拳は地面にめり込むと、表面の土砂をまき散らした。キメラが腕を上げるとボロボロと土や石が地面に落ちていった。
どう考えても一撃食らったら終了ではなかろうか。
態勢を立て直したソウはキメラと対面した瞬間、またもや一気に距離を詰めてきている。
「ちいっ、素早いな!」
しかし、まだ距離はある。
ソウは攻撃から逃れるべく隙間を探した。こちらに向けた拳はやや振り下ろし気味。であればだ。
「バックステップ!」
足に力を入れて全力で下がる。間一髪、避けることに成功。先ほどまで居た位置に拳が埋まった。その隙を見逃すことはなく、ソウは腕を足場にして顔面を目指して飛び抜ける。
右から行くため近づけるように武器を左右スイッチ。
左手で握った片手剣を顔めがけて差し込もうとする。だがそれは首を捻られて虚しくも空を切った。
巨体からダイブしたソウは着地を決めると次の手に移る。水晶玉をしまい、インベントリから毒袋を取り出した。
ソウは毒袋を持ったまま駆け出す。
キメラは僅かの間にドラミングをしたあと、また拳を放ってきた。
拳の放たれるタイミングで横へステップしてズレると、そのまま後ろへ回り込んだ。
キメラが追随するように旋回してくるタイミングを見計らい、ソウは頭に向かって毒袋を投げつける。
キメラが丁度振り返った時にはすでに毒袋が迫っており、避ける間もなく顔面へ直撃した。
ベチョっと嫌な音を立てて袋が破けたことで毒液が顔面に広がった。
「グウォアオオオ!」
「そんなに吠えると毒回るの早そうだがな?」
見ればHPがいい感じに減っている。効きがいいのかもうすぐ1割を削れそうである。
それほどアイテムを使っていなかったので乱獲してから気付いたのだが、通常時と戦闘時でインベントリは共有されている。しかし、戦闘に入るとアイテムの個数使用制限が設けられていたのだ。一度の戦闘で使える最大数は物によって違うようだが、ランドスネークの毒袋は最大10個までしか使えないらしい。
よって、ソウがこの戦闘で毒によって与えられるダメージは最大HPバー1本弱と言ったところだろうか。それでも十分なダメージ源である。
なんにしてもチャンスだ。
毒を落とそうと顔を拭っているキメラへ速さを活かして回り込むと、肉薄して空いている箇所を片手剣で切りつけていく。
痛みで察せられたのか拳が飛んできたので回避。拳は当たらなかったものの、纏っている風のせいで剥がされてしまう。強制的に距離を取れてしまったので、敵のHPを確認。一本目のHPが8割を切った。
キメラが吠えてドラミングを行う。するとどうだろう。茶色だった毛が逆立ち、真っ赤なオーラを纏っているではないか。
「スー〇ーサ〇ア人かね!」
もはや序盤に出てくるボスの風貌などではなかった。どこぞの決戦場で戦う相手と同族ではないかね?
なんにしても、一本目から早々モード変更があるとは……。ただでさえ鬼畜仕様なのだから勘弁してほしいものだ。
キメラは興奮状態のようでギラギラと目を輝かせてソウを視線に捉える。
そして、あろうことかキメラはその場で地面を叩いた。すると突いた場所からこちらに向かって浅い地割れが発生し、その間から土の棘が生えて迫ってきた。
「だから、遠距離攻撃はあれほど実装するなと言っているのだ!」
ソウは悪態をつきながら範囲を逃れるべく駆けだした。
がりがりと地面を削る音と平行して走ることでキメラへ近づくが、ビンタという名の振り払いがやってきた。
ソウはとっさに伏せて頭上を通過させる。音が消えたところで飛び起きると再度空いた脇腹に切りかかる。連撃を与えたところでキメラから離脱し、敵の行動が見やすいようなるべく距離をとった。
「ん? HPが減っている?」
今のところ初撃以外避けているはずだが、何故かソウのHPが8割を切っていた。先ほどは風も飛んできていない。そうして思い浮かんだのは、
「まさか、あのオーラに近づくと固定ダメがあるのかっ!」
しかし、こちらは近距離攻撃しか持ち合わせていないのだ。どうしてもHPは減らしてしまう。
「ポーション持つか?」
片手剣を買ってしまったことで青ポーションの手持ちは8個。効率良く使いたいところだが、そうは言っていられない相手だ。全回復は望むまい。
敵の一本目のHPがもうすぐ7割に到達しようとしたところでバーの減りが収まった。毒の効力が消えたのだ。
キメラは怒号を上げるとソウに向かって迫ってくる。走りながらも巨大な右手が地面すれすれに下げられる。
モーション的に掬い上げ。
ソウは回避に移行。
するとまだ遠くのキメラの手は地面に触れており……
「がっ!」
脇腹に石が直撃し、ソウは地面を転がった。HPが一気に4割にまで減少する。
どうやらわずかに地面を掘り返していたようで、石投げが発動していた。
「姑息な真似を……」
ソウは早速ポーションを口に含む。HPが全快した。残り7つ。
「さて、どうしたものか」
痛みのする脇腹を空いている左手でさすりつつ、ソウは次の一手を考える。
「果たして、あのモードはいつまで続くのだろうか」
大抵スーパーモードは制限時間が設けてあるはずだ。
それが続くようならもはや糞ボスである。
「経過時間を測る必要があったか」
トリガーは分かっても、それがどれほど続くのかが不明だとゾンビアタックしたときに活かせないでリトライで検証する羽目になってしまう。
この戦闘で倒すのがベストだが、贅沢は言ってられん。なるべく敵の情報を掴んでおきたい。
キメラは高速で近づいてくると、こちらに向けて拳を振るった。
上段からの斜めの振り下ろしは……めり込み!
ソウはバックステップで範囲外に逃れる。案の定、拳は地面を抉った。
「……」
キメラはゆっくりと拳を引き抜いた。
「なるほど」
向こうがアクションする前に、ソウは駆けだして自ら近づいていく。
それを見たキメラは迎撃体制に入った。左手は地面に右手は振り上げられ、拳を握って固定。左右どちらからの対応ができる構えであった。
それでもソウは恐れることなく走る。コンソールを弄り、再び毒袋を取り出した。
「ガァ!!」
左手!
「来ると分かっていればタイミングは計れるものだ」
石礫をソウは回避すると右足に力を入れて飛んだ。【跳躍】と【滞空】によって飛ぶ力と滞空時間に補正が掛かる分、本来の人間の挙動よりも長く飛べている。
右手の拳が飛んでくるも、ソウはすでに横を通り過ぎていた。空振った拳はそのまま地面に沈む。
「これから引き抜くまでに2秒!」
奴がパンチを繰り出して地面に潜り込ませると、引き抜くまでのモーションがやや遅くなっていることに気付いたのだ。
その間にソウは片手剣を振るい、その背中を削っていく。
「ガゥ!」
右スイングのボディーブロー。これは風を纏っているはず。
ソウは背中を追いかけることでスイングから逃れ、追撃を放つ。
敵のHPが6割を切ったところで、離脱。
オーラによってこちらのHPも8割を切っていた。
「……グルル」
するとどうだろう。敵のオーラが消滅し、初期の姿へと戻った。
「2割で解除か」
これまでの敵のパターンを振り返る。
横スイングは風纏いの関係で掠ると飛ばされるため極力近づかないこと。
上からの振り下ろしは回避しなくては恐らく即死級。しかし、めり込むモーション付きのため避けられれば攻撃の隙がある。掬い上げは石礫込み。遠くにいるほど広範囲で巻き込まれてしまうと死にはしないが痛みによる行動の制限が起きる。
先ほどの行動を見るに、岩棘はオーラ時のみの特殊行動と見るべきか?
「現状の分析はこんなものだな」
これまた、水晶ガードが不可能な相手であるな。
こちらが攻めてこないと見て、キメラはドラミングを行った。威嚇……というよりも鼓舞か。恐らく、攻撃力を一定時間上昇させるとかその辺だろう。
すると、キメラは両手を振り上げて僅かの間に万歳の姿勢を取ると、地面に勢いよく叩きつける。
「まさか、岩棘⁉」
しかし、キメラはソウの予想とは違う行動を執った。
地面に両手をついた瞬間、その巨体が飛び上がったのだ。
そしてソウ目掛けて落下してくるではないか。
「ヒップドロップかね⁉」
しかし、これは回避することが簡単である。
ソウは飛び上がった方向へ走ることで己の頭上を通過させる。
背後に強烈な一撃が地面叩きつけられる音をソウは耳にした。振り返り、キメラが振り向くタイミングを狙って毒袋を投擲。
しかし、これは少し遅かったようでキメラの腕で払われてしまった。
貴重な攻撃手段をひとつ失ってしまった。
「仕方あるまい……」
水晶玉を取り出して片手剣スタイルで構える。
キメラはドラミングの後、右手を下げてスイング。大量の石礫が飛んでくるが、
「――場所によって範囲が違う!」
ソウはキメラに向かって少し走ると、上半身を屈めて石礫を避ける。そのまま接近を試みた。
次は横スイングの薙ぎ払い……
これは左に回り込んで回避。背後に回りつつ、剣をしまって水晶玉を右手に持つと毒袋を取り出した。
ソウは、振り向くキメラに持っているものを投げつけた。
ソウが投げの姿勢をしているのを見て、キメラはとっさに顔に腕を持っていき、振り払う。
パコンッ!といい音を立てて、飛んで行ったのはなんと水晶玉であった。
「振り払いは間違いだったな」
とたん、毒袋がキメラの顔面で潰れた音が静かに森へ木霊したのだった。
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