本当の父からの手紙4
「それであの二人の内のどちらか、という話なんだけど」
「あ、はい」
話が元に戻って、シェリーは頭を切り換える。
「やはり封蝋印を確認することが確実でしょうか」
しらみ潰しではなく、この二人の、封蝋がある手紙を見られればそれでいいのだ。アーネストならどうにかできるのではないかと思い、シェリーは視線を向けてみるが、難しい顔をしている。
「手紙を書けば返事をもらえるだろうが、交流もないし、人となりもわからないから、下手なことを書けば縁を切られる恐れがある。貴族は面倒臭いんだよ。それに結局これも本人が普段使っている封蝋印じゃないかもしれないんだよな。今更だけど」
「確かに、それはそうなのですが、それを言ってしまうと振り出しに戻ってしまいますよ」
「そうだな。とにかくこれを確認しないことには進まないか。父にこの二人のことを聞いてみるしかないな」
シェリーが手を煩わせることを謝ろうとした時だった。
店の扉が開いて静かな店内に声が響く。
「どうも、ベル&レティ香水店です!」
配達人らしき若い男性が入ってきた。
この状況。つい昨日のことがシェリーの頭の中を過った。まさかと思う。
「シェリーお嬢様ですか?」
「……はい」
警戒心を滲ませつつも、違うとも言えずシェリーは肯定した。
「プレゼントをお預りしています、どうぞ」
芝居がかった、勿体ぶった態度で小さな箱を差し出す。
受け取りたくない。
「身に覚えがないのですが」
「そんなはずないでしょう。ちゃんとビリンガム書店のシェリー嬢にと言われましたよ。受け取っていただかないと困ります。ちゃんとお代はもらっていますので心配いりません」
迷惑そうな空気を出されて、シェリーは仕方なく受け取った。アーネストが配達人を引き留めようとしたが、彼は昨日の配達人とは違い、興味津々という風にシェリーを見て、すぐに帰ろうとしない。
「……香水ですね」
「そりゃあ、うちは香水店ですから」
箱を開けて中身を見たシェリーの言葉に、配達人が呆れまじりに言う。
優美で流行の先端にありそうなデザインの小さな瓶は、それそのものに価値があるのだろう。どう見ても一級品の香水だ。
シェリーは添えてあったカードを手に取った。一言のメッセージと、馬の印璽が押された封蝋が付いていた。
「どんな人がこれを買ったんだい? 相手がわからなければ彼女も困る」
アーネストが声を掛けると、配達人はじろじろと彼を見て、好奇心を隠しきれない顔でにやりと笑った。
「四十過ぎくらいの、立派な身なりの紳士ですよ。お名前はわかりません。しかしおかしいですねぇ。娘に贈ると仰って、若い女性に人気の香りなど、色々聞かれていたんですが」
薄ら笑いを浮かべた男が何を想像しているのか、シェリーにはわからなかったが、察してしまったアーネストは不快感で男を殴りたくなった。金持ちの紳士が娘にと言って、労働者階級の若い女性に高価なプレゼントをするのは、確かに変なのだが。
「娘だと仰ったんですね」
シェリーは別の何かに気づいたらしく、考え込みながら口を開く。
「ちょっと伺いたいのですが、ウィジー子爵のことはご存知ですか?」
「え? ええ、ご夫婦でよく利用してくださいますよ」
アーネストもはっとした。店で香水を買ったひとが、シェリーの本当の父親だと主張する人物と同一なら、それはウィジー子爵ではないことになる。
「ではクロックフォード男爵のことはご存知ですか?」
「いいえ、その方は残念ながら、お顔を拝見したことはありませんね」
「そうですか」
候補が一人に絞れた。
やったという思いで、シェリーは顔を上げる。するとそこにはいやらしい顔で何か聞きたくてうずうずしている配達人がいた。
水を差されたようで気分が下降する。しかしどう誤魔化すべきか。
「シェリー、それは君の名付け親からじゃないかい?」
絶妙なタイミングでアーネストがフォローを入れてくれた。
「あっ、そう、そうです。あの方です。娘だなんて大袈裟なこと仰るんですよ」
シェリーが頷くと、配達人はなんだそんなことかという、拍子抜けした顔をして、挨拶もそこそこに店を出ていった。
今度あの店へ行って、口の軽い店員がいると、店主にチクってやろうとアーネストは心に決めた。
「ありがとうございます、アーネストさん」
「いや、それよりやったじゃないか。クロックフォード男爵ということが濃厚になった」
アーネストは素直にシェリーの機転を称賛した。自分の手柄はひけらかさないところは、育ちの良さが窺える。
「印璽を誤魔化していなければですけど。でももう明日にでも、その方に会いに行こうかと思います。こんな高価なものを連日贈られるわけにはいきませんから」
「そうだなぁ。詐欺ではないんだろうし、それがいいかもね」
「やっぱり勘違いをされているのだと思います」
シェリーは化粧箱の中に入っていたカードをアーネストに渡した。短いメッセージが書かれている。
『大切な娘へ』
短いがゆえに、その言葉は真実なのだろうと思える。
「うん、明日はちょうど日曜だし行ってこよう」
「貴族のお宅って事前にお伺いを立てなくてはいけないのでしょうか」
「いや、夜の訪問でも催しがある日でもないなら問題ないよ。貴婦人はアポなし訪問が日課だしね。下手に連絡したら一人で来るように指示されるかもしれないし」
「一緒に来てくださるのですか?」
「当たり前だ。さっきそう言っただろう」
アーネストの困った顔を見て、シェリーは慌ててそうじゃないと首を振った。来てほしくないわけではないのだ。
「申し訳なくて」
「あんまり遠慮されると悲しくなるね。友達くらいには思ってもらえていると思っていたんだけど」
「えと……はい、友達です」
迷いながらの肯定だったからか、アーネストは寂しそうに苦笑した。
シェリーは彼のこんな顔を、見てはいけないのだと思う。目を逸らしていなければ、きっと大変なことになる。
「では明日、ひとまずこの店の前で待ち合わせようか」
「はい」
俯きながらシェリーは頷いた。
翌朝、隣町のクロックフォード男爵邸まで、どの馬車で行くか、二人は相談していた。庶民であるシェリーは当然、乗合馬車で行くものと思っていたのだが。
「すみません、アーネストさんは乗合馬車なんて乗りませんよね」
「いや、僕もたまに乗るよ。別に抵抗はないからそれはいいんだけど、たまにしか乗らないから、さすがに隣町まで行く馬車の路線は知らないな。シェリーは知っている?」
念のためというようにアーネストが尋ねる。シェリーはきっぱりと言った。
「いえ、まったく」
「だよね」
おおよそ苦手なもののないシェリーの、最大の弱点が方向音痴である。乗合馬車の路線の把握も苦手で、初めて乗る路線は半分以上の確率で間違えるのだ。普段よく使うものしか理解していない。
「ちなみに今から行く隣町の方角ってわかっている?」
シェリーは迷いなくある方向を指差した。
「……違うよ」
不安になったアーネストは決心した。
「辻馬車で行こう」
「東西南北の方角を目印もなくわかる人がおかしいんです!」
責めたわけでもないのにシェリーは強く弁明する。
「いや、まだ朝だし太陽の位置でだいたいわかると思うんだが」
「だいたいって、北西か西か南西かってぐらいのことですよね。それで目的地に向かって歩ける人は、そもそも初めから方角を覚えている人なんです」
なぜかシェリーは方向音痴を追及されるとムキになる人であった。余計なことを言ったとアーネストは後悔する。
「うん、とにかく僕も不安だから、辻馬車でいいかな?」
「反対したわけではありません」
理不尽だと思ったアーネストである。
ともかく、辻馬車を見つけて目的地を御者に告げる。
最近は無蓋馬車が人気だが、箱馬車を探して捕まえた。やはり貴族子息と庶民の娘が一緒の馬車に乗っているのを目撃されれば、厄介な噂が流れる恐れがあるだろう。
シェリーはアーネストがそういう気遣いをしてくれていることがわかっていた。だが、返すつもりで持ってきたプレゼントを代わりに持ってくれたり、馬車に乗る時に優しく手を貸してくれたりすると、変な気分になってくる。
これではデートみたいだ。
アーネストは好奇心もあるだろうが、シェリーを心配して来てくれているだけなのに。
こうなると店では地味で動きやすい服しか着ていないのに、今日は持っている服の中で一番上等なものを着てきたというのも、何だか気まずくなる。違う、これは貴族の家を訪問するからいい服を着ただけなのだ。
「そういう華やかな服もいいね。似合っている」
「えっ」
シェリーは驚いて正面を見た。
笑っている彼が嬉しそうに見えるのは錯覚だろうか。貴族の家へ行くからというだけです。そう言おうとして、言えなくなった。
話題を変えたほうがいい。でも、何も思い付かない。
「シェリー、ずっと気になっていたんだけど」
悩んでいる間に、アーネストが口を開いてしまった。真剣な口調で、躊躇いながら。
「君は少しでも、この手紙の人物の娘になって、貴族の暮らしをしてみたいと思ったことはないの?」
シェリーは目を見開いて、固い表情のアーネストを見た。