狂信者④
愉快な話であるが、すでに誰が犯人、容疑者、狂信者なのかは分かっている。
そして、彼らがどこに居るのかも。
魔女が“覗き見”をしたとき、彼らは顔を隠しておらず、立場も司祭と言う事で非常に分かりやすかった。
アズは用意された写真と記憶の中にある顔を一致させた。
そして彼らの運営する教会と孤児院を突き止めたのだ。
異端審問官は、現在の教会では認められていない。こういった組織は完全に非合法なのだ。そこに神の意思はない。
しかし悪しき慣習として異端審問官は活動を続けており、気が付いている一部の教会関係者も、それを黙認している。
伝統の保護者、前例主義者、そういった者たちが作り上げる同調圧力は並大抵の事では打ち崩せない。仮に一部の情報が告発されたとしても、それをデマとして揉み消すか無かった事にするぐらい、彼らにとっては簡単な事だったのだ。
ただ、組織の実行犯は常に不足しており、それを補充する為に孤児院が使われる。
ひねりも何も無い方法だが、それだけ消耗品として孤児を使うのはやり易いのだ。
もしも実行犯になった孤児が捕まったとしても、スケープゴートとして他の孤児院が使われるなど、組織のバックアップは完璧だ。これまで一度として教会が真犯人と露見した事が無い。
情報化社会だの市民記者だの何だのもてはやされてはいるが、真実を暴こうなどという労力を持つ一般市民はほぼいないのでしょうがない。
教会の体制は盤石であった。
「しかし、露見した後であればやりようはいくらでもあるのですけどね」
「お前ら! 私にこんな事をしてタダで済むと思っているのか!!」
「そちらこそ、タダで済むとは思わない事ですよ?」
あの場にいた司祭は国家騒乱罪で一斉逮捕された。
魔女は事前に動かないが、国は事前でも動くのである。主義もへったくれもない。国家の安全保障が最優先だ。
細かい情報はわざとマスコミに流されないが、その意図を汲み取ったマスコミにより教会は面白おかしく予想を書き連ねられる。
中には孤児院経営者が数名混じっていた事に注目した記者もいて、そこから真実を言い当てる者も居た。ただ、それはいくつもある予測の一つでしかなく、それが注目されるのは全てが明らかになった後の話であったが。
言葉にならない意図を汲むのはマスコミと政治家の癒着のような話であったが、言葉にしていないのだからセーフ。そんな暴論がまかり通っている。
事件はわざと大きく扱われ、世界中に発信されていった。
宗教関係者を一斉拘束すれば、その大本が何も言わない訳にはいかない。事件が大きく報じられている為、なぁなぁでは済まされない。
最低でも枢機卿と言われるかなり位の高い人物から「即時釈放」と「正式な謝罪と賠償」を要求しない訳にはいかない。話が大きくなればトップである教皇が動かねばならない。
国家権力による宗教の弾圧とは通常ならば忌避される事なのだ。
ただ、後ろ暗い話があった為、無策に相手の非を突こうものなら自分が刺し殺されるというだけで。
「神は何故、このような試練を我に与え給うのか」
今の世の中、ただトカゲの尻尾のように捕まった彼らを切り捨てても非難は免れず、教会へのダメージは計り知れない。
現職の教皇は我が身の不幸を嘆くが、そんなものは神の試練でもなんでもない。
ただの自業自得、教会がこれまで目をそらしてきた負の遺産が許容量を超えただけに過ぎない。
しいて神の試練というならば、異端審問というカタチで神の教えに背いてきたのだから、相応の罰が下っただけである。
 




