英語教育をするよりも翻訳用の日本語を構築した方が早い気がする
スマホに日本語で話しかければ英語に変換してくれる時代です。
殊更に英語を勉強する意味があるんですかね?
それよりは、翻訳に適した日本語を構築した方が早いと思うのですが・・・
「私は英語が得意ではありません」
この文章で誤翻訳は起きないでしょう。
実際にGoogle翻訳に通すと「I'm not good at English」と翻訳されました。
主語と述語がはっきりとしている短い文章だから間違いが起きないのでしょう。
では「英語、駄目なんだよね」
これではどうでしょう?
友達との会話では言いがちな表現ではないでしょうか。
誰が話しているのかはっきりとしているので、主語を省いても意味が通じます。
しかしGoogle翻訳では「English is not good」となりました。
これでは英語は良くないという意味になってしまいます。
そんな事を言いたかった訳じゃないんだ、ですね。
多分ですが、主語がはっきりとしないから機械に勘違いが起きたのでしょう。
Google翻訳の精度は年々上がっているのでしょうが、この問題は中々解消出来ないのではないかと思います。
日本人は曖昧な表現を好むと言いますしね。
この問題を解消するのは実は簡単です。
主語と述語のはっきりとした、意味の明瞭な日本語を心がければいいだけです。
機械に誤解されない日本語を構築し、その時にはそれを使う様にするのです。
普段の会話では砕けた表現でいいのですが、翻訳用の日本語をしっかりと身につけておく。
英語圏の人にはその逆、翻訳用の英語を身につけてもらいます。
それで双方が外国語を学ぶ必要がなくなります。
外国語の習得なんて使う機会のない人には全くの無駄な努力です。
機械がやってくれるのなら任せればいい。
その精度を上げるのに、母国語の方で対応出来るのなら費やす努力は大幅に減る筈です。
英語学習を否定する訳ではありませんが、テクノロジーは上手に利用した方が何かとお得だと思うのです。
スマホは誰もが持つ時代なんですから、スマホを使って済む問題はスマホに任せればいいのでは?
頭を使わない様になるという危惧も分かりますが・・・