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瓦礫の山を慎重に抜ける。隙間の強度を確かめてから、縫うように体を潜り込ませて、体に染みこんだ感覚を頼りに進んでいった。先にウェインが進んで、余裕があればアメリアの手を取る。見え始めた光を辿ってようやく目的地に着く。
通路には既に、レディとスミスがいた。片方は仏頂面で座り込んでいて、もう片方は深く煙草をくゆらせている。
「レディ!」
「おお、灰かぶりと王子のご到着だ。遅かったね」
振り向いたその頭からは、鮮血が一筋流れていた。にもかかわらず涼しい顔で煙草を吹かしているレディに、ウェインは軽く狼狽する。
大きく紫煙を吐き出してから、見かねた様子でレディが続けた。
「何。私の血は、昔から赤かった筈だよ」
「はは、そうだったな。見るのが久々だったから、忘れちまってたぜ」
格好付けた風なその声は震えていた。平静を装えないまま、傷を見ようとレディへ近寄る。そうして顔へ手を伸ばそうとして、それはできなかった。右手に残る硬い感触、静かに淡々とこちらを見る冷えた双眸から、レディに払われたのだとわかる。
煙草を咥えていた口が、それごと噛み砕くように笑った。
「怪我ぐらいするさ。ちょっと運が悪かっただけだよ」
「……そうだな。悪かった」
返事を待つ数秒、レディは強く煙草を吸い込んだ。熱いままの煙が肺を満たして、先端が音を立てて磨り減る。生まれた燃え滓が、重力に逆らえずに落ちた。
「あのな」
苛立ちを隠さないままに言い放って、そこでレディは言葉を切る。煙を吐き出す一拍があってから、挟んだ煙草の先端をウェインに向けた。
「私は普通に怪我もするし、ウェインの事を助けてやったとも思ってない。わかってるだろ?」
「ああ……そうだったな。俺は、俺の仕事をするべきだ」
「それでいい。私は大丈夫だ」
目を閉じて軽く煙を吸い込んでから、レディは攻撃的な笑みと共に、短くなった煙草をウェインの左腕に押し付ける。力ない苦笑いと手の平が、微かな抵抗を示した。
そのままレディはウェインの脇を通って背中に回る。ウェインから死角となるそこで、やり取りを静かに見ていたアメリアへ視線を合わせた。
溜めていた煙を、キスを投げるように器用に飛ばしてから、その奥でわざとらしくウインクする。アメリアが顔を逸らしてそれを払う頃には、レディはまた別の場所を向いていた。ウェインの隣に戻ってから、近くの壁に背を預ける。
「どうする? ウェイン。向こうは完全に殺しに来たみたいだけど」
「そうだな。取り敢えず今晩はここで待機だ。何ならそれぞれの部屋で休んでも良いぞ」
その言葉に、レディは自然と組んでいた腕を外した。
「動かなくて良いのか。場所も割れてるだろ?」
「恐らく裏口はバレてない。向こうはこれで殺しきったつもりだろう。わざわざ瓦礫の山を掻き分けて、死体の確認に来ないだろうしな」
「だからゆっくりしていいと? 裏口は本当に大丈夫なのか?」
「裏口を知っていて、本当に殺すつもりなら、俺はこんな方法は取らないな」
「何か、その後の考えがあるんだね?」
「任せろ。空気は大丈夫だよな、レディ」
「今は大丈夫だよ。第一ガスを使ってくるなら、最初から使ってきてるだろう」
「まぁ、念のためにな。異常が出たら言ってくれ。裏口もな」
レディが深く頷く。会話の終わりを見計らって、座っていたスミスが立ち上がった。
「それぞれの部屋に戻って良いなら、俺は戻るぞ。いいな」
「問題ない。でもいつでも動けるようにはしといてくれよ」
わかってる。と不機嫌そうに言ってから、スミスは自分の部屋へと戻っていく。その背中を見届けながらウェインは服の裏に手を伸ばそうとして、Tシャツのままで出てきたことを思い出す。
バツの悪そうにため息を吐くと、落とした顔にスッと手が差し出された。
「いるかい?」
それには煙草が一本握られていて、辿ると、悪魔の誘いのような笑みがそこにある。
「いや、自前のがある。アメリアを任せて良いか」
「自前って、あの低温のか?」
「そうだ」
ヤニが足りてない答えに、レディは小バカにするように鼻を鳴らした。
「湿気ってるな」
「馬鹿言え。消えちゃいねぇ。燻ってるだけだ」
「そんなに変わらないだろ。まぁ、火が要るときは言いなよ」
「安心しろ。もう点いたさ」
ひらひらと手を上げながら、ウェインは背中を向けて去って行く。自分の部屋に戻って一服するつもりだろう。まだ火を点けてない煙草を手に、レディは深く息を吐き出す。
そうして、やり取りの終わりを待つように見守っていたアメリアへと向き直る。
「吸う?」
「遠慮するわ」
「あらら、二人目にもフラれちゃったか。寂しいね」
言葉とは裏腹に何処か嬉しそうな笑みを浮かべて、レディは用の無くなった煙草を手の中で遊ばせる。指の間をクルクルと往復させながら、レディは問う。
「取り敢えず落ち着ける所に行こうか。そっちの部屋と私の部屋、どっちがいい?」
「貴方の部屋で良いわ。私にとってはどちらでも変わらないし」
頷いてから、レディは空いた方の手で自分の背中を指す。アメリアがそれに合わせて隣に並び、歩き始める。少しの間、踏み出される足をコンクリートが弾く硬質な音だけが響いてから、独り言にしては大きい声が溢れる。
「まさか、私が子守りをする日が来るなんてね」
「あら、まだおしゃぶりを手放せないでいる人が、私を子供扱い?」
あからさまな言葉に、アメリアが余裕をもって返す。予想外の言葉に、レディは未だ手の中を歩いていた煙草を捕まえて、顔の前に上げた。
一度ジッと眺めてから、アメリアの方へ視線を移す。自信げに見上げる瞳とぶつかってから、レディは犬歯を見せるように口の端を吊り上げて、煙草を握りつぶした。
「随分と言うようになったね。お嬢さん」
「こういうのが好きそうだったからそうしただけよ。ご満足いただけたかしら?」
「悪くはないね。ただ」
レディがスッと声の調子を落とす。相手の目線に合わせるように、よく見ればそうであると解る機械の腕を上げた。
「言う相手は選んだ方が良い」
「しっかり選んで言ったつもりよ」
低く、脅しを込めた筈の言葉に、アメリアはさらりと答えた。驚きを隠さずに、レディは作った顔を見開いて崩す。何があったのか、目の前にいる少女の胆力の成長を感じていた。
いや、もしかすると、これが少女の素なのかもしれない。
「なら、いい。次の曲がり角を曲がってすぐだよ」
満足げにも聞こえる声で言いながら、レディは行き先を指で示す。頷いて、アメリアがそれに続いた。