6
スミスがおもむろに左右を見渡し始める。二人の姿が完全に見えなくなったことを確認してから、ゆっくりとアメリアに話しかけた。
「アメリア、とか言ったな」
「ええ。本物よ。疑ってるの?」
重い声に抵抗して、アメリアが気丈な態度を示す。それに深いため息を返してから、スミスは淡々と言葉を吐き出した。
「疑っているわけじゃない。名前を確認しただけだ」
「それもそれで失礼ね。何か用?」
「お前は内部から来たと聞いているが、見たところ生身だな?」
人に対しては聞き慣れない表現に、アメリアがピクリと反応する。スミスの声色は全く変わっていないはずなのに、そこからは排他的な物を感じてしまう。考えなくても聞いていることはわかっている。サイボーグや義手の類いを付けていない、『普通の』人間かという確認だろう。
内部に居たときから嫌と言うほど味わった下らないそれに、思わず額に皺が寄るのを感じる。
「そうだけれど。そういう貴方もそうじゃないの?」
「ハッ、そう思うか。これを見な」
笑い飛ばした後に足を高く持ち上げ、スミスは見せつけるようにズボンを捲る。その奥にあった物に、アメリアは目を見開いた。
ラックやレディの物とは違う、フレームが剥き出しの機械義足。遠目からでもはっきりと人本来の物ではないということがわかる。グルグルと足首を回す度に、空気が吹き出すような音を立ててピストン部が駆動する。
「驚くか」
「いえ……いいえ、驚いたわ」
咄嗟に断りそうになったのを、頭を振って訂正する。申し訳なさそうな声に、変わらない声がそうか、と返ってきた。一拍、得も言われぬ沈黙が場を包み込む。
先にそれを破ったのは、スミスの方だった。
「お前がどういう思いでここに来たかも知らん。あいつらがお前にどんなことを言ったのかも、知らん。お前がどんな人間かも、詳しくは知らん」
独白するようにポツポツと話すスミスの言葉を、アメリアは黙って聞いていた。覗き込むように顔を見るが、視線が交わることはなく、スミスの目は下に落ちている。
そしてそれが、ゆっくりとアメリアに向けられていく。
「俺が知っているのは、お前達が時々下らない騒ぎを起こして、それに巻き込まれると厄介なこと。そして、俺達みたいな『人でなし』に、訳のわからん敵対心を抱いている奴が居ることぐらいだ」
「な、私は、そんなこと思ってない! 騒ぎだなんて、私は巻き込まれただけよ!」
「声高に主張するのは結構だが、俺はお前のことを知らない。お前と似たような奴らのことを、知っているだけだ」
取り付く島もない言い草に、アメリアが声を噛み殺すようにして押し黙る。形にならない空気と行き場のない力が、歪な音を生み出しそうだった。ただただ項垂れて、否定を示すように首を振る。
「私は、そんなこと、思ってない。寧ろ忌々しいぐらいよ」
「そうか」
一気に萎びた声になったアメリアを、スミスは否定でも肯定でもなく受け流す。少し時間があって、何度か大きく深呼吸をしてから、下げていた頭を上げた。目の前に垂れ下がる髪を軽く首を振って後ろに流した。
「私の態度が、いえ、私達の態度で傷ついたのなら、謝るわ」
「傷ついた、か。少し違うな」
「どういうこと?」
「傷つくんじゃない。腹が立つんだよ。特に、お前ら内部から来た奴らにな。俺達はずっとここで生きてきた。どんな憐れみも受ける理由がねぇ。なのにお前らと来れば、そうやって上から見下してくる。あまつさえ、道徳的にだの危ないだの、クソッタレな理論をぶちまけてくる。だから、腹が立つんだ」
「だってそれは、人を殺したり物を奪ったりするのは、いけないことじゃない」
「お前らのそのありがたい教えはな、俺達が真っ当なメシにありつく前に卒業してんだよ」
悪かったな、と露骨に皮肉って、スミスは言い放つ。アメリアは泣き出してしまいそうな顔で、だがはっきりとした声音で答えた。
「何が正しいとかは私にはわからないけれど、貴女達が間違っていることだけは、はっきりとわかるわ」
「お前の言う正しいことで生きていけるなら従ってやる。だがな、俺達にとって正しい事ってのは、約束された明日なんだよ」
何も言い返せなくなって、アメリアは黙りこくる。一通り言いたいことを言ったのか、スミスはやりきったように大きく息を吐いた。
「責め立てるようなことを言って、悪いとは思っている」
声色は変わらず、ただ内容だけが優しくなった言葉に、アメリアの落とした肩が僅かに跳ねる。
「アイツらは口下手の面倒くさがりだからな。思っていても、言いたがらねぇ。ジジイのお節介ってやつだ」
「そう、あの二人も同じようなことを思っているのね」
「そりゃあそうだろうな。特にラックの小僧は上手く気取って受け流すだろうが、少なくとも本心は同じようなもんだろうよ」
「言わないのは、なんで?」
「さっきの通りだ。お前さんの気分が悪くなったりすると面倒だからな。表面上でも良い関係を築いた方が良いに決まっている。アイツはそう言うのが上手い」
そう。と呟くように返して、またアメリアは深く項垂れてしまった。スミスがその肩に手を伸ばそうとしてから、やめだやめだというように手を振り、嘆息と共に立ち上がる。
「俺は奥の整備室に居る。近付けば音かなんかでわかるだろう、用があれば声を掛けろ」
「ええ、ありがとう」
力の無い返事を無視して、スミスは歩き去って行く。金属製の扉が閉まる重厚な音と共に、部屋にはアメリアだけが残された。
スミスは、閉じた扉の奥に一度振り向いて呟く。
「俺は雇われだ。あいつらがどう思ってようと、何を喋ろうと、関係ねぇ」
誰に向けられたかもわからない礼に、今更の言葉が返された。
◇◆◇
「もしもし。ハミルトンさんでいらっしゃいますか」
『ええ。そうです』
「良かった。ブラックアウトのウェインです。娘さんを無事、保護しました」
『ああ、それは……本当に、良かった』
「声を聞きますか?」
『いえ。遠慮しときます。娘は今そちらにいらっしゃるんでしょう?』
「ええ。確かに」
『その言葉だけで安心できます』
電話越しの声からは上手く感情が読み取れない。届かないように意識した声量で、ウェインは息を漏らした。信頼してくれているのなら嬉しいことだが、少し過剰な気もする。生まれ持った性が、何処か裏があるのでは無いかと疑っていた。
有り得ないな、と小さく首を振る。
『しばらくは、そちらで預かるとのことでしたが』
「ええ。よろしいですか?」
『勿論。その方がこちらとしても都合が良いです』
「ならそうさせていただきます。再三の質問で申し訳ありませんが、娘さんが誘拐された理由について、何か心当たりは御座いませんか?」
『うーん、そうですね。誰かの恨みを買った記憶も無いですし、すみませんが助けになれません』
「そうですか。もしかするとまた今度、伺いに上がるかもしれません。基本的にはご自宅にいらっしゃいますか?」
『はい。来るとすればいつ頃になりますか?』
「そうですね。明日から本格的に調査を始めようと思いますので、それ以降に。前日までには連絡いたします」
『明日からですか。わかりました、準備しておきます』
「そうすぐにはならないと思いますが、お願いします」
『いえいえ、こちらこそ娘をお願い致します。では』
「はい。では」
終了を促され、それに逆らうことなくウェインは通話を切った。