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ズンと響く重い音の後に、金属同士が噛み合ってロックする音が鳴る。古びた階段をゆっくりと降りる音が、リズミカルに木霊した。スタスタと降りていくウェインに、慎重に一歩一歩踏み出すようにしてアメリアが続く。手すりを掴もうと手を伸ばして、錆び付いてるのを見てからすぐ引っ込めた。
微かな電灯に照らされた室内は広く、所々に風化を感じさせる。鉄とオイルの臭いが空気すら錆びさせているかのようだった。階段の中程まで来てから、ようやく部屋の全貌が窺える。
中央に大きなテーブルが一つと、細長いベンチが4つ、それを取り囲んでいる。剥き出しの鉄骨とコンクリートの床が、ひんやりと無機質な印象を与えてきた。
褐色の肌を持った女性が一人、そのベンチに退屈そうに寝転がっている。
「戻ったぞ。対象は確保した」
「ヒーローは遅れてやってくるようで。おかえり、ウェイン」
ウェインが声をかけると、レディはもぞもぞと上体を起こした。射抜くような鋭い視線が、ウェインの背後に隠れるように続いたアメリアを刺す。
「ふぅん、取り敢えず座ろうか。こいつが嫌なら新しい椅子でも用意するけど」
「え、いえ、大丈夫よ」
左の口の端のみを吊り上げるような笑みをしながら、レディが軽く手招きをする。少し戸惑った様子を見せながらも、しっかりとした芯を込めた声でアメリアは答えた。
ウェインが不思議そうに振り向くと、一瞬視線から逃れるような仕草を取ってから、バツが悪そうに固まる。それを見て、真似るようにウェインが唇の左をグイッと上げてから顔を戻した。
無理はない、アメリアが始めて見たレディの姿は両手両足血塗れの、まさしく殺人鬼と言うべきものだった。ここまで警戒するのも妥当と言えば妥当だ。
「別に悪いやつじゃねぇ、イカれ野郎ってのは認めるけどな」
「イカれてるなら十分危ない人だと思うけど……」
「ウェイン、私は耳が良い。知ってるだろ?」
「はいはい」
ぶっきらぼうに投げられた言葉に、アメリアの肩が跳ねる。ウェインの背中に隠れるように縮こまった。
無視して、ウェインはつかつかと長い長い階段を降りていく。それがどこかまだまだ子供だなと馬鹿にされているようで、アメリアはムキになりながら横に並ぶように急いだ。
一番下まで降りると視界はより一層暗くなる。光源はどれも遠い天井からつり下がっており、静かに明滅を繰り返していた。
「ねぇ、もう少し明るく出来ないの」
「ん? ああ、この部屋は常に暗いぞ。明るくするとバレるからな」
「バレるって、どういうこと?」
アメリアが聞くとウェインは静かに天井を指さした。見上げると、そこには縦横に渡っている鉄骨と電球が幾つかぶら下がっているだけである。
「何もないじゃない」
「あー、あそこにほら、柵があるだろ」
ウェインはガシガシと頭を掻きながら付け加える。言われたとおりに周りを見ると、四方を囲む壁の内二つ、上部が柵になっておりそこから光が射し込んでいた。時折何かの影がワイパーのように通り過ぎていく。
「それが?」
「ここから外に繋がってるんだよ。さっき降りてきた階段を使えば、良い感じに外の様子が見える。騒ぎが起きたら聞こえてくるしな」
「えっと、でもそれじゃあここであんまり喋っちゃいけないんじゃない?」
「そんなに大きくなけりゃあ届かねぇよ。多少聞こえたとして、足元から声がするとは誰も思わねぇさ」
明かりは別だがな、と軽く肩をすくめてラックはベンチに座る。一度腰を下ろしてから、その場所を譲るようにスッと場所をずらした。そうやって一人分スペースが空いたところに、アメリアが座る。
「さて、レディ。依頼主へ連絡は?」
「安全になるまで身柄を預かってくれるなら、是非そうしてくれとのことらしい。ああ、でも今この場には居ないって言っちゃったから、後で連絡を入れ直した方が良いかもね」
「そうだな。後で俺がやっておく」
「まかせた。悲しいかな、多分向こうも、私よりウェインの方を覚えてるだろう」
「ちょっと待って。私がここに残らなきゃいけないって、どうして?」
まだ警戒が解けない様子でアメリアが問う。すぐに家族の元に帰られると思っていたのか、その声音からは不安の色も窺えた。
呆れたようにため息を吐いて、レディが面倒くさそうに答える。
「そうだね、別にお望みならすぐに帰してあげてもいいよ」
「じゃあ」
「でもそのあとすぐにまた貴方が攫われたとして、私達に責任はないからね」
冷たく突き放すような言い方に、アメリアが続けようとしていた言葉を噛み殺した。つい先程、今はもういない男に言われた言葉を思い出す。
「まぁ、そういうことだ。自分達で何とか出来るならそうして欲しいもんだが、これはお前が攫われた原因を何とかしない限り解決しない」
「その私が攫われた原因っていうのは?」
「まだわからん。今から調べる」
あっけらかんとしたウェインの言葉にアメリアが信じられないといった目を向ける。返ってくる言葉は無く、顔をあらん方向に向けて、腕を組みながら首をすくめられた。
ごそごそとズボンのポケットを漁りながらレディが言う。
「心当たりとか無いの?」
「攫われるような? そんな他人に恨まれるような事、した覚えないわ」
「貴方の親には? 大事な娘っていうのは、かなり重要な交渉材料になり得る」
嫌味な言い方にジトッとした目を向けるが、探ってくるような鋭い目に思わず視線を下げてしまう。おい、とウェインが声を掛けて、レディはわかったよ、と目を閉じた。
「あ、でも、最近よくわからない人達と電話で話をしていたり、外出したりすることが増えたように思えるわ」
パッと顔を上げたアメリアに、ウェインがほうと息を吐く。レディは聞いているのかいないのか、両手を口元に持って行って何かを隠しているようだった。濁音混じりの微かな音と共に、その手元から煙が立ち上る。
いつの間にか、その指には細身のタバコが挟まれていた。吸うときに口が隠れるような、深い位置で保持されている。アメリアは思わずぎょっとした顔でそれを見た。
「それ」
「ん? ああ、タバコか。そういえば、都市ではもう直接火を使うようなのは廃れたんだっけ?」
「ええ、そうよ。そんなクラシックなのは見たこと無いわ。体に悪くないの?」
心配げなアメリアを鼻で笑い飛ばして、レディはスッと左手を前に出した。
「こんな体で、悪いも糞もないだろう」
褐色の、いたって普通の肌がカシュッと音を立てて割れる。生まれた小さな隙間から、赤熱化したニクロム線が顔を出した。明らかに自然な人間ではないその所業に、アメリアは大袈裟なほどに顔を遠ざける。その目は、畏怖や嫌悪と表現できるようなものに歪んでいる。
切り替えるように鼻を鳴らして、レディは肺に溜まった煙を吐き出す。背もたれに体重を預けるような体勢のアメリアを、ウェインは気付かぬうちに睨んでいた。
「そういうことだ。因みに私は左腕だけじゃない。全身殆ど、どこもまともにできてないよ」
「どうして」
「小さい頃に色々あってね。だからまぁ、言えば動く機械と思って構わないよ」
「そ、そんなこと」
「さっきはそういう目をしていた」
また突き放すように言われ、同じようにアメリアが黙る。今度はウェインがフォローすることはなく、静かに左腕を撫でていた。
「うーい。おう? 何だ全員揃ってるじゃねぇか、見ねえ顔も居るな」
長いのか短いのかわからないほど続いたその静寂を破り、奥から一人の恰幅の良い男性が顔を出した。